小熊秀雄の勇士イリヤ
1985年に講談社から「イリヤ・ムウロメツ」という本が発売されました。作は筒井康隆、挿絵が手塚治虫。ロシアの伝説、民話に登場する英雄・イリヤの物語。手塚治虫の挿画は、装飾的な額のような縁取りの中に描かれ、これはロシアのイワン・ビリービンのイラストを参考にしたものでした。
それはともかく、この作品が出版された1985年当時、題材となったイリヤ・ムウロメツが有名だったかというと、そんなことはありません。ロシアでは国民的英雄らしいのですが、日本じゃそれ誰?ってなもんで、知ってる人はあまりいない。むっちゃオモシロイというようなお話でもないですし、なぜ、筒井と手塚がこれを作品にしたのかがよくわかんなかった。
ただ、巻末に参考資料がいろいろと挙げられているのですが、そのなかに、『謝花凡太郎「勇士イリヤ」(中村書店・昭和十七年)』というのがありまして、ははあ、これか。
謝花凡太郎は戦前に活躍したマンガ家。中村書店は、ナカムラ・マンガ・ライブラリーのシリーズを刊行しており、手塚治虫は、このシリーズをほとんど持っていたらしい。おそらく手塚治虫も筒井康隆も、当時から「勇士イリヤ」を読んでおり、イリヤは彼らにとっておなじみのキャラクターだったのでしょう。
で、そのマンガ「勇士イリヤ」が復刻されています。「小熊秀雄漫画傑作集(1) 不思議な国インドの旅・勇士イリヤ」のタイトル。「不思議な国インドの旅」の絵は渡辺加三、「勇士イリヤ」が謝花凡太郎、ともに作は小熊秀雄です。
小熊秀雄はプロレタリア詩人として有名ですが、「旭太郎」の名でマンガ原作を書いています。大城のぼるの名作「火星探検」の原作が、旭太郎こと小熊秀雄でした。
大塚英志『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』によると、小熊秀雄は昭和7年に検挙された後、昭和9年ごろ転向し、内務省のつてで中村書店に紹介されたと。
大塚英志も引用している、小熊秀雄の未発表論文「子供漫画論」が今回の復刻本に収録されています。大塚によると、この文章は昭和15年ごろに書かれたらしい。
内務省、及び文部省が手をつけた子供読物浄化運動は、一昨年の夏頃からで、その年の秋は取締りの酷烈なクライマックスに達した、昨年に入っても当局の出版業者に対する、警告、発禁、の連続的処置や、出版前内閲の手厳しさは、業者にとっては全く出版の自由を失うものであった。(略)
取締を強化しない以前に発行したものは、内容が悪くて、再販して発行するということは不可能な状態にある、当局もまた再販ものを喜ばないのである、出版業者は従来の既刊物を自発的絶版にしてしまうより仕方がない、或る出版業者の話であるが、この業者は七十種類ほど漫画を刊行していたが、現在その大部分を自発的絶版にして、今は手持漫画は数種よりないという、
それまでほとんど放置されていた赤本マンガへの統制は、このころ相当きびしいもののなっていたようです。マンガ壊滅状態はもうすぐ、みたいな感じですね。内務省からの紹介で中村書店に来た小熊秀雄は、「転向左翼」として、マンガの原作者の立場から「卑俗」なマンガに対して指導をおこないます。
その小熊を、大城のぼるはどう見ていたか。松本零士・日高敏「漫画大博物館」より、大城のぼるのインタビュー。
私ははじめ、小熊さんには非常に憤慨したんですよ。とにかく、眼中に人なしという態度でしたからね。我々、漫画家を集めましてね。軍隊調の口調でしたよ。小熊さんは、中村書店の編集長として入ってきたわけです。
小熊は軍隊調の口調で何を言ったのでしょう。「子供漫画論」と同じように、俗悪なマンガはやめて教育的なものを描こう、てなことをしゃべってたのかしら。
その小熊秀雄が原作や編集を担当した中村書店のマンガは、以下のものなど。
・火星探検:大城のぼる:昭和15年5月
・漫画のお角力:短編集:昭和15年6月
・漫画ノ學校:短編集:昭和15年6月
・コドモ新聞社:渡辺太刀雄:昭和15年11月
・不思議な国インドの旅:渡辺加三:昭和16年7月
・勇士イリヤ:謝花凡太郎:昭和17年1月
今回の復刻で読める「不思議な国インドの旅」は、ハゲ頭のおじさんと、一郎くん次郎くんの兄弟がインドを旅行するお話。正確でこまかい描写が驚異的で、いかにも「教育的」です。しかも、インドは英国の植民地であるから、天然の産物を「英国が持って行ってしまうので印度人は大変困っているのだよ」「ガンジーという人など昔から印度は印度人が治めるのだと一生懸命に叫んでいるのだけど駄目なのさ」などのセリフも見られます。
「勇者イリヤ」のほうは、あまりに筒井康隆「イリヤ・ムウロメツ」とそっくりなのに驚きました。同じ伝説をもとにしてるからアタリマエではありますが。イリヤはひたすら尽忠報国の士、これも時代を反映してる。妖怪や巨人の登場するファンタジーでもありますから、筒井・手塚のお気に入りになったのかも。
ただし、マンガの「イリヤ」が終わったあとも筒井版は続いていまして、そこでイリヤは、君主から宴会に呼ばれなかったことに怒ってあわやクーデター、とか、若き日の過ちでできた息子と戦って殺しちゃう、なんて、ちょっとどうかと思われる活躍もしていますけど、民話や伝説には文句言えませんし。
いずれにしても、小熊秀雄の「教育的」指導のおかげで、戦時中のマンガは少しだけ生き延びることができたのかもしれません。
小熊秀雄は、昭和15(1940)年、肺結核で亡くなりました。享年39歳。「不思議な国インドの旅」も「勇士イリヤ」も、没後に刊行されたものです。
Comments
コメントありがとうございます。おお、新井苑子。オズも良かったけど、ハヤカワのヴォネガットは彼女でしたよね。わたしは「ホーカ」シリーズが忘れられない。イリヤは手塚より新井苑子で読んでみたかったかな。
Posted by: 漫棚通信 | January 14, 2006 11:02 PM
『イリヤ・ムウロメツ』の初出は、たしかショートショート専門誌『ショートショートランド』での連載で、このときの挿絵は手塚治虫じゃなかったような記憶があります。新井苑子じゃなかったかなあ……なので、これは手塚じゃなくて筒井康隆のチョイスだと思います。
当時ショートショート専門誌で『イリヤ・ムウロメツ』というタイトルで筒井が連載ということで、言語遊戯系の作品かドぎついパロディを期待して読んだらロシア民話のまともな翻案だったので肩透かしを喰らった気になり、妙に印象に残ったのを覚えています。
特におもしろくもなかったので「アレはなんだったんだろう」と思ってたんですが、なるほどそういう背景があったんですか。
Posted by: boxman | January 14, 2006 06:40 AM