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February 14, 2006

スーパー・フィクションとスーパーアクション

 星野之宣の新刊「2001+5」は、単行本未収録の作品を集めたものですが、多くは双葉社「月刊スーパーアクション」に掲載されていました。とくに、「STARSHIP ADVENTURE Star Field」シリーズはスーパーアクション休刊にともなって未完となってたものです。

 1979年、双葉社から「Weekly 漫画アクション増刊 スーパー・フィクション」という増刊号が発売されました。「スーパー・フィクション」すなわち略して「SF」です。サイエンス・フィクションにひっかけたネーミング。

 SFがカッコよかった時代。スターウォーズの日本公開が1978年、スーパーマンとエイリアンが1979年。雑誌「日本版スターログ」の創刊が1978年。SFが社会的人気を獲得し、オタク(まだそんな言葉はなかった)にとって、SFは一般教養のひとつでした。そんな時代のマンガ雑誌。

 とか書いてますが、わたし、「スーパー・フィクション」の第1号を持ってません。実は買いのがしてまして、ウチにあるのは、「Weekly 漫画アクション増刊 スーパー・フィクション-2 恐怖怪奇編」1979年8/31号からです。続いて3号が「ショート・ピース12篇」1979年12/11号、4号は1980年4/19号と、不定期の季刊誌みたいに続いてゆきます。

 2号の目次を書いておきます。すべて読切。

・山上たつひこ「ファーブル新婚記」
・玄太郎「呪い人形」
・藤子不二雄(F)「神さまごっこ」
・諸星大二郎「ブラック・マジック・ウーマン」
・谷岡ヤスジ「お暑うございマスッ」
・花輪和一「怨焔」
・岩本久則「ムシムシ」
・二階堂正宏「サラリーマン」
・星野之宣「ホワイト・アウト」
・都筑道夫作のショートショート「薄雲の月」(イラスト/大友克洋)
・新田たつお「ウルトラ月光28号現わる」
・吾妻ひでお「ひでお童話集:のた魚/メリメリ木こり/やさしい少女」
・弘兼憲史「カンバセイション」
・いしいひさいち「死闘!!地底人対最底人!」

 この増刊のスーパー・フィクション、わたしの持ってる最後は12号、1982年11/9号まで。不定期刊行だったもので、13号は存在するかどうかは知りません。

 そして翌1983年、「月刊スーパーアクション」が創刊されます。1983年6月創刊号の表紙は板橋しゅうほう、表紙のコピーが「新漫画時代」。中綴じ256ページで定価250円でした。

 巻頭のピンナップは大友克洋の描く幻魔大戦。ちょうど角川でアニメ化進行中。連載マンガが以下のとおり。

・平野仁/狩撫麻礼「B」
・板橋しゅうほう「アイ・シティ」
・山上たつひこ「ごめん下さい」
・諸星大二郎「西遊妖猿伝」
・新田たつお「カッコ1/2」
・黒咲一人「やっさん」
・西岸良平「ミステリアン」

 読切が佐多みさき。ギャグにいしいひさいち、谷岡ヤスジなどなど。スーパー・フィクション時代よりおとなしく、もうひとつ思い切りが足らないかな。

 「月刊スーパーアクション」の版形が平綴じに変わったのが1984年10月号です。表紙のコピーは「SF・冒険・幻想!オール・オリジナル・コミック!」と変わってます。連載陣はこんなふうに。

・板橋しゅうほう「Hey! ギャモン」
・いしいひさいち「ドーナツ☆ボックス」
・星野之宣「2001夜物語」
・原律子「改訂版大日本帝国萬画」
・藤原カムイ「チョコレートパニック」
・諸星大二郎「西遊妖猿伝」
・吾妻ひでお「ときめきアリス」
・山上たつひこ「鉄筋トミー」
・西岸良平「ミステリアン」
・花輪和一「護法童子」

 読切に冬口たくみ、ギャグにいしいひさいち、谷岡ヤスジ、など。ラインナップが相当かたよってきました。売れてたかどうかは知りませんが、一本スジが通ってきてます。

 このころの連載で忘れちゃならないのが、竹熊健太郎の街角風俗のルポルタージュ/エッセイ「圖説遊街民族誌(モダーン・エイジ・コレクション)」です。この号では晴海の国際貿易センターで開かれてたころのコミケのルポ。

 この記事では、コミケに参加する人種は(1)ミーハー種、(2)真性マニア種、(3)コスプレ種に分けられてます。

ミーハー(♂):何かと金が要るためか、服装に全く気を使わない人が多い。全国のマンガ専門店や、同人誌を扱う店を基点として広く分布。専門的な略語をちりばめた文語口調で知識を競い合い、奪い合う。

ミーハー(♀):近年、華やかな服装をする人と地味の極まった人の差が大きくなったが、どちらも現実社会から同じくらい遠ざかっている。

真性マニア(♂):ほとんど男だけであると言ってもいい。わりに年齢が上なので、実体験を含めた形でのマンガの歴史に通じており、その事で一般のマニアの尊敬を集めていると信じて疑わない。

コスプレ(♂):自らの重量や暑さでかなり披露している事があるが、目立たないことには意味がないので、一応会場内をひととおり歩きまわり自分の苦労やテクニックを誇示する。

コスプレ(♀):♂の場合とは全くウラハラに、工夫や努力よりもむしろ本人の容姿で人気が決定してしまう。

 いや、20年以上たっても基本は変わりません。時代を超えた観察力ですな。

 オタクという言葉は1983年に発生しましたが、竹熊健太郎の1984年の文章中、「オタク」はまだ一般的な言葉にはなっておらず、今は懐かしくなった「マニア」が使用されてます。ただし、年表中に『漫画ブリッコ誌上に於て中森明夫「おたく批判」(マンガマニア批判)一部に反響』という記述があって、この言葉、批判・揶揄として当時からみんなが気にしてるコトバではあったのね。

 さて、健闘を続けたたスーパーアクションですが、1987年9月号で終刊となります。通巻52号。最終号には、全表紙や全作品リスト、作家からのお別れの言葉が並び、皆から惜しまれる、いい終りかただったようです。

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Comments

「スーパーアクション」! 懐かしいです。
これは藤原カムイから編集長の地引さんを紹介してもらい、そのまま仕事をすることになりました。その前に「ブリッコ」で仕事をしてましたが、これもカムイの紹介。「チョコレート・パニック」の第一話は僕がアシスタントもしてます。

若者風俗観察みたいなページは、単行本化の話もあったんですが、例によってズルズル怠けているうちに立ち消えに。単行本では、挿絵を花輪和一さんに頼んでいたんですが。取材で花輪さんと一緒に原宿を歩いたことを思い出します。

ご拝察の通り、「おたく」という言葉は当時まで一般的ではなかったので、マニアにしたわけです。まだコミケが晴海でやっていた頃ですね。

最終号のリスト制作やお別れ特集は僕がやりました。

Posted by: たけくま | February 15, 2006 11:27 PM

コメントありがとうございます。花輪和一のイラストによる街角ルポですか。すごい企画ですねー。彼が描くコミケとかプロレス会場とかは見てみたかった。刑務所シリーズで、図解とか得意なのがよくわかりましたし。

Posted by: 漫棚通信 | February 16, 2006 09:41 PM

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