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May 31, 2006

必殺のクロスカウンター

 前回のエントリにみなもと先生にコメントいただいて以来、「あしたのジョー」を再読しておったのですが、いやまあ、何度読んでも、名作。

 ただしそれとは別に、ヘンなところもいろいろありまして、マンガがまだ若かった時代と言いますか、それも含めて面白い。

 たとえば、空飛ぶボクサー、ハリマオの空中2回転。どう考えても物理法則を無視しているとしか思えません。

 あるいは、ジョーが減量で苦しんだ金竜飛戦のあと、ウエイトで悩むことはなくなります。これについての丹下段平の説明が、「あれだけ過酷な減量をやりぬきそいつを克服したってこたあ いままでのジョーの体重に水ましの要素があったってことさ」 そうか? そのひとことですませていいのか?

 さて、クロスカウンターであります。

 クロスカウンターは、作中でも説明されているように、梶原一騎の発明ではなく、ボクシングのテクニックのひとつ。ただし、「あしたのジョー」世界のクロスカウンターは、かなり奇妙なものでした。

 最初にクロスカウンターが登場するのは、少年院のブタ騒動のあと、ジョーと力石の初対決のシーン。ジョーの右ストレートをひょいとよけた力石が、右ストレートをジョーの顔面に打ち込む。見ていた院生から、「で…出た…」「り…力石さんの必殺クロスカウンター」

 しかし、これ、実はクロスカウンターではありません。本当のクロスカウンターは、相手の右ストレートに対して左ストレートあるいは左フックを、左ストレートに対しては右のパンチを合わせるものですから、力石のはクロスでもなんでもない。つまり、この観客の院生は、まわりのみんなや読者にウソを教えているわけで、いけませんね。反省しておくように。

 これに対して、丹下段平がジョーに「あしたのためにその3」として伝授したクロスカウンターは、左ストレートに対して、右ストレートを合わせるもの。その意味では正しいのですが、なぜかジョーは、相手の左ストレートを顔面で受けるのです。そしてほぼ同時に出した自分の右ストレートも相手の顔面に。

 これ、どう考えても相打ちとしか思えませんし、実際、少年院の試合では、ジョーと力石はダブルダウンしちゃうのです。「あしたのジョー」世界では、丹下段平がこのように説明します。

「ましてやクロスさせたばあい」「あいてのうでの上を」「交差した自分のうでがすべり」「必然的にテコの作用をはたして」「三倍…いやさ四倍!」「思うだに身の毛もよだつ」「威力を生みだす!」

 どこがテコやねーん! と、おそらく当時の読者の三分の一ぐらいはツッこんだ説明であります。さらに四倍てのは誰がどのように計算した数値かっ。

 だいたいクロスカウンターで、いちいち相手のパンチを顔で受けていては、ボクシングとしてあかんでしょ。腕が長いほうが有利なパンチにしか見えません。ところが、ジョーはこの後、この顔で受けるクロスカウンターを自分の必殺技として多用することになります。

 そしてウルフ金串戦。

 ウルフ金串が左ストレート。ジョーがこれに合わせて右ストレート。ウルフは左ひじを曲げてジョーの右手をはじきとばし、右ストレートをジョーの顔面に。これが、ダブル・クロスカウンターであります。ジョーはこれを3回もくらってしまう。ジョー、危うし!

 ところが、ウルフの右ストレートに対してさらに左ストレートを合わせたジョー。これぞ、トリプル・クロスカウンター! テレビ解説者の説明によると、

「わかりやすく数字であらわすとすれば」「ふつうのクロス・カウンターでさえ四倍」「ダブルクロスとなれば八倍」「トリプルとなっては十二倍もの破壊力があるといえるでしょう」

 いや、それはないない。

 今度の説明には、当時の読者の三分の二がツッこみましたね。

 当時のわたし、ガッコで同級生と、左ストレート、に対してクロスカウンター、をはじいて右ストレート、に対してまたクロスカウンター、をはじいて左ストレート、に対してまたまたクロスカウンター、をはじいて右ストレート、と延々とくりかえして遊んでました。何回くりかえそうが、カウンターはカウンター。十二倍なんて数字は出ませんです。

 プロでのジョー対力石戦では、クロスカウンターの読み合いの末、力石が放ったアッパーカットで決着がつきました。

 ジョー、最後の戦い、ホセ・メンドーサ戦の最終ラウンド。ジョーがひさしぶりに見せたクロスカウンターは、相手の左ストレートの内側を右ストレーがとおる、普通のクロスカウンターになってました。テコの原理はもうなしね。

 でもさらにそのあとに見せたジョーのトリプル・クロスカウンターは、昔ながらの顔で受けるタイプ。「あしたのジョー」は、クロスカウンターに始まりクロスカウンターに終わったのでした。

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May 29, 2006

タッチから作家がわかるか

 川崎のぼる/梶原一騎「巨人の星」に、園田光慶が作画協力していた話は聞いたことがありますが、このふたり、もともと絵が似てることもあって、どの部分が園田光慶の絵なのかよくわかりませんのです。

 ただし、「巨人の星」の中であきらかに別人の手がはいってるところがありまして、昔の講談社コミックス版なら5巻、飛雄馬が青雲高校を退学する回です。

 この回、最初のほうで飛雄馬、一徹、明子が話し合ってるシーンはおそらく川崎のぼるの絵なのですが、その後、絵がなにやら荒くなってくる。そして、その他大勢の人物はともかく、教頭の顔になると、どうも別人の絵のような気がします。

 ここが園田光慶の絵なのかなあ、なんて考えておりますと、この回のラスト2ページ。伴宙太と牧場の対話→伴が牧場を投げ飛ばして→伴が鉄棒にぶらさがる展開のところ。

 この2ページは誰が見ても別人の絵です。わたし、昔っから、ここ、永島慎二じゃないかと思ってるんですが、さて、いかがなもんでしょ。

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May 26, 2006

手塚治虫≠城青児=武部本一郎というお話

 最近おどろいたネット上のニュースに、「城青児は手塚治虫の別名ではなく、実は武部本一郎だった」というのがあります。それ、誰やねん、というかたもいらっしゃるでしょうが、これはなかなかびっくりする話なんですよー。

 「ヒロをぢのマンガ館」というサイトの掲示板に、武部本一郎のご子息からの書き込みがあって、このことが明らかになったそうです。書き込み自体はもう過去に流れてしまって読めませんが、一部はgoogleじゃなくて、yahooのキャッシュに残ってるみたい。

 これに反応されたのが、アセチレン・ランプこと中野晴行氏で、自分の日記夏目房之介ブログなどにニュースとして記載。わたしも、そこ経由で知りました。

 「城青児=手塚治虫」説を読んだのは、手塚没後に発売された朝日ジャーナル臨時増刊「手塚治虫の世界」1989年4月20日号に掲載された、岩家録郎というかたの記事でした。見開きカラー2ページ、スクープ扱い、以下のタイトルです。

・青年・手塚治虫が描いた? 「だれにも知られない一冊」 発掘! 幻の絵物語『暴れ馬(ワイルドパッチー)』

 内容は、城青児名義で発行された「暴れ馬」という絵物語(1950年東光堂)は、手塚治虫の作品じゃないのか、というものです。

 「暴れ馬」は西部劇です。この作品の絵柄は、劇画調というか絵物語調というか、手塚の丸っこい絵とはまったくの別物です。これがなぜ手塚作品であるのか。その根拠は。

(1)岩家録郎が手塚に会ったとき聞いた言葉。「俺には、だれにも知られていない本が一冊あるよ」

(2)手塚治虫「漫画大学」(1950年東光堂)の巻末に、手塚の手書きで東光堂漫画選書の広告がある。ここに七冊のタイトルが記されているが、六冊は手塚の著書なのに、一冊だけ「ワイルド・パッチー」という作者不明の本が記載されていた。

(3)1950年東光堂発行の城青児「暴れ馬」という絵物語が存在する。表紙のタイトルは「あばれ馬」、中のトビラ絵のタイトルは「暴れ馬」で「ワイルド・パッチー」という副題がついている。

 これに加えて、手塚治虫「化石島」(1951年東光堂)という作品がありますが、これには最初と最後に絵物語調の絵で描かれた部分がありました。

(4)「化石島」の冒頭の手塚治虫の謝辞。「この本をつくるにあたって、城青児先生に非常なご援助をいただきました」

(5)復刻本のインタビューで手塚が語った言葉。「名前は忘れたが、ある絵物語作家に絵物語の部分を描いてくれと頼んだ」

 これが推理の根拠となります。つまり岩家録郎は、「暴れ馬」を描いたのは手塚で、手塚がいたずら心で城青児という架空の絵物語作家を創造した、と推理したのです。そして補足的な証拠として。

(6)「化石島」の絵物語調の絵と「暴れ馬」の絵が似ている。

(7)「化石島」のマンガ調のシーンと「暴れ馬」のシーンが似ている。

(8)その他、手塚が見ていた西部劇映画「悪漢バスコム」の影響が「暴れ馬」にある。城青児という名は影絵で有名な藤代清治に似ているが、これは「暴れ馬」が影である意味。城青児を逆に読めば自制しろになる。など。

(9)さらに、この説に松本零士も同意している。

 これを読んで、わたしがどう思ったかといいますと、実は、えー? とかはツッこまずに、ほうほうと思ったわけです。ああ、若かった。

 ただし、城青児の作品が二作以上あれば、この説はくずれてしまうわけですが、のちに城青児作品は複数発見されていました。以下は2001年「占領下の子ども文化<1945~1949>展」の伊藤剛によるレポート。

http://www.tinami.com/x/report/11/

 文章からリンクされる形で城青児「魔焔の佝僂」(1949年東光堂)の書影が見られます(表紙は別人の絵)。

 というわけで、みんな、「城青児=手塚治虫」説はチョットドウカナアと考えていたらしいのですが、今回、武部本一郎のご家族の証言で、「城青児=手塚治虫」説は崩壊し、「城青児=武部本一郎」であったことが明らかになったわけです。

 そして武部本一郎。

 創元やハヤカワのSF文庫は、戦前戦後の挿絵つき少年小説と、現在のラノベをつなぐ位置に存在する、と考えるべきなのかもしれません。読者はまず、表紙、口絵、そして本文中の挿絵を見てから買うわけで、今のラノベ読者と同じ行動をしていました。

 その結果比較的年少の読者は、レンズマンなら真鍋博、キャプテン・フューチャーなら水野良太郎、宇宙の戦士なら加藤直之、これ以外には考えられないよ、ってなくらいイラストに影響されてしまいます。

 このSFイラストの元祖とも言うべきひとが、武部本一郎です。1965年、E・R・バローズの「火星のプリンセス」のイラストに始まって、火星シリーズ、ターザンなどのバローズ作品、ハワードの「コナン」シリーズ、などでおなじみです。デジャー・ソリスはいろっぽいぞ(半裸だし)。

 わたしがよく覚えているのは、半村良「産霊山秘録」がSFマガジンに連載されたときのイラストが武部本一郎でして、いまだにサルトビといえば武部本一郎のイメージが浮かんじゃうのですね。

 1980年の没後も、画集が何回も出版されてますが、本年、「武部本一郎SF挿絵原画蒐集」上下巻が刊行されたところです。実はこれ、よく行く書店に置いてあって、立ち読みしてました(スミマセン、お高いので買ってません)。

 武部はもともと画家でしたが、戦後は絵物語や紙芝居にも手を染めています。中野晴行「手塚治虫と路地裏のマンガたち」によりますと、1953年、大阪の八興出版が出した日の丸文庫というシリーズの最初のヒットが、武部本一郎「少年ターザン」で、40万部を売り上げたそうです。

 武部本一郎には、宇田野武(奥様の文章では「宇多野武」と書かれていて京都の宇多野からとられたペンネームのようですが、通常は「宇田野武」です)という別名もあります。

 宇田野武名義の柔道モノの「月影四郎」(1954年~1956年少年画報)はこんな感じ

 同じく柔道モノ「醍醐天平」(1956年おもしろブック)はこれ

 手塚治虫と宇田野武(=武部本一郎)は、おもしろブックの同じ号に描いてたこともあります。お互いに気づいてたのかどうか。

 さかのぼって紙芝居時代の宇田野武の絵はこんな感じ。科学冒険モノです。うまい絵だなあ。

 さて、次に残る謎は、手塚治虫「化石島」の、あの絵物語調の絵は、いったい誰が描いたのか、という点です。これまでは、手塚たっしゃやなあ、あんな絵も描けるんや、てな感じで見てたんですが、武部本一郎が関わってるとなると、これは見方が変わってきます。

 手塚の言葉を信用するなら(←ただしこのセンセあんまり信用できないからなー)、あの絵は、武部本一郎に描いてもらったことになります。あるいはお手本となるような絵を描いてもらい、それを手塚が模写したか。武部本一郎のご家族に見てもらったら、解明できるのかしら。解けない謎はまだまだ残っているのでありました。

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May 24, 2006

実験してます「アトモスフィア」

 西島大介「アトモスフィア」1・2巻読みました。

 自分のドッペルゲンガーが現れた、と思ったら、それが次々と世界規模で出現し始めるお話です。「凹村戦争」に続いて「ハヤカワSFシリーズJコレクション」というシリーズの一作。このシリーズ、西島大介以外はすべて小説です。

 こういう形でマンガの書き下ろし作品が出版されるのは、雑誌連載とは違う何か新しいことができそうな気がしちゃいますね。

 作品内の実験がふたつ。ひとつは絵が少ない。

 なんと空白のコマがえんえんと続きます。そこにはカギカッコでかこまれた登場人物のセリフと、主人公の独白が書かれる。

 絵が描いてあるコマは、だいたい60%でしょうか(数えてないけど)。フキダシだけがあって、あとはベタ、というコマも多いです。

 印象としては、ネーム形式のシナリオを読んでる感じになりますが、主人公の独白の部分では、思考内容だけじゃなくて登場人物の行動や状況説明も書かれてるから、実はコマの中で一人称小説が進行しているのと同じです。西島大介のような絵のうまいひとがこれをやってる、というところがポイントですな。

 もうひとつの実験は、「マンガのようなオチ」でして、この作品は確かにマンガなのですが、まあ長編マンガでは、メタふうに全部をぶっ壊してしまうこのオチはふつう描かないわ。

 むしろSF小説で、この手のアッと驚くマンガみたいなオチをときどき見ます。つまり、「マンガの中ではあまり見ることのないマンガのようなオチをマンガで描いた」わけで(ゴメンナサイ意味不明かも)、ちょっと驚きました。

 ハヤカワだから出版できた作品なのかな。実験は大歓迎。いずれ、大傑作が誕生するかも、という期待も高まりますし。

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May 22, 2006

だらだら

 休日はどこにも行かず、レンタルビデオを2本見たり、「ダ・ヴィンチ・コード」のウンチクのところだけ読み直したり、マンガを新旧とりまぜて読んだり、だらだら。

 まず五十嵐大介「はなしっぱなし」の読み残しを。五十嵐大介の絵のうまさはやっぱ風景のうまさだよなあ。雨のシーンとか、雲の表現とか、ここまでバリエーションを持ってるのはすごいなあ。

 藤子不二雄A「少年時代」。買ってから十年寝かせてた本。ラストシーン、もっと盛り上がるかと思ってたら、抑制した感じであっさり終わっちゃってました。田舎が舞台ですから、もっともっと風景に語らせてるような絵が見たかったのですが、藤子不二雄Aはそういう資質のひとじゃないし。

 のぞゑのぶひさ/岩田和博/大西巨人「神聖喜劇」1・2巻。こちらはまた風景描写がほとんどない作品。発行は幻冬舎ですが、5/22現在、幻冬舎のサイトに行ってもそんな本は存在しないかのように、見事にまったく記載がありません。なぜ? 企画制作はメタポゾンという会社。

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May 19, 2006

泣けました「大阪ハムレット」

 書籍や映画の広告で「泣けた」とかいうのを読むと、まずは、ナーニヲイッテルンダロウネ、と思ってしまうほうです。昨日も、アカデミー脚本賞受賞の泣ける映画! というのをレンタルビデオで借りて見てましたが、どこが? てな感想でありました。

 ですからそういう惹句はまったく信用していないのですが、森下裕美「大阪ハムレット」1巻、いや、これが泣けるんですよー。どこが? と言われちゃうかもしれませんが。

 大阪を舞台にした、人情話の短篇連作です。今回は四コマ作品ではありません。

 なんといっても、人物の顔がいい。森下裕美はなんでも描けるひとなので、ひさうちみちおふう、江口寿史ふう、安西水丸ふう、高橋留美子ふう、と迷走したあと、やっと「ここだけのふたり!!」「少年アシベ」で、カワイイ系の絵柄を確立したと思われてました。

 ところが「スーパーまるでん」では、そのあたりのおっちゃんやおばちゃんをどんどん描くようになり、「大阪ハムレット」では、ついにかつてのカワイイ系を封印して、キタナイ系というかミモフタモナイ系の顔ばかりに。ただしそれは以前より洗練に向かっています。

 お話のほうは、世間の常識に対抗して強く生きようとするひとびとと、それを支える家族の物語。息子をあたたかく見守るパパが、デブでヒゲ、握り箸をするいかついおっちゃんに描かれたりします。ストーリーと絵の相乗効果がすばらしい。

 大阪のおっちゃんおばちゃん、みんな顔はアレだが心は錦だよっ、という、お話にぴったりの人物ばかりが登場。これが森下裕美の絵の完成形か。

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May 17, 2006

オシャレ系おフランスマンガ

 ふんとにもう、ブログのコメント欄であまりケンカをしないでいただきたい。こっちもおたおたしちゃうじゃないですか。

 さて、「日本におけるタンタンの現在(その1)」に、mgkiller氏からコメントをいただきました。ありがとうございます、そうだそうだ、タンタンといえば大貫妙子だ。

 1985年に大貫妙子「コパン」というアルバムが発売されました。そのトップに収録されていたのが「Les aventures de TINTIN」というタンタンをテーマにした曲であります。ほら、タイトルからしてフランス語でオシャレっぽいでしょ。

 さらにその翌年の1986年、大貫妙子の子供向け楽曲を集めた「Comin' Soon」というコンピレーション・アルバムが発売されましたが、このアルバムはヒットしましたねー。名曲そろってますし。

 収録されてるのが「Alice」(不思議の国じゃなくて鏡の国のほう)、「ピーターラビットとわたし」、NHKみんなの歌でやってた「メトロポリタン美術館」、「地下鉄のザジ」、そしてタイトルを日本語に変更した「タンタンの冒険」などなど。

 大貫妙子でタンタンですから、オシャレ感バクハツしてます。当時、福音館書店版タンタンが大ヒットしてたという話は聞きませんので、おそらく多くの日本人は、この曲を聞いて初めてタンタンを知ったはずです(←わたしの同居人もそうらしい)。

 ま、そのひとたちのほとんどはタンタンのマンガを読むわけではなく、曲と、街で見かけるタンタングッズで完結してしまいますので、タンタンをマンガとは思わず、おフランスのオシャレな何か、として認識するだけなのでしょう。やっぱ、タンタンの色づかいはすばらしいですからね。オシャレな何かで通用します。

 おフランスといえば、マンガもなーんかオシャレな感じがします。ペイネやサンペはいかにもオシャレですし、メビウス、ビラルもオシャレととらえられてるのかも。

 で、そのオシャレ系おフランスマンガの決定版が、ニコル・ランベールの「三つ子ちゃん」(LES TRIPLÉS)シリーズであります。

 著者は女性です。10代のうちにモデルとしてデビュー、その後デザイナーとして活躍し、1983年から雑誌「マダムフィガロ」で「三つ子ちゃん」シリーズを描き始める。ああっ、なんてオシャレっぽい。

 お金持ちの若いお母さんと、5歳の三つ子ちゃん。男ふたり、女ひとりのお話です。1ページ完結で1コマだったり、数コマだったり。子どもの無邪気な行動を描いた他愛のないカワイイ系のマンガですが、なんといっても色がすばらしい。アメリカ、ディズニーの原色とは違って、タンタンと同じように暖かい中間色。

 三つ子はいつもおそろいの服を着てるし、お母さんは必ずシャネルの服にカルティエのアクセサリー。オシャレですねえ。パパは存在しますが、出てきません。おじいちゃん(ママのパパ)も、いつもネクタイにパイプでオシャレ。

「ママおめでとう! しってる? ママがクラスでいちばんきれいなママにえらばれたんだよ!!」
「うれしいでしょ?」
「まあ とてもうれしいわ… クラスでいちばんきれいなママですって? もっとよくきかせてちょうだい!」
「あのね… みんなじぶんのママに投票したの…」
「…でもぼくたち三つ子でしょ…」
「…それでさ ママがえらばれたんだ!」

「ママ けっこんしきのとき きれいだった?」
「すてきなしきだったの?」
「それはきれいだったし すてきなしきだったわよ!」
「でもボクたちのこと よんでくれなかったんだね!!」

 こんな感じね。

 日本では文化出版局発行のマダーム系雑誌「ミセス」に連載されたあと、旧中央公論社から1994年から1996年にかけて全4巻の単行本が発売されました。これがまたハードカバーでB4版をこえる大きさ。でかいっ。お値段も一冊3400円でありました。

 これは原著のフランス語版の大きさを踏襲したものでしたが、売れたのかなあ。あきらかに「ミセス」の読者層をねらった出版だったのでしょうけどね。アニメが日本で放映されたこともありましたが、誰か覚えてるかしら。NHKの子ども番組の中でやってました。

 中央公論社が倒産したあとは、2001年にフェリシモ出版から絵本型の「みつごちゃんとだいすきなママ」「みつごちゃんといたずら」「みつごちゃんとボンボン」「みつごちゃんとけっこんしき」「みつごちゃんとしんじだい」「みつごちゃん きょうだいどうし」「みつごちゃん がっこうで」「みつごちゃんとスーパーおじいちゃん」、計8冊が発売されました。

 マンガであることは間違いなく、おそらくは、こどもをほほえましく見守るおとな向けマンガです。ただし、どう考えても、日本で「マンガ」として流通、受容、消費されているとは思えない。おフランスのオシャレな何か、なのかな。

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May 14, 2006

日本におけるタンタンの現在(その2)

(前回からの続きです)

 タンタンは日本マンガとどこが違うのか。

 オールカラーの美しい色。ていねいでマンガふうに写実的な背景。破綻のないデッサン。長編ながら62ページにおさまる展開。ページを縦四段にわける定型的なコマわり。

 集中線はほとんどなく、漫符は簡単な動線と、とびちる汗など古典的なものばかり。連続したアクションを細かくコマにわることはあまりなく、殴られても頭の上に星を出して気絶するだけ。爆発に巻き込まれても顔が真っ黒になるだけ。銃撃戦でも人が死ぬことはありません。

 脇役にはエキセントリックな人物がそろってますが、主人公のタンタンはあまりに無個性。展開はのんびり。悪役はあくまでも悪役らしく、ちゃんと最後には退治されてくれる。

 おそらく、戦前日本の子供マンガがめざした理想のスタイルが、タンタンに表現されているのではないのでしょうか。技術的にも倫理的にも。そして、これこそが今も世界でもっとも読まれているマンガのひとつに違いありません。

 しかし、手塚治虫以来の日本マンガはタンタンとはまったく別方向に進んでしまいました。その原因はなんでしょうか。テーマやストーリーが、子供から離れて青年期を対象とし始めたからか。人の死を含めた悲劇を扱うようになったからか。絵よりもストーリーを優先させたからか。洗練をめざさずに、派手で面白く、売れるものを求めたからか。

 考えられることはいろいろありますが、原因のひとつとして、その発表形式の違いがあるのは間違いないように思われます。

 日本のマンガは、戦後モノクロ印刷雑誌の中で、どんどんとそのページを増やしていきました。さらに週刊誌時代、数千ページという大長編が可能になり、ピッチャーが球を投げてからミットにおさまるまで数ページという表現まで出現するようになりました。この月刊や週刊雑誌連載こそが現在の日本マンガをつくったと考えられます。

 いっぽうタンタンは、最初、ベルギーの新聞「20世紀」の木曜版付録「プチ・ヴァンティウム」に週刊連載されたものでした。1回分が見開き2ページでモノクロ。その後ベルギーのナチス占領下には、新聞「ル・ソワール」の週刊付録「ル・ソワール・ジュネス」に同じ形で連載。用紙不足の時代になると、「ル・ソワール」本紙に、横長の数コマとして毎日連載されました。

 最近日本でも、やっと、このモノクロ雑誌連載版のタンタンを読むことができるようになりました。昨年2005年、第一作のモノクロ版「タンタン ソビエトへ」が、福音館書店から刊行。さらに、ムーランサールジャパンからは、「タンタン アメリカへ」「ファラオの葉巻」「青い蓮」「かけた耳」のモノクロ版四作が刊行されました(お高いハードカバー版と廉価版の二種類があります)。絵は、のちにカラーで描きなおされたものに比べてかなりヘタですが、これはまあ、しょうがないというかアタリマエというか。

 これらは「プチ・ヴァンティウム」に発表されていた時期のものです。エルジェは、この連載で1ページを横に2コマ、縦3段、計6コマで描いていました。見開き2ページで1回が計12コマになります。

 当初、新聞連載をまとめて発売された単行本もモノクロでしたが、1942年には用紙不足と紙の価格の高騰で、それまで100-130ページだった単行本を、カラー化、62ページにして刊行することになりました。

 カラー版では1ページを横に3コマ、縦4段として計12コマ。かつてのモノクロ版の見開き2ページがカラー版の1ページとして描きなおされました。

 現在発行されているカラー版タンタンを読むと、1ページの中でヤマがありオチがあり、最終コマには次ページへのヒキがあるのがわかりますが、これはこのような理由があったのです。

 その後、戦後になると、タンタンは週刊「タンタン・マガジン」に1回分を見開き2ページとしてカラー連載されるようになります。戦前より連載1回にかける労力はかなり大きくなりましたが、基本的なスタイルはあまり変わりません。このような連載形式が、タンタンというマンガのスタイルを決定していったと考えられます。

 タンタンを理解するのに欠かせないモノクロ連載版が読めるようになったのは、たいへんありがたい。さらに、タンタンとエルジェの研究書の日本語版も刊行されています。マイクル・ファー著、小野耕世訳の「タンタンの冒険 その夢と現実」(日本語版は2002年)。大著です。タイヘン細かい記述で、すごく面白いのですが、マンガのほうを読んでないとどうしようもありませんが。

 さらにちょっと古いですが、1983年に原著が発行されたBenoît Peeters「TINTIN AND THE WORLD OF HERGÉ」(邦訳はありません)をあわせて読めば、タンタンについてはもうオッケー。

 などと考えておりましたところ、昨年、セルジュ・テスロン「タンタンとエルジェの秘密」という研究書が日本で刊行されました。

 著者は、ラカン派の精神分析家で精神科医。医学博士、心理学博士、大学で教えてるというひと。これがまた、「1975年にマンガによる医学博士論文を提出して以来、マンガ家としての活動も行っている」そうです。どんなんだろ。

 この本が有名になったのは、著者が、作品の分析からエルジェの親に出生の秘密があるだろうことを指摘していたところ、あっとびっくり、なんとのちに別の研究者が、ホントにそれが存在したことを発見しちゃったからです。

 訳者あとがきから引用。

主人公のタンタンには家族が見当たらないが、それはどうしてなのか。そもそも「タンタン」という名前は、姓なのか、名なのか、それともあだ名なのか。デュポン&デュポンは、どう見ても双子に違いないが、だとしたらどうしてその名前の綴りが違うのか(Dupont / Dupond)。なぜエルジェはカスタフィオーレにいつも『ファウスト』の「宝石のアリア」ばかりを歌わせているのか。どうしてアドック船長には、発音が同じだが綴りの異なる姓をもつ先祖-アドック卿-がいて、その先祖は太陽王ルイ一四世からムーランサール城を下賜されたのか。

 精神分析的な批評というのをよく知らないのですが、いやー、こういうアプローチもあるのですね。もともと「タンティノフィル」という言葉があるくらい、タンタンには熱狂的マニアがいて、研究もいっぱいされているらしい。まだまだ知らないことばかりでした。[ただひとつだけ。著者が「イルカと王冠」であると指摘している、ムーランサール城の紋章。どう見てもイルカには見えません。これはマイクル・ファーの本で指摘されているようにタラの一種(英語でhaddock)でしょ]

 とまあ、近年急にタンタン研究書の翻訳が充実してきたのが、最近の状況です。とは言っても、みなさん、あんまり興味ないみたいですけどね。いずれにしても日本語版のタンタン完結は、数年後に迫っております。

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May 13, 2006

日本におけるタンタンの現在(その1)

 エルジェの「タンタン」シリーズが、日本に初お目見えしたのが1968年のこと。主婦の友社から「ぼうけんタンタン」というシリーズ名で、「ブラック島探検」「ふしぎな大隕石」「ユニコン号の秘密」の3冊が刊行されました。

 これは日本人にとって、タンタンとの不幸な出会いでした。

 まず、横長の変則的な版形。そして、時代から考えてしょうがないのですが、カラーは一部のページで、ほとんどのページがモノクロ印刷でした(そのかわり値段は当時の新書版マンガ単行本よりちょっと高いだけの250円)。さらに、ちょっとどうかと思われる阪田寛夫の翻訳。「ウキャキャのウキャキャのワッホッホ! こりゃまびっくりぐうぜんのイッチッチ!」などのセリフが頻発します。

 このシリーズのライバルは、当時日の出の勢いであった日本人作家の作品群、「巨人の星」や「あしたのジョー」です。当然ながら、このタンタンのシリーズはあまり人の目に触れずに消えてしまいました。このため、「ユニコン号」の直接の続編である「かいぞくラカンのたから」(こういうタイトルで予告されていました)は訳されることなく、宝捜しの結末は謎のまま。

 タンタンの本格的な邦訳は、エルジェが亡くなった1983年、福音館書店「タンタンの冒険旅行」の刊行開始まで待たなければなりません。現在も流通しているこの版は、大判のハードカバー、オールカラーで、世界標準の版形。書店ではマンガとしては販売されず、絵本の棚に置かれました。その結果、タンタンは日本でも、たいていの図書館で読むことができるようになりました。

 1983年4月に「黒い島のひみつ」「ふしぎな流れ星」、1983年10月に「なぞのユニコーン号」「レッド・ラッカムの宝」が刊行されました。この刊行順序は原著の発行順序とは異なり、主婦の友社版を踏襲したもので、ここでやっと、続編の刊行を待ちわびていた日本人読者(わたし以外にそんなひとがいたかどうか知りませんが)は、15年ぶりにハドック船長のご先祖の宝は何か、どこにあるのかを知ることができたのです。

 以後、福音館書店は「タンタンの冒険旅行」シリーズをのんびりと1~2年毎に刊行し続けます。ただし1999年の17作め「オトカル王の杖」から2003年の18作め「金のはさみのカニ」までは、4年も間があいて、もう刊行しないのじゃないかと心配する時期もありましたけど。

 エルジェのタンタン・シリーズは未完成作品も含めて全24作。2003年以後は順調に刊行が続き、2005年には21作めとして、エルジェがカラー化しなかった雑誌モノクロ掲載時そのままの第一作「タンタン ソビエトへ」まで刊行されました。かつては、英語版やフランス語版では本来のシリーズに含まれなかった作品ですが、近年ベルギーでのタンタン全集の一巻として発売されるようになり、日本でもこれにならったらしい。

 そして、残るは3冊。次回発売は、制作順でいうと「ソビエトへ」に続く第二作「タンタン コンゴへ」です。

 1930年のベルギー領コンゴを舞台にしたこの作品は、のちにカラーで描きなおされました。しかし、その植民地主義的内容や黒人の表現のため、今にいたるもカラーの英語版は発売されていないという作品です(カラーのフランス語版やスペイン語版は普通に発売されています。またモノクロ英語版は存在します)。

 この作品について、かつてわたしは、きっと日本語では読めないであろう、と書きましたが、いやー、福音館書店やってくれます、えらいぞっ。

 そして、タンタンがニッカボッカを捨ててジーパンになったので有名な最終作「タンタンとピカロたち」と、未完成の「タンタンとアルファアート」を足して、合計全24作。シリーズ刊行開始から23年、初の邦訳から38年。やっと完結が見えてきました。

 さて、フランスBDの代表作であるタンタン。全世界で2億部が売れているというこのベストセラーは、日本マンガとどのような関係があるのでしょうか。

 これが、まったく関係ないと思われるのですね。

 戦前の海外アニメ、ミッキー、ポパイ、べティは当時の日本マンガに影響を与えたのは明らかですが、タンタンが日本にはいってきた気配はない。アメリカのコミックブック、スーパーマンやバットマンは戦後の子供マンガや絵物語のお手本になりましたが、この時期もタンタンは知られていなかった。

 大友克洋らの日本人作家がBDに興味を持つようになったのは、メビウスらの新時代になってからで、タンタンとエルジェはすでに過去のひと。

 1968年の主婦の友社版などは、知ってる人のほうがめずらしい、ってなぐあいで、1983年以前、タンタンが日本マンガに与えた影響は皆無と言っていいでしょう。

 1983年以後すでに20年以上経過、ほとんどの作品が邦訳され、さらにアニメまで放映されて(たしかNHK-BSだったかな)、じゃあ日本でタンタンがどれだけ有名になったかというとこれが。

 熱心なファンはいるのでしょうが、一般的な人気や知名度はどうか。日本でのタンタンは本来のマンガと離れて、猫のフェリックスやベティ・ブープと同様、マグカップやノートに描かれた単なるかわいいキャラと化してるんじゃないかしら。

 タンタンって知ってる? ああ、あの犬を連れたハゲのコドモ? ハゲてんのとちゃうわいっ。金髪やねんぞ。

 以下次回。

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May 11, 2006

さらに第35回日本漫画家協会賞発表

 今年の日本漫画家協会賞の大賞は、勝又進「赤い雪」(青林工藝舎)でした。

 収録作品のほとんどは古いものらしいです。かつてのガロ読者としてはなつかしい。さっそく買ってきます。

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May 10, 2006

第10回手塚治虫文化賞発表

 今朝の朝日新聞で、第10回手塚治虫文化賞の受賞作が発表されました。

大賞:吾妻ひでお「失踪日記」
新生賞:ひぐちアサ「おおきく振りかぶって」
短篇賞:伊藤理佐
特別賞:小野耕世

 大賞は予想通り、テッパンでしたね。著者は失踪していてもマンガ家であり続けるところがすごい。「マンガ×人生」を描いた奇跡的な作品。

 「おお振り」はたしかに新しくて楽しいのですが、わたしのような、作品に完成度を求める読者からすると、「登場人物の区別がつかない」「どこで何がおこっているのかという空間表現がもひとつ」なのがちょっと。あと、月刊連載のこのペースで結末までたどりつけるのか、気になるところであります。一試合完全燃焼?

 伊藤理佐は、今、1989年発行の「お父さんの休日」ひっぱり出して来ましたが、絵、変わりましたねー。当時はこんな80年代調だったんだ。あたりまえですが、今のほうが断然面白いです。

 小野耕世は、わたしにとって真崎守と並んで、勝手ながら師匠と思っている人物なので、タイヘンうれしい。かつて「SFコミックスの時代」お目当てにSFマガジンを買ってました。ジョー・サッコ「パレスチナ」を翻訳中だそうですが、ああっ、原書を途中まで読んで投げたままだ。翻訳出るのを待ってようかな。

 みなさま、受賞おめでとうございます。

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May 08, 2006

ヒーローでコドモ

 女優の曽我町子さんが亡くなられました。オタク方面では特撮番組の魔女などでおなじみのかたですが、有名なのはアニメ「オバケのQ太郎」のQちゃんの声。意外と、と言っては失礼ですが、あのときまだ、27歳でいらっしゃったのですね。独特のガラガラ声は、マンガのイメージどおりと言われました。ご冥福をお祈りします。

 この訃報を聞いて、ぼーっと考えてたこと。

 彼女の、Q太郎に続く声優の仕事が、アニメ「サイボーグ009」に登場する007の声でした。ハゲ頭で売れない役者の007とQ太郎では、ずいぶんイメージが違います。実は、このアニメが製作されたとき、007はオトナからコドモ(ハゲ頭でチビのなまいきなやつ)にキャラクター変更されたのでした。

 マンガでいうなら、地下帝国ヨミ編の連載開始時、007がよくコドモに変身してたのが、このなごりです。グループ内にはすでに001という赤ん坊=コドモがいましたが、こいつは神のごとき超能力を発揮してるか寝てるかで、あんまりハジケるキャラクターじゃなかったですからね。商業的にも、もうひとりコドモが必要だったのでしょう。

 ヒーローグループ内のコドモは、

(1)コメディリリーフ
(2)擬似家族における子供の役割
(3)年少の読者・視聴者に共感させるための存在

などの意味があり、そこからみちびきだされるストーリーとして、「暴走して失敗→他のメンバーに助けられる、さとされる」とか、「いつもは失敗してるのに意外にも活躍」などのパターンが考えられます。

 鞍馬天狗と杉作、丹下左膳とチョビ安、あたりはちょっと違うかもしれませんが、明智小五郎と小林少年、バットマンとロビン、になるとあきらかにヒーローでコドモ。「ガッチャマン」の甚平。その原型である「忍者部隊月光」の半月。「仮面の忍者赤影」の青影。などなど。

 年少者がグループ内の年長者に導かれて成長する、というパターンでした。あくまで主人公はリーダーである年長者のほう。

 ところが、この未熟な年少者が、主人公になるとどうなるか。登場人物は現代の読者・視聴者にとって、より共感できる存在になりうるでしょうが、物語は果てしなく暴走しちゃう危険性をはらんでいる。

 これがエヴァのシンジであり、エウレカのレントンであり、マジレンジャーの赤いの、だったのかなあ、なんてね。最近は未熟なコドモが主人公になるのがはやってるのかしら。

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May 06, 2006

マンガのお値段

 西原理恵子「毎日かあさん3 背脂編」と、星野之宣「PILOTS初期画集成」をいっしょに買ったところ、レジで3505円です、と言われてげげっと驚いたわけですが、オールカラーのサイバラ本ってそんなに高かったかな、と見なおしてみるとそっちは880円。チクマ秀版社の星野本が2625円でありました。うーむ、先に値段をチェックしてからレジに持っていくように。

 単行本の値段の決め方をよくは知らないのですが、当然、ページが多ければ高い、紙が良くなれば高い、カラーが多いと高い、部数が多ければ安い、ということになるのでしょう。

 日本マンガ発展の原因のひとつが、(1)粗悪な紙に(2)モノクロで印刷された(3)ぶ厚い(4)安価なマンガ雑誌に求められるのはマチガイないところですが、1966年~1967年の新書版ブーム以後に発売されるようになった安価なマンガ単行本の存在も忘れることはできません。コドモのこづかいで多量のマンガ単行本を買うことが可能だったからこその、日本のマンガ文化成立であります。

 ただし時代が変わって、マンガ読者が高齢化してそれなりのお金を持ってること。ちゃんとカラーページをいれるとそれなりの値段になっちゃうこと。大部数を見込めないマンガが存在すること。などがあって最近、けっこうなお値段の本が増えてきたような気がします。

 売ろうとするマンガはやはり1000円までが中心みたいですから、それ以上のお値段の本が増えてきたのはそれなりにいいこと、なのかな?

 カラーのマンガで日本のものなら、寺沢武一の「コブラ」。最近メディアファクトリーから出版された「マジックドール前編」は1600円。フルカラーという付加価値がついてますから、このあたりの値段設定なら、まあ普通に買えます。ただしこれ、2002年に集英社から出た本と内容まるきり同じですから、買ってから怒らないように>自分。

 「PLUTO」の豪華版のほうが、1800円から1400円。普及版が550円ですから、微妙なお値段ですね。豪華版が1巻から3巻へしだいに値段が下がってきてるのも気になるところ。ま、付録にもよるのでしょうが。

 2000円を越えると、けっこう考え込んでしまう。最近、文春から出た東海林さだおの「ショージ君の漫画文学全集110選」が税別2500円。

 古いものではかつて1988年に北冬書房から出た湊谷夢吉「虹龍異聞」が税別2600円で高かったなあ。2000年の松永豊和「バクネヤング」も税別2500円。松本大洋「GOGOモンスター」も税別2500円。このあたりになると、買うのにかなり勇気がいります。

 海外のマンガの邦訳はおおむね高価です。それだけ売れない、ということなんでしょうか。

 最近発売された小学館プロダクションの「V フォー・ヴェンデッタ」が税別2400円。ムーアはジャイブからも「バットマン:キリング・ジョーク」や「リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン」正続がでてますが、こっちはもっと高くて税別3200円から3400円。本国でもそうなのでしょうが、はじめからコドモ相手のお値段設定ではありません。

 福音館書店のタンタンのシリーズは税別1600円で、これはまあ、絵本あつかい。コドモがこづかいで買うような本ではないでしょう。ムーランサールジャパンからは、エルジェがカラーで描き直す前の雑誌掲載モノクロ版が3800円で出版されてます(版型の小さいソフトカバー税別850円もあります)。わたし以外にこういうのを買う人がいるのかしら。

 岩波が出したアート・スピーゲルマンの「消えたタワーの影のなかで」も税別3800円でしたがページ数は38ページしかありませんでした。おそるべし。

 日本作家なら長谷邦夫「パロディ漫画大全」が税別4000円。こっちはなんと915ページもあります。1999年に出版された「横山光輝まんが集」も870ページあって税別4200円。ほとんど枕です。

 でもやっぱ復刻のほうがお高くて、小学館クリエイティブの楳図かずお復刻が税別3600円から2400円。松本零士のが2400円から2200円。赤塚不二夫が3600円。どんどんサイフが軽くなる。

 マンガショップからたくさん出てるのは一律税別1800円で、なかなかそろえるのがきびしい値段です。

 三一書房の「スピード太郎」が税別4500円。「手塚治虫のディズニー漫画:バンビ/ピノキオ」が税別3800円、「リボンの騎士:少女クラブカラー完全版」が税別5000円。こういうのを買ってると家庭争議になります。

 読むというよりコレクターズ・アイテムになると「少年」昭和37年4月号の復刻BOXが5500円。「鉄腕アトム:HAPPY BIRTHDAY BOX」なら15000円で、もう書籍じゃないですね。ただしこのBOXの古書価格、チェックするたびに安くなってますので、買いのがした人はそろそろ買いどきかと。

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May 03, 2006

連休報告2

 かつて小学生だったころ、こづかいの“すべて”をマンガとプラモデルにつかっていました。そのころ、買い食いしないヤツは、まあめずらしかったか。

 で、わたしにとってのプラモてのは、タミヤでもなくアオシマでもなく、ましてやガンプラなどではあろうはずもなく、これはもうイマイだったですね。

 サブマリン707や青の6号の潜水艦、007のアストンマーチン、サンダーバードなどなど。ギミックいっぱいのアレコレを作るのが楽しかった。

 いつのまにやら買わなくなっちゃいましたが、ときどき発作的にプラモが作りたくなり、でかいハーレーのオートバイとか、ドクター・スランプがはやってたころにはアラレちゃんのフィギュアとか。色も真剣に塗ったりして。数年前に初めてガンプラのHGを作ってみたのですが、これがまあ、関節が自由自在に動く動く。あまりの進歩にビックリしてしまいました。

 最近、トミーからトミテック・エアロアールシーという組み立て式のラジコンカーが発売されてることを知りまして、これがなんと、1000円という値段。お安いっ。

 ラジコンを操縦したこともなかったので、これはもう、ご近所のおもちゃ屋で買ってきました。トヨタのマークX。いやこれしか置いてなかったから。

 組み立て簡単です。対象年令8才以上です、1時間もかかりません。ただし、予想してましたが、ここ数年で急速に進行した老眼がつらい。小さい部品が見えにくいったらないです。マンガもねー、文庫が読みにくくて。とくにマンガ文庫の手書き文字があきません。わたしはかなりの近眼でメガネかけてるんですが、遠近両用メガネを本気で検討し始めました。

 できあがったラジコンカーは、ちゃんと走るんだ、これもびっくり。でも5分で飽きました。天気のいい日に何やってんだか。

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May 01, 2006

連休報告

 お天気がよろしいので、ちょっと遠出。愛媛県今治のタオル美術館というところでやってる、柳原良平展を見てきました。

 驚いたのは、柳原良平の原画の多くが、切り絵だったこと。スミマセン、知りませんでした。

 いやー、あのアンクル・トリスのシャープな線、というか色と色の境目は、カッター(あるいはハサミ)で色紙を切ったものだったんですね。こういう絵は楽しいなあ。あえて不自由な環境で描く。今ならコンピュータで簡単にできるのでしょうけど、それならかえって味がなくなりそうです。

 ショップで売ってたサントリークォータリー、サントリーのPR誌ですが、これも柳原良平が表紙を描いてたもの。2000年9月発売の64号に杉浦日向子と小泉武夫(もやしもんのモトネタの発酵のセンセ)の対談が載ってたので買ってきました。

 ちょっと得した気分。

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