ミー・ターザン! ユー・ジェーン!(その4)
(前回からの続きです。今回で最後)
戦前、海外キャラクターの和製マンガといえば、ミッキー、ポパイ、ベティのビッグスリーがありましたが、ターザンはどうだったかなあ。ターザンに似たヒーローは、1933(昭8)年から始まった島田啓三「冒険ダン吉」ぐらいでしょうか。でもダン吉はどちらかというとロビンソン・クルーソー風味であって、ターザン風味は薄いかな。
もちろん南洋一郎などの南海冒険小説には影響を与えていたでしょうが、南洋一郎の戦前の代表作「密林の王者」「吼える密林」の主人公は、アメリカの探検家ジョセフ・ウィルトン。ジャングルの冒険ではあっても猛獣狩りのお話で、ターザンとはちょと違う。
ただし、紙芝居には山川惣治「少年タイガー」がありました。1933(昭8)年末ごろより「黄金バット」の人気を圧倒し、1934(昭9)には人気ナンバーワンとなった、と加太こうじ「紙芝居昭和史」にあります。
少年タイガーはアジアの女王という大きな虎に育てられ、アジアの大平原や山岳地帯で大活躍をする。配するにスイコという美少女、黄金バットもどきの白骸骨の魔人ホワイトペガー、敵役としては「ゴデムロッコン、ロッコンゴデム」とあやしげなさけびとともに出現するブラックサタンなどがあった。
山川惣治は戦前のうちに雑誌に進出しますが、さすがに終戦直後は仕事がなく、1946年に再度紙芝居に復帰しました。そこで描かれたのが紙芝居版「少年王者」です。少年タイガーが服を着てたのに対して、少年王者はほとんど裸でしかも舞台はアフリカ。まさに和製ターザンでした。
戦後すぐ、GHQの統制によって、チャンバラと武道ものが禁止されました。そのかわりにアメリカ的なものとして何が輸入されたかと言いますと、西部劇とターザンでした。
山川惣治の「少年王者」は1946年から1947年に紙芝居で描かれたのち、1947年集英社から単体単行本として発売されました。これは大ヒットして、1949年には雑誌「おもしろブック」が創刊され、「少年王者」の連載が始まります。
「少年王者」の主人公は、アフリカ奥地に布教にきた日本人・牧村牧師の息子、真吾。赤ん坊のころ両親とはぐれ、ゴリラに育てられます。ライオンを倒したときは、
「あーあ あー あー」真吾はゴリラの勝どきのようにむねをたたいて、力いっぱい、おたけびをあげた。
これはもう、ジャングル・ブックというより、ターザンでしょ。すい子さんというヒロインも登場し、真吾が熱病のすい子を雨のなか、抱きかかえるシーンでは、朝日新聞で、コドモモノヲケガシタと非難されたそうですよ。
山川惣治は1951年から産業経済新聞に「少年ケニヤ」、その後「少年タイガー」を連載します。おそらく「少年ケニヤ」は和製ターザンものとして、最大のヒット作品です。
もちろん、この時期には他の作者による和製ターザンものの絵物語もいっぱい描かれており、先日紹介した吉田竜夫の雑誌デビュー作、「ジャングル・キング」(1954年)もそのひとつです。
南洋一郎も、戦後に少年小説「バルーバの冒険」シリーズを書いています。第一部の「片眼の黄金獅子」が1948年の発行。「はじめに」によりますと、
ターザンはイギリスの貴族のあかんぼが密林でそだったのだが、ターザンはほかにもいる。
しかも、それは日本婦人とアメリカの大学者との間に生まれたあかんぼで、それがアフリカの密林のおくで、ふしぎな大ライオンやチンパンジーにそだてられ、すばらしい怪力と、すぐれた智恵をもった密林の巨人となったのだ。
その名をバルーバという。バルーバというのは、チンパンジーのことばで「えらいやつ、すごく強いやつ」という意味だそうだ。
というわけで、まるきりターザンそのままです。戦後すぐに書かれた少年小説で、日米の混血児が主人公。しかもアメリカ型ヒーローのターザン。ヒロインはアメリカ人美少女のグレース。彼女との会話が、「アイ、ユウ、ゴウ、パパ(わたし、お前、行く、パパ)」なんてのも、映画ターザンぽいうえに、当時の日本人の英語ブームみたいなものがうかがえるのが何ともですな。
和製ターザンとして有名な作品に、横井福次郎「冒険ターザン」(1948年)、「痛快ターザン」(1948年)、「ターザンの決闘」(1950年、いずれも光文社)もあります。ネットで見つけた書影はコチラ。
横井福次郎のご子息、横井一郎の回想によりますと、
父は、家を買うために一冊の漫画を(わずか五、六日で)かきあげた。それが「冒険ターザン」(光文社)である。
とあります。そうとうなやっつけ仕事ですが、ま、それだけターザンが大ブームだったということでしょう。
手塚治虫「新宝島」にターザンふうのバロンが登場するのが1947年。「ターザンの秘密基地」が1948年。いわゆる赤本マンガには、ターザンものがいっぱいあったそうです。
手塚の「ターザンの洞窟」と「ターザンの王城」という作品が1949年。「ジャングル大帝」の連載開始が1950年。手塚治虫の代表作「ジャングル大帝」も、ターザンブームがあったからこそ誕生したと言えます。
最後に日本のテレビの中のターザンについて。
1961年、実写版「少年ケニヤ」がテレビ放映されてます。わたし自身は、同時期の「ふしぎな少年」(←時間よとまれ、ですな)は覚えてるのに、ケニヤのほうはまったく記憶がありません。
1963年には、東映動画初のTVアニメ、「狼少年ケン」が放映されました。アフリカが舞台なのに、オオカミ、ライオン、虎、象、ゴリラが同居するというターザンものでした。主題歌が楽しい。
1965年、虫プロのカラーTVアニメ「ジャングル大帝」放映。原作版では、ケン一はターザンのかっこうしてましたが、アニメ版ではどうだったっけ。ターザンにはなってなかったような気が。
このころ、すでにアフリカは暗黒大陸ではなくなっていました。1960年、アフリカでは17か国が独立し、「アフリカの年」と呼ばれました。アフリカは、ターザンが暴れたり、子ども向け冒険物語の舞台ではなくなっていきます。ターザンとその子どもたちは、過去の世界に生きる、ノスタルジーと共にあるキャラクターとなってしまいました。
ターザンは日本マンガに影響を与えました。ジャングルものというジャンルとして。古典的日本ヒーローとは違うアメリカ型ヒーローの典型として。しかしもっとも重要な影響は、現在、海外から日本マンガ、日本アニメの特徴として考えられているセックスアンドバイオレンス、この基本形を日本に伝えたことです。
ターザンおよびその他のアメリカ文化から輸入されたセックスアンドバイオレンスが、しばらくして永井豪らを経て表面に顔を出し始め、以後の日本マンガ、日本アニメの特徴になっていったというのがわたしの理解です。
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