ヘンリー木山義喬の「漫画四人書生」
フレデリック・L・ショットの「ニッポンマンガ論」(日本語版は1998年)は面白くて刺激的な本でした。海外から日本マンガを見るとこうなるのか、と。
彼が、第4回手塚治虫文化賞特別賞を受賞したとき、「中沢啓治、池田理代子、松本零士、手塚治虫、士郎正宗、星野之宣、そして明治時代に渡米して最も早くストーリーマンガを出した木山義喬ほか、多くのマンガ家の作品を英訳して海外に紹介している」と紹介されました。この中にある、木山義喬とは、いったい誰なのでしょう。
「広報よなご」2004年4月号より、米子市美術館のかたが書いた文章。「美術館通信 アメリカで学んだ洋画家 木山義喬」というタイトルです。
・木山義喬(きやま よしたか)は、明治18年(1885)、日野郡日野町根雨に生まれました。県立第二中学校(現米子東高)4年を終了後、絵の勉強をするためアメリカに渡ります。ヨーロッパに渡った画家とは異なり、アメリカに渡った芸術家たちは働きながら苦学します。木山もその一人であり、その苦労話を漫画にした「漫画四人書生」の原画は当館の収蔵品でもあります。数年前、この漫画がアメリカの漫画研究家の目にとまり、英語版で復刻され、次いで遺族の手で日本語・英語併用の原画のままで復刻され、話題となりました。
「漫画四人書生」の原著は1931(昭和6)年、日本で印刷され、木山自身の3回目の渡米にともなってアメリカで販売されたようです。この原著は、おそらくアメリカの日系移民(あるいは英語も読める日本人)を読者として想定しており、登場人物が英語でしゃべる部分はアルファベットの英語で、日本語でしゃべる部分は漢字カナ混じりの日本語というバイリンガルで書かれています。そして日本語の部分にも、突然英語表記が混じったりもする。「日本語・英語併用」とはそういう意味です。
日本語英語併用版は米子に行けば手にはいるのでしょうか。この原著を英語版に訳したのものが、Henry Yoshitaka Kiyama著、Frederik L. Schodt訳の「The Four Immigrants Manga」です。英語版のほうはアマゾンなどで手に入れやすいので、そちらを読んでみました。
1904(明治37)年、大きな夢を持ってサンフランシスコに4人の日本青年が到着しました。彼らは英語名を名のることにします。木山自身である画学生ヘンリー、農業で成功しようとするフレッド、金持ちになりたいフランク、古い日本から民主主義を勉強に来たチャーリー。彼らのアメリカでの20年が笑いとともに描かれます。
彼らは生活のためにハウスキーパーなどをして働かなきゃならないのですが、失敗ばかり。雇い主の「Go Home」は聞き飽きた。彼らが出会うのは、サンフランシスコ大地震、銀行の倒産、パナマ太平洋万国博覧会、禁酒法、第一次世界大戦、スペイン風邪の大流行、などなど。
4人のうち、主人公といえるのは、背が高く、いかりや長介似でお調子者のチャーリーです。彼は、酔っ払ってすぐ踊るようなキャラクター。強盗にあって大ケガしたり、中国人のカジノに入り浸ったり、万博喫茶店の日本人ウエイトレスをナンパしたり。マジメで絵ばかり描いているヘンリーとは大違い。
チャーリーはいつも貧乏で金に困っていましたが、それでも子持ちの未亡人と結婚して、果物屋を開業します。農園のフレッドも日本からのピクチャー・ブライド(写真だけのお見合い結婚システム)をむかえて家庭を持ちます。
そして1922(大正11)年、彼ら二人と別れ、独身のフランクとヘンリー木山が日本に帰国するところでオシマイ。単純な線で描かれた笑いのためのマンガなのですが、青春の夢と挫折が何やらモノ悲しい。
1ページは6コマからなり、見開き2ページ、12コマがひとつのエピソードです。文字はアルファベットも日本語も横に書かれ、ページやコマは左から右に読み進めるアメリカ式です。ただ、ひとつのコマの中で複数のフキダシがあるとき、その順番が一定しておらず、多くは左から右に進むのですが、とくに日本語のセリフが続くと、一部逆転しているところもあって、まだ統一されていない。
12コマずつのエピソードが連なって、20年間という大きな物語を形成するのですから、確かに最も早い時期のストーリーマンガといえるでしょう。大正期の「正チャンの冒険」に比べても、遜色のないリーダビリティ。しかも「四人書生」はオトナ向けです。万博でベリー・ダンス(?)を見てニヤニヤしてるシーンなんかもあります。
いったん帰国したヘンリー木山義喬ですが、1924(大正13)年から3年間、さらに1931(昭和6)年からも6年間サンフランシスコに住みました。1937(昭和12)年に日本に帰国した後も再度の渡米、あるいはパリ留学を希望していましたが、世界情勢のため、果たせぬ夢となりました。
この先駆者のマンガは、日本ではまったく忘れられていたものをフレデリック・L・ショットが発掘し、復刻してくれたから、現在読めるわけで、なんともありがたいことです。でも実を言うと、もともと日本のマンガなんだからオリジナルの形で読みたかった。全部英語はキツいなあ。
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