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March 01, 2006

週刊連載の始まり「13号発進せよ」

 高野よしてる「13号発進せよ」は、以前にアップルBOXクリエートから復刻版が出てました。アップルBOXクリエート=なつ漫キングは、わいせつ図画販売目的所持で逮捕されちゃったらしいですが、あそこの復刻は続くのかしら。

 今回「13号発進せよ」が、マンガショップから上下巻で発売されてます。

 わたし、高野よしてる作品は有名な「赤ん坊帝国」も「木刀くん」も読んでません。「13号」も、マガジンの復刻などでちょっと読んだことがあるだけでしたから、今回がほとんど初体験。

 「赤ん坊帝国」は「少年画報」1952年6月号から1953年9月号までの連載。赤ん坊たちが高度な知能を持ち、地球の平和を守るというSFでした。奈良の大仏と鎌倉の大仏が動き出し殴りあうという、奇想天外な展開が有名です。

 のちに同じ「少年画報」で、泉ゆき雄の手でリメイクされ、1964年1月号から1965年12月号まで連載。わたしの記憶にあるのはこっちね。

 「木刀くん」のほうは「冒険王」1954年7月号から1959年1月号までの連載。連載開始時の「冒険王」は、福井英一「イガグリくん」の全盛期で、「木刀くん」はあまり期待されてなかったらしい。ところが福井英一の急逝で「イガグリくん」は1954年の8月号が絶筆となってしまいました。

 そこで編集部の大プッシュにより、1954年9月号から「木刀くん」が雑誌巻頭に踊り出てきます。「少年画報」でも福井英一が連載第1回だけ描いた「赤胴鈴之助」を、武内つなよしが引き継ぎ、「少年画報」対「冒険王」は、「赤胴」対「木刀くん」のタタカイとなりました。

 もちろん「赤胴鈴之助」は大ブームとなりましたが、「木刀くん」も4年半連載が続いたのですから、相当な人気マンガだったのでしょう。

 で、「木刀くん」の終了後、1959年春に創刊された「週刊少年マガジン」に、創刊号から連載されたのが「13号発進せよ」でした。1960年の20号まで続き、草創期のマガジンを背負ってた作品です。

 13号はハンディな操縦器でリモコン操縦される巨大ロボット。すでに鉄人28号が1956年から「少年」に連載開始されていましたから、ま、はっきり申し上げて、企画としてパチモン、エピゴーネンです。

 ただし、手塚タッチの横山光輝に比べて、高野よしてるの熱血マンガの絵柄で描かれるロボットもの、というのがこれがなかなか面白くて。

 高野よしてる、たいへん絵がうまい、というか構図がうまい。とくに扉絵みたいな大ゴマでよくわかるのですが、近景・遠景のパースをとった絵が多くて、これ、かっこいいわ。和風旅館の室内から見て向こうからせまってくる巨大ロボットなんて、なかなか描けるもんじゃありません。東京タワーの上にいるロボットを下からあおる構図とかね。言っちゃ悪いですが、鉄人よりよっぽど凝ってます。

 いっぽうで、デザインはへなへな。まず主人公の13号がなあ。昔の潜水服の頭と肩にツノつけた感じ。さらに敵キャラも脱力系です。うまい構図に古い絵とデザイン、というアンバランスがたまりません。

 13号は江戸川博士のモダーンな研究所で製造されたのですが、博士の住居はどうもその隣りに建ってるらしい。その家が純和風で、縁側がある、雨戸がある。畳にふとんで寝てるし、食事は畳に座ってちゃぶ台で。床の間の隣の床脇にテレビを置いたりしてて、いやー、アトムや鉄人ではまずお目にかからない光景です。

 このころ、サンデーでは手塚治虫が「スリル博士」を連載してました。手塚治虫によると、週刊誌創刊にあたり、サンデーからもマガジンからも仕事を依頼されたが、サンデーのほうが早かったと。同じような話を藤子不二雄Aも書いてます。マガジン、遅れてるぞ、あかんやん。このあたりからも、少年マガジンの創刊は、少年サンデーの後追いだったらしいことがうかがえます。創刊時のマガジンの連載陣についてはコチラをどうぞ。

 それまでマンガ週刊誌がなかったのですから、週刊連載がどれほど大変か、だれも知りませんでした。

 で、「スリル博士」ですが、これが大変でした。当時「少年サンデー」には、連載漫画が五つ──ぼくの「スリル博士」と、寺田ヒロオさんの「スポーツマン金太郎(八ページ)」、藤子不二雄さんの「海の王子(六ページ)」、益子かつみさんの「南蛮小天狗(六ページ)」、横山隆一さんの「宇宙少年トンダー(十二ページ)」です。「スリル博士」はなんと十五ページもあるのです。

 この十五ページを毎週かきつづけなきゃあならない。これは死ぬ思いでした。(講談社全集版「スリル博士」あとがき)

 量産作家の手塚治虫にしてから、このように書いてます。いかに過酷だったか。

 「13号発進せよ」は毎回10ページ前後だったようですが、連載中、少なくとも2回は別人の手で仕上げがされています。「冒険王」編集長だった阿久津信道によると、

 作者高野よしてるは、原稿を描き上げるのがおそいので有名だった。「木刀くん」の担当記者が、原稿を取るべく彼の家の庭で座禅を組み、居催促をしたというエピソードすらある。

 これで週刊連載は、きつかろう。遠藤汐「昭和ロボット漫画館」によると、高野よしてるも、「死ぬかと思った」と述懐していたそうです。

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Comments

コメントありがとうございます。パースのことがわかってるうえで崩す例としては、高野文子「黄色い本」で、幻想の人物が登場するとき、ひとつのコマ内で消失点をふたつ作ったという話を作者自身がしてました。そんなことまでやってたのか、とびっくりしましたが。

Posted by: 漫棚通信 | March 03, 2006 04:21 PM

>入門書。
みなもとさんがおっしゃるパースの「嘘」。
ほんと、魅力的な構図・背景を描くときに
自分で独特の工夫をすべきなんですよね。

いいとこ突いておられます。
実は、1日、マンガ講師の新学期打ち合わせ
で、学校側がある参考書を買わせたいと
1冊出してきたんですが~まさにキッチリ
正確なパースの勉強図。

ぼくは思わず不要だ~と発言してしまいました。作画担当講師が教えるんだし…。
この、独特な嘘・誇張表現こそ、学ぶべき
だとも話していたんです。

こうしたものが描けなくなっている原因の
ひとつに「言語理解力」の欠如もあると
ぼくはみています。
言語表現で抽象的表現ができない学生たち。
「詩の心」が全く分かっていない。
最近の国語教育こそが犯人ではないかと!
ただの直接表現の言語世界に生きている
のです。
アブストラクトに関心が非常に薄いですね。

Posted by: 長谷邦夫 | March 03, 2006 12:58 AM

コメントありがとうございます。13号を読んでていちばん惹かれたのは、華麗と言ってもいいくらいバリエーションのある構図です。普通にロングに引いてるようでも、必ず近景に何か配したり、強くパースをつけたり。確かにおっしゃるようにローアングルめだちますね。高野よしてるはすべての絵で奥行きを感じさせるように描いてるみたいで、背景の密度が相当高い。このあたり、鉄人28号で背景を簡単に斜線やベタで処理してるのが多いのと対照的でした。

Posted by: 漫棚通信 | March 02, 2006 09:49 PM

むかし一度、定規をあてて確認した事があるのですが、高野よしてる氏は製図的パースは
いっさい行わず、感性と勘だけで、一点通しの
奥行きや遠近、加藤泰カメラアングル風アオリ構図を描かれてまして「サスガだな」と思いましたですね。よくマンガ入門書で綿密なパース背景の描き方を載せてくれてますが、あまり感心しません。最近はそういう事に気付いた人も多々
いるらしく、あるテレビ番組でダ・ヴィンチの「最後の晩餐」やセザンヌの風景画、宮崎アニメ等におけるデッサンの嘘、強調、誇張表現が、絵画にとっていかに重要なことかを論じていました。マンガ家もパースは「武器の一つ」として使うのはいいのですが、「数学的遠近法」の奴隷にはなってほしくないですね。高野よしてる氏の「構図のうまさ、存在感」はそういう意味で良質的お手本の一つであろうと思います。

Posted by: みなもと太郎 | March 02, 2006 06:02 AM

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