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October 17, 2005

金がないのは首がないのと

 西原理恵子のマンガによく出てくる名言に、「金がないのは首がないのと一緒」というのがありまして、なかなか味わい深い言葉ですねえ。で、このフレーズを、わたしの同居人などは、サイバラの言葉であると思っておった。こらこら。

 ご存じのかたも多いでしょうが、この言葉はもちろんサイバラ作ではありません。「封印切」という有名な歌舞伎に出てきます。「金のないのは首のないのとおんなじや」てなふうに、微妙に言い回しが違いますが。

 「封印切」は、もともと近松門左衛門の文楽「冥土の飛脚」がオリジナル。「冥土の飛脚」の初演は1711年で、亀屋忠兵衛と遊女梅川の物語です。いつもの近松と同じく、現実の事件を脚色したものらしい。

 飛脚問屋亀屋の養子忠兵衛は、かっとなって為替金の封印を切ってしまい、遊女梅川を身請けするために使い込んでしまう。これはご法度ですから、ふたりは忠兵衛の故郷へ落ち延びる、というお話。

 のちに別人の手で「傾城三度笠」「傾城恋飛脚」などにも改作され上演されました。歌舞伎になったとき「恋飛脚大和往来」のタイトルとなり、これが別名「封印切」であります。

 さて、この「金のないのは…」というのは、忠兵衛の友人、丹波屋八右衛門のセリフです。この有名なセリフは、当然、近松が書いたものだと思ってましたが、「冥土の飛脚」の床本(文楽の脚本)を読んでみると、あれれ、こんなセリフないじゃん。

 歌舞伎の丹波屋八右衛門はやーなヤツでして、「わしは金のあるのが因果、お前は金のないのが因果。金のないのは首のないのと同じこと」という決めゼリフを聞くと、観客は、ああコイツはやっぱりやなヤツだ、と納得するのですが、この言葉、一面の真理でもあって、観客の心に突き刺さる。だからこそ、有名な言葉になりました。

 ところが、近松オリジナルの「冥土の飛脚」では、八右衛門は友人思いのけっこういいヤツなもんで、「金のないのは…」なんてイジワルなセリフは言わないんですね。どうも、文楽から歌舞伎へと改作されてるうちに、この名言ができちゃったみたい。

 今では、「下品な言い方で、庶民にとってはクヤシイけど、金というものの真理を言い表した良い格言」みたいな使い方をされてます。偽悪の人、西原理恵子が使ったからこそ、なおさら。

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Comments

はじめまして。このセリフ、「はだしのゲン」で
ゲンのお母ちゃんが言ってる場面もありました。原爆投下直後に避難した似島でのシーンだったかな?今手元に「ゲン」の本がないので
未確認ですが。オリジナルは歌舞伎だったのはトリビアでした。

Posted by: 望二花 | October 26, 2005 10:02 PM

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