クロサワとテヅカ
竹熊健太郎氏のブログ「たけくまメモ」のコメント欄を読んでいたら、どっひゃー、黒澤明が脚本・監督、手塚治虫がアニメパート担当の映画が企画されてたと知ってびっくり。
こりゃ知らなかったなあ。「たけくまメモ」によると、
そのうちエントリ化できればと思いますが、黒澤と手塚治虫が協力して、ポーの「赤き死の仮面」を実写+アニメ合成で映画化する企画もありました(脚本は完成していた)。一種のミュージカル映画で、ミュージカル場面がアニメーションになる予定だったそうです。
以下、長い引用で失礼します。
僕がなぜそれを知ったかというと、「影武者」完成後に、週刊誌のインタビューで次回作を問われて「赤き死の仮面」と黒澤自身が答えているのです(結局それは「乱」になりましたが)。
そのときの記事が手元にないんですが、「戦国を舞台にしたミュージカル映画になる。真っ赤な夕陽をバックに、無数の鎧武者が舞い踊る幻想的な場面を撮る予定だ」と話していました。
その記事では「アニメ」の話は出ていなかったんですが、手塚さんの死後、僕が『一億人の手塚治虫』を編集していたときに、77年頃のインタビューで「実は、今、黒澤監督からオファーがあって」という手塚さんが話していた記事を発見しました。
そして、それは手塚とジョン・ギラーミンとの対談記事であったと。
ディノ・デ・ラウレンティス製作、ジョン・ギラーミン監督の「キングコング」リメイク超大作は、日本ではお正月映画として1976年12月に公開されました。キネマ旬報1977年1月下旬号での手塚治虫と石上三登志の対談「キングコングがどうした!」(「定本手塚治虫の世界」所収)によると、1976年10月にギラーミンが来日した際、手塚とギラーミンの対談がおこなわれたそうです。
ギラーミンとの対談記事は読めませんが、この石上三登志との対談では、手塚の黒澤に対する言及があります。
・たとえば、黒澤(明)さんも、コンテを大切に描く人でしょ。
・(ジョン・フォード「ドノバンサンゴ礁」の話題を受けて)やっぱり西部の荒野には、そういう海洋的なムードがあるんじゃないなか。ああいう空間が開放されたシーンは、すごく好きなんでしょうね。黒澤さんもそんな気がする。『デルス・ウザーラ』はもちろんそうだけど『七人の侍』にしてもそうだし、『隠し砦の三悪人』も。あれだけの野外シーンを撮れる監督は、世界にもちょっといないと思う。
かなり黒澤のことを気にしてるみたい。黒澤明から手塚治虫にオファーがあったのは、1976年ごろのようです。
このころの手塚といえば、1975年に日本漫画家協会賞特別優秀賞(「ブラック・ジャック」)と文藝春秋漫画賞(「ブッダ」「動物つれづれ草」)受賞。 1977年には原案のアニメ「ジェッターマルス」(アトムのリメイク)放映。「三つ目がとおる」「ブラック・ジャック」で第1回講談社漫画賞受賞。ほぼ同時に講談社版手塚治漫画全集刊行開始。てな時期でした。
一方の黒澤明。不遇の時期を経て、1975年8月にモス・フィルムで撮った「デルス・ウザーラ」の公開。1976年に「乱」第一稿の脱稿。同年文化功労者に選ばれています。1977年には「黒き死の仮面」のシナリオを完成させていますが、実際に彼の次作となったのは1980年公開の「影武者」でした。
「全集 黒澤明」は1987年から1988年にかけて岩波書店から6巻刊行。黒澤のシナリオを集めたものです。そして没後の2002年、「夢」「八月の狂詩曲」「まあだだよ」などを収録した最終巻が刊行されました。この中に「黒き死の仮面」も収録されています。
原作はもちろんエドガー・アラン・ポーの「赤き死の仮面」(「赤死病の仮面」)。文庫本で10ページほどの短篇です。
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赤死病の蔓延する中世ヨーロッパ。プロスペル公爵は領内の領民の半分が死んだころ、千人ほどの貴族・貴婦人と共に城にこもります。外界との出入りをまったくなくし、領民を見捨て、城内にはたっぷりの食糧。そして公爵は、外界で病魔が猛威をふるっている最中、悪趣味な室内で贅を尽くした異様奇怪な仮面舞踏会を開きます。
そこに血にまみれた死装束に身を包み、死者の仮面をかぶった背が高く、やせた男が登場します。侯爵がその装束に手をかけようとすると、中は空虚。仮面の男は悪疫そのものであり、彼の出現と共に城内のひとびとは次々と倒れ、すべて死に絶えてしまう。
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有名なロジャー・コーマンのもの以外にも、いくつか映画化されてます。この話をもとに黒澤明が1977年に書いたシナリオが「黒き死の仮面」です。
「全集 黒澤明」によると、1975年の「デルス・ウザーラ」の成功を受けて、モス・フィルムからの依頼で書かれたものだそうで、舞台はロシア。親衛隊長ノヴィコフも、「デルス・ウザーラ」の主役、ユーリー・サローミンを想定して書かれています。原作の赤を黒に変更したのも、ソ連のシンボル「赤」に気を配ってのこと。
モス・フィルム以外にも、「乱」のプロデューサー、セルジュ・シルベルマンも興味を示したそうですが、結局、映画化されませんでした。
さて、黒澤明のシナリオ「黒き死の仮面」とは、どのようなものか。黒澤は、単純なイメージだけのポー作品を、人間の愚行、狂気、自滅の物語に変換させました。それはシェイクスピア劇のようです。
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悪疫が流行するロシア。ドブロフスキイ侯爵の親衛隊長ノヴィコフの一行が城外の死者を葬り、村を焼き払ったあと、城に帰ろうとすると締め出されてしまう。城は大扉を閉めてそれを溶接して外界との交通を絶ってしまいます。
見捨てられたノヴィコフ一行は、絶望的な状況の村々を彷徨したあと、他国に入ろうとして多くが倒され、さらにペストにかかって全滅。ただひとり残ったノヴィコフは城に戻り、城外からかつての部下に自分を撃てと命じる。銃声があってノヴィコフは倒れます。
ここまでがプロローグ。場面は城内へ。侯爵は2ヵ月も贅沢な宴会を続けていますが、食糧が少なくなって、城内には不安な気分が流れています。
侯爵夫人が発熱したことから、ペストの疑いが。貴族たちのペストに対する恐怖を利用して、侯爵の弟のパーベルのクーデターが成功します。侯爵は地下牢へ。それまで牢に入れられていた者たちは釈放されますが、そこで侯爵が出会うのは、牢から出て行こうとせずに死に装束を縫っている、道化。このシーン、まるきり「乱」の仲代達也とピーターですね。
大広間では宴会。ところが侯爵夫人がペストでなかったことがわかり、パーベルとその一味は、これに気づいた女官長を殺し、さらにこれを目撃した修道士ら三人も殺害。
もともと侯爵が計画していた魔物のバレエが発表されるいっぽうでは、侯爵夫人の館に放火する兵隊、それに対抗する親衛隊が入り乱れ、地下牢からは侯爵が出てくる。
その混乱の中に登場する不気味な“黒き死の仮面”。彼を追うパーベルと一同が見たものは、パーベルが殺した女官長たちの死体。
これを見た群集は「ペストだ!!」と声を上げパニックに。城内は大混乱となり、群集は城外に逃れようとして城壁へ。そして圧死、墜死。兵隊同士の内乱。教会と城館は燃え上がります。
混乱の中、侯爵とパーベルの対決があって、侯爵が生き残ります。ラストシーンは炎につつまれた部屋の中にいる侯爵と“黒き死の仮面”。仮面をとると、その正体は道化。すべての登場人物が死亡します。こういう救いのないストーリーでした。
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手塚治虫が担当するはずだったアニメシーンというのは、クライマックス前の、魔物のバレエだと思われます。室内のバレエシーンと、屋外の混乱が交互に描かれます。
(1)頭は鳥、下半身は馬。頭は馬、下半身は鳥。頭は豚、下半身は獅子。頭は魚、下半身は鼠、等々。
この頭と下半身の奇妙な組合せの扮装とその動きには、ユーモラスなところは少しもなく、変に生々しく、人間性のグロテスクな面を見せつけられる思いがする。
(2)頭は犬、足は帚木──親衛隊の紋章がラインを組み、奇怪なリズムで踊り出てくる。
(3)犬の頭と帚木の足のダンスが退場し、奇怪で醜悪な巨大な魚が登場する。
そして、その腹を引き裂いて、踊り手達が出て来る。それは、蒼白い裸体に、様々な人間の欲望の仮面を被った醜怪な群舞である。
(4)牡牛の仮面に僧侶の頭巾を被った男達、豚の仮面に尼僧の頭巾を被った女達が、上半身は天使、下半身は悪魔の衣装をつけた堕天使を中心に、輪を描いて乱舞している。
(5)終幕らしく、これまでの登場人物が入り乱れて踊っている。ただ、彼等はそれぞれ、背中に真赤な布の炎を背負い、矢を眼に、刀を胸に、あるいは首と首を縄でくくられ、腹と腹を長い槍で串刺しにされた、異様な扮装で乱舞している。
それは、まるで異端の秘密宗派の祭壇画の様に、奇怪で悪魔的な光景である。
これは物語内では侯爵が計画したバレエでしたが、実際には黒澤明自身がこう描いているわけです。この悪夢のようなイメージは、登場人物たち、さらには観客である私たちの象徴でもあります。
この毒々しいバレエを、黒澤と手塚はどのようにアニメとしてイメージしていたのでしょう。アニメ背景の前で実写の人間とアニメキャラが踊るのか。それとも実写背景とアニメキャラか。すべてアニメで描くつもりだったのか。(ただし、このバレエシーンの演出を、黒澤はフェリーニに持ちかけたこともあったそうです)
もしかすると黒澤は、“黒き死の仮面”もアニメキャラにするつもりだったかも。
・この人物は、仮面をつけ、死に装束を着ているが、硬く硬張った死人の顔付きをしたその仮面は、あまりにも生々しく、死に装束を着たその身のこなしはあまりにもおぞましい。
彼は、顔も装束も黒い斑点におおわれた姿をして、苦悶する瀕死の病人が熱にうかされてよろめき出たかのように、奇怪なリズムを踏み、痙攣する様に手足を動かして進み出て来る。
それは、「ペスト」による断末魔──その死の舞踏を思わせる。
この異形のものこそ、アニメにふさわしいかもしれません。
さらにもしかすると、ラストの大パニックシーンこそ、アニメだったのかもしれません。黒澤はクライマックスの大混乱を以下のように演出するつもりでした。
・これからのシーンで、再びすべての現実音は消える。そして、人間の愚行に対する悲痛な思いを、木管楽器が深く沈潜して唄いはじめる。そして、同じ思いをこめたすべての楽器が徐々に加わり、厳粛なリズムに乗り、荘重な悲歌を奏でる。それは、この城の狂乱を、その地獄の様相を見降ろす、中天の月の光の様に、静かで透明な曲でなければならない。
このシーンがアニメだったら。想像し始めるときりがありませんね。
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