小山春夫の林崎甚助
夏目房之介「マンガは今どうなっておるのか?」は、「マンガ研究は今どうなっておるのか?」ともいうべき本でありました。
『マンガの「うまいヘタ」、評価基準の厄介な問題』は、前作「マンガ学への挑戦」の補遺ですし、巻末の「『PLUTO』と『アトム』、浦沢直樹試論」は、伊藤剛「テヅカ・イズ・デッド」のラストの「PLUTO」論と対応しており、単独で読むより、他の本を参照しながらのほうが面白い。
わたしが個人的にウケたのは、四方田犬彦「白土三平論」の書評と、「淘汰されるマンガ家」に登場する小山春夫のご親戚のエピソードです。
おお、小山春夫、ばんばん(←机をたたく音)。
白土作品にはいろんな作家が参加してるので、いろんな絵のタイプがありますが、わたしがもっとも好きなのは、「ワタリ」や「風魔」、「カムイ外伝」での華麗な絵。アクションも背景も、少年マンガとしてもっとも上質なものでした。おそらくこれらの作品で、仕上げのペンを入れていたのが小山春夫。
カムイ伝全集も刊行開始されたことだし、冒頭部を読んだまま積ん読状態だった四方田犬彦「白土三平論」をほったらかしにしていてはいかんと反省しまして、この後「白土三平論」を(そして白土三平作品を読み直しながら)読んでおりましたところ、
「小山春夫『林崎甚助シリーズ』は、三洋社にいた岩崎稔らを原作者として、1969年から1970年にかけて『デラックス少年サンデー』に5回にわたって掲載された。作画に岡本鉄二、小堀純子、小井上繁一、国本サチ子の名前がクレジットされている。体調を崩した白土に代わって、小山が赤目プロを支えていた時期の作品である」という記述がありました。
おお、林崎甚助シリーズ、ばんばんばん(←たたく音)。
林崎甚助は、室町時代末期に実在した居合抜刀術の始祖とされる人物ですが、「忍者武芸帳」に登場する彼は、影丸たちとすれ違う、肺を患う剣士として描かれます。初登場時から居合の達人として描かれていますが、それは肺結核で体が弱いのをカバーするためです。
マンガ内では父・浅野重治を悪役・坂上主膳に殺され、その仇を討つために放浪しています。実在の林崎甚助も、親の仇を討って有名になったらしい。最初の方の巻では「名も知らぬ剣士」という扱いでした。目は黒目だけ。斜線で両眼をよごされてるわ、頬はコケてるわ、喀血するわ。だからといって、着物までボロくなくてもいいと思うんですが。
途中で病気が治ってからは、顔もすっきり美男子に、なぜか着物もこざっぱりと。
「忍者武芸帳」のラストでは、もうひとりの剣士、重太郎とすれちがいますが、このときには弟子も数人連れてるし、顔色もいい、着物もすっかり上等になってて、最初のころとはまるで別人。
で、彼の後日談が、小山春夫名義で描かれた「林崎甚助シリーズ」でした。
小山春夫の描く林崎甚助のビジュアルは、「風魔」に登場する二階堂主水(これも実在といわれてる剣士ですが、「心の一法(一方?)」という催眠術みたいな技を持ってたという伝説があります)そっくり。女顔で着物の柄もやったらハデになってました。もちろん居合の名人ですから、剣術は無敵(だったっけ? 記憶だけで書いてますので間違ってたらゴメンナサイ)。
小山春夫の描く林崎甚助は、発表当時の子供たちを惑わすような色気がありました。もし今なら腐女子の餌食になってるにチガイナイ。その点、小島剛夕、岡本鉄二や白土自身の絵ではもうひとつ。
白土作品は、どうしても「忍者武芸帳」と「カムイ伝」中心に語られてしまいますが、「ワタリ」「風魔」「カムイ外伝」などの小山春夫による洗練された絵こそ、この時期、白土作品が子供マンガでも成功した理由のひとつだったと考えます。
Comments
白土作品の絵につきましては、わたしが書くより、こちらのページがスゴイです。
http://homepage1.nifty.com/kumori-hibi/sirato-b/hiwa/sirato28-akame.html
もちろん、四方田犬彦「白土三平論」にもくわしく書いてありますが。
Posted by: 漫棚通信 | October 24, 2005 09:00 PM
少年まんがご無沙汰状態なんですが、白土作品と思っていると、いろんな作家が参加してるとありびっくりです
白土作品の切れのよい絵は彼自身じゃあないんですか
機会があればこれが誰の絵とか解説していただければありがたいものです
Posted by: むうくん | October 24, 2005 08:43 PM