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May 26, 2006

手塚治虫≠城青児=武部本一郎というお話

 最近おどろいたネット上のニュースに、「城青児は手塚治虫の別名ではなく、実は武部本一郎だった」というのがあります。それ、誰やねん、というかたもいらっしゃるでしょうが、これはなかなかびっくりする話なんですよー。

 「ヒロをぢのマンガ館」というサイトの掲示板に、武部本一郎のご子息からの書き込みがあって、このことが明らかになったそうです。書き込み自体はもう過去に流れてしまって読めませんが、一部はgoogleじゃなくて、yahooのキャッシュに残ってるみたい。

 これに反応されたのが、アセチレン・ランプこと中野晴行氏で、自分の日記夏目房之介ブログなどにニュースとして記載。わたしも、そこ経由で知りました。

 「城青児=手塚治虫」説を読んだのは、手塚没後に発売された朝日ジャーナル臨時増刊「手塚治虫の世界」1989年4月20日号に掲載された、岩家録郎というかたの記事でした。見開きカラー2ページ、スクープ扱い、以下のタイトルです。

・青年・手塚治虫が描いた? 「だれにも知られない一冊」 発掘! 幻の絵物語『暴れ馬(ワイルドパッチー)』

 内容は、城青児名義で発行された「暴れ馬」という絵物語(1950年東光堂)は、手塚治虫の作品じゃないのか、というものです。

 「暴れ馬」は西部劇です。この作品の絵柄は、劇画調というか絵物語調というか、手塚の丸っこい絵とはまったくの別物です。これがなぜ手塚作品であるのか。その根拠は。

(1)岩家録郎が手塚に会ったとき聞いた言葉。「俺には、だれにも知られていない本が一冊あるよ」

(2)手塚治虫「漫画大学」(1950年東光堂)の巻末に、手塚の手書きで東光堂漫画選書の広告がある。ここに七冊のタイトルが記されているが、六冊は手塚の著書なのに、一冊だけ「ワイルド・パッチー」という作者不明の本が記載されていた。

(3)1950年東光堂発行の城青児「暴れ馬」という絵物語が存在する。表紙のタイトルは「あばれ馬」、中のトビラ絵のタイトルは「暴れ馬」で「ワイルド・パッチー」という副題がついている。

 これに加えて、手塚治虫「化石島」(1951年東光堂)という作品がありますが、これには最初と最後に絵物語調の絵で描かれた部分がありました。

(4)「化石島」の冒頭の手塚治虫の謝辞。「この本をつくるにあたって、城青児先生に非常なご援助をいただきました」

(5)復刻本のインタビューで手塚が語った言葉。「名前は忘れたが、ある絵物語作家に絵物語の部分を描いてくれと頼んだ」

 これが推理の根拠となります。つまり岩家録郎は、「暴れ馬」を描いたのは手塚で、手塚がいたずら心で城青児という架空の絵物語作家を創造した、と推理したのです。そして補足的な証拠として。

(6)「化石島」の絵物語調の絵と「暴れ馬」の絵が似ている。

(7)「化石島」のマンガ調のシーンと「暴れ馬」のシーンが似ている。

(8)その他、手塚が見ていた西部劇映画「悪漢バスコム」の影響が「暴れ馬」にある。城青児という名は影絵で有名な藤代清治に似ているが、これは「暴れ馬」が影である意味。城青児を逆に読めば自制しろになる。など。

(9)さらに、この説に松本零士も同意している。

 これを読んで、わたしがどう思ったかといいますと、実は、えー? とかはツッこまずに、ほうほうと思ったわけです。ああ、若かった。

 ただし、城青児の作品が二作以上あれば、この説はくずれてしまうわけですが、のちに城青児作品は複数発見されていました。以下は2001年「占領下の子ども文化<1945~1949>展」の伊藤剛によるレポート。

http://www.tinami.com/x/report/11/

 文章からリンクされる形で城青児「魔焔の佝僂」(1949年東光堂)の書影が見られます(表紙は別人の絵)。

 というわけで、みんな、「城青児=手塚治虫」説はチョットドウカナアと考えていたらしいのですが、今回、武部本一郎のご家族の証言で、「城青児=手塚治虫」説は崩壊し、「城青児=武部本一郎」であったことが明らかになったわけです。

 そして武部本一郎。

 創元やハヤカワのSF文庫は、戦前戦後の挿絵つき少年小説と、現在のラノベをつなぐ位置に存在する、と考えるべきなのかもしれません。読者はまず、表紙、口絵、そして本文中の挿絵を見てから買うわけで、今のラノベ読者と同じ行動をしていました。

 その結果比較的年少の読者は、レンズマンなら真鍋博、キャプテン・フューチャーなら水野良太郎、宇宙の戦士なら加藤直之、これ以外には考えられないよ、ってなくらいイラストに影響されてしまいます。

 このSFイラストの元祖とも言うべきひとが、武部本一郎です。1965年、E・R・バローズの「火星のプリンセス」のイラストに始まって、火星シリーズ、ターザンなどのバローズ作品、ハワードの「コナン」シリーズ、などでおなじみです。デジャー・ソリスはいろっぽいぞ(半裸だし)。

 わたしがよく覚えているのは、半村良「産霊山秘録」がSFマガジンに連載されたときのイラストが武部本一郎でして、いまだにサルトビといえば武部本一郎のイメージが浮かんじゃうのですね。

 1980年の没後も、画集が何回も出版されてますが、本年、「武部本一郎SF挿絵原画蒐集」上下巻が刊行されたところです。実はこれ、よく行く書店に置いてあって、立ち読みしてました(スミマセン、お高いので買ってません)。

 武部はもともと画家でしたが、戦後は絵物語や紙芝居にも手を染めています。中野晴行「手塚治虫と路地裏のマンガたち」によりますと、1953年、大阪の八興出版が出した日の丸文庫というシリーズの最初のヒットが、武部本一郎「少年ターザン」で、40万部を売り上げたそうです。

 武部本一郎には、宇田野武(奥様の文章では「宇多野武」と書かれていて京都の宇多野からとられたペンネームのようですが、通常は「宇田野武」です)という別名もあります。

 宇田野武名義の柔道モノの「月影四郎」(1954年~1956年少年画報)はこんな感じ

 同じく柔道モノ「醍醐天平」(1956年おもしろブック)はこれ

 手塚治虫と宇田野武(=武部本一郎)は、おもしろブックの同じ号に描いてたこともあります。お互いに気づいてたのかどうか。

 さかのぼって紙芝居時代の宇田野武の絵はこんな感じ。科学冒険モノです。うまい絵だなあ。

 さて、次に残る謎は、手塚治虫「化石島」の、あの絵物語調の絵は、いったい誰が描いたのか、という点です。これまでは、手塚たっしゃやなあ、あんな絵も描けるんや、てな感じで見てたんですが、武部本一郎が関わってるとなると、これは見方が変わってきます。

 手塚の言葉を信用するなら(←ただしこのセンセあんまり信用できないからなー)、あの絵は、武部本一郎に描いてもらったことになります。あるいはお手本となるような絵を描いてもらい、それを手塚が模写したか。武部本一郎のご家族に見てもらったら、解明できるのかしら。解けない謎はまだまだ残っているのでありました。

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Comments

>手塚治虫≠城青児=武部本一郎

武部本一郎氏はいろいろやっておられるんですね。

「化石島」の絵物語調の絵は手塚治虫が書いたものだと思っていました。この部分を武部本一郎氏に頼んだとすると、お二人は、赤本を同じ出版社から出したことで知り合ったのでしょうか。

「ぼくのそんごくう」にも絵物語調の絵が出てきますが、これはどうなんでしょう。

私は絵のタッチというものは、この二人は同一人物だということがわかっていると、タッチをよく見たら分かると思っていましたが、どうもヒントがないとダメなようです。武部本一郎は手足を長く書くので、「魔焔のクグツ」の絵も一致するようにも思いますが、確信はもてませんね。

それから「山川惣治と絵物語の世界」から引用していただいてありがとうございます。

Posted by: しんご | May 28, 2006 12:19 AM

コメントありがとうございます。
毎度無断でリンクさせていただいてすみません。絵物語についてはネット上の資料が少なくて。
サイトに書かれておられるように、宇田野武の絵物語は、絵の部分にフキダシのある変則的な形ですが、城青児の本もこの形式みたいです。これもひとつの証拠、と言いたいところですが、永松健夫「黄金バット」のようにコマわりは自在、フキダシもいっぱいで、マンガと呼ぶべきか絵物語と呼ぶべきか迷うようなのから、山川惣治のようにきっちり文章と絵を分けるひとまでいて、絵物語も幅広くていろいろとムズカシイですね。

Posted by: 漫棚通信 | May 28, 2006 12:11 PM

エントリと無関係な話題で申し訳ありません。
ついにDVDレコーダーを購入してしまいました。
1テラのヤツです(^^)
いまは新機種の1テラが発売中ですが、私のは旧機種のヤツです。
マスプロの45cmBSアナログ用アンテナで見事にBSデジタルをキャッチしました。
さすがに綺麗。BSデジタルの番組情報誌を買わなきゃ~。
でも、地上波デジタルはNHKとKBSしかキャッチできません。とほほー。
まだ録画に挑戦していないので、後日、ご報告申し上げます。
それでは♪

Posted by: トロ~ロ | May 29, 2006 01:25 AM

漫棚通信さんはたいへん博識で、非常に広汎な話題を扱っていらっしゃるので、感心してよませてもらっています。

城青児=宇田野武=武部本一郎についてですが、わたしは城青児作品を全くしらなかったので、あまりびっくりしなかったんですが、宇田野武=武部本一郎ということがわかったときは、まったく驚きました。今回さらにもうひとつペンネームを持っておられたということなんで、自分の発見の値打ちが下がったように感じて、ココロ平らかでございません。

小説の世界とくに推理小説では、ふたつペンネームを持っている作家は多いです。ごぞんじのように、エラリー・クイーンがXの悲劇などのドルリー・レインシリーズを書いたときにはバーナビー・ロスという筆名を使って、別人のようにふるまっていたらしいです。

コーネル・ウールリッチ、ディクスン・カー、フランシス・アイルズ、エド・マクベイン、E.S.ガードナーなど外国の推理作家は複数のペンネームを持ったひとが多い。ヴァン・ダインは別の筆名を持つ美術評論家だった。

日本では福永武彦が推理小説を書くときは別のペンネームにしています。丹下左膳の作家林不忘は3つくらいもっていたらしい(いま名前が出てきません)。江戸川乱歩が一時別の筆名を使っていたとか。阿佐田哲也=色川武大。でも日本の作家は外国ほどしゃれっ気がないのか、二つ以上の筆名をもつことはめずらしい。


マッカーシーの赤狩りにあったドルトン・トランボが、別のペンネームでシナリオを書いたとか

絵物語作家では、福島鉄次が「コンドル魔島」を書くときは上山なんとかという筆名でした。武内つなよしが別の筆名で同じ雑誌に二つ目の連載を持っていたことがあります。小島剛夕は出版社との契約で他の社からは出せないので別名で書いた。

藤子不二雄は一時足塚不二雄といっていたんですが、改名しました。軽率にも山止たつひこと言っていた漫画家も改名。

武部本一郎みたいに3つもペンネームを持っていて、しらんぷりをしていた挿絵画家もめずらしいdすね。

Posted by: しんご | May 29, 2006 02:53 AM

2006年7月14日発売の〈本の雑誌〉8月号に「武部本一郎と城青児と手塚治虫」を執筆しました。
手塚治虫の変名ではなくて武部本一郎のペンネームだったという、そこら辺の事情とか城青児の意味とか、武部本一郎の別名のこととか、2ページにネタだけは詰め込むだけ詰め込んでいます。よければ書店で見てやって下さい。

Posted by: 大橋 | July 15, 2006 10:35 AM

情報をどうもありがとうございます。本の雑誌読ませていただきました。いつもは図書館で読んでるんですが、今回は記念に買っちゃいました。

Posted by: 漫棚通信 | July 15, 2006 10:07 PM

「タカラジマ」という本が
手塚が語った「知られていない1冊の本」
のことだという可能性はいかがですか?

Posted by: よみびとしらず | October 07, 2006 01:53 AM

どうでしょう。タカラジマはすでに1967年ごろには公式に存在が認められてましたし。

Posted by: 漫棚通信 | October 07, 2006 09:09 AM

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