マンガの中の外国語
最近続けて映画を二作、「SAYURI」と「頭文字D」をレンタルで借りて見たのですが、「SAYURI」は、祇園のようなそうでないような、不思議な街で英語がとびかうファンタジー。どこやねーん、誰やねーん、とツッコみまくるのもなかなか楽しい映画でした。この世界では、日本人の間ですら英語でしゃべっていますから、当然ながら、アメリカ軍人と日本人芸者さんはフツーに英語で意思の疎通が可能です。
「頭文字D」のほうは、日本を舞台にした香港映画。群馬県人が全員広東語でしゃべりまくるという作品です。舞台はまちがいなく日本ですので、これはこれでかなりシュールな光景でしたね。
二作とも映画のウソなわけでして、映画の中では、たとえ古代中国人であっても英語や日本語をしゃべってもOKということになっています。演劇でも同じことですが、演劇よりも背景や小道具がリアルなぶん、映画のほうが違和感が強くなるのかもしれません。
マンガではどうでしょうか。
ベルばらみたいに登場人物がフランス人ばっかりであるならばともかく、作品内で複数の言語が混在するときどうすればいいのでしょう。そんなとき、マンガでどんなくふうがあったか。
(1)デタラメを書く
無意味なことばをしゃべらせる。ただし、宇宙人がしゃべってるのならともかく、これで外国語と思わせるのは今ではムリでしょう。この方法ではセリフの内容が不明ですから、かつては「ハチニンコ」「ウヨハオ」なんて、日本語を逆に書くやり方がありましたね。最近見ないなあ。
(2)カタカナでしゃべらせる
これはけっこうメジャー。たとえばアメリカ人が「ナントイウコトダ」なんて、カタカナでしゃべれっていればこれは英語でしゃべっているのだ、ということになっています。でもたとえば、「オー、ワタシワカリマセーン」てなぐあいにつたなくしゃべらせると、これは「日本語のあまりうまくないアメリカ人が日本語をしゃべっている」表現でありまして、このあたりが微妙。
(3)横書きにする
日本マンガのフキダシ内はたいてい縦書きなので、横書きにすればこれはもう、読者としては外国語だな、と予測するわけです。今の日本人マンガ読者なら、これくらいはわかってね、という作者からのメッセージがこめられているのですが、マンガ表現としてはあまり親切とは言えませんね。
(4)フキダシの形を変える
最近でも山下和美「天才柳沢教授の生活」でやってました。日本語は普通のフキダシ、英語は二重枠のフキダシで表現されます。何の説明もありませんが、読者のほうがきっとそうだろうと考えてくれます。これも読者の読解力に期待した方法。
(5)その国のことばで書く その1
もう英語やらフランス語やら、そのままのセリフをそのまま書いちゃうわけです。たいていカタカナで。アメリカ人が「グッドモーニング」と言ってるなら、そのとおり英語でしゃべっているのですからまちがいようがありません。さらに進歩すれば↓
(6)その国のことばで書く その2
英語やフランス語なら、カタカナじゃなくてアルファベットでセリフを書いちゃう。ただしひとことふたことならともかく、長文をしゃべらせるならば、完全にバイリンガル向けの作品となります。先例がないわけではありません。昭和初期に描かれ、アメリカで販売されたヘンリー木山義喬「漫画四人書生」は、このスタイルでした。かなり読者を選ぶ作品になってしまいます。
さらに、韓国語ならハングル、中国語なら簡体字、ロシア語ならロシア文字でセリフを書いちゃう。最近この方法ときどき見かけるようになりました。さすがにここまでやると、セリフの内容は欄外にでも書いてくんなきゃわかりません。
(7)言語のちがいはなかったことにする
ウルトラCのようですが、最も多いのがこれじゃないでしょうか。日本人は日本語でしゃべってるはず。アメリカ人は英語でしゃべってるはず。だけど、そんなことは無視してシームレス。登場人物はフツーに意思の疎通がとれてしまう。その作品世界では、言語のちがいはあるようでなかったことにしてしまうやり方です。「沈黙の艦隊」も「PLUTO」もこのスタイル。最近の代表作というなら、「デスノート」ですか。
エルは日本人かもしれないから日本語でしゃべってるとしても、ニアやメロは日本人じゃないでしょ。連中とライトはいったい何語でしゃべってるのでしょうか。英語だとして、そうすると、ライトのまわりの刑事たちもみんな、そうとうに語学に堪能な人材がそろってることになります。松田ってそんなに優秀なやつだったのかっ? 日本語だとすると、ニアの周辺の部下も日本語ぺらぺら。のはず。このあたりあいまいにされてます。映画のウソに最も近い方法であると言えますね。
『マンガの中の外国語:「のだめカンタービレ」の場合』に続きます。
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Comments
>長谷先生
きょう買ってきたすぎむらしんいち「ディアスポリス」では、外国語は外国語として扱われてて相当高レベルなんですが、それでも外国人家族内でも日本語でしゃべってるみたいに見えて、この問題むずかしすぎますね。
>ひでかずさま
エロイカぱらっと見てみました。20巻でドイツ人、ロシア人、イギリス人、中国人が混在してても、さらにヨーロッパの田舎に行ってネイティブスピーカーしかいない場面でも、十分に意思の疎通が可能な世界ですね。そのなかで「コニチワゴキゲンイカカデスカ」とカタカナで書かれるのが、ドイツ人が片言の日本語でしゃべるシーンで日本が舞台のときと逆の表現というのはおもしろかったです。
Posted by: 漫棚通信 | September 24, 2006 09:33 PM
はじめてカキコミします.
いろいろな考察をおもしろく拝読していました.
マンガのなかの外国語では,7番目の,ちがいはなかったことにする,というのがいかにもマンガ的なあつかいでおもしろいですね.ところで,そういうやり方をとりながらも,外国語であるために通じない,という場面が青池保子氏の「エロイカより愛をこめて」にはたびたび出てきます.やくそくごとに反するやくそくごとを同時に出現させているわけで,それもまたマンガらしい特色かとおもわれます.
よけいなカキコミだったかもしれませんが,ちょっとお知らせまで.
Posted by: ひでかず | September 24, 2006 08:42 PM
ビズで出版しているアメリカ版「少年ジャンプ」などは
実物を見ていないので、何ともいえないのですが、
この掲載作品中での日本人とアメリカ人の会話~という
場面を考えてみると…。
もう、そうした差異などお構いなしに英語なんでしょうね。
昔の手塚SFマンガの見開き大ゴマでの
国際会議シーン。
各国語が入り乱れる~みたいな描き方だと
楽しめないでしょうね。
作品世界のリアリティをどのレベルまで忠実に
表現するのか、作品内容次第でも色々と考えられそうです。
Posted by: 長谷邦夫 | September 24, 2006 06:41 PM