佐川美代太郎のことを話そう
かつて初めて中島敦の小説「李陵」を読んだときのわたしの感想は、なーんだ、佐川美代太郎のほうがスゴイじゃん、というものでした。
わたしの持ってる中島敦の本は、講談社文庫の「山月記・弟子・李陵ほか三編」というやつで、1973年の発行です。今、引っ張り出してきましたが、あんまりくりかえし読んだ気配がありません。おそらく、読んだのは一回きり。
中島敦「李陵」は、匈奴に投降した漢の武将・李陵の生涯を描いた短編で、李陵に対する人物として、李陵を弁護して宦官になる刑を受けた司馬遷と、匈奴に捕らえられても屈しなかった蘇武が配されています。中島敦の作品の中でも、名作として有名ですね。でも、わたしはこれより先に、李陵を主人公とするマンガ、佐川美代太郎「望郷の舞」をすでにくりかえし読んでいました。しかも、これがまたオールタイムベストワンと思えるほどの傑作でありました。
佐川美代太郎「望郷の舞」は、1969年「週刊漫画サンデー」に連載されたあと、1972年に翠楊社から出版されました。B5版ハードカバーモノクロ218ページ、当時でも2000円。わたしがなんでまたこの本を手に入れたのか、今ではまったく記憶にありませんが、この本を読んでからしばらくは興奮して周囲の人間にしつこく読め読めとすすめてたことはしっかり覚えています。
「望郷の舞」の主人公、李陵は漢の武将。匈奴と戦うのに騎馬を使わず、歩兵だけで立ち向かうという無謀なことをしてしまいます。結果、五千の軍は全滅、幕僚の韓延年も戦死。李陵以下七人は匈奴に投降。以後、彼らは悩みながら一生を送ることになります。
中島敦「李陵」と大きく違うところは、李陵以外のキャラクターの多彩さです。一緒に投降した李家の老臣、赫光(カクコウ)。死んだ韓延年の家来、樸偉(ボクイ)。匈奴の将軍、邪母陳(ジャボチン)らが生き生きと描写される。なかでも下級兵士、愚好(グコウ)はその名のとおり、ちょっとぼーっとした男として描かれますが、気は優しくて力持ち。興安嶺の東の国、東胡まで流れて行き、のちに「片足の王(ワン)」と異名をとる魅力的な登場人物です。
これらの人物が、古代モンゴル草原を駆けめぐる物語。
佐川美代太郎の絵は、古典的おとなマンガの絵です。等身は小さく、顔は大きくデフォルメされ、写実には遠い。
ただこの作品では、線はあえて荒々しく描かれ、ベタはいっさい使用されず、すべて斜線、カケアミで濃淡が表現されます。おそらくアシスタントもいないでしょうから、どれだけ手間がかかっているか。
セリフはカギカッコで囲まれフキダシはありません。擬音もありません。そのかわり、コマのなかに地の文があって状況説明がされます。文字はすべて手書き。動線や殴られたときの☆などの古典的漫符は存在します。
1ページを縦4段に分ける古典的コマワリが数ページ続いたあと、1ページあるいは見開き2ページを使用した大ゴマがどーんと描かれ、これが繰り返されるパターンでお話が語られます。
で、なんといってもこの絵がむちゃくちゃうまいのです。絵を見せるために物語があり、物語のためにうまい絵が存在する。
おそらく佐川美代太郎の絵を知らないひとのほうが多いと思いますので、少し見てもらいましょう。
さあどうだ。こういう絵を前にすると、文章で絵を説明することに意味があるのか、という感じですな。
(1)のように馬がデザイン的に処理されてるのは、全編を通してのことです。(4)の人物もそうですが、絵のうまさってのはつくづく写実とは別のものですね。
(3)は李陵を含め、匈奴に投降した男たちが望郷の念を込めてモンゴルの草原で歌い踊るシーン。中島敦「李陵」では蘇武との別れの宴で李陵ひとりが踊りましたが、これを戸外の大人数、しかも儀式としての舞としたことで、「望郷の舞」というタイトルにふさわしい名シーンになりました。
(2)の虎狩りのシーンなどでは、カットバックも使用され、コマ構成は従来のおとなマンガより一歩踏み出しています。登場人物は斬られれば死にます。そして、傷口から黒澤の椿三十郎のごとく血が吹き出る描写もいっぱいあって、これも従来のおとなマンガにない表現でした。
このマンガに笑いの要素は、まったくないとは言いませんが、きわめて少ない。感動させることを目的に物語を語るマンガです。しかし、そのためにはそれまでのおとなマンガとはまったく別のことをしなければならない。1960年代末にお手本になるのは「劇画」でした。
この本のオビにある推薦文にも劇画ということばが出てきて、みんな意識しています。
小島功「これは、男の世界を描いた新しいタイプの漫画であり、従来の劇画やマンガを超越した作品です」
手塚治虫「今の劇画に充分対抗できる、これこそ大人のための大河漫画です」
劇画と違うタイプの絵で物語を語るマンガ、というくくりで言うと、モンキー・パンチ、棚下照生もそうかもしれませんが、佐川美代太郎とは方向性がかなり違います。佐川美代太郎は、一枚絵の完成度に強くこだわりました。これはおとなマンガの伝統の上に描かれたマンガだからでしょう。こういうタイプのマンガは、日本ではまさに空前でした。ただし世界に目を向ければ、絵を重要視するバンド・デシネには似たものがあるでしょう。
佐川美代太郎は1923年生まれ。日経新聞に「ホイキタ君」(のち「へいきの平ちゃん」、1956年~1964年)などのナンセンスマンガを連載したのち、40歳を越えてから東洋大学大学院の聴講生となり、また絵画研究所でクロッキーを勉強し直します。
1968年の夏、軽井沢にこもって描き上げた作品が、「汗血のシルクロード」でした。
漢の武帝の命による西域への第一回大苑征伐を描いたものですが、この遠征は名馬=汗血馬を手に入れることが目的でした。主人公はインテリの若者、楊徳(ヨウトク)。彼が下級兵士としてこの遠征に参加するお話です。さんざんな負け戦となり、仲間の下級兵士が次々と倒れていきます。
「望郷の舞」の前作となる「汗血のシルクロード」も、スタイルとしては「望郷の舞」とほぼ同じ。ただ人物が「望郷の舞」よりマンガっぽく描かれていて、等身も小さめです。「汗血のシルクロード」から「望郷の舞」を続けて読めば、人物の等身は大きくなり、ナンセンスマンガの絵から独自の絵へどんどん完成されていくのがよくわかります。
この作品は「週刊漫画サンデー」に連載されたのち、1970年に高樹書房/こぐま社から単行本化されました。B5版ハードカバーモノクロ96ページ、800円。
わたし自身がこの作品を読んだのはかなり後年になってから。大苑征伐は史実では二回行われていますが、著者の当初の構想でも第一回遠征と第二回遠征の二部構成になるはずだったそうです。それを、冗長に流れるのをきらって短くまとめたと。そのせいか、ヒロインの扱いなどがややもの足りなく、絵以外の部分でも「望郷の舞」ほどの完成度に欠けます。
てなこと書くのは、わたしが「望郷の舞」を先に読んだから。「望郷の舞」でさらに進化していると言うべきですね。
2002年に発行された「夏目&呉の復活!大人まんが」というアンソロジーには、「もう一つの劇画」と題して、佐川美代太郎「冒頓単于(ボクトツゼンウ)」という16ページの短編が収録されました。「漫画読本」1969年8月号掲載。
冒頓単于と漢の高祖の戦いを描いた作品ですが、物語を語るというより、絵を見せるタイプの作品になっていました。絵は「望郷の舞」よりさらに洗練に向かっています。人物の等身はさらに大きく、大ゴマが多用され、すでに新聞連載ナンセンスマンガの面影はほとんどありません。
佐川美代太郎に対する夏目房之介の評価。
戦後の子供マンガから発達した青年マンガや劇画は 主観的つーか圧倒的な感情移入の画面で物語をつくり 大人まんがもまたいくつかの挑戦を残した 佐川美代太郎もその一人 洗練されていながら荒々しい描線は… もうひとつの大人「劇画」への可能性を感じさせます
呉智英の評価。
日本の現代マンガは、手塚治虫が、マンガの絵は絵文字のような一種の表現記号だと言ったことに象徴されるように、絵自体の美しさはさほど追求しない。それよりも、コマからコマへの流れ、物語の構成に重きが置かれる。これが成功し、一九六〇年代後半から、ストーリーマンガ・劇画が繁栄するようになった。
しかし、必ずしもこの系統に属するわけではないナンセンスマンガを描く人も、当時たくさんいた。こうしたマンガ家も、自分たちの絵で劇画を描こうと試みた。絵そのもの美しさ、コマの構成のおもしろさ、その中に物語を織り込もうとした。
そのうち一人、というより、全マンガ界で事実上たった一人、そうした大胆な冒険をしたのが佐川美代太郎である。
発表当時の評価がどうだったかはあまり知らないのですが、峯島正行「ナンセンスに賭ける」によりますと、「汗血のシルクロード」が雑誌に掲載されたとき、
これが誌上に出ると、一種のセンセーションを巻き起こした。読者の反響も大きかったが、漫画界の人たちも驚愕し、多くの先輩漫画家から激賞された。
とあります。しかし、その後佐川美代太郎は、このタイプのマンガを描き続けることはありませんでした。カケアミに徹し、かつ絵の完成度にこだわっていては量産できません。そして雑誌連載の娯楽作品として、あまりに重厚にすぎる作風であったことは確かでしょう。
「汗血のシルクロード」「望郷の舞」の二作を残して、1973年、佐川美代太郎は京都精華大学(当時は短大)美術学部デザイン科漫画コースの教授に就任しました。マンガ家としては一線を退いた形になります。
峯島正行の前掲書によると、大学教授としての佐川美代太郎は、「独裁者として、学生にウムをいわせず、気ちがいのように、デッサンとスケッチをやらせ」るという、そうとうにコワい先生だったようです。
さらに自分は仏教大学文学部仏教学科の三年生に入学。二年で卒業したのち、さらに仏教大学国文学科に再入学、三年間かけて卒業しました。後年、仏教マンガで日本漫画家協会賞を受賞しています。
以後の佐川美代太郎の作品を、子ども向け絵本で見てみました。1977年の「しろいらくだ」は中央アジアのお話で、「望郷の舞」のタッチが残っていますが、1986年「ぽつんこかっぱ」になると、絵の具を大胆に塗った上から針でひっかいて輪郭線を描いたもので童画ふう。1992年「さけのおおすけ」では、馬場のぼるのような古典的子どもマンガタッチに回帰しています。
絵のうまさと物語性を両立させた佐川美代太郎のマンガは、残念ながら、日本では十分な評価を受けたとは言えません。むしろ多くのおとなマンガがそうであるように、現在では忘れられているかもしれない。しかし「望郷の舞」はまちがいなく、日本マンガが到達した傑作のひとつと考えます。できれば多くのひとに読んでもらいたいものです。
【付記】「汗血のシルクロード」や「望郷の舞」は現在でも古書としてときどき見かけますし、比較的安価です。また佐川美代太郎作品はマンガながら図書館にけっこうはいってます。たとえば「東京都の図書館横断検索」で調べると、「汗血のシルクロード」は6館で、「望郷の舞」も6館で所蔵してることがわかります。お近くの図書館にないときも、公立図書館同士の貸し出しサービスを利用すれば、読むことだけは可能です。
Comments
佐川美代太郎先生の告別式に参列された、とんがりやまさんのブログ記事です。
http://www.tongariyama.jp/weblog/2009/11/post-62a3.html
Posted by: 漫棚通信 | November 03, 2009 11:35 PM
本日訃報をお聞きしました。ご冥福をお祈りします。
Posted by: 漫棚通信 | October 31, 2009 08:58 PM
とても嬉しい気持ちで拝読しました。どなたか存じませんが、どうも有り難う。亡くなった寂しさを慰められました。
Posted by: Yumi | October 31, 2009 08:38 PM