お盆につき小ネタで
↓こんな発言がおもしろかった。
■祖父江慎
もはや、普通の本を出したくても出せない体になっちゃってますね。
(デザインノート2006年8号)
■吾妻ひでお
ハッキリ言ってシリアスは楽です
バカでも描けます
(吾妻ひでお作品集成 夜の帳の中で)
↓こんな映画をテレビでぼーっと見てました。
■映画「妖怪大戦争」
以前にも見たことあるんですが、TVでやってたので再見。小豆一個にやられちゃう加藤保憲ってどうよ。帝都物語のころにくらべて落ちぶれちゃったなあ。田舎に出没してドサまわりしてるし。水に弱くてバットで殴り殺されちゃう、あの映画の宇宙人よりカッコ悪いぞ。でもGOGO夕張はすばらしい。水木先生はいつまでもお元気ですね。
↓で、こんなことを考えてました。
■映画を最後まで見ずに映画評を書くことはありえない。本を最後まで読まずに書評を書くことはありえない。でも、マンガは連載第1回だけで評価されてあたりまえになってるんですよねえ。
しかもその評判によって、それからの展開ががらっと変わることが普通にある。作者も読者もそのことをアタリマエに受け入れている。しりあがり寿も書いてましたが、インタラクティブといえばそのとおりで、読者の反応が創作現場に強くフィードバックされる。
連載マンガの作り方は、映画や小説、テレビドラマよりも、テレビのバラエティ番組に似てるようです。あるいは、野球やサッカーの、ファンと監督の関係に近いのかな。
Comments
寄席を雑誌に見立てるなら、漫才や奇術、俗曲、曲芸といった色物が、バリエーションを豊かにしてくれています。最近の寄席は、色物の数が少なくなっているのですが、これは落語家の数が多くなっているせいでしょう。引退のない世界なので、上がつかえていると、若手が出られない。いまのマンガ雑誌の状況と似ているような、いないような……。
Posted by: すがやみつる | August 13, 2006 03:19 PM
コメントありがとうございます。なるほど、(1)ライブ感覚の必要性と(2)寄席というパッケージの中で演し物の選択は、いかにもマンガ雑誌に似てる。人情話の大ネタばかりだと客が疲れるから、脱力系ギャグマンガもはさまなきゃいけないのですね。
Posted by: 漫棚通信 | August 12, 2006 09:45 PM
現役マンガ家時代に、似ているなあ……と意識したのは、寄席の落語家です。
寄席というライブでの落語家には、お客さんの顔ぶれ(通が多いか、はとバスのお客さんが多いか等)やマクラでの反応を見て、その日の演し物を決めるという臨機応変さが求められます。手持ちのネタが少ないと、こういうことはできません。「ネームができない」と嘆くマンガ家が多いようですが、ネーム以前のアイデアやネタのストックがないんですよね。
落語家の世界では、このような臨機応変さや気配り、対応力といった人間力全般を「料簡」というそうですが、このあたりの「したたかさ」はマンガ家も見習ってよさそうです。
Posted by: すがやみつる | August 12, 2006 02:09 PM