ミー・ターザン! ユー・ジェーン!(その3)
(前回からの続きです)
ターザンの初めてのマンガは、ハル・フォスター Hal (Harold) Foster によって描かれました。1929年のことです。
1929年が世界大恐慌の年であることにご注意。この年、アメリカの新聞マンガ、コミックストリップには連載冒険ものが登場するようになります。「バック・ロジャース」や「ターザン」が始まり、人気を得ました。このため、それまでの喜劇的なマンガは退潮に向かったという指摘もあります。
戦後、日本のストーリーマンガの隆盛に似た状況があったのかもしれません。ちなみに、最初のトーキー映画が1927年、大西洋の反対側でエルジェが「タンタン」を描き始めたのも1929年です。
ハル・フォスターの描くターザンは、マンガというより絵物語。正方形のコマの下に文章、という形式です。絵の中にはフキダシも擬音も存在しません。この点では、同時期のSFマンガ「バック・ロジャース」のほうが、マンガらしい。
しかし、フォスターの絵はむちゃくちゃうまい。人体デッサンの確かさは、同時期の他のマンガの及ぶところではありませんし、映画の影響を受けて、俯瞰の構図などを取り入れています。ストーリーは原作ターザンに忠実で、映画のような脚色はされず、むしろマンガこそバローズの意図をよく伝えています。
ターザンとバック・ロジャースに対抗して、アレックス・レイモンド Alex Raymond による「フラッシュ・ゴードン」が1934年に開始されました。このSFマンガは長期連載され、主人公は有名なアメリカンヒーローになりましたが、同じ年に始まったのが「ジャングル・ジム」。
「ジャングル・ジム」の舞台はアフリカじゃなくて東南アジアであるところがターザンと違います。第二次世界大戦が始まると、ジャングル・ジムは当然ながら日本軍を敵として戦ったそうです。
のちに「リップ・カービイ」も創造して、アメコミ界の巨人となるアレックス・レイモンドの絵はこんな感じ。なんといっても女性が色っぽいったらない。
さて、本家ターザンのほう。フォスターに続いてターザンを描いたのが、バーン・ホガース Burne Hogarth です。1937年、コンクールの結果、ホガースがこの仕事を勝ち取りました。
ホガースのターザンは、そのダイナミックな構図と、筋肉描写が特徴です。
彼は、のちにニューヨークでスクール・オブ・ビジュアル・アーツを創立し、美術教師となりました。美術教科書を多く執筆していて、日本でも「ダイナミック美術解剖 Dynamic Anatomy」(グラフィック社)、「ダイナミックコミック講座[人物を描く] Dynamic Figure Drawing」(エルテ出版)が翻訳されてます。とくに後者は、手前に向かって前傾したり後傾したり、腕や脚が手前に突き出されたり、体をひねったりしてる人体(山田芳裕みたいね)をいかに描くかを示したもので、とくにマンガにはすごく役立つのじゃないかな。
その他、コミックブックでもターザンは多くの作家によって描かれましたが、1965年からコミックストリップとして新聞連載されたのが、ラス・マニング Russ Manning によるもの。これは1972年ツル・コミック社から「帰ってきたターザン」「王者ターザン」として邦訳されています。
ラス・マニングの絵はこんな感じ。すっきり、ていねい系でなかなか読ませます。
ツル・コミック社は同年に1冊100円のワールド・コミックスのシリーズを出していて、「わんぱくデニス」とか「セイント」とか「ポパイ」とか「フラッシュ・ゴードン」とか、ぺらぺらのチープな作りの冊子ね。わたしもこのシリーズ1冊だけ持ってますが、ターザンも刊行されていたらしい。いや、知りませんでした。
では、日本製ターザンはどうだったか。
あとちょっとだけ続きます。
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