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July 30, 2006

「月館の殺人」下巻を読む楽しみ

 佐々木倫子/綾次行人「月館の殺人」上巻を読んで、『「月館の殺人」を推理する』というタイトルのエントリを書いたのはもう一年前。以後ずっと、下巻が出るのを楽しみにしてまして、やっと全貌を知ることができました。

 上巻は第一の死体が発見されるまででしたが、下巻になるとこれが連続殺人であることが明らかになります。

 推理マンガは通常のマンガとは違います。普通、連載マンガは連載当初にこれでもかというくらい見せ場をつっこんで読者を引きつけないと、連載中止になっちゃう可能性が常にある。感動の大団円を用意してても、そこまで連載が続かないと意味がありません。ですから、全体の構成を無視してバランスを崩してでも、それぞれの回に全力投球する。

 これに対して、推理マンガは最終のできあがりがすべて。それぞれの回の描写のひとつひとつが伏線かミスディレクションであるべきで、あらゆるものが最終回に向けて収斂していく。この点で「月館の殺人」は、たいへんおもしろく読みました。

 下巻はもしかすると謎解き部分を袋とじにするかも、と思っていましたが、謎解き以降の紙の色を変えるという造本でした。これはよかった。主人公が、「わたし… わかった──」と言ったあと、本を置いて、もっかい上巻から読み直しだー。


■以下、トリックをバラします。未読のかたはくれぐれも読まないように。

 えー、上巻から読み直した結果、わたし、ラストの謎解き以前にメイントリックはわかりました、えっへん。証人は、わたしの同居人しかいませんけど。

 連続殺人が起こるとき、死体○○の順と△△の順が違うのはよくありますから、なれた読者は疑いながら読んでます。腕時計を持ってたはずなのに×××してたのが決定的。この部分、推理の根拠となる部分をフェアプレイですべてマンガの絵として見せたのは、おみごとです。TV「安楽椅子探偵」パターンですな。

 推理マンガかずかずあれど、ここまできっちりやってるのはなかなかないんだ。さらに、テツどもの狂騒的なドタバタやウンチクも、黒死館殺人事件の衒学趣味などと同じく、トリックを隠すためのミスディレクションだったのね。

 ただし、○○を殺したのが、実はあのときの××だったというのはわかんなかった。ここがわたしの詰めの甘いところ。くやしー。

 造本で、もひとつ。原作者あとがきが、裏の見返しと表3の真っ黒なページに黒字で印刷してあります。しゃれてるけど、読みにくいぞっと。その前のページには、黒ページに黒で印刷された主人公も描いてありますよ。デザインは祖父江慎。

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July 26, 2006

梅雨明け

 各地での大雨お見舞い申し上げます。

 毎年なら七月末のこの時期、熱風をかき分けかき分け歩くような天候なのですが、昨日まで、というか今朝までは、湿気はあっても全然夏らしくない天候でした。それがまあ突然に猛暑となりまして、汗がとまりません。


■前回まで、ターザンのことを書いていたきっかけというのがありまして、これが夏目房之介「マンガに人生を学んで何が悪い?」に「性と暴力」ということばがあったから。

 マンガが人生を描くなら、「性と暴力」はかかせない。日本マンガ・アニメが海外で受けてるのも、まずはこの「性と暴力」に反応しているわけでしょう。

 で、日本マンガの「性」でまず思い浮かぶのが、手塚治虫「拳銃天使」のキスシーンと、山川惣治「少年王者」の抱っこシーン。ともにかなりの批判を受けたらしい。

 かたや西部劇で、もうひとつがターザン。どっちも、アメリカから戦後にどっと輸入されたものじゃないですか。というわけでまずターザンを調べてみたわけです。日本の子どもマンガが「性」を扱うようになった経緯は、考えるといろいろありそうで、興味はつきません。


■ブログとはいえ、書き続けるにはそれなりのエネルギーも必要ですし、最近心が弱ってる感じだったところへ、読んでずいぶん元気になったマンガ。島本和彦「新吼えろペン」5巻。

 この巻は深いテーマでしたね。描きとばしてるけど売れてるマンガ家、じっくり良作を描いてるけど売れないマンガ家、どっちも心に黒いものを持ってる、てな作品もありましたが、なんといっても、この名言には泣けた。

「キミに足りないのは勇気だ!」「駄作を作る勇気だ!!」「駄作で金をもらってこそ本当のプロ!!」

 わはは。もしかすると、これまでの島本名言のうち、わたしに響いた最高のものかもしんない。


■えー、数日間出かけますので、更新やコメントができません。今回持ち歩く本は、小松左京「SF魂」、しりあがり寿「表現したい人のためのマンガ入門」、大塚英志「キャラクター小説の作り方」のつもりです。

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July 24, 2006

ミー・ターザン! ユー・ジェーン!(その4)

(前回からの続きです。今回で最後)

 戦前、海外キャラクターの和製マンガといえば、ミッキー、ポパイ、ベティのビッグスリーがありましたが、ターザンはどうだったかなあ。ターザンに似たヒーローは、1933(昭8)年から始まった島田啓三「冒険ダン吉」ぐらいでしょうか。でもダン吉はどちらかというとロビンソン・クルーソー風味であって、ターザン風味は薄いかな。

 もちろん南洋一郎などの南海冒険小説には影響を与えていたでしょうが、南洋一郎の戦前の代表作「密林の王者」「吼える密林」の主人公は、アメリカの探検家ジョセフ・ウィルトン。ジャングルの冒険ではあっても猛獣狩りのお話で、ターザンとはちょと違う。

 ただし、紙芝居には山川惣治「少年タイガー」がありました。1933(昭8)年末ごろより「黄金バット」の人気を圧倒し、1934(昭9)には人気ナンバーワンとなった、と加太こうじ「紙芝居昭和史」にあります。

少年タイガーはアジアの女王という大きな虎に育てられ、アジアの大平原や山岳地帯で大活躍をする。配するにスイコという美少女、黄金バットもどきの白骸骨の魔人ホワイトペガー、敵役としては「ゴデムロッコン、ロッコンゴデム」とあやしげなさけびとともに出現するブラックサタンなどがあった。

 山川惣治は戦前のうちに雑誌に進出しますが、さすがに終戦直後は仕事がなく、1946年に再度紙芝居に復帰しました。そこで描かれたのが紙芝居版「少年王者」です。少年タイガーが服を着てたのに対して、少年王者はほとんど裸でしかも舞台はアフリカ。まさに和製ターザンでした。

 戦後すぐ、GHQの統制によって、チャンバラと武道ものが禁止されました。そのかわりにアメリカ的なものとして何が輸入されたかと言いますと、西部劇とターザンでした。

 山川惣治の「少年王者」は1946年から1947年に紙芝居で描かれたのち、1947年集英社から単体単行本として発売されました。これは大ヒットして、1949年には雑誌「おもしろブック」が創刊され、「少年王者」の連載が始まります。

 「少年王者」の主人公は、アフリカ奥地に布教にきた日本人・牧村牧師の息子、真吾。赤ん坊のころ両親とはぐれ、ゴリラに育てられます。ライオンを倒したときは、

「あーあ あー あー」真吾はゴリラの勝どきのようにむねをたたいて、力いっぱい、おたけびをあげた。

 これはもう、ジャングル・ブックというより、ターザンでしょ。すい子さんというヒロインも登場し、真吾が熱病のすい子を雨のなか、抱きかかえるシーンでは、朝日新聞で、コドモモノヲケガシタと非難されたそうですよ。

 山川惣治は1951年から産業経済新聞に「少年ケニヤ」、その後「少年タイガー」を連載します。おそらく「少年ケニヤ」は和製ターザンものとして、最大のヒット作品です。

 もちろん、この時期には他の作者による和製ターザンものの絵物語もいっぱい描かれており、先日紹介した吉田竜夫の雑誌デビュー作、「ジャングル・キング」(1954年)もそのひとつです。

 南洋一郎も、戦後に少年小説「バルーバの冒険」シリーズを書いています。第一部の「片眼の黄金獅子」が1948年の発行。「はじめに」によりますと、

 ターザンはイギリスの貴族のあかんぼが密林でそだったのだが、ターザンはほかにもいる。
 しかも、それは日本婦人とアメリカの大学者との間に生まれたあかんぼで、それがアフリカの密林のおくで、ふしぎな大ライオンやチンパンジーにそだてられ、すばらしい怪力と、すぐれた智恵をもった密林の巨人となったのだ。
 その名をバルーバという。バルーバというのは、チンパンジーのことばで「えらいやつ、すごく強いやつ」という意味だそうだ。

 というわけで、まるきりターザンそのままです。戦後すぐに書かれた少年小説で、日米の混血児が主人公。しかもアメリカ型ヒーローのターザン。ヒロインはアメリカ人美少女のグレース。彼女との会話が、「アイ、ユウ、ゴウ、パパ(わたし、お前、行く、パパ)」なんてのも、映画ターザンぽいうえに、当時の日本人の英語ブームみたいなものがうかがえるのが何ともですな。

 和製ターザンとして有名な作品に、横井福次郎「冒険ターザン」(1948年)、「痛快ターザン」(1948年)、「ターザンの決闘」(1950年、いずれも光文社)もあります。ネットで見つけた書影はコチラ

 横井福次郎のご子息、横井一郎の回想によりますと、

父は、家を買うために一冊の漫画を(わずか五、六日で)かきあげた。それが「冒険ターザン」(光文社)である。

とあります。そうとうなやっつけ仕事ですが、ま、それだけターザンが大ブームだったということでしょう。

 手塚治虫「新宝島」にターザンふうのバロンが登場するのが1947年。「ターザンの秘密基地」が1948年。いわゆる赤本マンガには、ターザンものがいっぱいあったそうです。

 手塚の「ターザンの洞窟」と「ターザンの王城」という作品が1949年。「ジャングル大帝」の連載開始が1950年。手塚治虫の代表作「ジャングル大帝」も、ターザンブームがあったからこそ誕生したと言えます。

 最後に日本のテレビの中のターザンについて。

 1961年、実写版「少年ケニヤ」がテレビ放映されてます。わたし自身は、同時期の「ふしぎな少年」(←時間よとまれ、ですな)は覚えてるのに、ケニヤのほうはまったく記憶がありません。

 1963年には、東映動画初のTVアニメ、「狼少年ケン」が放映されました。アフリカが舞台なのに、オオカミ、ライオン、虎、象、ゴリラが同居するというターザンものでした。主題歌が楽しい。

 1965年、虫プロのカラーTVアニメ「ジャングル大帝」放映。原作版では、ケン一はターザンのかっこうしてましたが、アニメ版ではどうだったっけ。ターザンにはなってなかったような気が。

 このころ、すでにアフリカは暗黒大陸ではなくなっていました。1960年、アフリカでは17か国が独立し、「アフリカの年」と呼ばれました。アフリカは、ターザンが暴れたり、子ども向け冒険物語の舞台ではなくなっていきます。ターザンとその子どもたちは、過去の世界に生きる、ノスタルジーと共にあるキャラクターとなってしまいました。

 ターザンは日本マンガに影響を与えました。ジャングルものというジャンルとして。古典的日本ヒーローとは違うアメリカ型ヒーローの典型として。しかしもっとも重要な影響は、現在、海外から日本マンガ、日本アニメの特徴として考えられているセックスアンドバイオレンス、この基本形を日本に伝えたことです。

 ターザンおよびその他のアメリカ文化から輸入されたセックスアンドバイオレンスが、しばらくして永井豪らを経て表面に顔を出し始め、以後の日本マンガ、日本アニメの特徴になっていったというのがわたしの理解です。

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July 23, 2006

ミー・ターザン! ユー・ジェーン!(その3)

(前回からの続きです)

 ターザンの初めてのマンガは、ハル・フォスター Hal (Harold) Foster によって描かれました。1929年のことです。

 1929年が世界大恐慌の年であることにご注意。この年、アメリカの新聞マンガ、コミックストリップには連載冒険ものが登場するようになります。「バック・ロジャース」や「ターザン」が始まり、人気を得ました。このため、それまでの喜劇的なマンガは退潮に向かったという指摘もあります。

 戦後、日本のストーリーマンガの隆盛に似た状況があったのかもしれません。ちなみに、最初のトーキー映画が1927年、大西洋の反対側でエルジェが「タンタン」を描き始めたのも1929年です。

 ハル・フォスターの描くターザンは、マンガというより絵物語。正方形のコマの下に文章、という形式です。絵の中にはフキダシも擬音も存在しません。この点では、同時期のSFマンガ「バック・ロジャース」のほうが、マンガらしい。

 しかし、フォスターの絵はむちゃくちゃうまい。人体デッサンの確かさは、同時期の他のマンガの及ぶところではありませんし、映画の影響を受けて、俯瞰の構図などを取り入れています。ストーリーは原作ターザンに忠実で、映画のような脚色はされず、むしろマンガこそバローズの意図をよく伝えています。

 ターザンとバック・ロジャースに対抗して、アレックス・レイモンド Alex Raymond による「フラッシュ・ゴードン」が1934年に開始されました。このSFマンガは長期連載され、主人公は有名なアメリカンヒーローになりましたが、同じ年に始まったのが「ジャングル・ジム」。

 「ジャングル・ジム」の舞台はアフリカじゃなくて東南アジアであるところがターザンと違います。第二次世界大戦が始まると、ジャングル・ジムは当然ながら日本軍を敵として戦ったそうです。

 のちに「リップ・カービイ」も創造して、アメコミ界の巨人となるアレックス・レイモンドの絵はこんな感じ。なんといっても女性が色っぽいったらない。

 さて、本家ターザンのほう。フォスターに続いてターザンを描いたのが、バーン・ホガース Burne Hogarth です。1937年、コンクールの結果、ホガースがこの仕事を勝ち取りました。

 ホガースのターザンは、そのダイナミックな構図と、筋肉描写が特徴です。

 彼は、のちにニューヨークでスクール・オブ・ビジュアル・アーツを創立し、美術教師となりました。美術教科書を多く執筆していて、日本でも「ダイナミック美術解剖 Dynamic Anatomy」(グラフィック社)、「ダイナミックコミック講座[人物を描く] Dynamic Figure Drawing」(エルテ出版)が翻訳されてます。とくに後者は、手前に向かって前傾したり後傾したり、腕や脚が手前に突き出されたり、体をひねったりしてる人体(山田芳裕みたいね)をいかに描くかを示したもので、とくにマンガにはすごく役立つのじゃないかな。

 その他、コミックブックでもターザンは多くの作家によって描かれましたが、1965年からコミックストリップとして新聞連載されたのが、ラス・マニング Russ Manning によるもの。これは1972年ツル・コミック社から「帰ってきたターザン」「王者ターザン」として邦訳されています。

 ラス・マニングの絵はこんな感じ。すっきり、ていねい系でなかなか読ませます。

 ツル・コミック社は同年に1冊100円のワールド・コミックスのシリーズを出していて、「わんぱくデニス」とか「セイント」とか「ポパイ」とか「フラッシュ・ゴードン」とか、ぺらぺらのチープな作りの冊子ね。わたしもこのシリーズ1冊だけ持ってますが、ターザンも刊行されていたらしい。いや、知りませんでした。

 では、日本製ターザンはどうだったか。

 あとちょっとだけ続きます。

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July 22, 2006

ミー・ターザン! ユー・ジェーン!(その2)

(前回からの続きです)

 映画の中のターザンは、すでにその最初、エルモ・リンカーンの時代から、「類猿人」で「蛮人」でした。なんせ毛むくじゃらですし。ターザン映画はこのイメージを再生産していきます。

 その後ワイズミュラーによるターザン映画が世界じゅうで大ヒットして、ターザンのイメージがワイズミュラーによってほぼ固定されてしまいます。どちらかというとぼーっとした顔、たどたどしくしゃべり、正義感にあふれ、ジャングルの守護者、子どものように無垢なヒーロー。

 実は、バローズによる原作のターザンは、グレイストーク卿という本名が示すとおり、イギリス貴族で金持ちのインテリ。語学の天才で、ジェーンに会う前から英語はしゃべれなくても読み書きは完璧(←絵本で独学したのね)、フランス語もあっというまに習得してしまいます。

 あーあーと叫びながらツタにぶら下がったりはしません。ただし、戦いに勝ったときは、こんな感じ。

かれは強力な敵の死骸の上に片足をおき、大きく胸を張り、若々しく引き緊った顔をぐっと後ろへそらして、類人猿の勇者の勝利の雄叫びを、声高らかにとどろかした。その野獣の勝利の賛歌ははるか遠くの密林にまで響き渡った。(「類猿人ターザン」高橋豊訳)

 彼は、文明世界にもジャングルにも自分の居場所を見つけられない疎外された存在であり、常に暴力と殺人を辞さない哲学の持ち主とされています。だいたい、最初にジェーンを猿人から助け出したとき、彼女と会話もせずに、まず荒々しくキスしちゃうような男であります。たくましいけど、どこかカワイイ、という映画ターザンとは違いますわね。

 原作とまったく違う映画のターザン像は、原作のバローズ・ファンがいつもフンガイするところでありますが、映画も原作も、基本的にセックスアンドバイオレンスを秘めているのは大人にも子どもにもわかっていたはずです。

 映画でのジェーン役、モーリン・オサリヴァンも、これはもう裸で泳いだり、ほとんど裸のエッチなコスチュームを着てたりしてました。中学生時代にターザン映画を見た筒井康隆は、「あの恰好の為にぼくなど何回自慰衝動を触発させられたことか」なーんて書いてます。

 原作のほうでも、ジェーンはいっつも誘拐されては危機に陥ってるし、その他の女性キャラもけっこうエッチ。

 たとえば原作ターザンのうち「野獣王ターザン Tarzan the Untamed」を見てみましょう。ハヤカワSF文庫の表紙カバーイラストは武部本一郎の手によるもので、服がやぶれてオッパイほりだしたおねえちゃん(なんと乳首見えてます)とターザンが対峙しているというもの。このシーンは以下のように書かれています。ちょうど第一次大戦中が舞台の作品なので、ドイツ人は敵です。

 彼女と向き合って立っていたかれは、はじめて彼女をまぢかに見る機会を得た。美人だった。しかし、彼女の美貌はまったくターザンの心を動かさなかった。うわべだけきれいでも、魂はきっと罪悪で真っ黒なんだ──ドイツ人のスパイなんだから。かれはキルヒャーを憎んだ。ぬけるように白い首を咬みつぶして殺してやりたかった。(略)

 かれはヌマ(←引用者注・ライオンの名です)に上着の前を引き裂かれて素肌を露わに見せている彼女の胸へ目をやった。その白いなめらかな肌の上に垂れ下がっているものを見たとき、かれは思わずあっと驚きの声をあげ、表情を変えた。(「野獣王ターザン」高橋豊訳)

 なかなかにエロチックなシーンですが、さすがに戦前作品なのでこんなもの。ただし、ターザンの心情がすごく荒々しい。実は、彼、妻のジェーンを殺されたと思って、頭に血が上ってるのです。

 さらに、ターザンがドイツ軍と戦うシーン。これがスゴイ。

 野獣と化したかれの爪がドイツ将校の肩をつかむと同時に、かれの牙が太い首にがっとかぶりついた。それから、ローデシア連隊の兵士たちは終生忘れ得ぬ凄惨な光景を目撃した。人間の姿をした巨獣が、大男のドイツ将校をくわえて、はげしくふりまわしたのだ──まるで獲物をくわえた雌ライオンのように。兵士たちはドイツ人の目玉が恐怖のあまり白くふくれあがり、両手をもがかせて巨獣の大きな胸や首をむなしく叩くのを見た。やがて巨獣は大男をぐるりと反転させ、片腕を首にまわし、片方の膝を大男の背中にあてがって、ぐっと肩をそらした。ドイツ人の足が崩れ、巨獣はその上にのしかかったが、腕と膝の力はゆるめなかった。ドイツ人は一瞬喉のつぶれたような苦悶のうめき声をあげた。とたんに、なにかがぼきっとおれる音がした。(「野獣王ターザン」)

 現代のバイオレンス小説もかくや、というくらいの描写です。これが映画になると、かなり生ぬるいターザンに変化します。しかし、もともとターザン物語の底に流れているのは、このようなセックスアンドバイオレンス風味でありました。

 ターザンの魅力は、もちろんアフリカやジャングルのエキゾチシズムが第一なのですが、このセックスアンドバイオレンスがあったからこそ、世界じゅうでヒットしたのでしょう。これこそが、お子様向けのジャングル・ブックとちょっと違うところ。

 戦前から抄訳はされていたバローズの原作ターザンですが、初めて全訳されたのが1954年。「全訳ターザン物語」(1)出生の巻と(2)帰郷の巻が刊行されました。

 1巻が第1作「Tarzan of the Apes」、2巻が第2作「The Return of Tarzan」の全訳、出版は小山書店ですが、奥付では生活百科刊行会になってます。訳者はあの、西條八十です。

 巻末に推薦文を書いているのが、城戸幡太郎、伊藤整、池部良でして、みんな映画は知ってるけど、原作はこういうものだったのかと驚いてるようです。

 1961年には実業之日本社から全六巻のターザンシリーズが発売されたそうですが、今では幻か。

 日本で原作ターザンの本格的な刊行が始まったのは、1971年です。これにはいろいろな条件が重なってなされたものでした。

 創元推理文庫にSFマークがついたのが1965年。最初はバローズの火星シリーズ第1作、武部本一郎が表紙を描いた「火星のプリンセス」でした。バローズのシリーズは人気を呼びます。

 ハヤカワも1966年からハヤカワSFシリーズでバローズのペルシダーシリーズを刊行。この第4作は、ターザンが地下世界ペルシダーで活躍する「地底世界のターザン」で、おお、こんな作品があるのかとみんなちょっとびっくり。

 1970年、ハヤカワSF文庫がスタート。創元とハヤカワが文庫で並び立ち、現在まで継続しているライトノベルの出版フォーマットの原型となります。

 ジャンルはSF、表紙に美女(まだ美少女じゃなかった)、口絵付き、イラスト付き。読者対象は、背伸びをした中学生から、高校生、大学生あたりで、しかも男性。となると、できれば内容はセックスアンドバイオレンスが望ましいじゃないですか。

 アメリカで1962年からターザンが再評価され、空前の売り上げを記録していたこともあり、1971年、ハヤカワ文庫特別版「TARZAN BOOKS」のシリーズ名で、第1作「類猿人ターザン」が刊行されました。以後、ハヤカワで刊行されたのがこちら。

1. Tarzan of the Apes 類猿人ターザン(創元では「ターザン」)
2. The Return of Tarzan ターザンの復讐(創元では「ターザンの帰還」)
3. The Beasts of Tarzan ターザンの凱歌
4. The Son of Tarzan ターザンの逆襲
5. Tarzan and the Jewels of Opar ターザンとアトランティスの秘宝
6. Jungle Tales of Tarzan ターザンの密林物語
7. Tarzan the Untamed 野獣王ターザン
8. Tarzan the Terrible 恐怖王ターザン
9. Tarzan and the Golden Lion ターザンと黄金の獅子
10. Tarzan and the Ant Men ターザンと蟻人間
11. Tarzan and the Tarzan Twins ターザンの双生児
12. Tarzan, Lord of the Jungle (ハヤカワでは未刊、河出書房より「密林の王者ターザン」として刊行)
13. Tarzan and the Lost Empire ターザンと失われた帝国
14. Tarzan at the Eath's Core 地底世界のターザン(創元では「ターザンの世界ペルシダー」)
15. Tarzan the Invincible 無敵王ターザン
16. Tarzan Triumphant ターザンと呪われた密林
17. Tarzan and the City of Gold ターザンと黄金都市
18. Tarzan and the Lion Man ターザンとライオン・マン
19. Tarzan and the Leopard Men ターザンと豹人間
20. Tarzan and the Tarzan Twins with Jad-bal-ja the Golden Lion (「ターザンの双生児」と合本)
21. Tarzan's Quest (日本では未刊)
22. Tarzan and the Forbiden City ターザンと禁じられた都
23. Tarzan the Magnificent ターザンと女戦士
24. Tarzan and "The Foreign Legion" (日本では未刊、悪役日本人多数登場らしい)
25. Tarzan and the Madman ターザンと狂人
26. Tarzan and the Castaways 勝利者ターザン

 わたしが読んだことがあるのは、このうちごく一部です。くわしくはバローズのファンサイト「エドガー・ライス・バローズのSF冒険世界」のなかのコチラをご覧ください。いやーごっついサイトです。

 ほとんどの日本人はこのハヤカワ版で、やっと原作ターザンのほぼ全貌を知ることができました。

 さて、ターザンの映画、テレビ、原作、ときて、残るはマンガです。

 以下次回。

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July 21, 2006

ミー・ターザン! ユー・ジェーン!(その1)

 タイトルにしているのは、映画のなかで、英語を覚え始めたターザンが、たどたどしくジェーンに言ったことばです。あちこちでギャグに使われてからは、男性がこれを叫んでから女性を押し倒すという、エッチなシチュエーションをイメージしちゃいますけど。

 手塚治虫の最初のヒット作「新宝島」(1947年)にも、バロンという名のターザンに似た青年が登場していました。手塚には「ターザンの秘密基地」「ターザンの洞窟」「ターザンの王城」というタイトルの作品もあり、著作権どうこうは別にして、戦後すぐ、日本ではターザンブームだったのがよくわかります。手塚以外の赤本マンガにも、ターザンが登場するのがいっぱいあったらしい。

 それでは、ターザンとは何者だったのか。

 これはもう、誰もが知ってるとおり、アフリカのジャングルで、あーあーと叫びながら、半裸で、ツタにぶらさがって移動する、白人ヒーローです。史上もっとも有名なヒーローキャラクターと認定されたこともあるそうですよ。

 日本では、ハヤカワ文庫でイラストを担当していた武部本一郎の描くターザンが有名。

 ターザンは1912年、アメリカ人、エドガー・ライス・バローズ Edger Rice Burroughs の手によって誕生しました(創元では“バローズ”、ハヤカワでは“バロウズ”ですが、とりあえずこの文章ではバローズで表記していきます)。

 バローズは「火星のプリンセス」で作家デビューしましたが、第二作の原稿は出版社からつき返されてしまいます。その後書いたのがターザンシリーズの最初の作品「Tarzan of the Apes」(ハヤカワでは「類猿人ターザン」、創元では「ターザン」)です。この作品は成功し、以後ターザンシリーズは1944年まで書き続けられることになります。

 しかしターザンが世界的に有名になったのは、やはり映画によるものでしょう。1918年、最初のターザン映画が公開されました。主演はエルモ・リンカーン。彼は「見るからに役にぴったりな、強い男だった。ひどく毛深いたちで、観客が類人猿と見まちがえないように、日に二度は毛を剃らなけりゃならないほどだった」そうです。ちょっとこれはヒトとしてどうかと思うぞ。

 この映画は大成功し、日本でも、翌1919年に公開されています。ターザン映画は主役を次々と変えながら多数の作品が作られ、多くが日本でも公開されました。ジーン・ポーラー、P・デンプシー・テイプラー、ジェームズ・H・ピアース、フランク・メリル、ときて6代目がジョニイ・ワイズミュラーです。

 水泳オリンピック・チャンピオンの肉体美。トーキー時代になって、裏声のあーアアアあーアアアあーが評判になりました。ただしこの声はワイズミュラーの声じゃなくて、人工的に作った音だそうですけどね。

 ワイズミュラーの第1作「類猿人ターザン Tarzan the Ape Man」(1932年製作→日本公開も同年)、これがターザン映画の最高傑作との呼び声が高い作品。第2作「ターザンの復讐 Tarzan and His Mate」(1934年→同年)、第3作「ターザンの逆襲 Tarzan Escapes」(1936年→1937年)、第4作「ターザン猛襲 Tarzan Finds a Son!」(1939年→同年)までが戦前の日本でも公開されました。

 ワイズミュラー以後の戦前公開ターザンものとしては、ドロシー・ラムーア主演の「ジャングルの女王 The Jungle Princess」(1936年→同年、役名は“Ulah”)なんてのもありました。

 そして敗戦。

 ターザン映画は戦後すぐから輸入再開され、まず日本で公開されたのが、8代目ターザン、ハーマン・ブリッグス主演の「鉄腕ターザン」(1938年→1946年2月)。これは連続活劇をまとめたものでしたが、ワイズミュラー主演のものも、前述の「逆襲」(1936年→1946年)、「猛襲」(1939年→1947年)も戦後すぐリバイバル上映されました。「復讐」(1934年→1953年)も遅れてリバイバルされてますし、その他にもこんなターザン映画が。

「ターザンの黄金 Tarzan's Secret Treasure」(1941年→1948年)
「ターザン紐育へ行く Tarzan's New York Adventure」(1942年→1950年)
「ターザンの凱歌 Tarzan Triumphs」(1943年→1948年)
「ターザン砂漠へ行く Tarzan's Desert Mystery」(1943年→1949年)
「魔境のターザン Tarzan and the Amazons」(1945年→1951年)
「ターザンと豹女 Tarzan and the Leopard Women」(1946年→1950年)
「ターザンの怒り Tarzan and the Huntress」(1947年→1949年)
「絶海のターザン Tarzan and the Mermaids」(1948年→1952年)

 ここまでがワイズミュラー主演のもの。これ以後は10代目レックス・バーカー主演。

「ターザン魔法の泉 Tarzan's Magic Fountain」(1949年→1953年)
「ターザンと密林の女王 Tarzan and the Slave Girl (Tarzan and the Jungle Queen)」(1950年→1954年)
「ターザンの憤激 Tarzan's Peril」(1951年→1953年)
「ターザンと巨象の襲撃 Tarzan's Savage Fury」(1952年→1955年)

 ここから11代目ゴードン・スコット。

「ターザンと消えた探検隊 Tarzan and the Lost Safari」(1957年→同年)
「ターザンの激闘 Tarzan's Fight for Life」(1958年→同年)
「ターザンの決闘 Tarzan's Greatest Adventure」(1959年→同年)
「ターザン大いに怒る Tarzan the Magnificent」(1960年→同年)

 以後13代目ジャック・マホニー。

「ターザンと猛獣の怒り Tarzan Goes to India」(1962年→同年)
「ターザン三つの挑戦 Tarzan's Three Challenges」(1963年→同年)

 以後14代目マイク・ヘンリー。

「ターザンと黄金の谷 Tarzan and the Valley of Gold」(1966年→1967年)
「ターザンの大逆襲 Tarzan and the Jungle Boy」(1968年→1970年)

 このあとボー・デレクがエッチなジェーンを演じた「類猿人ターザン Tarzan, the Ape Man」(1981年→同年)とか、原作を忠実に映画化した人間ドラマ「グレイストーク -類人猿の王者- ターザンの伝説 Greystoke: The Legend of Tarzan, Lord of the Apes」(1984年→同年)などもありました。

 いちばん最近のターザンは、ディズニーのアニメーション「ターザン Tarzan」(1999年→同年)かな。

 もちろん、日本公開されなかったターザンは、それこそ山のようにあります。

 やっぱ日本での公開は、ワイズミュラーがダントツに多いです。ワイズミュラーはターザン以外にも同工異曲の作品にも出演してます。以下の「ジャングル・ジム」シリーズ。原作は、「フラッシュ・ゴードン」で有名なアレックス・レイモンドが描いたアメコミです。戦前にジム・ブラッドリー主演で制作された連続活劇のリメイクになります。

「ジャングル・ジム Jungle Jim」(1948年→1950年)
「ジャングルの宝庫 The Lost Tribe」(1949年→1951年)
「密林の黄金 Mark of the Gorilla」(1950年→1951年)

 日本公開はこの三作だけのようですが、アメリカでは1948年から1954年にかけて13作も製作されました。

 さらに、もちろんターザンはテレビシリーズにもなっています。日本で放映されたターザンものにはこんなものがありました。

●ジャングル・ジム Jungle Jim
 放映は1956年。ジョニイ・ワイズミュラーが主演した上記ジャングル・ジムの映画シリーズをテレビ向けに再編集したもの。のちに1964年にも再放送されました。

●ジャングルの女王 Sheena, Queen of the Jungle
 1957年放映、アイリッシュ・マッカラ主演。ブロンドの白人娘が女ターザンとして活躍。

●ジャングル・ボンバ Bomba, the Jungle Boy
 1963年放映。主演のジョン・シェフィールドは、1939年から1947年までワイズミュラー版ターザンで「ボーイ」を演じていた少年。といっても実の息子じゃなくて、両親がジャングルの飛行機事故で亡くなって、ターザンとジェーンの養子になったという設定で、もちろん白人。このシェフィールドの主演で1949年から作られた映画がボンバ・シリーズです。1931年生まれですから、このとき18歳でお若い。1955年までに12作が作られ、テレビ版はこれを再編集したもの。

●ターザン Tarzan
 1967年放映。ロン・エリー主演。それまでのターザンのイメージをくつがえし、原作どおり教養豊かなターザンを描いたもの。

 ん? 教養豊かなターザン? ターザンってそんなひとだったっけ。

 以下次回。

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July 20, 2006

く、くだらんっ

 NHKBS2で、「マンガノゲンバ」という番組をやってます。2006年7月18日は、山川直人「コーヒーもう一杯」が取り上げられてました。これをビデオに撮って見てたわけですが。

 「かわいい女」という短編が紹介されていまして、主人公のカオリ(♀)が、つきあいだしたばかりの男の部屋でコーヒーを淹れてもらいながら、過去の男(←フリンだったらしい)を回想する話です。

 でもって、番組ではナレーションが以下のように流れます。

この作品に目をつけたのが絵画の魅力を脳の仕組みから分析している布施英利さん。

『東京芸術大学美術解剖学助教授 布施英利』

布施さんは、作者が人間の脳の働きを計算して、主人公カオリの、揺れ動く心情を見事に表現していると指摘します。

その理由としてあげたのが、全編にわたって統一されている左右のページの描き分け方。右のページには、現在つきあっている彼とのやりとり。左のページには、前につきあっていた男との思い出が描かれています。

さらに左のページは、輪郭をはっきりさせる輪郭線をあえて描かず、ぼんやりした絵にすることで差別化しています。

 はい、ここからが布施英利氏の語りの部分です。これを聞いててあきれてしまった。

この右ページと左ページを交互に描きわけてるっていうこの描き方っていうのは、ヒトの脳には右脳と左脳ですね、右脳と左脳がありますけども、これと何かすごく実は呼応してるんじゃないかっていう気がします。左の脳は、論理的な、あるいは言葉、そういったものを扱っている、で、それに対して右側の脳は、直感的、あるいは叙情的、感情的なものを扱っている、というふうに言われてます。

脳の中で視神経が交差してまして、反対側に行くんですね。でつまり、右目で見たものは左の左脳でこう情報が分析される。で、それに対して、左目で見たものは右の方に情報が行くと。

脳の働きの右左にあてはめてこのマンガを見ると、まさにそれをこう計算して、もうなんて言うかな、ぴったり描いたんじゃないかと思えるような、描き分けがされてるんですね。つまり、左目で見た世界はまさに叙情的な世界であって、右目で見た世界はですね、しっかりと細かいところまで観察して、こう論理的にこう現実の世界をとらえている。

この女の子が、脳の中の世界、なわけですね、つまりその目の前にいる今つきあってる男の子、で、この人とこれからずっとつきあっていくんだ、という非常に大切な男の子なんですけども、もうひとつが、かつてつきあっていた人の思い出、その間をこう揺れ動いているわけなんですね。

 おおっ、イマドキ、右脳左脳でもって世界を見ている人がまだいるとは。こりゃまったくの疑似科学じゃなかったのか。こういうもっともらしい分析をすると何やらわかったような気になるかもしれませんが、実際のところそれが世界やマンガの理解に役立つとはまったく思えません。

 しかもお前さんはなにかい、右のページは右目で見て、左のページは左で見るのか。わたしゃどっちのページも両目で見るぞ。さらに、どっちかの目を失明してるひとはどうなるんだよっ。このマンガを片方の目で読み続けると、意味が変わってくるのか、そうか?

 このマンガは日本マンガだから右開きだけど、左右反転して左開きに英訳したとすると、左ページに現在、右ページに回想がくることになります。そうなるとこのマンガの価値が下がるのか?

 このかたの過去の業績とかはよく知らないのですが、少なくとも今年、見聞した中で、最低のマンガ批評でした。将来、ウチのコドモは絶対、東京芸大には進学させない。って、はいれませんけどね。

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July 18, 2006

エロ本とマンガ

 エロ本(←エロビデオも含めて)とマンガはちょっと似てるというお話。

 どこが似てるかといいますと、コレクションされる、貸し借りされる、譲渡される、結婚するとき処分される。あと、いつか買わなくなる日が来るかもしれない。

 結婚するとき、わたしもさすがにエロ本とエロビデオはかたづけましたね。ビデオのほうは未婚の友人のところを巡り巡るわけですが、エロ本は、そのひとにとっての秘蔵の一品は別にして、ほとんど捨てられちゃうのかな。

 わたくし、恥ずかしながら、かつて1970年代末から、フランス書院ハードカバー時代の洋物邦訳エロ本(トー・クンとかノーマ・イーガンですな。と言ってもわからないひとのほうが多いか)を大量にコレクションしてましたが、結婚するとき、すべて古本屋に二束三文で売っちゃいました。でも、団鬼六と千草忠夫だけはこっそり隠し持っておりました。まだあります。見つかるとちょとやばいです。

 結婚したのち、エロ本を買わなくなるかというと、これがそうでもないんですね。まあ、ぽつぽつとそれなりに買うわけですが、最近はもうごぶさた。いやこないだ買ったっけ。

 で、マンガ。

 ひとに聞くかぎり、男性も女性も、結婚するときけっこうマンガも処分してるみたいですね。わたしはマンガを処分するというようなことは考えもしませんでしたが、これは特殊なケースなのかな? 

 みんな「マンガを卒業」とかいうことばが頭をよぎるのか、新居にマンガはまずいと思うのか。

 でもって、結婚してしばらくしてから、夫婦ともお互いに、あ、マンガ買ってもいいんだと気がついて、かつてのコレクションを買い直したりしてるらしい。ごくろうさまです。

 でも、こういうのがマンガ購入をやめるきっかけになるのかしら。

 いやね、買い始めたマンガのシリーズを途中で購入中止することはめったにないのですが、過去にも、「美味しんぼ」は65巻まで(今は95巻か、すごいなあ)、「パタリロ!」は64巻まで(こっちは今、79巻だよ)みたいに、買うのやめちゃったのもあります。別におもしろくなくなったわけではないのですが、もういいかなあ、なんて。

 実はそれと同じパターンで、最近書店で、いがらしみきお「ぼのぼの」28巻を見かけるたびに、買おうかどうしようか迷っておりますのですよ。ここでこの巻を買わなかったならば、将来もずっと買わなくなりそうだなあ。ああ悩ましい。

 こういう選択を続けていると、いつか自分もマンガ買わなくなっちゃうのか。その先にはもしかすると、煩悩から解脱した、穏やかでシアワセな世界が広がっているのか。

 ま、落語のマクラじゃありませんが、エロ本とマンガなんてえものは、あったってなくったっていいもの、じゃなくて、なくったってなくったっていいものです。でもそれを買い続けるのはオタクの意地と矜持、じゃなくてたんに好きだからですが、やっぱ敵であるところの、お金とスペースがこんなことを考えさせるのであります。

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July 15, 2006

またご連絡

 総本家のほうを、すっごく久しぶりに更新しました。ブログの文章を置いてある単なる倉庫ですが。

 ただし、あちこちにばらけて読みにくかったトリアッティのシリーズを、「特別企画:遠くから遠くまで」として一か所にまとめてみました。興味のあるかたはどうぞ。

 また、武部本一郎と城青児についての文章が、今発売中の「本の雑誌」2006年8月号に掲載されていることを、記事を書かれた大橋博之氏から教えていただきました。ありがとうございます。城青児は「しろせいじ」と読むんだそうです。なるほどなあ。

 あと、半月経過しましたので、トラックバック受付を再開してみます。こっそりと。

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July 13, 2006

加太こうじ「紙芝居昭和史」

 まるでマンガね、というのは悪口でした。その後、まるで劇画ね、という別の意味の悪口もありました。劇画ということばが、忘れ去られようとしている現在、この悪口もなくなりそう。

 これ以前には、まるで紙芝居、なんて言い方があったそうです。たとえばテレビの草創期、電気紙芝居、なんて揶揄されてました。今はこの悪口も消えてしまった、のかしら?

 以前、みなもと太郎先生にコメント欄で教えていただいた、加太こうじ「紙芝居昭和史」読みました。原著は1971年、わたしの読んだのは2004年の岩波現代文庫版。

 いやー、おもしろいわ。加太こうじは紙芝居界のドンであったらしいので、文章のことごとくが相当にエラソーで、人名マチガイなどもありますが、もう消え去ってしまった文化について、一級の証言でしょう。

 前・紙芝居である写し絵、紙人形から、通常知られている絵物語形式の紙芝居に変化したのが、昭和5年の「黒バット」から。この絵を描いていたのが、当時まだ学生だった永松武雄(のち健夫)。悪人であった黒バットの物語からスピンオフして、正義の味方「黄金バット」が登場します。

 以前に書いた黄金バットのスタイルの変化。じつは戦前、永松版のオリジナル黄金バットは、帽子なし、金のガイコツに赤マント、だったそうです。これを加太こうじも踏襲して描いてましたが、戦後、紙芝居はGHQの検閲を受け、「欧米では骸骨は悪のシンボルになっているから、子ども向きのやさしげな顔に直せ」と言われて、作ったのが金の仏像顔、パーマをかけた髪の毛の黄金バット。

 冗談みたいな話ですが、こんな黄金バットがあったらしい。永松健夫のほうは、戦後の元々社版の黄金バットにつばの大きな帽子をかぶせ、これがよく復刻されるタイプの黄金バットです。

 この本は、永松健夫が昭和36(1961)年に亡くなるまでが書かれています。加太こうじによると、永松健夫が亡くなったときと紙芝居終焉の時期がちょうど一致しているそうです。30年ほどの歴史なのですね。

 わたしの記憶のなかの紙芝居は、1965年ごろが最後かなあ。NHKで「ひょっこりひょうたん島」の放映が始まったのが、1964年。これと紙芝居が勝負するのはきびしいわ。

 ただし、紙芝居はのちのマンガに大きな影響を与えているはずです。

 紙芝居出身の絵物語、マンガ作家も多く、永松健夫、山川惣治、武内つなよし、石原豪人、凡天太郎、水木しげる、白土三平、小島剛夕、などなど。

 絵を連なりで語られるストーリーは、絵物語やマンガと似た形式を持っています。それに、紙芝居は1回分が十数枚の連続もの。今日おもしろくなければ明日はお客は来ない。つまり連載マンガと同じことを毎日やってるのが紙芝居でした。

 岩波現代文庫版の解説で、水木しげるは以下のように書いてます。

紙芝居は、一巻十枚ごとが勝負で、一巻失敗したらスルメやアメが売れない。ウケなかったといって中断することもできない。初めからかきなおすわけにもいかない。とにかく、始めてしまったら、何が何でも続け、ウケさせなければならないのだ。(略)こんなおそろしい創作活動は、ちょっと他にはないだろうと思う。

 週刊誌時代のマンガの先祖は、月刊誌時代のマンガをとおりこして、紙芝居だったのかしら。

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July 10, 2006

吉田竜夫と梶原一騎

 ガッチャマンにしても、マッハGoGoGoにしても、タツノコアニメの魅力の大きな部分を占めてるのが、吉田竜夫の、あのバタ臭くて色気のあるキャラクターであるのはまちがいないところです。

 吉田竜夫/梶原一騎「チャンピオン太」全5巻が、マンガショップから出版されています。週刊少年マガジン1962年1号から1963年52号まで連載された、梶原一騎初のマンガ原作。力道山の弟子の少年プロレスラーが活躍する作品で、テレビ化もされた人気マンガです。

 オタクトリビア的には、テレビ化されたときアントニオ猪木が死神酋長役で出演し、リングネームも危うく死神酋長にされかかったというのが、有名な話。

 梶原一騎の自伝マンガ、原田久仁信作画の「男の星座」、これは未完に終わりましたが、この作品は、少年マガジン編集長の牧野武朗が梶原を訪れて作品を依頼するシーンで終わっています。その作品がこの「チャンピオン太」でした。つまり、「チャンピオン太」は梶原にとってメジャーへの第一歩でありました。

 そこで組んだのが吉田竜夫です。

 吉田竜夫は京都出身、1932年生まれ。梶原一騎より四歳上になりますね。京都で新聞の挿絵を描いたり、紙芝居を描いたりしたのち、1954年に上京。最初は挿絵画家を志望していました。当時から骨格のしっかりしたうまい絵を描いていました。しかも彼の描く人物の顔が目もとくっきりでかっこいい。

 梶原一騎が17歳の時、懸賞小説に応募して入選した少年小説デビュー作が、少年画報1953年11月号掲載の「勝利のかげに」です。題材はボクシング。「男の星座」によりますと、このとき少年画報社を訪れた梶原一騎は、編集者から邪険に扱われます。少年誌はマンガの時代に移行しつつあり、もう小説はお呼びじゃないと言われてしまう。

 そのとき、たまたま同時に少年画報社を訪問していたのが、マンガ家志望(←ホントは違いますが)の吉田竜夫と辻なおきであったということになってます。辻なおきはのちに「タイガーマスク」などで梶原と組みますが、京都出身で吉田竜夫の幼なじみでした。彼らは梶原と違って編集者に歓待され、別冊付録執筆の依頼をされていたと。梶原は嫉妬の炎を燃やします。

 斎藤貴男「梶原一騎伝」にもこのエピソードは出てきてます。こちらで登場するのは辻なおきだけになってますけど。

 いつもの梶原一騎のルサンチマンですが、しかーし、吉田竜夫も辻なおきも、この時期まだ上京してなかったはずです。当然ながらふたりとも少年画報の別冊付録は描いていません。このエピソードはどうもアヤシイ。

 調べてみる限り、吉田竜夫の雑誌での最初期作品は、少年画報1954年11月号から1955年4月号に連載された「ジャングル・キング」のようです。山川惣治タッチの絵物語。

 吉田竜夫と梶原一騎が最初に組んだのが、少年画報1955年1月号「荒野の快男児」です。空手家がモンゴルで活躍するお話。梶原一騎の小説に吉田竜夫が挿絵を描きました。

 梶原一騎最初の連載となった作品も、吉田竜夫と組んだものでした。絵物語「少年プロレス王 鉄腕リキヤ」(冒険王1955年3月号~1957年12月号)です。

※梶原一騎/原田久仁信「男の星座」では、この作品の連載開始を1956年4月号としてますが、ウソです。「タツノコプロインサイダーズ」にも、1954(昭和29)年8月号~1954(昭和32)年12月号連載で、吉田竜夫のデビュー作であると、誤植がある上にワケわからんこと書いてますが、これもマチガイです。あー、たのむから書誌的なことはちゃんと書いてくれよー。

 この連載開始時、ある事件が起こりました。作品のクレジットに吉田竜夫の名前だけがあって、梶原一騎の名が記載されていなかった。

 「男の星座」には、これに怒った梶原一騎が編集部にどなり込み、担当編集者Hに土下座させるエピソードが描かれています。編集者Hによると、新鋭画家・吉田竜夫を冒険王と少年画報が取り合っており、吉田竜夫のプライドに迎合するために、梶原の名前を削ったのだと。

 いや、デビューしてすぐの新人、吉田竜夫に対してそんな扱いはしませんって。これも梶原一騎の脳内ひとり相撲のようです。

 斎藤貴男「梶原一騎伝」によりますと、当時の担当編集者・平田昌兵はそんな事件があったとは証言していません。絵物語の作者をひとりにクレジットするのは、当時の冒険王の習慣であったと語っています(これはこれで、あんまりな話ですが)。そもそも、吉田竜夫を採用したのも、最初に依頼して断られた湯浅利八からの紹介だったそうです。湯浅は京都時代の吉田の仕事仲間で、先に上京して絵物語の人気作家になっていました。

 真相はどうあれ、梶原一騎がルサンチマンを悶々とため込んでいたのは確かなようです。

 これ以後も、吉田竜夫と梶原一騎のコンビは続きます。

少年プロレス王:おもしろブック1955年11月号~12月号
竜巻三四郎:少年1957年1月号~6月号連載
大空行進曲:少年1957年1月増刊号
白虎大助:ぼくら1958年1月号~12月号連載

 ふたりとも新人ですが、コンビの作品が続いています。絵物語にも新しい描き手が求められていたのか。それとも梶原が自虐的に書くように、原稿料の安い新人を重宝に使っていたのか。

 この時期、梶原一騎は浅草でストリッパーと半同棲中、吉田竜夫も浅草に住んでいましたから、ふたりはけっこう飲み歩いていたそうです。吉田竜夫の奥さんは、かなり梶原をいやがってたらしい。梶原は吉田にかなり飲み代を借金してたのじゃないかというのが、吉田の実弟、久里一平と吉田健二による推測。

 吉田竜夫は絵物語中心に活動していましたが、絵物語とはいいながら、コマがあってフキダシがあって、マンガとほとんど区別がつかないものもありました。梶原一騎原作の「竜巻三四郎」もそんな感じ。ほとんどマンガですね。「タツノコプロインサイダーズ」によりますと、「にっこり剣四郎」や梶原一騎作の「白虎大助」などの作品は、絵物語として連載開始されながら、いつのまにやらマンガふうに変化していたらしい。

 その吉田竜夫がはっきりマンガにシフトしたのが、少年画報の「スーパーマン」でした。

 少年画報社は1959年から1961年までアメコミ雑誌「スーパーマン」を刊行していましたが、同時に少年画報本誌にも1959年9月号から1960年10月号まで、マンガ「スーパーマン」を連載しています。最初はアメコミそのものを掲載してたらしいのですが、人気が出なかったらしく、1960年5月号よりは、吉田竜夫がマンガを描くことになりました。吉田竜夫は、日本で初めてアメコミを(版権をとって)描いたひとでもあったのです。

 吉田竜夫は「チャンピオン太」が始まった1962年には、久里一平、吉田健二とともに三兄弟でマンガ制作会社タツノコプロを設立します。
 
 「チャンピオン太」のあと、週刊少年マガジンでもういちど吉田竜夫/梶原一騎で「ハリス無段」(1963年~1965年)が連載されました。これがふたりがコンビを組んだ最終作品。こっちはアニメ「紅三四郎」の原型にもなりましたね。

 この後、吉田竜夫とタツノコプロは1965年「宇宙エース」でアニメに進出。梶原一騎は1966年より始まった「巨人の星」が大ヒット。ふたりの接点はなくなり、別々の道を進むことになります。吉田と梶原、このふたりの関係は、絵物語の末期からマンガの勃興期にかけての戦友というべきものだったのだろうと想像します。

 吉田竜夫1977年没。梶原一騎1987年没。ふたりとも歴史に名を残す巨人でした。

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July 08, 2006

ココログ、メンテだそうですが

 1年近く放置していた「総本家漫棚通信」のほうを更新しようとて、ひっさしぶりにホームページビルダー7(今はもう10になってますか)をいじってたのですが、まあ、面倒っ。いやー、ブログがいかに簡単にできてるか、再認識しますね。

 とか言っても、総本家は、今まで書いた文章をただ置いてあるだけなんですが。

 ココログで不満なのが、自分の文章が目次から一覧できないことと、ブログ内検索ができないことです。ブログも長くやってると、いつ何を書いたか忘れてしまっていけません。そのためにもちょっと整理しておこうかと。

 あと、さるさる日記からココログに引っ越してきたときは、気にいらなけりゃまた移ればいいや、と気楽に考えてたんですが、ブログにいろいろコメントいただいちゃうと、これ全部消して他に移るのも申し訳なく思えてきました。Movable Typeの書き出し/読み込みを使えば、これまでの投稿やコメントごと、よそに引っ越すなんてこと可能なんでしょうか。

 こんなこと考えるのも、ココログが重くてトラブル多いからだぞー。今度のメンテは48時間もかかるらしい。はー。

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July 06, 2006

デスノート完結

 小畑健/大場つぐみ「デスノート」12巻で完結。いろんな情報にはあえて一所懸命耳をふさいでいましたので、単行本でやっと読めました。

 総合的な評価として、傑作と考えます。いや、たいしたもんだ。

 きちんと終わってるじゃないですか。少年誌で悪人を主人公にするからには、主人公が破滅する以外の結末はありえない。あとは、最後に主人公が改心するかどうかですが、これは夜神月をこういう極悪キャラクターにしたからには、必然の結末でしょう。

 作劇から言うと、デスノートが世界を支配する寸前までの展開を見せておいて、どんでん返しで主人公の敗北、というパターンは、限りなく理想に近い。(1)キラとエルの戦い→(2)キラの勝利、エルの死→(3)キラによる世界征服、キラとエルの後継者の戦い→(4)キラの敗北、という王道的なストーリーが、週刊連載、しかも人気で展開が変わると言われるジャンプで、よくもまあ可能だったと感心してしまうのです。

 ですから、エルの死のあとの中だるみ的な展開も、すべてはラスト1巻への布石。最終12巻には、キラとニアの知能戦以外にも、以下のような見せ場があって盛り上がります。

(1)連載1回分を費やしての、キラとニアの道徳問答。全編を通じて、ほとんど初めて、悪とは何か、正義とは何かを議論するシーン。こういうのは連載初期にあってしかるべしと思うのですが、このシーンをラストまで引っ張ったのも、著者の計画どおりでしょう。

(2)キラの死に際の醜態。悪をけっしてカッコよくは死なせない。殺人を扱ってきたマンガとして、倫理の最後の一線はここにあります。

(3)エピローグ的な松田による推理。ニアがデスノートを使ったかもしれないとにおわせるとは、善も悪も等価である可能性の再度の提示です。このマンガのゲーム性を強く示唆させる部分。

(4)キラ教団の成立。カルトと言えばそうですが、キラ復活を願うひとびとを登場させ、さらにもう一度、悪とは何か、正義とは何かの問いかけで終わります。

 さて、デスノート全編を読み直してみますと、マンガとしていかにもよくできている。

 まず全12巻というコンパクトなパッケージ。人気のある日本の週刊誌連載マンガとして、破格の短さです。ところが、大量の会話文は論理を追うのがたいへんで、読むのにやたら時間がかかる。こういうマンガはほとんどなかった。その間をもたせる演出は、エルのお菓子や、ニアのおもちゃです。

 これを可能にしたのが小畑健のすばらしい作画。静的なシーンが続いても飽きさせることはない。キャラクターの描き分けは的確。写実的で、かつ萌え絵であるという、アクロバティックなことを成功させてもいます。

 マンガ的におもしろいのは目の表現です。黒目には光が入れられるのが標準となっている現在の日本マンガで、エルとニアには、あえて真っ黒で光のない大きな黒目を持たせ、何を考えているのかわからない人物として表現しました。

 そして、変幻自在に変化する、月=キラの黒目の大きさ。他の登場人物に見せる顔と、読者に見せる顔を黒目の大きさで描き分ける。さらに最終巻が近づくにつれて、キラの目からも光が消えていきます。主人公は、この変化する黒目、無邪気な表情と三白眼を使い分けて、ハンサムな主役でかつ極悪な悪役を演じきりました。

 この作品は、大量殺人を扱いながらも、死神を登場させることでファンタジーの衣をまとい、ミステリと同じように知的エンターテインメントとして受け入れられ、現代の日本では、幸いにも社会的非難(教育上よろしくないっ、とか)を浴びることはありませんでした。マンガを巡る状況の変化とも言えるでしょう。

 将来も、古典として残りうる条件がそろった作品です。絶賛しておきますね。

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July 03, 2006

紺野さんは着ぐるみウサギの夢を見るか?

 安田弘之「ラビパパ」1巻が発売されてます。ウサギの着ぐるみを着た人間か、それとも生けるぬいぐるみなのか、謎であるところのラビパパと、その妻・紺野さんのギャグマンガ。この夫婦には子どもがふたりいますが、長男・ラビ彦はウサギ、長女・ラビ子は人間です。

 さて、ラビパパは異様な風体をしてますが、意外とそこはつっこまれない。そこにそういう存在があるものとして、みんな接しています。仕事はぬいぐるみ製作・販売会社の営業。性格は普通にそのあたりにいる恐妻家のおとうさん。それより、妻の紺野みゆきさんが、なんせあの紺野さん。「紺野さんと遊ぼう」シリーズでは、佐伯俊男の描く絵のごとく、テグスで縛られて喜んでいた紺野さんですから、これはフツーのひとではない。

 このラビパパと紺野さんには秘められた関係がありました。

 ラビパパはかつて、森に住む格闘技オタクでした(「Fighter日記」2002年)。同居人はカッパ。エロビデオには背を向け、格闘技ビデオをレンタルするストイックなやつ。

 「紺野さんと遊ぼう」(2001年)の巻末に登場したときは、まだセーラー服姿の紺野さんの蹴りやヒジ打ちを受けてみせる相手役をつとめていました。やっぱ格闘技を通じて知り合ったのか。

 「続・遊ぼう」(2002年)では紺野さんとほのぼの遊んでいたラビパパですが、「遊ぼう・FINAL」(2003年)になると、紺野さんに荒縄で緊縛されロウをたらされるという、こりゃ過激な遊びを。格闘技オタクは、すっかり紺野さんに調教されちゃったのね。

 まんがタイムオリジナル連載版「ラビパパ」(2002年)は、今回発売されたマンガ・エロティクスF連載版「ラビパパ」(2004年~)とまったく同じ設定でした。

 微妙なのが、「先生がいっぱい」(2003年~2005年)の体育教師、ラビ先生。30代のこの先生、校長から見合い相手を紹介されてるからまだ独身。かなりの乱暴者で、ラビパパとは性格も違うみたい。となると、中の人が別人なのか。でもここは、このお話が終わったあとでセーラー服の紺野さんと出会い、逆にラビ先生が調教されちゃったと考えたい。

 ただ「先生がいっぱい」の17年後の後日談に、ラビ先生の息子、14歳のラビ助が登場してて、ラビ彦と名前が違う。謎だ。

 とかバカ書いてますが、「ラビパパ」1巻には、ラビパパ23歳、紺野さん19歳のとき出会ったとはっきり書いてあって、わたしの考えてるような隠し設定はありません。今回、読んでないひとには意味不明の文章でごめんなさい。でもキャラクターがまったり楽しいマンガなので許してね。

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July 01, 2006

テレビざんまい

 やっと自分のコンピュータで文章を書けるようになりました。

 新しいノートを買ってきて、セットアップ。とくに今回はウィンドウズ用のATOKを導入しました。

 かつてMS-DOS時代は日本語入力としてATOKでしたし、マックでもシステム9で古ーいATOK使ってます。最近ノートでは、ずっとウィンドウズ付属のIME使ってたのですが、IMEの阿呆さにいいかげん頭きちゃって、みんなこんなのでよく我慢してるなあ。いい機会だし、新ATOK買ってきましたよ。ああ使い心地がいいったらない。すりすり。

 ぶっ壊れた旧ノートは分解、ハードディスクだけ取り出して、外付けUSBハードディスクとして再生。データだけでも助けようと。

 とまあ、日本語入力の環境が一応ととのったのですが、せっかくの新ノートはあまりいじらずに何をしてるかというと、これがテレビばっかり見てるのです。いや別にワールドカップじゃなくて。

 お昼に主婦向けに放映してる「吾輩は主婦である」という連続ドラマがありまして、これが月→金の30分番組。これをビデオに撮って毎日欠かさず見てるのですが、なーにをやってるんでしょうね>自分。斉藤由貴演じるところの主婦に夏目漱石がのりうつるというストーリー。クドカン脚本なもんで見始めたのですが、ま、最初はゆるくてぜーんぜんダメ。

 久しぶりに見た斉藤由貴がこれまた驚愕で。背中とお尻とほっぺたにお肉がいっぱい。か、かつての面影が…… そこをがまんして見続けておりますと、それなりにおもしろくなってきました。

 主人公にのりうつった漱石は37歳。この年齢設定が微妙で、まだ「猫」を書く前。ですから将来の文豪ではあっても作家といえるほどの業績はありません。ところが、漱石は現代で、主婦夏目みどりさんとして作家修業をすることになるのですが、まだ何者でもないのに苦沙弥先生のごとくエラソー。斉藤由貴のかわいい主婦(漱石と何のかかわりもない能天気な主題歌はコレ)にはかなり抵抗ありましたが、しかめっ面の漱石を演じさせると、やっぱうまいわ。

 展開はほとんどドタバタのお気楽なドラマですが、先日はマンガ古書ネタがありました。

 おげれつ吾郎「おならスースー鈴之助」第1巻、昭和35年4月7日初版、少年画出版社発行、ナター社編集のこの本が、300万円の古書価格がついてるというお話。アニメ界の重鎮、宮地勇虫が若いころ別名で描いたマンガですが、お下劣だわ駄作だわ、遺族が恥じて回収したため出回ってないという設定。でもこういう何百万円というお値段が冗談じゃなく存在するのがマンガ古書の世界らしいっす。

 あとそうねえ。今週のNHK「あの歌がきこえる」のマンガは永井豪でした。さすがに一峰大二ほどの衝撃はありませんでしたね。次回は赤塚不二夫になってるけど、誰がマンガ描くんだろ。

 本日から始まったアニメ「出ましたっ!パワパフガールズZ」(公式サイトは三つあって東映アニプレックスTV東京)も見てみました。

 かのオリジナルのほうのアニメーションは、「アメリカンかわいい」とはこういうものか、というひとつの例でしたし、一見かわいいけど心は黒い、という各話の展開がすばらしく、名作であったと考えております。このインターナショナルに作られてる日本製パワパフはどうか。

 おジャ魔女どれみ風パワパフです。「ジャパニーズかわいい」はこうなるのね。オリジナルと違って変身しますけど、変身グッズを売るため? 変身シーンにはすごく時間かけてて、これはおっきなお友達向けなのか。

 日本アニメの悪役は、アメリカものよりやたらスケール大きくなるのが普通なので、猿のモジョではシリーズをもたせるにはちょっと弱いんじゃないか、という印象。

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