日本におけるタンタンの現在(その2)
(前回からの続きです)
タンタンは日本マンガとどこが違うのか。
オールカラーの美しい色。ていねいでマンガふうに写実的な背景。破綻のないデッサン。長編ながら62ページにおさまる展開。ページを縦四段にわける定型的なコマわり。
集中線はほとんどなく、漫符は簡単な動線と、とびちる汗など古典的なものばかり。連続したアクションを細かくコマにわることはあまりなく、殴られても頭の上に星を出して気絶するだけ。爆発に巻き込まれても顔が真っ黒になるだけ。銃撃戦でも人が死ぬことはありません。
脇役にはエキセントリックな人物がそろってますが、主人公のタンタンはあまりに無個性。展開はのんびり。悪役はあくまでも悪役らしく、ちゃんと最後には退治されてくれる。
おそらく、戦前日本の子供マンガがめざした理想のスタイルが、タンタンに表現されているのではないのでしょうか。技術的にも倫理的にも。そして、これこそが今も世界でもっとも読まれているマンガのひとつに違いありません。
しかし、手塚治虫以来の日本マンガはタンタンとはまったく別方向に進んでしまいました。その原因はなんでしょうか。テーマやストーリーが、子供から離れて青年期を対象とし始めたからか。人の死を含めた悲劇を扱うようになったからか。絵よりもストーリーを優先させたからか。洗練をめざさずに、派手で面白く、売れるものを求めたからか。
考えられることはいろいろありますが、原因のひとつとして、その発表形式の違いがあるのは間違いないように思われます。
日本のマンガは、戦後モノクロ印刷雑誌の中で、どんどんとそのページを増やしていきました。さらに週刊誌時代、数千ページという大長編が可能になり、ピッチャーが球を投げてからミットにおさまるまで数ページという表現まで出現するようになりました。この月刊や週刊雑誌連載こそが現在の日本マンガをつくったと考えられます。
いっぽうタンタンは、最初、ベルギーの新聞「20世紀」の木曜版付録「プチ・ヴァンティウム」に週刊連載されたものでした。1回分が見開き2ページでモノクロ。その後ベルギーのナチス占領下には、新聞「ル・ソワール」の週刊付録「ル・ソワール・ジュネス」に同じ形で連載。用紙不足の時代になると、「ル・ソワール」本紙に、横長の数コマとして毎日連載されました。
最近日本でも、やっと、このモノクロ雑誌連載版のタンタンを読むことができるようになりました。昨年2005年、第一作のモノクロ版「タンタン ソビエトへ」が、福音館書店から刊行。さらに、ムーランサールジャパンからは、「タンタン アメリカへ」「ファラオの葉巻」「青い蓮」「かけた耳」のモノクロ版四作が刊行されました(お高いハードカバー版と廉価版の二種類があります)。絵は、のちにカラーで描きなおされたものに比べてかなりヘタですが、これはまあ、しょうがないというかアタリマエというか。
これらは「プチ・ヴァンティウム」に発表されていた時期のものです。エルジェは、この連載で1ページを横に2コマ、縦3段、計6コマで描いていました。見開き2ページで1回が計12コマになります。
当初、新聞連載をまとめて発売された単行本もモノクロでしたが、1942年には用紙不足と紙の価格の高騰で、それまで100-130ページだった単行本を、カラー化、62ページにして刊行することになりました。
カラー版では1ページを横に3コマ、縦4段として計12コマ。かつてのモノクロ版の見開き2ページがカラー版の1ページとして描きなおされました。
現在発行されているカラー版タンタンを読むと、1ページの中でヤマがありオチがあり、最終コマには次ページへのヒキがあるのがわかりますが、これはこのような理由があったのです。
その後、戦後になると、タンタンは週刊「タンタン・マガジン」に1回分を見開き2ページとしてカラー連載されるようになります。戦前より連載1回にかける労力はかなり大きくなりましたが、基本的なスタイルはあまり変わりません。このような連載形式が、タンタンというマンガのスタイルを決定していったと考えられます。
タンタンを理解するのに欠かせないモノクロ連載版が読めるようになったのは、たいへんありがたい。さらに、タンタンとエルジェの研究書の日本語版も刊行されています。マイクル・ファー著、小野耕世訳の「タンタンの冒険 その夢と現実」(日本語版は2002年)。大著です。タイヘン細かい記述で、すごく面白いのですが、マンガのほうを読んでないとどうしようもありませんが。
さらにちょっと古いですが、1983年に原著が発行されたBenoît Peeters「TINTIN AND THE WORLD OF HERGÉ」(邦訳はありません)をあわせて読めば、タンタンについてはもうオッケー。
などと考えておりましたところ、昨年、セルジュ・テスロン「タンタンとエルジェの秘密」という研究書が日本で刊行されました。
著者は、ラカン派の精神分析家で精神科医。医学博士、心理学博士、大学で教えてるというひと。これがまた、「1975年にマンガによる医学博士論文を提出して以来、マンガ家としての活動も行っている」そうです。どんなんだろ。
この本が有名になったのは、著者が、作品の分析からエルジェの親に出生の秘密があるだろうことを指摘していたところ、あっとびっくり、なんとのちに別の研究者が、ホントにそれが存在したことを発見しちゃったからです。
訳者あとがきから引用。
主人公のタンタンには家族が見当たらないが、それはどうしてなのか。そもそも「タンタン」という名前は、姓なのか、名なのか、それともあだ名なのか。デュポン&デュポンは、どう見ても双子に違いないが、だとしたらどうしてその名前の綴りが違うのか(Dupont / Dupond)。なぜエルジェはカスタフィオーレにいつも『ファウスト』の「宝石のアリア」ばかりを歌わせているのか。どうしてアドック船長には、発音が同じだが綴りの異なる姓をもつ先祖-アドック卿-がいて、その先祖は太陽王ルイ一四世からムーランサール城を下賜されたのか。
精神分析的な批評というのをよく知らないのですが、いやー、こういうアプローチもあるのですね。もともと「タンティノフィル」という言葉があるくらい、タンタンには熱狂的マニアがいて、研究もいっぱいされているらしい。まだまだ知らないことばかりでした。[ただひとつだけ。著者が「イルカと王冠」であると指摘している、ムーランサール城の紋章。どう見てもイルカには見えません。これはマイクル・ファーの本で指摘されているようにタラの一種(英語でhaddock)でしょ]
とまあ、近年急にタンタン研究書の翻訳が充実してきたのが、最近の状況です。とは言っても、みなさん、あんまり興味ないみたいですけどね。いずれにしても日本語版のタンタン完結は、数年後に迫っております。
Comments
タンタンなつかしいな!1971年から1972年にかけてスペインに住んでいた頃、タンタンのスペイン語版を読んでいました。
スペインではフランスのマンガが翻訳されているので、日本でも米国でも見たことのないマンガがあり、面白いですよ。
Posted by: せきさん | May 28, 2006 12:39 AM