グレムリンの誕生
マンガの話じゃありません。
グレムリンと言えば、ジョー・ダンテの狂騒的な映画「グレムリン」(1984年)がよく知られてます。この映画、クリスマス映画でもありましたから、オープニングからフィル・スペクター/ダーレン・ラヴの「クリスマス/ベイビー・プリーズ・カム・ホーム」が流れて楽しい気分が盛り上がるんですよねー。
あの映画で描かれたモグワイは毛むくじゃらのカワイイ怪物。どうも中国出身らしい。飼ってる人間がタブーを犯すとモグワイが凶悪な子供グレムリンを生み出すという設定で、本来のグレムリンとは別物です。
じゃもともと、グレムリンとはどんなヤツだったのでしょう。
辞書などによるとグレムリン「gremlin」は「飛行機に故障を起こさせると言われる小鬼」であり、「もっとも新参の妖精。第二次世界大戦中の原因不明の飛行機事故は、すべてそのせいにされた」。
ジョー・ダンテも参加してたスピルバーグ製作のオムニバス映画「トワイライトゾーン」(1983年)の中の一作、ジョージ・ミラー監督の第4話「2万フィートの戦慄」に出てくるヤツがそれです。
嵐の夜のフライト、旅客機に乗った神経症のジョン・リスゴーが窓から外を見ると、翼の上で小さな怪物が飛び跳ね、エンジンを壊そうとしている。驚いて皆に訴えても誰も信用してくれない。この怖ーい怪物がグレムリンでした。
この作品は、1963年にアメリカで放映されたTVシリーズ「トワイライトゾーン」(日本での放映時タイトル「未知の世界」「ミステリーゾーン」)のエピソード「Nightmare at 20,000 Feet」のリメイクで、オリジナルは脚本がリチャード・マシスン、監督リチャード・ドナー、出演はカーク船長ことウィリアム・シャトナー。コレがTV版のシャトナーとグレムリン。ご存じのダンテ版とはずいぶん違うでしょ。
一般の日本人は飛行機を落とすこの小鬼グレムリンの存在を、TV「ミステリーゾーン」、あるいはそのリメイクである映画版「トワイライトゾーン」で知ったのです。もちろんわたしは後者ね。
最近、グレムリンについての文章をふたつ、連続して読みました。それぞれで、この新しい妖怪であるグレムリンの故事来歴についての説明があります。
ひとつは、町山智浩「<映画の見方>がわかる本 80年代アメリカ映画カルト・ムービー篇 ブレードランナーの未来世紀」(ああタイトル長い)。前作「<映画の見方>がわかる本 『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで」に続いて、完成した映画を眺めてるだけじゃわからないウラの事情を教えてくれる名著であります。
この本の第2章にとりあげられてるのが映画「グレムリン」。
もともとグレムリンというのは第二次世界大戦中の飛行機乗りたちの言い伝えで、パイロットたちは飛行中に原因不明の故障が起こるとグレムリンという緑の子鬼の仕業だと考えた。『チョコレート工場の秘密』の作者ロアルド・ダールは英国軍のパイロットだった頃にグレムリンのことを知り、それを子ども向けの話として書き上げてディズニーの出版社から絵本として発売した。この本はディズニーでウォータイム・カートゥーン(第二次大戦中の戦意高揚アニメ)になる予定だったが、結局ディズニーは製作せず、企画は『メリー・メロディーズ』のアニメーター、ロバート・クランペットに譲り渡された。
『メリー・メロディーズ』はワーナー・ブラザースのアニメ『ルーニー・テューンズ』の別シリーズです。ワーナーは、バックス・バニーの乗る爆撃機をグレムリンが墜落させるアニメ「Falling Hare」(「墜落する野ウサギ」=「バックス・バニー対グレムリン」=「バニーの急降下」、1943年)を製作。リンク先の絵を見ていただくとわかりますが、後年のグレムリンよりかなり小さくて、カワイイ感じ。
続いてロシアを攻撃するナチスの爆撃機をグレムリンが落としちゃう「Russian Rhapsody」(「クレムリンから来たグレムリン」=「クレムリンのグレムリン」、1944年)も製作されました。
町山智浩の著書では、グレムリンの起源は、まず戦争中にグレムリンの伝説が自然発生し、ダールがそれを小説に書いたとされています。伝承説ですね。実は、グレムリンについての解説の多くがこの立場を取っています。「product of folklore」であると書いてある。
もひとつは、荒俣宏のブログ「荒俣宏のオークション博物誌 グレムリンの謎 お年玉ブログ」です(ムチャ重いサイトですが)。さすが荒俣先生、こんなものにまで手を出されてましたか、いっぱいのグレムリン・コレクションが見られます(画像が開くまでやたら時間がかかりますが)。
ここでは、以下のものが紹介されています。
(1)「コスモポリタン」1942年12月号に「グレムリン」という短篇が掲載される。作者は「ペガソス」というペンネーム。
(2)1943年ディズニー絵本「グレムリン」発行。ストーリーは(1)と同じ。作はロアルド・ダール、絵はディズニーのトップ・アニメーター、ビル・ジャスティスであろうと推測されてます。
(3)「ウォー・ヒーローズ」1943年4−6月号にも、ほぼ同じストーリーのマンガが掲載される。
(4)グレムリンのキャラを利用したジグソーパズルやコマーシャルの存在:ミント菓子、ガソリン会社、石油会社エッソ。
(5)その他、ディズニーと無関係の絵本:「グレムリン・アメリカヌス」(エリック・スローン著、1942年←これがちょっと謎なのですが)、「グレムリンのいたずら」(ジュディー・バーガ著、1943年)。
荒俣宏が、コスモポリタン版「グレムリン」のストーリー要約をしてくれています。
ドーヴァー海峡の上でドイツ軍と戦うイギリス空軍兵士が、ある日飛行中に戦闘機の故障にみまわれる。見ると、翼にたくさんのちいさな妖精が乗っていて、錐で穴をあけたり、計器を狂わせたり、妨害をしている。飛行機は不時着せざるをえなくなった。パイロットは地上でも犯人の妖精と遭遇し、戦闘機にいたずらをしたわけを訊くと、古くから森で平和に暮らしてきたグレムリンが文明や戦争のおかげで暮らせなくなり、人間に復讐しにきたのだと判った。驚いた兵士は、悪いのはドイツだと説明し、グレムリンとともに地球の平和をとりもどすためドイツ軍追討にでかける・・・・・・
荒俣宏は、ロアルド・ダールが、(1)飛行中の故障事故という自分の体験を活かして、ひとつのファンタジーを思いつき、(2)空軍内に噂をひろめて、(3)仕上げにディズニーの力を借りた、という説を展開しています。つまり、グレムリンの起源は、ダールの創作であるという説です。
ネットでロアルド・ダール関連のサイトを見てみますと。ロアルド・ダールの公式サイトやファンサイトなどがあります。これらによるダールの略歴を読むと、コスモポリタン誌に「グレムリン」を書いたのは確かに彼でした。
さらにアメリカ版Wikipediaのグレムリンの項によりますと、ダールとディズニーの関係が日時つきでこまかく書かれてますが、基本的には町山智浩の著書と同じで、第二次大戦中の英国空軍の伝承説です。
ただし、「gremlin」の語源は、英語古語の「grëmian」であるといった冗談みたいな記述もあって、どこまで本気で書かれた文章なのかアヤシイ部分もあります。
それでは、ディズニー絵本版「グレムリン」を読んでみましょう。荒俣宏が三冊も持っていると自慢してるこの本ですが(ダール自身も一冊しか持ってなかった)、本年2006年にはダークホース・コミックスから復刻されるそうです。しかしそれを待たなくとも、ダールのファンサイトで全ページを読むことができます。いやー、インターネット時代はありがたい。
・主人公は英国空軍のパイロット、ガス。ドーバー上空でドイツ軍のユンカースと空戦中、自機の翼の上に身長6インチのこびとがいるのを目撃します。そのこびとは両手でドリルを持って(!)、翼に穴を開けていました。
・墜落をまぬがれたガスは、機体を調べた軍曹にこう言います。「それは銃痕じゃない。グレムリンがやったんだ」 このとき、新しい言葉が誕生しました。
・この新しい言葉はまたたく間にヨーロッパ、アフリカ、アジアの英国空軍に広まり、とても有名な言葉になりました。
というわけで、このお話では、グレムリンという言葉を作ったのは物語の主人公、ガスであります。なぜこびと一族の名がグレムリンなのか、さすがにこれは子ども向けの絵本ですから説明はありません。
その後ガスが友人と酒を飲んでいると、グレムリンが現れます。こんなヤツね。イチゴのような鼻と短いツノが特徴。メスはフィフィネラと呼ばれ、こんな感じで色っぽいったらない。彼らの食べ物は使用済み郵便切手で、とくに大西洋横断特別配達航空郵便のスタンプが大好物。彼らは自然破壊で自分たちの生活がおびやかされていると訴えます。ガスはグレムリン・トレーニング・スクールを作って彼らを教育し、グレムリンと共生しようとします。
そもそも1942年1月にロアルド・ダールがワシントンに赴任したのも、その前年12月に日本の真珠湾攻撃によって、アメリカが参戦したからでした。グレムリンと戦争は切り離せないものです。この能天気で楽しそうに思える物語も、そもそもは戦争プロパガンダとして誕生したのです。
グレムリンという妖精が誕生したときが戦争中、舞台が空軍。彼らが飛行機を墜落させるのは困るけれど、味方にすれば心強い。戦争プロパガンダ作品のための原作を探していたディズニーにとって、グレムリンは魅力的な素材に思えたのでしょう。挿絵画家=アニメーターによってグレムリンたちはかわいく造形されました。実際にアニメ化が計画されましたし、「キャラ」として広告にも展開されました。参戦したばかりのアメリカが、グレムリンというキャラを必要としていたのです。
最後に、ロアルド・ダール自身の証言を。彼は「少年」「単独飛行」という二つの自伝を書いていますが、これは少年時代から1941年まで。「一休み」というエッセイ(「ヘンリー・シュガーのわくわくする話」に収録)で、作家になった当時のことを回想しています。
1942年1月ダールがワシントンの英国大使館に到着します。このとき26歳。着任して3日後、C・S・フォレスターが訪ねてきます。かのホーンブロワー・シリーズの作者は、ダールが空中戦の経験者であることを知り、サタデイ・イブニング・ポスト誌への「戦争」モノの物語を依頼するために来たのでした。
ダールはこの依頼に応じて作家としての第一歩を踏み出しました。
このころ、わたしは子どものための物語も一つやってみた。それは「グレムリン一族」、わたしの創作によるもので、「グレムリン」ということばは、わたしが始めて(ママ)使ったものだ。わたしの物語では、グレムリン一族は英空軍の戦闘機や爆撃機を住いにしている小人で、敵ではないが、戦闘中に受ける銃弾の痕、エンジンの炎上、衝突事故などは、すべてこの小人たちの責任だ。グレムリンたちにはフィフィネェラという妻たちと、ウィジェットという子どもたちがいる。この物語自体は明らかに未熟な作家の手になったものだということが歴然としていたが、この物語をアニメ映画にするつもりになったウォルト・ディズニーが買ってくれた。しかし、最初は、ディズニーの色つき挿画をつけて、(1942年12月)「コズモポリタン誌」に掲載された。グレムリン一族の物語は英空軍や、米空軍の間に急速にひろがって、何か一つの伝説のようになってしまった。(ロアルド・ダール「一休み」、小野章訳)
この後、ダールは休暇をとってハリウッドに飛び、ぜいたくなホテルに泊まってアニメーションのための脚本を書きました。またディズニーから絵本も出版されましたが、結局アニメ化はされず。ただし、大統領夫人エリノア・ルーズベルトがこの話を気に入り、ダールはルーズベルト大統領にたびたび招待されるというオマケがつきます。
この文章でダールは、グレムリンが自分の創作で、英空軍に広まったのは作品が発表されてからであると、明確に述べています。というわけで、ダール自身の言葉を信用するなら、グレムリンはダールの創作ということになります。これで決まりでしょう。
実は、このダールの文章の存在は、1987年刊の森卓也「シネマ博物誌」収録の「妖精伝」ですでに紹介されていました。グレムリンという言葉が何なのか、さっぱりわからない時代にバックス・バニーに登場するグレムリンを見て、グレムリンの正体を探索していく尊敬すべきエッセイです。
森卓也の「妖精伝」のラストには、なぜグレムリンがディズニーでなくワーナーでアニメ化されたかについても書いてあります。「ファニーワールド」誌17号によると、
タイトル登録委員会とディズニー・スタジオとが、ウォルトの兄ロイ・ディズニー言うところの「技術的な理由」から対立していたため、グレムリンを、ワーナー、MGM、ユニヴァーサル、コロムビア(当時デーヴ・フライシャーがいた)の各社が狙っていたらしい。で、ディズニーのグレムリン・プロジェクトが動き始め、ロイが各社へ申し入れたときには、すでにワーナーのR・クランペットが、グレムリン物の短篇を、二本作ってしまっていた──というのだ。
けっして友好的な権利の譲渡じゃなくて、生き馬の目を抜く世界だったようです。
Comments
ベトナム戦争時の米軍の「キャッチ22」とか、映画「プライベート・ライアン」でGI達が口癖のように言っていた「フーバー」とか、最前線の兵士にとっては、戦争は不可解で不合理な事柄の連続なのですね。小人のグレムリンには、まだ可愛げがありますね。
Posted by: トロ~ロ | January 28, 2006 10:26 AM
世界大戦という悲惨な現実のなかでも、そんな「あそびごころ」と「ユーモア」を失わない英国人らしい悠然たるところは学ぶべきかもしれません。
Posted by: トロ~ロ | January 27, 2006 06:16 PM
アチラの航空会社では最近まで、よくわからん故障があると、グレムリンのせいだ、なんて言ってたらしいですよ。まして大戦中には、めったやたらと故障してたはずだから、悪意のある小人グレムリンを創造したダールはさすがですね。
Posted by: 漫棚通信 | January 27, 2006 04:09 PM
成程、RAFパイロットに広まった伝説の発祥は実はロアルド・ダール氏であったのか。
>銃弾の痕、エンジンの炎上、衝突事故などは、すべてこの小人たちの責任
ナチやクラウツの弾なんぞ当たらんという訳か。
頑固で理屈屋で石頭で負けず嫌いのジョン・ブルらしい言い訳だ。
朝鮮戦争の頃、英軍砲兵隊の支援砲撃が突然止んだので、他国の味方が野戦電話で催促したところ「いまはお茶の時間だ」と返事があったというエピソードも「英国人はそんなにお茶の時間が大事なのか」と言われているが、ホントのところは弾切れか故障があったんだろうな。
Posted by: トロ~ロ | January 26, 2006 03:19 PM