「クーの世界」そして「夢の空地」
小田ひで次「夢の空地」を読み始めてみたところ、あら、この作品、2000年にアフタヌーンに連載された「クーの世界」の続編なのね。あとがきには、前作を読んでいなくても味わえる、と書いてありますが、そうもいかんでしょ。
というわけで、講談社「クーの世界」1・2巻を読んでみました。2000年の発行ですが、今でも普通に買えるみたいです。
この「クーの世界」が良かった。
主人公は中学生の麗寧(れねい、♀)。彼女は「つづき夢」を見るようになるのですが、そこは異様な怪物、動物、妖精の跋扈する世界。そこで彼女は死んだ兄にそっくりのクーと、幼なじみの亮太にそっくりのキョムに出会います。
「クーの世界」内のいろいろな奇想が面白く、さらにクーの世界に対する根源的な疑問が物語を押し進めるチカラとなります。この世界は何なのか。夢の世界か、死後の世界か。リアルなのか、妄想なのか。
(1)奇想と(2)世界の成り立ちの謎という、異世界モノの王道を踏襲した作品でもあり、これに(3)少女の不安定な心をからませて、いや、よくできてます。
で、「夢の空地」であります。
タイトルは「クー」→「くう」→「空」→「空地」という仕掛けで、「クーの世界」の直接の続編になります。
前作のあとを受けて、中学二年の麗寧はクーの世界で三度目の冒険に出ますが、この話は回想として少し語られるだけ。そして現在、彼女は22歳、画家のタマゴになってます。彼女は現実世界でクーやキョムの姿を目撃し、自分が狂ったのじゃないかと恐れる。
さあこれがわからない。
前作でクーの世界とは何だったのか。最初の1巻では夢の世界であるとオチがつきます。言ってみればアリスの不思議な国や鏡の国みたいなもの。しかしエピローグとして、夢の世界の住人たちが現実世界を訪問するというエピソードがおまけにあり、さらに現実世界の亮太とキョムは同一人物かもしれないと匂わせる。つまり夢やら現実やら、どっちでも取れるように読者を迷わせる終わり方をしていました。
2巻になると、クーの世界に住む人々は、みんな現実世界の死を経験していることがわかります。つまり、そこはあの世であると。
しかもこの巻では、同級生の伽弥と麗寧の祖母もクーの世界を訪れており、やっぱり夢やら現実やらわからないような終わり方をさせていました。物語内では、麗寧はクーの世界を自分の妄想の産物とは考えていなかったはずなのです。
ところが「夢の空地」のオープニングで、麗寧はクーの世界をこのように説明しちゃいます。「クーの世界は死にきれなかった人々の集う…… いや……死んだ人を思い切れない私自身が作った幻想の世界……」
1・2巻をかけて積み上げた話をあっさり幻想にしちゃった主人公。あれれ、と思いながら読み進んでると、現実世界でクーやキョムの姿を目撃した彼女は、「気が狂うって…… こういうことなのか……?!」
「夢の空地」では、麗寧はクーの世界に行くことなく、逆に現実世界がクーの世界に侵食されます。これは一般的にはいわゆる狂気、あるいはホラーの表現です。しかし、「クーの世界」を読んできた読者にとって、クーの世界の住人たちは、血肉をもった愛すべきキャラクターとなっています。彼らが登場すれば、読者は喜んで迎えるでしょう。そんな中で、彼らを拒否してるのは主人公だけ。
いかに中学生からオトナになってるからといって、麗寧の思考の流れは、納得いかんっ。彼女にとって「クーの世界」1・2巻での冒険は、さらに「夢の空地」冒頭での冒険は、あっさり幻想でしたとかたづけちゃっていいものなのか。幻想だと思ってた自分の考えのほうを間違ってたとは思わないものかしら。
というわけで、この作品を読んでる間ずっと、麗寧が自身の狂気を恐れる描写に、まったく共感できないままでした。登場人物の思考のこんなところに引っかかった読み方するのは、わたしだけなのかなあ。良い作品の続編、かつ左綴じで世界進出をめざした作品なのに、残念。
あとひとつ、「夢の空地」には、クーの世界にいるのは死んだ人間ばかり、という設定に合わせるため、「キョムは亮太の双子の兄で、幼いころに殺された」という話が突然出てきます。ハラホロヒレハレ、白土三平かーい、とおもわずツッコミをいれてしまいました。
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