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July 13, 2006

加太こうじ「紙芝居昭和史」

 まるでマンガね、というのは悪口でした。その後、まるで劇画ね、という別の意味の悪口もありました。劇画ということばが、忘れ去られようとしている現在、この悪口もなくなりそう。

 これ以前には、まるで紙芝居、なんて言い方があったそうです。たとえばテレビの草創期、電気紙芝居、なんて揶揄されてました。今はこの悪口も消えてしまった、のかしら?

 以前、みなもと太郎先生にコメント欄で教えていただいた、加太こうじ「紙芝居昭和史」読みました。原著は1971年、わたしの読んだのは2004年の岩波現代文庫版。

 いやー、おもしろいわ。加太こうじは紙芝居界のドンであったらしいので、文章のことごとくが相当にエラソーで、人名マチガイなどもありますが、もう消え去ってしまった文化について、一級の証言でしょう。

 前・紙芝居である写し絵、紙人形から、通常知られている絵物語形式の紙芝居に変化したのが、昭和5年の「黒バット」から。この絵を描いていたのが、当時まだ学生だった永松武雄(のち健夫)。悪人であった黒バットの物語からスピンオフして、正義の味方「黄金バット」が登場します。

 以前に書いた黄金バットのスタイルの変化。じつは戦前、永松版のオリジナル黄金バットは、帽子なし、金のガイコツに赤マント、だったそうです。これを加太こうじも踏襲して描いてましたが、戦後、紙芝居はGHQの検閲を受け、「欧米では骸骨は悪のシンボルになっているから、子ども向きのやさしげな顔に直せ」と言われて、作ったのが金の仏像顔、パーマをかけた髪の毛の黄金バット。

 冗談みたいな話ですが、こんな黄金バットがあったらしい。永松健夫のほうは、戦後の元々社版の黄金バットにつばの大きな帽子をかぶせ、これがよく復刻されるタイプの黄金バットです。

 この本は、永松健夫が昭和36(1961)年に亡くなるまでが書かれています。加太こうじによると、永松健夫が亡くなったときと紙芝居終焉の時期がちょうど一致しているそうです。30年ほどの歴史なのですね。

 わたしの記憶のなかの紙芝居は、1965年ごろが最後かなあ。NHKで「ひょっこりひょうたん島」の放映が始まったのが、1964年。これと紙芝居が勝負するのはきびしいわ。

 ただし、紙芝居はのちのマンガに大きな影響を与えているはずです。

 紙芝居出身の絵物語、マンガ作家も多く、永松健夫、山川惣治、武内つなよし、石原豪人、凡天太郎、水木しげる、白土三平、小島剛夕、などなど。

 絵を連なりで語られるストーリーは、絵物語やマンガと似た形式を持っています。それに、紙芝居は1回分が十数枚の連続もの。今日おもしろくなければ明日はお客は来ない。つまり連載マンガと同じことを毎日やってるのが紙芝居でした。

 岩波現代文庫版の解説で、水木しげるは以下のように書いてます。

紙芝居は、一巻十枚ごとが勝負で、一巻失敗したらスルメやアメが売れない。ウケなかったといって中断することもできない。初めからかきなおすわけにもいかない。とにかく、始めてしまったら、何が何でも続け、ウケさせなければならないのだ。(略)こんなおそろしい創作活動は、ちょっと他にはないだろうと思う。

 週刊誌時代のマンガの先祖は、月刊誌時代のマンガをとおりこして、紙芝居だったのかしら。

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Comments

>加太さん。
ぼくは金町6丁目に生まれ育ちました。
加太先生は5丁目。

ぼくが金町駅前団地に住んだ時代には
たしか大学へ講義に行ったりして
おられたはずです。
よく、ハンチングをかぶりトレンチコート姿の
長身を路上、駅などでお見かけしました。

白土三平さんは、おそらく、金町とお隣の水元の
境界地域の農家の離れに住んだことがある!
ようですね。
目撃してみたかった!(笑)

Posted by: 長谷邦夫 | July 14, 2006 at 07:10 PM

葛飾区金町なら昔はよほど田舎だったんじゃないですか。そうは言っても上野浅草まではなんとか歩いていけない距離ではなさそうですし、うーむやっぱ東京の地理はよくわかりません。

Posted by: 漫棚通信 | July 15, 2006 at 09:55 PM

>金町の昔
田舎でした。ぼくの家のまわりも田圃と畑です。
旧4丁目が駅周辺。住宅と商店。
5丁目は住宅も多いが、少し畑があり、
農村水元との境目。白土さんは水元の農家の
離れを借りていたのでは?と思ったりします。
ぼくが住んだ6丁目は、蛙の大合唱が聞こえる
ような土地でした。

金町~上野間は、当時の国鉄で
25分くらい掛かったと思います。
とても歩く距離ではありません。
隣駅が、こち亀の亀有駅。金町から
旧水戸街道を、子供の脚で30分くらい
かかる駅で、映画を見るときは電車で
行くのが普通でした。
そのお隣りが、綾瀬。
角栄~ホリエモンまでがお世話になった
東京拘置所があります。

大雪で電車が止まってしまい
ここから亀有まで<雪中行軍>したことが
あります。1時間30分くらいはかかったと
思います。中学時代の思い出で、時間は
あやふやですが、亀有で休憩して、さらに
金町まで歩きました。

Posted by: 長谷邦夫 | July 16, 2006 at 09:54 AM

加太こうじさんのレポート、詳しくてよくわかりました。
言わばこの人、今のアニメの黎明期ですごい役割をしていたんですね。

さて、この記事を私のブログのページでご紹介させていただいたお知らせも兼ねて参りました。もしも、このご紹介について不都合があれば、お詫びを申し上げると共に、その旨、私のページの最新のコメント欄にご一報下さればうれしいです。確認でき次第、紹介の方はとりやめさせていただきます。もちろん、リンク継続OKということであれば、ご一報下さる必要はございません。今後ともよろしくお願いいたします。http://sapuri777.blog31.fc2.com/<--最新のページ

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Posted by: テレビなコラム | June 03, 2007 at 02:29 PM

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