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February 04, 2006

アニメの行く末

 昨日TVでやってた「風の谷のナウシカ」をぼーっと見ながら思ったこと。

■この世界では「風の谷のナウシカ」とか「ペジテのアステル」みたいに、住所→名前で呼びあうのが普通みたいだけど、これって白土三平世界に似てるよなあ。「夙のカムイ」とかね。日常生活で自分が名のることを考えたら、ちょっと恥ずかしい。

■かつて映画館で見たとき、休憩時間に安田成美のあのヘタな歌がエンドレスで流れてたのを思い出しました。「かぜのたにーのー、なうーしかー」 よくぞ、劇中で使用しなかったものです。

■ディズニーが、二次元アニメから撤退したうえにピクサーを合併しちゃったしというのは、すごいニュースだと思うのですが、アニメ方面ではどういうふうにとらえられてるんでしょうか。

 日本アニメは少なくとも数だけは隆盛を誇っているようですが、今後どうなるのやら。日本の得意な二次元アニメが生き残るには、と考えるに、進むべき道は「萌え」と「かわいい」しかないのじゃないかと。

 動くことでのアクションやギャグは3Dでもできる。でも「萌え」と「かわいい」は、もちろん3Dでも可能だとは思いますが、まだまだ二次元のほうに一日の長があるような気がします。

 いやね、最近、アメリカのポルノ映画の歴史を少し調べておりましたところ(理由は聞かないで)、あの大柄なおねーさんやおにーさんたちが、アーのフーの言うのとは対極にあるような、二次元美少女・美少年のエロ、これはきっと生き残るのじゃないか。なんてね、島本須美の声でしゃべるナウシカを見ながら思った次第。

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Comments

どこそこの誰それという名乗りは近代以前の社会では当たり前の風習ですよね。日本も明治維新で皆が名字を持つまでは「宮本村のたけぞう」とか「清水(港)の次郎長」です。
身分制社会では属地門地に由緒正しいという事が何よりの証。どこそこの誰それという名乗りは自己の正当性と身分の確かさを明かす何よりのしるしです。

アフリカで初対面同士の自己紹介は、お互いの直系尊属から始まり、親戚縁戚に至るまで名乗りあって、そのうちにどこかで血縁がつながっていたり、知り合いであることが判明して、ウェルカムになるのだと文化人類学の講義で聞きました。京大のフィールド・ワークでは後継の新参研究者はすべて最初に訪れた教授の「親族」として紹介されることでアフリカの村(そん)に迎え入れられるそうです。

考えてみると、ついこのあいだまで地球上に60億人も人類はいなかったんですよね。確か第二次大戦後で20億人くらい。海外SFに「20億の針」という題名がありました。いまでも中国・韓国の姓の種類・数は数千と驚くほど少ないです。

ナウシカの世界設定では、人類の版図は狭く、人口も少なく、生態系の優位種では無くなり、文明自体は近代以前まで戻っているのです。
機関銃はあっても無線や電話は無い。水素エンジンの飛行機(シップ)はあっても、レーダーが無い。基礎科学技術が失われているので過去の素材や技術をやりくりしている、そんな黄昏の世界。

Posted by: トロ~ロ | February 04, 2006 06:45 PM

今週放送の「まんが日本昔ばなし」『あさこ・ゆうこ』でも村の長老同士が「おめぇは下戸の~」「そういうおめぇは柿の下の~」と、ごく普通に名乗りあっています。私も電話などでは「どこどこ(地名)の○○です」と言ったりしてますし、恥ずかしいという感覚はむしろ新鮮ですね。…私が年寄りってことか(笑)。
なお、二次元アニメが生き残る道といえば、この「まんが日本昔ばなし」が30年前の再放送ということも、お忘れなく(PRでした)。

Posted by: 萬雅堂 | February 06, 2006 01:48 PM

2次元アニメは生き残りますよ。
パワーパフガールズとか見ていると「ああ、まだやり残していることが沢山あるんだなぁ」と思いますもん。

なんでハムタロウとかマイメロディであれが出来ないんだろう・・・マクラッケンがいるか、いないかだろうな・・・と思うと、日本アニメの最近のヒットが漫画原作という「1人の天才」が生み出した作品が多いことに思いが及び、希望が生まれますね。
日本にはこの手の分野の天才は沢山いるし、生み出す土壌もあるし、それが世に出れば、一挙に状況は変わるかも・・・と思うのです。

風の谷のナウシカも、あの原作を映画にしよう!と決めたのは英断だと思います。(あのままだと、名作にはなったでしょうけど・・・万人受けはしないでしょうねぇ。)
その手の冒険を許す土壌も日本にはまだあると思います。

Posted by: はたひら | February 07, 2006 12:27 AM

コメントありがとうございます。
わたしも、「熊本の一郎」みたいな言い方をするのは、親戚のとこに電話するときぐらいになっちゃいましたね。今は会社名→名前が多くなって、日本人の帰属するのが地域社会から会社になったことのあらわれでしょうか。
二次元アニメの将来につきましては、実は、よくわからんのですよ。もしかすると中国が大化けするかも。

Posted by: 漫棚通信 | February 07, 2006 07:59 PM

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