川崎のぼるがどれほど忙しかったか
前々回、すがやみつる先生からのコメントで、「川崎のぼるは、吐きながら仕事をしていたらしい」というウワサ話を教えていただきました。これって、わたしもどこかで聞いたことあるような。
さて、川崎のぼるは、最も忙しい時、どれほどの仕事をしていたのでしょうか。1960年代後半、連載マンガだけでも以下のようなものがありました。
■週刊少年サンデー
アタック拳:1965年37号~46号
川崎のぼるの週刊誌進出は、まずサンデーでした。マガジンの「巨人の星」にかなり先行しています。
キャプテン五郎:1965年51号~1966年9号
死神博士:1966年11号~28号
タイガー66:1966年31号~51号
アニマル1:1967年11号~1968年35号
アニメ化もされた、アマチュア・レスリングがテーマのマンガ。1968年はメキシコ・オリンピックの年でした。
歌え!!ムスタング(原作・福本和也):1968年30号~1969年19号
谷啓も登場する音楽マンガ。連載時期がアニマル1とダブってるのに注意。短期間ではありますが、この時期、サンデーには川崎のぼる作品が二作同時連載されてました。
ムサシ(原作・小池一雄):1974年35号~1977年20号
■週刊少年マガジン
巨人の星(原作・梶原一騎):1966年19号~1971年3号
大魔鯨(原作・高森朝雄):1966年30号~34号
こういう短期連載のとき、「巨人の星」が休載するかといえば、そんなことはないのですね。
白い魔神(原作・高森朝雄):1967年3/4号~8号
フットボール鷹:1977年3/4号~1979年14号
■週刊少年ジャンプ
男の条件(原作・梶原一騎):1968年10号~1969年19号
ご存じ、マンガ家が主人公の熱血マンガ。登場人物が売血したりします。
どうどう野郎:1969年20号~1970年10号
いなかっぺ大将タイプのギャグマンガ。
荒野の少年イサム(原作・山川惣治):1971年38号~1974年2号
山川惣治の絵物語「荒野の少年」のリメイク。
花も嵐も(原作・梶原一騎):1975年3号~38号
■少年ブック
スカイヤーズ5:1966年より1968年秋まで。
■小学館学年誌
いなかっぺ大将:1968年8月号より
(データに欠けがあったらごめんなさい)
つまり、最も忙しかったのは1968年の一時期。
週刊連載が、マガジンに「巨人の星」、サンデーに「アニマル1」と「歌え!!ムスタング」、ジャンプに「男の条件」の4本。月刊連載が「スカイヤーズ5」と「いなかっぺ大将」の2本。さらにこの年、「少年画報」7月号には読みきり作品も描いてます。うーん、たしかに吐くかもしんない。
【追記】 しまった、「男の条件」のころ、ジャンプはまだ週刊じゃなくて、月2回刊だったことを忘れてました。スミマセン。
【さらに追記】 週刊少年キング1966年2号~11号にも、川崎のぼる作の「ハリケーン99」という作品が連載されていたようです。
【さらにさらに追記】 週刊少年サンデーでは、1967年から1968年にかけて「イサムよ銃をとれ」という作品も掲載されていたようです。「アニマル1」と同じ時期になります。いやほんまよう仕事してはる。
Comments
小学館の学年誌。丁度読んでた世代ですが、「てんとう虫の歌」「どんぐり大将(これは記憶に自信なし)」なんかが連載されていたと思います。
Posted by: まつたか | June 17, 2006 07:28 AM
>lacoさん
ああ、最近出た西谷さんの文庫ですね。でしたら全部いただいていますのでチェックしてみます……と書棚を探したら、白泉社文庫(いまのところ4冊出ています)のうち、1冊目の『マリイ・ルウ』が見つかりません。ほかの3冊(『ジェシカの世界』『レモンとサクランボ』『学生たちの道』)をパラパラと見たのですが、炎の瞳には気づきませんでした。見のがしているかもしれませんが。となると『マリイ・ルウ』の可能性が高いですね。時間が取れたら書庫の中を再度さがしてみます。『高円寺あたり』『花びら日記』などもパラパラしてみましたが、ちょっと気づきませんでした。
怒りの表現では、「日」の形をしている瞳の部分が「+」や「大」の形の白抜きになったりしています。
Posted by: すがやみつる | June 08, 2006 01:35 AM
すがや様
>西谷センセの作品で、瞳に炎が燃えてた作品って何でしょう……?
今手元に本が見つからなくて確認できなくてすみません。
3冊出た白泉社文庫の、「レモンとサクランボ」ではない最初の2冊のどちらかに収録されていたもので、たぶん「白ばら物語」だったと思うのですが。
外国もので、私はそれまでマーガレット初出の作品を読む機会がなかったので、収録作の初出年をネットでチェックしたところだいたい1966年頃になるようです。
これもきちんと確認していないので憶測になってしまいますが、川崎のぼる先生が描いていたのはちばてつや先生が「パパのお嫁さん」をマーガレットに連載した(1964)頃ではないかと思われますので、やはりりぼんに描いていたのと同じ頃だと思われます。(別マに新城さちこ先生が描き始めた66年に両先生の再録があったことから推定。川崎先生は短編だったので再録でないかもしれません)
ちなみに掲載されたマーガレットを見せてもらったとき、すでにコマとコマの間の空白の縦横比を1:2くらいにしていて、他の作品がだいたい1:1だったのでめずらしいと思いました。
Posted by: laco | June 07, 2006 09:22 PM
大平原児は持ってませんが、ちょうど「荒野の少年イサム」を読み直してたところです。川崎のぼるが大好きな西部劇を楽しんで描いてるのがよくわかって好きな作品です。小松崎版「大平原児」と山川惣治の「荒野の少年」がおもしろブック。川崎版「大平原児」が少年ブックで、「荒野の少年イサム」がジャンプ。集英社は西部劇が好きでしたね。
Posted by: 漫棚通信 | June 06, 2006 08:53 PM
いま検索してみたら、ヒットしました。
http://www.nemesys.co.jp/neko/ribon-cs.html
こちらが書いたのは『黒い天使』という作品です。ほかに『おおひばりたからかに』あたりをうっすらと憶えています。単行本は、さいとうプロから出ていたようです。
ぼくにとって川崎のぼるといえば、やっぱり『大平原児』(少年ブック)です。
Posted by: すがやみつる | June 06, 2006 03:44 AM
えっと、川崎のぼる氏が「りぼん」に描いたのは、別冊フロクの読み切りだったと思います。黒人との混血少女が主人公になった悲しい物語だったと思います。この作品は、そのまま、東京トップ社だったような気がするのですが、貸本向け単行本になりました。
1964年でしたら、「月刊明星」に、大松監督ひきいる女子バレーボールの「東洋の魔女」物語を描いていますね。こちらはタッチが少しラフで、大人向けの線を意識したものでした。
西谷センセの作品で、瞳に炎が燃えてた作品って何でしょう……? 『りんごの並木道』あたりで、「めらめら」って燃えたシーンがあったような気もしますが、はっきりわかりません。西谷さんが日本画の展覧会を開くたび、わが家は一家で飾りつけや受付の手伝いに行ってますので、また、お呼びがかかったら、訊ねてみます。
Posted by: すがやみつる | June 06, 2006 03:37 AM
マーガレットは見つけられませんでしたが、りぼんには1964年から1966年にかけて描いてますね。川崎のぼるは、ちばてつやと同じく子供を描くのが得意なひとですから、ホームドラマだったのかな。まさか恋愛モノじゃあるまい。
Posted by: 漫棚通信 | June 05, 2006 08:49 PM
せっかくなのでコメントさせていただきますと、川崎のぼるはマーガレットにも描いています。
よく調べていないので読み切りだけかもしれませんが、当時人気のあった西谷祥子のマンガで瞳の中に炎を描いているのがあるので、ちょっと気になっています。
Posted by: laco | June 04, 2006 11:17 PM
重ね重ね、マチガイの多い文章ですみません。CD持ってて、しかも自分でよく歌ってるはずなのに間違えてしまいました。天童よしみは「いなかっぺ大将」のほうでしたね。
Posted by: 漫棚通信 | June 03, 2006 08:37 PM
すみません、全然本筋じゃないとこにコメント。
アニマル1の主題歌は朱里エイコです。
ご参考ページここらへんとか
http://homepage1.nifty.com/mimiwosumaseba/data/animal.htm
Posted by: a.sue | June 03, 2006 09:18 AM
みんな若いのよね。大御所手塚治虫が40なるやならずでしょ?少年マンガも劇画も少女マンガも30そこそこでワイワイやってた。担当編集者も若かった。夏目氏が「マンガ思春期」と名づけた時代。「良き時代」とは言いたくないけどたしかに手探りの熱気がありました。今は今でモチロン熱気があるけど、雑誌とコミケで数が多すぎてね。
Posted by: みなもと太郎 | June 03, 2006 03:15 AM
「大魔鯨」がカワサキプロ結成第1回作品だそうです。川崎のぼるとほぼ同い年の園田光慶もそこに参加してたということでしょうか(それとも助っ人?)。のちの「荒野の少年イサム」のころのカワサキプロは、マネージャーひとりアシスタント6人の大所帯で、最年長アシスタントが21才という若さ、という文章がありました(そのころ川崎氏もまだ31才)。
Posted by: 漫棚通信 | June 02, 2006 07:09 PM
あ、そうそう「このウマイ鯨の肉はお前などに食わせられぬわ」てなセリフのあったやつね。切り抜きどこかにあったかなあ…
Posted by: みなもと太郎 | June 02, 2006 02:37 AM
えっと、こちらは先生じゃなくて構いませんので。先生と呼ばれるほどの仕事もしてないし(^_^;)。
で、『タイガー66』と同時期に連載された『大魔鯨』も、確か「川崎プロ」とついていたと思いますが、やはり園田タッチの作品でした。
Posted by: すがやみつる | June 02, 2006 12:06 AM