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September 21, 2005

マンガはやっぱりキャラクターなのか?

 R・F・アウトコールトの「イエロー・キッド」(1895年)こそ、コミック・ストリップ、すなわちマンガの祖と考えられています。何が祖なのかといえば、まず、新聞に連載されたことが大きい。印刷物として大量に制作され、マスのマーケットを対象にしました。そして、新聞部数を左右するほどの大人気を得たのも、祖にふさわしい。

 イエロー・キッドのスタイルは黄色い寝巻きを着て頭は丸坊主。新聞に掲載された「イエロー・キッド」の多くは、カラーの一枚絵で、子供たちのモブシーンが描かれました。下町のホーガンズ・アレイに住む子供たちは、大がかりな「子供サーカス」や「子供自転車レース」、「子供結婚式」などを開催します。子供たちはみんないろんなコスプレをして見物人もたくさん。最初はその他大勢のひとりだったイエロー・キッドは、次第に画面中央に進出し、主人公となりました。

 そのうち、イエロー・キッドを主人公にしたコママンガも描かれるようになります。一枚絵のなかでもセリフを囲むフキダシがちょっとだけ使用されていましたが、これらのコママンガにもフキダシが描かれるようになり、「フキダシを持ったコママンガ」が完成しました。ほとんど現在の形のマンガができあがったわけです。

 「R. F. Outcault's the Yellow Kid」という本を読んでいましたら、当時の人気について、こんな文章が。

・1986年にはイエロー・キッドのオモチャ、ゲーム、タバコ、ガム、キャンディ、ピンが街にあふれた。何千という金属、ガラス、木製のキッドにより、アウトコールトはロイヤルティによる利益を得た。

 クッキーの缶や石けんにまでイエロー・キッドは描かれたらしく、現在のディズニー・グッズなみですね。

 いやー、マンガは昔々から、やっぱりキャラクターこそが人気だったということでしょうか。日本では、マーチャンダイジングは、TVアニメ「アトム」開始時から積極的に利用され始めたと言われています(中野晴行「マンガ産業論」)。それ以前のキャラクター商品による利益は、「一種余禄だった」らしい。しかし、アメリカではマンガとマーチャンダイジングはその発祥から同時に始まったもののようです。

 ネットで読んだ文章によると、当時のニューヨークでは「Yellow Kid fever」といえるような流行があって、キッドはマーチャンダイジングの最初の成功例と考えられていいます。この後、ピューリッツァー対ハーストの新聞戦争で、「イエロー・キッド」は引き抜きにより掲載紙が変更になるのですが、そのときは、複数の新聞に作者の異なるキッドが掲載されていたこともありました。このときの著作権は、いったい誰にあったのかしら。

 わたしにとっては、19世紀末、すでにロイヤルティでちゃんと作者が儲かっていたという記述が、さすがアメリカ、驚きでした。いかにもパチモンとかいっぱい出回っててもおかしくなかったような気がしますが、どうだったのでしょう。アメリカは昔から版権きびしかったのかな。当時のイエロー・キッドの「ピンバックボタン」は、現在60ドルぐらいで取引されてるみたいです。

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