絵はアレでもいいのだ(←そうか?)
一条ゆかり「デザイナー」が「りぼん」に連載されていた時期ですから、1974年ごろでしょうか、そのころの「りぼん」に、山本優子「美樹とアップルパイ」という連載がありました。
記憶だけで言いますと、芸能界、アイドル事情などを組み込んだドタバタコメディ。カラーページも多かったですから、かなりの人気作品だったと思います。当時のわたしは、これこそ少女マンガの悪しき例だ、とひとりイキドオッテおりました。生意気ですねえ。
なぜかというと、人物以外の絵がへろへろで、ビル、車など、たんなる記号以下。うまく描こうという意欲を放棄してるとしか思えない背景でした。同じ雑誌に一条ゆかりやおおやちきが、車や小物をガチガチのリアルに描いていた時期ですよ。他誌では、萩尾望都が「ポーの一族」シリーズを開始していました。少女マンガが急速に進歩していた時期に、この絵はなかろう。
ところが、このマンガ、なぜか気になる存在でしたし、記憶にも残ってるんですね。なぜ、これを思い出したかというと、週末に雁須磨子「どいつもこいつも」を読んでたから。
婦人自衛官モノのコメディです。昇進の悩みとか人間関係の軋轢とかの重くてめんどくさいモノを、リアルじゃなくてあっさりと解決。内に秘めた深刻さはあるかもしれないんだけど、オモテはあくまで軽く、ってのが魅力です。
で、雁須磨子の絵ですが、これがもうあなた。
これも現代の日本マンガですから、最低限の背景はクリアしてるとは言うものの。主人公は整備のための工場らしきところで、銃を整備してるのですが、はっきり言って、どこでもかまわないような部屋で、何でもかまわないものを手にしている。部屋の広さ、レイアウトなどどうでもいい。戸外に出ても、どこにどんな建物があるのかはわからない。花見のシーンもあるのだが、いったいここは駐屯地内のどこ。銃も戦車も登場するんだから、たのむからもっと細かく描いてくれー。
でも、もっときちんと描いたからって、この作品の価値が変化するわけでもないような。この作品はこれで、十分面白いのです。著者の興味はそんなところにはありません。すいすいと読めてしまうマンガに、背景の描きこみは必要なのか。
大島弓子という偉大な先人が、マンガはあえて描きこまなくてもよい、ということを教えてくれました。わたしたちは、彼女の描く適当な丸から、まっくろなコマから、擬音とフキダシだけのコマからも、何らかを読み取るように訓練されてしまっています。
雁須磨子は、この作品では別に特殊な心理描写をするわけじゃありませんが、さらりと流した背景、そして大量の手書き文字が味と軽さになってます。近作「ファミリーレストラン」では、大島弓子調のフキダシだけのコマが多用されるようになってますね。
こういう絵とストーリーと表現のアンバランスも、日本マンガの魅力には違いない。マンガの絵っていうのは、これでもいいのだ。でもやっぱり「ファミリーレストラン」のカバー絵は、ちょっとなあ。
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