どぎゃんもゴーギャンもならんばい
↑えー、年に3回ぐらいしか駄洒落は言わないんですが、一応お正月ですので。
今回は以下の続きです。
・お手上げの記:忍者武芸帳とトリアッティ
・あとちょっとだけトリアッティ
・しつこくトリアッティ(その1)、(その2)
上記のエントリで、白土三平「忍者武芸帳」の有名な言葉、「われらは遠くからきた。そして、遠くまでいくのだ………」の出典についていろいろと探ってきました。
今回、夏目房之介先生からコメントいただきました。ありがとうございます。白土三平自身によると、忍者武芸帳のアノ言葉、トリアッティからじゃなくて、ゴーギャンの作品のタイトルを修正した創作であると。ブログにも書かれてます。
シェー。驚いたざんす。
作者の言うことはくれぐれも信じるべからず、というのを常々肝に銘じているのですが、今回は信頼性高そう。だいたい、白土三平の口から、ゴーギャンのアレ、というのがすらっと出てくるというのがスゴイじゃないですか。これで決まりなのか。
話題になってるゴーギャンの作品とは、この絵です。絵の右上には署名、左上にタイトルが書き込んでありまして、
・D'où venons-nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?
英語に訳すと
・Where Do We come from? What Are We? Where Are We Going?
となるらしい。日本語では決まった訳がなくて、以下のようにいろいろに訳されます。
・われわれは何処から来たのか、われわれは何者か、われわれは何処にいくのか
・われらいずこより来るや、われら何なるや、われらいずこに行くや
・われら何処より来たりしや、われら何者なるや、われら何処に去らんとするや
・われらいずこより来るや、われら何なるや、われらいずこへ到るや
一人称複数を一人称単数と言い換えての以下の訳も。
・我いずこより来たるや、我何者なるや、我いずこへ行かんとするや
1897年、タヒチ滞在中のゴーギャンは、娘の死、財政困難、健康の悪化などが重なり、自殺願望に取り付かれます。死の前の畢生の大作として描かれたのがこの作品でした。絵の完成直後(と本人は語ってますが、ホントはまだ製作中だったらしい)、彼はヒ素をあおって自殺を図りますが目的をはたせませんでした。
この作品は縦1.7m、横4.5mの大作です。右下には赤ん坊、左下には老婆が描かれ、絵巻物のように右から左に見ていくのが正しいらしい。ゴーギャンが友人に書いた手紙によると、
ローマ賞の試験を受ける美術学校の学生に、<われわれは何処から来たのか? われわれは何か? われわれは何処へ行くのか?>という題の絵を描きなさいと言ったら、彼等はどうするだろうか? 福音書に比べてもいいこのテーマで、私は哲学的な作品を描いた。これはいい作品だと私は思っている。(1898年2月、『ゴーギャンの手紙』東珠樹訳)
本人が語っているように、この作品は、自殺の前に遺書として描かれた宗教的哲学的問題意識を表明したものでした。別の手紙では絵の寓意を自ら説明しています。
この大作では、
われわれは何処へ行くか?
死にかけた一人の老婆のために、
一羽の奇妙な、愚かな鳥が問いかけた、
われわれは何か?
その日暮らしの存在、本能的な人間は
これらすべてが何を意味するか訝る、
われわれは何処から来たのか?
泉、
幼児、
共同生活、鳥は、この偉大な詩の中で絶えず劣等なものと知的なものとを比較する、これは、大体において、その表題に明示されている問題なのだ。
一本の樹の陰にいる陰気な二人の人物は、淋しい色の着物で身をつつみ、智恵の樹に近く、その智恵のために生じた苦痛を記録している。しかし、未開の自然における単純な存在に比べれば、これは、何人にも生きる喜びを与える、楽園の人間的な理想であるかもしれない。(1901年7月)
けっして楽園のスバラシサを描いた絵ではなく、むしろペシミスティックな絵であるとも言えます。
白土三平は、このゴーギャンの問いかけに対して、影丸に「われらは遠くからきた。そして、遠くまでいくのだ………」と答えさせました。
哲学的宗教的にヒトの在り方を問うゴーギャンにに対し、影丸は社会的存在のヒトとして答えている。さらに、哲学的な存在である「われわれ」は、影丸の言葉の中で、左翼運動的連帯の言葉としての「われら」に変化してしまいました。うーん、これが問答だとするなら、かみあってないなあ。
もしかすると、影丸の言葉は、哲学的な意味だったのか。ただ、そう考えるのは相当無理があるように思えます。
これまで、「遠くから」「遠くまで」という言葉は、
(1)1954年、吉本隆明の詩。「とほくまでゆくのだ」
(2)1956年、羽仁五郎がトリアッティの言葉を引用したエピグラフ。
(3)1962年、白土三平「忍者武芸帳」の影丸。
がわかっていましたが、今回さらに、くんせい氏のコメントで、
(4)1961年、福田善之の戯曲「遠くまで行くんだ」
の存在を教えていただきました。ありがとうございます。福田善之の作品は、映画「真田風雲録」しか知らないのですが、「遠くまで行くんだ」もあんな感じなのかしら。
1960年安保前後、同時多発的に「遠くまで行く」が出現していたことになります。影丸はむしろ最後発に近い。白土三平が、ゴーギャンの問いに対して、どのような意味をこめて影丸に語らせたとしても、読者は「遠くまで」を左翼的連帯の言葉以外には読めなかったでしょう。
今回、作者・白土三平自身が出典を語ったということで、オチがつきました。ゴーギャンから影丸への変換は、愕然としました。この二人の距離は遠いよー。これを結びつけるのが作家の腕なのか。さらにゴーギャンにまで興味を持つ視野の広さもスゴイ。
ただし、だったら先行する「遠くまで」たちの立場はどうなんだ、という疑問は残っちゃうんですけどね。
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Comments
「夢の空地」はアマゾンのショッピングカートに入れたまま、買うかどうするか迷ってました。背中押されちゃったので買ってみます。
Posted by: 漫棚通信 | January 13, 2006 08:50 PM
これまでに書かれたものの流れからズレ
ますが、新作のマンガ作品の中に
ゴーギャンの同じフレーズが引用されて
いるのを発見しました。
『夢の空地』(小田ひで次・飛鳥新社)
世界6カ国同時発売マンガシリーズ~
なる本です。
その左開き編集・日本版の31ページ
最下段に人物のセリフで書かれ
ゴーギャンの絵の1部も描かれて
います。
ファンタジー系のマンガですね。
アマゾンで中身を見ずに購入した
本でした。ご参考まで。
Posted by: 長谷邦夫 | January 12, 2006 07:37 PM
ゴーギャンが出てくるとは驚きました。
楽しいひとときをありがとうございます。
参考までにこういうものも調べるかな、と思っていたものをあげておきます。
コナン・ドイルの「The Man from Archangel」という作品を、1901年に英語学習用の参考書として日本語訳と単語の解説をつけ「荒磯」という邦訳で刊行された本があります。
そのラストで訳者の山縣五十雄はこのような邦訳をしています。
>I think of the strange couple who came from afar, and broke for a little space the dull tenor of my sombre life.
>余は忽然遠くより来りて忽然遠くに去り、暫時の間我暗澹たる生活の単調を破りたる奇しき二人の事を憶ひ起すことあるなり。
(清末小説研究会HPよりhttp://www.biwa.ne.jp/~tarumoto/arch.html)
関係ないハナシですが、「金色夜叉」の原作が発見された云々というのは記憶にありましたが、上記HPで紅葉がドイルのこの作品を訳述していることは初めて知りました。
Posted by: 入江 | January 10, 2006 12:34 PM
>同時多発的にあちこちで使用され、しかもその時代のひとの心に残っている
そういうことだと思います。作家の意識に言葉がのぼる以前に、時代の共有する気分と言葉の志向性があって、どこかで聴いていたり、読んでいたりする中で、直接にはゴーギャンなり何かのきっかけで作品に表出されるってことはじゅうぶんありうるので、原典さぐりはあくまでその言葉の時代的環境を前提にすべきだと思いますですね。
Posted by: 夏目房之介 | January 09, 2006 11:02 PM
コメントありがとうございます。
「遠くまで」というこの言葉、最初は誰が言ったにせよ、同時多発的にあちこちで使用され、しかもその時代のひとの心に残っているわけです。コトバはチカラを持ってるものだなあと考えさせられました。
Posted by: 漫棚通信 | January 09, 2006 08:39 PM
たしかにゴーギャンの問い掛けに対する答えという意味の創作、と言われれば納得するのだけれども…、先行する羽仁五郎氏の著作の前書は影丸の言葉ほぼそのままですからねー。
白土氏はトリアッティのそれがゴーギャンからのものである(?)と知っていた、それ故記憶を再構築してしまった。という気がするのですが。。 さてさて。
Posted by: くもり | January 09, 2006 02:46 AM
画家岡本唐貴の息子である白土先生にとって、ゴーギャンはけして遠い存在ではなくむしろ近しいものだったのではないでしょうか?
Posted by: 流転 | January 08, 2006 10:17 PM