マンガを創った男:ロドルフ・テプフェール
さて、Rodolphe Töpffer(1799-1846)の話です。
日本語ではロドルフ・テプフェール、あるいはロドルフ・テプファー、あるいはルドルフ・テプフェルと表記されます。今後この記事では、いちばん古典的なロドルフ・テプフェールの名で記載していきます。
彼は、「絵物語の発明者であり、コミック・ストリップ、コミック・ブック、グラフィック・ノベルを創った人物」と言われています。おお、マンガの父じゃないですか。これは最大級の賛辞です。ところが、彼は日本でほとんど知られていない(らしい)。たんにわたしが知らないだけなのかしら?
googleで検索してみると、テプフェールでヒットするのがウチを除いて4件。ロドルフ・テプファーで2件。ルドルフ・テプフェルの名では、1993年に図書出版社から「アルプス徒歩旅行 テプフェル先生と愉快な仲間たち」という本が翻訳されており、これがらみでヒットするだけでした。
Rodolphe Töpfferで検索するともちろんいっぱい出てくるのですが、英語のページが意外と少なくて、フランス語やドイツ語のページばっかり。ヨーロッパでの評価の高さがわかります。ジュネーブには彼の胸像もたってるみたい。
Rodolphe Töpfferは、ドイツ移民にして職業画家のヴォルフガンク・アダム・テプフェールの息子として、スイスのジュネーブに生まれました。父、アダムはパトロンに連れられて1816年にイギリスを訪れ、数枚の版画を持ち帰りました。
これにウィリアム・ホガースの作品が含まれていました。ホガースは17世紀イギリスで活躍した版画家です。彼の作品は舞台上の演劇の一場面に似ています。「娼婦の生涯」という作品は6枚の連作版画からなり、演劇のように風刺に満ちたストーリーが展開します。うーむ、マンガっぽいぞ。息子のロドルフ・テプフェールは、これらの版画に感動し、大きな影響を受けました。
テプフェールは、父からデッサンの基礎を学びますが、目の障害のため職業画家にはなれず、文筆家としていろいろな短文を書くようになります。彼はパリで学んだのち、ジュネーブで教師となりました。日本で訳された「アルプス徒歩旅行」は、彼の文筆家としての顔です。
テプフェールは、教育者としての仕事の合間に、本格的な絵画ではなく、簡単なクロッキーと文章からなる作品を描き始めました。これはゲーテ(あのゲーテですよ!)の賞賛と励ましを得、その後、本の形にまとめられた作品は経済的にも成功して、各国の原語に翻訳されることになります。
テプフェールの作品は、主人公の名をタイトルにした7つのシリーズからなります。一応出版順に以下のとおり。
「Histoire de M. Jabot」(ジャボ氏、出版1833、執筆1831)
「Monsieur Crépin」(クレパン氏、1837)
「Histoire de M. Vieux Bois あるいはLes Amours de M. Vieux Bois」(ヴィユボワ氏=木の頭という意味らしいです。出版1839、執筆1827)
「Monsieur Pencil」(ペンシル氏、出版1840、執筆1831)
「Le Docteur Festus」(フェステュス博士、出版1840、執筆1829)
「Histoire d'Albert」(アルベール、1845)
「Histoire de M. Cryptogame」(クリプトガム氏、1845)
(年代は諸説あって一定しません。たとえば「Le Doctoeur Festus」は出版1846、執筆1831としてあるものもあります)
一般には、「ヴィユボワ氏」が描かれた1827年こそ、絵物語、すなわち近代マンガの誕生とされています。
さて、このころは著作権なんてものは、きっと無視されてたんでしょう。テプフェールの作品が商業的成功をおさめたため、そっくりの作品が海賊版として出版されたり、同じ主人公で別作品を作られたり。しかもまた、これらもそこそこ売れたらしい。一方で、テプフェールも、自分の作品を弟子に木版でコピーさせて雑誌に掲載したりもしてます。
「ヴィユボワ氏」は、「The Adventure of Mr. Obadiah Oldbuck」というタイトルで、1842年アメリカで出版されました(テプフェールに断っての出版かどうかは知りませんが)。これはアメリカで出版された最初のコミック・ブックとなりました。
さて、英語のほうがわかりやすいので、英語版を見てみますが、この「オバデヤ・オールドバック氏の冒険」とはどんな本だったか。総ページは40ページ、各ページには6から12のコマに分割されている。フキダシは存在しませんが、コマの下にテキストが書かれ、ストーリーが進行します。
オールドバック氏は若い女性に求婚しますが断られ、首を吊って自殺しようとしますが失敗。恋敵との決闘に何とか勝って結婚式を挙げようとしますが、トラブルで中止。彼はまた自殺したくなって、毒草を探しますが、見つけたのは薬草。
その後、修道院に入れられたり牢屋に入れられたり、再度結婚式が中止になったり。最終的にオールドバック氏が結婚できるまでのドタバタが繰り返されます。
現物はコチラをどうぞ。
(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)、(7)、(8)
日本の山川惣治などの絵物語と違い、文章量は最小限。コマを細かく割ってあり、コマからコマへの時間的飛躍は短く、フキダシさえあれば、現代のマンガに近いものです。
絵は、先人たちのものに比べ、かなり単純化された線とデフォルメされた人物・動物。内容は風刺とナンセンス、そして大きなドタバタアクション。各ページの終わりに必ずオチがあります。
テプフェールはそれまでの「前マンガ」を、一気に「ほとんどマンガ」にまで進歩させました。ここから「マンガ」になるには、あと少し。フキダシと擬音と漫符が挿入されればマンガの完成です。彼の作品は、多くの後進のマンガ家に影響を与えました。この後、テプフェールは後継者たちによって模倣され、追随され、マンガは次第にマンガになっていきます。
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