おとなマンガはどこへ行くのか
竹熊健太郎/相原コージ「サルまん 21世紀愛蔵版」を読んでいて、現在いちばんわかりにくいだろうなと思った箇所は、仮想敵として風刺マンガをパロった部分。横山泰三ふうに顔に字で「庶民」とか描いてあるやつね、それが例にあげられているのですが、横山泰三が朝日新聞に「社会戯評」を描いていたのは1992年まで。今の読者には、原典がもうわかんないんじゃないかしら。
かつて雑誌「COM」1968年10月号に、峠あかねこと真崎守が「峯島正之氏への公開書簡 劇画ブームは斬れたか」という文章を寄せたことがありました。「中央公論」1968年8月号に掲載された、峯島正之「劇画ブームを斬る」という文章に対する反論です。
峠あかね=真崎守は、虫プロのアニメーションディレクターであり、マンガ家であり、マンガ評論も手がけ、「COM」のマンガスクールの評者。この時期のマンガ家志望少年たちにとって指導者的立場の人物でした。彼は当時から、マンガの未来はコマ構成にあり、と先進的な考えを表明していました。
いっぽうの峯島正之は、1959年から1970年まで「週刊漫画サンデー」編集長。漫画サンデーはおとなマンガの老舗でしたし、峯島正之もガチガチのおとなマンガ主義者でした。峠あかねの文章を受けて、「COM」1968年11月号に、峯島正之「峠あかね氏への再反論 漫画とはなにか」という文章が掲載されました。
わたしは、中央公論の峯島正之の文章を読んでいないのですが、峠あかねによる反論は、こどもマンガ・劇画・おとなマンガをすべてひっくるめて「漫画」として論じ、峯島の基礎的知識に誤りがあることを指摘、そして「味方」のはずの峯島からの攻撃に不満をもらすものでした。
これに対して峯島正之の再反論は、「漫画」をどうとらえるかの入り口ですでに考えが違う。
峯島正之の考える「漫画」とは、「文学性と絵画性とを兼ねそなえたマスコミ芸術」であり、「笑いを通して、人間の真相に迫る」ものです。コマわりの絵を使用して物語を展開する劇画と、彼の考える「漫画」は、まったく別のものとされます。
「劇画と漫画とを同日に論じたり、比較対象したり(ママ)、同じはかりにのせてはかることは、例えばテレビドラマと小説とを比べ論ずることと、或いは講談と詩とを比較するのと同じように、ナンセンスなこと」であると。「もし峠さんという方が劇画のファンであり、研究者であり、理論家であられるならば、漫画などには、関係なく劇画の発展に努力されればいいのだと存じます」
ようは、おとなマンガはその他と違って高尚な別ものなんだから、いっしょに語るんじゃねえよ、と。峠あかねのほうは、すべてひっくるめて「漫画」であり峯島正之もマンガの味方のひとりと考えていたのに、峯島はマンガの多様な可能性などにまったく興味がなく、全然味方じゃなかったわけです。
というわけで、すれちがいのまま、議論は深まることはありませんでした。マンガの枠がどんどん大きくなるいっぽうで、狭いおとなマンガ村がありました。
峯島正之は後年、「ナンセンスに賭ける」(1992年青蛙房)という著書のなかでは、
こんにちでは、「漫画」とひと口にいっても、いわゆる旧来のナンセンス漫画、ストーリー漫画、劇画、少年少女漫画等々さまざまな形態のものになっている。
と、さすがにトーンが下がってますが、基本的には考えを変えてはいないようです。この本は、おとなマンガ家、サトウサンペイ・鈴木義司・小島功・富永一朗・馬場のぼる・佐川美代太郎・園山俊二・福地泡介・東海林さだお・砂川しげひさ・秋竜山らの評伝で、たいへんおもしろく役に立つ本なのですが、たとえば馬場のぼるをほめるために手塚治虫を引き合いに出して、
その漫画がもたらす笑いの底から浮かび上がって来るのは、えもいわれぬ、甘い懐かしい情感と人間性の奥底にある何者かへの熱い共感なのである。そういうものは、手塚がいかに知的な構想のもとに壮大な物語を、あの固い線描で描いたところで、絶対に表せないものなのである。そして、究極的に人びとの心をとらえ、愛されるのは、知性と論理で築いた手塚の巨大な作品群より、馬場のほんわかした小さな叙情的な漫画の方かも知れないのである。
とまあ書くわけです。いや、馬場のぼるがすばらしいのはわかるんですけどね。
峯島正之は、あの、おとなマンガの絵で描かれた劇画とも言える傑作、佐川美代太郎「汗血のシルクロード」「望郷の舞」を世に出した優れた編集者なのに、あるジャンルを愛するあまりに、少しかたよった考えを持っているようです。わたし自身はおとなマンガも大好きで、現在のあまりに無視されている状況が不満なのですが、ここまでのかたくなな態度にはちょっと辟易してしまいますね。
さて、辻惟雄「日本美術の歴史」(2005年東京大学出版局)という、教科書として使われることを前提として書かれた日本美術通史があります。この本で、おそらく初めて、マンガとアニメが美術として取り上げられました。
ここで辻惟雄はマンガを、「大衆性と密着した戯画とその同類、とくに物語をともなうもの」と定義しました。物語性を打ち出すことで、従来のおとなマンガは無視されているともいえます。
この本ではマンガは、「鳥獣戯画」などを始祖として「鳥羽絵」を経て、明治にビゴー、ワーグマンらの影響で近代マンガの成立、というかなり古典的考え方の記述になってます。これが正しいかどうかは別にして、美術本流がマンガを無視できなくなった理由は、なんといっても商業的な成功に加えて、外国から日本文化「MANGA」が認知されたからでしょう。
浮世絵と同じように、日本の大衆文化を美術として発見するのは、まず外国人なんですねえ。
この教科書で紹介されるMANGA作家は、手塚治虫、白土三平、つげ義春、大友克洋、萩尾望都です。「漫画」から「MANGA」へ変身するとき、おとなマンガはこぼれていってしまいました。でも、マンガの多様性を支えるいちジャンルとして、ぜひとも生き残ってほしいのです、なんとか。
Comments
「漫画」という言葉が、物語性のないものを指していた時代というのが確かに存在していたのに、今それがほとんどなかったかのようにふるまわれているのはやはりおかしい状況のように思われます。「夏目&呉の復活!大人まんが」も、もう入手不能のようですし、困ったことです。
Posted by: 漫棚通信 | September 11, 2006 05:14 PM
あの時代を詳しく知っているマンガ編集者であり
論客であるのは、もはや峯島さんお一人かも。
若いマンガ史研究家は、今のうちに
彼から色々聞いておくべき~
などと、ぼくは思ったりします。
当時の巨匠たちは亡くなられているので、
ある意味、峯島さんも本音がしゃべり
やすいのでは?と思うんですね。
彼が更にマンガに関して書くという
かたちになると、これまでの論を
崩せないと思うし。
Posted by: 長谷邦夫 | September 09, 2006 08:52 PM
フランスのマンガ家サンペも、バンド・デシネ大嫌い、カートゥーン大好き、と表明してましたし、好みはひとそれぞれで頑固なかたはいるのだとはわかってるんですが。おとなマンガ方面のみなさんも、できればもっと寛容になっていただけると。
Posted by: 漫棚通信 | September 08, 2006 02:34 PM
峯島さんは、ぼくのパロディ・シリーズを
連載させるところまで、おりてきてくれた
編集者でもありました。
漫画集団におんぶにダッコで週刊誌を出して
来た関係もあって、どうしても、反物語的な
漫画の見方ですね。
昨年、ぼくの『漫画に愛を~』を、
尾崎秀樹記念の文学賞に推薦して
くださってビックリ。
もちろん落ちたんですが(笑)。
Posted by: 長谷邦夫 | September 08, 2006 12:35 AM