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August 21, 2005

政治的主張とマンガ(その2)

(前回からの続きです)

 「マンガ嫌韓流」の主人公は高校生、のち大学生となる男女ふたり。大学進学後、自ら極東アジア調査会というサークルに入部し、アジアの真実に目覚めるという展開です。

 主人公のオニイチャンがなかなかにスゴくて、毎度黒のトレーナーであることはともかく、大学にはいって剣道を始めたという設定なのですが(大学の剣道部じゃなくて町道場ね)、外出するとき、いつも竹刀を背負っている。

 異次元の日本が舞台じゃないかと疑わせるファッションセンスですが、そのままの格好で選挙会場とかファミレスにも行ってます。フツー追い出されないか。店員が遠くでこそこそささやいているのが目にうかびます。ガールフレンド注意してやれよ。

 第2話と第8話では、公開ディベートが舞台です。相手は、第2話では元・同級生の在日韓国人(♂)とプロ市民。第8話では韓国のトップエリート大学生6人です。

 「ゴーマニズム宣言」では、ディベートシーンはめったにありません。むしろ「美味しんぼ」などの対決モノに近いでしょうか。マンガでディベートを描くのはむずかしい。どうしても予定調和の展開と結末になってしまうので、ストーリーの緊張に欠けてしまう。「美味しんぼ」でも、あとから料理をプレゼンした方が勝つ、と予想されてますしね。

 表現としても、座っての対話が続くだけなので、単調になってしまいツラい。ただそこをなんとかするのが腕でしょ。とくに「嫌韓流」第2話、ディベートの間じゅう、ひたすら人物のアップが続きます。内容解説のための絵というものがまったく存在しません。よく編集がOK出したな。

 このため、めだつのは表情だけ、となってしまいます。主人公側はあくまで冷静です。相手は、最初ニヤニヤ、のち赤面に汗いっぱい。興奮して大声を出し、最後には錯乱したり、だまりこんでぷるぷる震えてるだけだったりとなります。「ぐうう」とか「うぐぐ」とかいって汗を流してるのがお約束。

 しかし、ディベートはまだ工夫してるほうです。ほとんどの章では、主人公が先輩たちにレクチャーを受けるだけの展開。先輩語る→主人公「ええッ!?」、先輩語る→主人公汗をかいて黙り込む、先輩語る→主人公驚いて擬音が「ドン」。ただただこれが繰り返される。

 じゃあ、その間、解説のためにどのような絵が描かれるのかというと、これがこのマンガの最大の欠点ですが、著者はそういう絵が描けないのです。

 ですから先輩との会話の最中に挿入されるのは、「意味のないコーヒーカップのアップ」だったり、「部屋の天井や壁」だったり、「どこを走ってるのかわからん列車」だったり、「どこやらわからんビル」だったり。韓国人は、細い目、頬骨がはってて、「ニダー」と言ってます。

 「黒地に白抜き文字だけ」や、「地図上の島を指差して日本人が竹島と言い、韓国人が独島と言ってる絵」や、「どこやらわからん空港の上空で爆発する、小学生の描いたような飛行機」もありますが、すべてはコマを適当に埋めているだけ。絵解きの効果はまったくありません。

 いわゆる学習マンガがどれだけよくできてるか、思い知りました。あれらにもそれなりに政治的主張がこめられているのですが、絵による解説は小学生を対象にしてるだけあって、わかりやすいったらありゃしない。

 解説する絵が描かれないなら何に頼るかというと、擬音の多用です。

 「ドン!」「だん!」「くわッ!」「ガタッ!」「ドドドドドド」 別に地震じゃないみたいですが。

 この本の巻末に「特別編」と題して、初めてゴー宣タイプの、作者が直接読者に語りかける形式のマンガが載っています。この短いマンガの中で、コピペ使うか、というのもあるのですが、ラストシーンはページ1/6の大きさのコマに、さらにちっちゃく描かれたラクガキのような作者の全身像。背景はテキトーな集中線。もっともチカラ入れて描くはずのキメのシーンがこれかーい。

 これは21世紀の日本マンガとしてどうなのか。新人マンガ賞への投稿なら、「もっとがんばりましょう」レベル。マンガで政治的主張をするなら、文章だけではできない何かがしたかったのでしょう。それは読者の感情に訴えることで、主張する論理を補強することだったはずですが、残念ながら、あまりの稚拙さに説得力ゼロどころか、マイナスにしか作用しないという例になってしまいました。

 この本の発行で、一番トクしたのは小林よしのりでしょう。読めば読むほど、ああ、よしりんのマンガはなんてうまいんだ、という気持ちが盛り上がってきて、それほど好きでもない「ゴーマニズム宣言」を読み直しちゃいましたよ。

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Comments

実は読んでません。ジョージ秋山の方は、書店で立ち読み中にどうしても購買欲が盛り上がらなくて。雁屋哲のほうはいずれと思ってますが。

Posted by: 漫棚通信 | September 06, 2005 11:25 PM

雁屋哲・シュガー佐藤「日本人と天皇」とジョージ秋山「マンガ中国入門」のほうはどうですか。

Posted by: 未来ケンジくん | September 05, 2005 11:16 PM

コメントありがとうございます。ゴー宣の手法が正しいかどうかはともかく、啓蒙・宣伝として有効なのはみんなわかってるはずなのに、なぜサヨク側がこれを研究して対抗するようなマンガを出さないのか。人材がないということもあるのでしょうが、やっぱりマンガを甘く見てるんじゃないかな。

Posted by: 漫棚通信 | August 23, 2005 09:33 AM

 私もこれ買いました。実は2ちゃんねるで話題になってるとの話で、楽天ブックスで見ると在庫あと44の文字にバーゲンおばさんのように限定品ゲットの感覚で購入しました。
 まあ、漫画としては、ご意見どおりかなと思います。書籍ではコミックではなくムック扱いらしいので、いわゆる韓国問題の知識確認本の要素が高いのかと思います。
 もっと読みやすい漫画なら時代背景から大ベストセラーの可能性もあったと残念です。出版社が弱小ですけど。
 ゴーマニズムは、正直スカッとする部分とちょっと行き過ぎかなの部分もあって、その点ではメリハリがあった気がする。(ただし、私は初期の方しか読んでませんけど。)
 小林氏は東大一直線でへたうま街道をばく進しはじめましたから、あの絵もすんなりよめましたね。そういえば、東大一直線から30年でドラゴン桜という入試漫画(スチュエーションは全然違うけど)がヒットするとは時代は巡るのでしょうか。ちなみ弓月光のエリート狂走曲の方が好きでした。

Posted by: ラッキーゲラン | August 22, 2005 06:08 PM

政治の解説漫画が、一方の教え込み、生理的嫌悪をもよおすほどの政敵のカリカチュアライズなどによって台なしにされているのでは、というのが年来のぼくの主張だったのですが、どうしても不思議だったのが『ゴー宣』。この悪しきパターンそのものだからです。なのに売れている。それをどう考えるか。そこでたてたぼくの仮説は、
1)実は共感して買っている人はそれほどいないのでは
2)支持者内で熱狂的に受けている(広がりなし)
3)自分の仮説がまちがっている。その他。
とどれかかな、と思っていたのですが、『嫌韓流』と『ゴー宣』を比較した漫棚通信さんの文書を読んで、認識を深めた次第です。

Posted by: 紙屋研究所 | August 22, 2005 01:51 AM

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