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July 26, 2005

お好きなのはなあに

 今夜は、わたしが小沢花音「新アタックNo.1」の2巻を読んでるとなりで、同居人その1が今市子「百鬼夜行抄」13巻を読み、同居人その2とその3が施川ユウキ「サナギさん」1巻と吉崎観音「ケロロ軍曹」3巻を読んでるという、平和だけどいかにも偏差値の低そうな光景であります。

 わたしの意見を言わせていただくと、最近の子供マンガの名作は、「ケロロ軍曹」と「鋼の錬金術師」であると考えておるのですが、同居人その2の意見は違ってて、なぜか今回読んだ「サナギさん」がすごくお気に入り。大声出して笑ってます。わたしはクスクス程度なんですけど。

 で、同居人その2に言わせると、「サナギさん」>「ハガレン」>「ケロロ」である。そこまで「サナギさん」がウケるとは。どうも登場人物の思考パターンが自分と同じと思ってるらしい。でも自分で買うのはCLAMPの本ばっかり。わたしが買わんので。

 いっぽう同居人その3は、「ハガレン」>「ケロロ」>「サナギさん」で、「サナギさん」は大声を出して笑うほどじゃないらしい。

 わたしは、今のところ「ケロロ」>「ハガレン」>「サナギさん」ですね。ちなみに同居人その1は、きちんと話をまとめられれば、という条件付きで「ハガレン」、でも今ナンバーワンは「のだめ」だと。いやそこまで話を広げられるとアレですが、意見はひとそれぞれですな。

 えーと、ちょっとの間、留守にしますのでその間ブログはお休みです。では。

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July 25, 2005

訃報・杉浦日向子

 杉浦日向子が亡くなりました。驚きました。

 NHKの「お江戸でござる」。お芝居のほうは見てなくても、彼女の時代考証解説はまめに見てたので、急に降板したあと、何してんだろうなあと思っていたら、こんな結末になるとは。

 ガロでのデビューからずっと読んでました。彼女のマンガがワンアンドオンリーであったのは、江戸の人間をその時代の人間として描いたところ。江戸時代にはその時代なりの、現代とは違う価値観があるのだ、という視点がつらぬかれていたところです。これは、現代の読者に媚びない、ということであり、江戸時代をまるまる描こうという試みでした。他の小説、映画、TVにおいても、ここまで徹底する人はいなかった。その意味で、彼女の資質は、マンガ家というより研究者だったのでしょう。

 文章でいい仕事してたし、楽しそうだったから、マンガやめちゃったけどしょうがないかなあ、なんて思ってました。ファンでした(いまだに荒俣宏はちょっと許せてません)。ご冥福をお祈りします。

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July 23, 2005

女王の教室

 基本的にマンガ以外の話題は書かないようにつとめてるんですが、おおーっ、TVドラマ「女王の教室」がえらいことになっとる。

 最初は、変わった教師の奇妙な物語と思っておったのですが、すでにそんなところは越えております。天海祐希の女教師がどんどん怪物化して、今や、完全に学校内の人間関係崩壊。女教師はファシズムのシステムの暗喩となり、支配される子供たちは「蝿の王」のように人間の心の闇をさらしていきます。

 教室内の物語じゃなくなりつつあるみたいです。

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July 22, 2005

マンガを創った男:ロドルフ・テプフェール

 さて、Rodolphe Töpffer(1799-1846)の話です。

 日本語ではロドルフ・テプフェール、あるいはロドルフ・テプファー、あるいはルドルフ・テプフェルと表記されます。今後この記事では、いちばん古典的なロドルフ・テプフェールの名で記載していきます。

 彼は、「絵物語の発明者であり、コミック・ストリップ、コミック・ブック、グラフィック・ノベルを創った人物」と言われています。おお、マンガの父じゃないですか。これは最大級の賛辞です。ところが、彼は日本でほとんど知られていない(らしい)。たんにわたしが知らないだけなのかしら?

 googleで検索してみると、テプフェールでヒットするのがウチを除いて4件。ロドルフ・テプファーで2件。ルドルフ・テプフェルの名では、1993年に図書出版社から「アルプス徒歩旅行 テプフェル先生と愉快な仲間たち」という本が翻訳されており、これがらみでヒットするだけでした。

 Rodolphe Töpfferで検索するともちろんいっぱい出てくるのですが、英語のページが意外と少なくて、フランス語やドイツ語のページばっかり。ヨーロッパでの評価の高さがわかります。ジュネーブには彼の胸像もたってるみたい。

 Rodolphe Töpfferは、ドイツ移民にして職業画家のヴォルフガンク・アダム・テプフェールの息子として、スイスのジュネーブに生まれました。父、アダムはパトロンに連れられて1816年にイギリスを訪れ、数枚の版画を持ち帰りました。

 これにウィリアム・ホガースの作品が含まれていました。ホガースは17世紀イギリスで活躍した版画家です。彼の作品は舞台上の演劇の一場面に似ています。「娼婦の生涯」という作品は6枚の連作版画からなり、演劇のように風刺に満ちたストーリーが展開します。うーむ、マンガっぽいぞ。息子のロドルフ・テプフェールは、これらの版画に感動し、大きな影響を受けました。

 テプフェールは、父からデッサンの基礎を学びますが、目の障害のため職業画家にはなれず、文筆家としていろいろな短文を書くようになります。彼はパリで学んだのち、ジュネーブで教師となりました。日本で訳された「アルプス徒歩旅行」は、彼の文筆家としての顔です。

 テプフェールは、教育者としての仕事の合間に、本格的な絵画ではなく、簡単なクロッキーと文章からなる作品を描き始めました。これはゲーテ(あのゲーテですよ!)の賞賛と励ましを得、その後、本の形にまとめられた作品は経済的にも成功して、各国の原語に翻訳されることになります。

 テプフェールの作品は、主人公の名をタイトルにした7つのシリーズからなります。一応出版順に以下のとおり。

「Histoire de M. Jabot」(ジャボ氏、出版1833、執筆1831)
「Monsieur Crépin」(クレパン氏、1837)
「Histoire de M. Vieux Bois あるいはLes Amours de M. Vieux Bois」(ヴィユボワ氏=木の頭という意味らしいです。出版1839、執筆1827)
「Monsieur Pencil」(ペンシル氏、出版1840、執筆1831)
「Le Docteur Festus」(フェステュス博士、出版1840、執筆1829)
「Histoire d'Albert」(アルベール、1845)
「Histoire de M. Cryptogame」(クリプトガム氏、1845)
(年代は諸説あって一定しません。たとえば「Le Doctoeur Festus」は出版1846、執筆1831としてあるものもあります)

 一般には、「ヴィユボワ氏」が描かれた1827年こそ、絵物語、すなわち近代マンガの誕生とされています。

 さて、このころは著作権なんてものは、きっと無視されてたんでしょう。テプフェールの作品が商業的成功をおさめたため、そっくりの作品が海賊版として出版されたり、同じ主人公で別作品を作られたり。しかもまた、これらもそこそこ売れたらしい。一方で、テプフェールも、自分の作品を弟子に木版でコピーさせて雑誌に掲載したりもしてます。

 「ヴィユボワ氏」は、「The Adventure of Mr. Obadiah Oldbuck」というタイトルで、1842年アメリカで出版されました(テプフェールに断っての出版かどうかは知りませんが)。これはアメリカで出版された最初のコミック・ブックとなりました。

 さて、英語のほうがわかりやすいので、英語版を見てみますが、この「オバデヤ・オールドバック氏の冒険」とはどんな本だったか。総ページは40ページ、各ページには6から12のコマに分割されている。フキダシは存在しませんが、コマの下にテキストが書かれ、ストーリーが進行します。

 オールドバック氏は若い女性に求婚しますが断られ、首を吊って自殺しようとしますが失敗。恋敵との決闘に何とか勝って結婚式を挙げようとしますが、トラブルで中止。彼はまた自殺したくなって、毒草を探しますが、見つけたのは薬草。

 その後、修道院に入れられたり牢屋に入れられたり、再度結婚式が中止になったり。最終的にオールドバック氏が結婚できるまでのドタバタが繰り返されます。
 
 現物はコチラをどうぞ。
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)

 日本の山川惣治などの絵物語と違い、文章量は最小限。コマを細かく割ってあり、コマからコマへの時間的飛躍は短く、フキダシさえあれば、現代のマンガに近いものです。

 絵は、先人たちのものに比べ、かなり単純化された線とデフォルメされた人物・動物。内容は風刺とナンセンス、そして大きなドタバタアクション。各ページの終わりに必ずオチがあります。

 テプフェールはそれまでの「前マンガ」を、一気に「ほとんどマンガ」にまで進歩させました。ここから「マンガ」になるには、あと少し。フキダシと擬音と漫符が挿入されればマンガの完成です。彼の作品は、多くの後進のマンガ家に影響を与えました。この後、テプフェールは後継者たちによって模倣され、追随され、マンガは次第にマンガになっていきます。

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July 20, 2005

マンガの祖

 日本でマンガの始まりとしてよく例に出されるのが「鳥獣戯画」。これは平安時代の作品ですが、のちに法隆寺金堂の落書きが発見されたら、おお、偉大なる日本マンガの歴史は奈良時代までさかのぼるのだ、なんてね。ちょっとナショナリズム。

 じゃあ欧米ではマンガの始祖はどうなっておるのか。

 この手の本はあまり持ってないのですが、まず、日本の本では須山計一「漫画博物誌 世界編」(1972年番町書房)。

 この本では「漫画」という言葉を「Caricature」あるいは「Cartoon」の訳語として使っています。ですから、

・人類の最初の漫画といっていい作品は、遠く旧石器時代の遺蹟などに残っている一れんの洞窟画である。

 うーむ、ここまでさかのぼるか。マンガの始祖はプリミティブな絵画であると。続いてメソポタミアの遊戯盤の絵とか、エジプトの「死者の書」が出てきます。以後この本では、「漫画」=「Caricature」=「滑稽を感じさせる戯画的な絵」として話が進みますが、この考え方はちょっと古いかな。

 アチラの本では、ジェラール・ブランシャール「劇画の歴史」(1974年河出書房新社)。著者はフランス人なので、ここで言う「劇画」とは「Bande Dessinee」の訳語です。この本、訳がひどいので評判が悪いのですが、わたしは名著だと思うんですけどね。

 この本でも、バンド・デシネの始まりを旧石器時代の洞窟壁画にもとめています。
ただし、この本で考えられているバンド・デシネは物語性を重視して論じられており、絵と文字、すなわち「デッサンとテキスト」が併用された絵画が、バンド・デシネの祖であると。ヨーロッパ中世には絵と字が交じり合った絵画が大流行してて、教育や娯楽に使用されていました。

 この本で「近代漫画を発明した」として大きく取り上げられているのが、19世紀前半に活躍したジュネーブ出身のロドルフ・テプフェールRodolphe Töpffer(1799-1846)なんですが、実はわたし、この人のことがよくわかってませんので、またいずれ。

 日本では、幕末から明治にかけて来日したワーグマンとビゴーの影響下に、19世紀の近代マンガが始まりましたが、世界的に見て19世紀の大きな事件は、アメリカの新聞マンガ「Comic Strip」の誕生です。

 洋書ですが、Ron Goulart 「The Funnies: 100 Years of American Comic Strip」(1995)の第1章のタイトルは「ホーガンズ・アレイの夜明け」。ホーガンズ・アレイはニューヨークの下町。マンガの主人公、中国人の子供イエロー・キッドが住むところです。

 1896年ニューヨーク・ワールド紙に掲載されたR・F・アウトコールトの「イエロー・キッド」は大成功し、形式的にも現代マンガとほぼ同じものが完成しました。イエロー・キッドの名は、センセーションを売り物にするイエロー・ジャーナリズムの言葉の元になったと言われています。

 全体は複数のコマで形成され、そのコマは時間経過を示している。各コマの内部は、絵とセリフの書かれたフキダシと擬音で構成される。初期のいわゆる漫符も使用されています。物語性があり、最終コマでは笑いのあるオチを持つ。

 マンガは、19世紀末アメリカで、形式が完成し、新聞というマスの流通を得ていました。ほぼ今の形ができたんですね。「夢の国のリトル・ニモ」のウィンザー・マッケイも、この時代の人です。現代のわたしたちが読んで面白く感じるマンガの出現もこのあたりから。

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July 18, 2005

マンガって何

 洋書ですが、「PLAYBOY: 50 YEARS: THE CARTOONS」というケッコウな本がありまして、どこがケッコウかというと、ハードカバーで、でかくて、重たくて、オールカラーで、50ドルというお値段。ただし、内容もそうとうケッコウなものです。

 雑誌プレイボーイの50周年記念の出版物は、「PLAYBOY: 50 YEARS: THE PHOTOGRAPHS」というヌード写真を集めたものも2003年に出版されており、こっちのほうは集英社から日本語版が出てます。「THE CARTOONS」は、この本とペアになる形で2004年に出版されたものですが、さすがに日本語版は刊行されませんでしたねー。

 「THE CARTOONS」は、プレイボーイ誌に50年にわたって掲載されたマンガを集めたものです。ほとんどがヒトコママンガで、多いのはもちろん艶笑ネタ。

 大判の、カラーの、「大人のエロ」の、ヒトコママンガという、すでに日本ではほとんどお目にかからなくなったジャンルですが、450点以上並べられると壮観。このジャンル、アメリカやその他の国では現在もそれなりに人気があるんでしょうか。

 で、これだけのヒトコママンガを眺めていると、マンガをマンガたらしめてるものって、何だろうと。

 コマがふたつ以上並ぶコママンガこそ、もっともマンガらしいマンガといえるでしょう。マンガの進歩はコマの進歩と同義です。マンガの将来は連続したコマの中にこそあり、今後日本においてマンガがヒトコママンガに回帰していくとは、まず考えられません。

 ただし、ヒトコママンガというものは、現在ちゃんと存在しています。ある絵を見て、こりゃマンガだなあと、認識するのは何を見ているんでしょうか。「単純な線」と「デフォルメされた絵」で「滑稽な印象」を与えたらマンガである、という古典的定義は、確かにそれなりに納得できるんですが、現代においてもそうなのか。

 さて、ここにモナリザの絵があるとします。これを見たとき、マンガであると思わせるにはどうしたらいいか。

(1)続きのコマを描く。連続したコマが存在すれば、マンガと認識できそう。

(2)いわゆる漫符を描き加える。コメカミに汗をたらす。目の上に縦の斜線を描く。マンガに特有の記号を追加することで、絵全体の印象がマンガとなります。

(3)フキダシとセリフを描く。擬音でもいいです。マンガの大きな特徴は「絵」と「字」が両立していることです。フキダシとセリフがあれば、これはもうマンガとして読めるでしょう。

 ところが、プレイボーイのヒトコママンガのほとんどは、汗や動線といった漫符の使用や、フキダシ・擬音も無く、静かな一枚絵です。そのかわりに、絵の外部にキャプションが添えられます。多くは、登場人物のセリフです。これがあるとマンガに見える。

(4)絵の外にキャプションを付け加える。

 キャプションは、絵の内部のフキダシとセリフに代わるものといえますが、字を絵の外に持ってくることで、絵の内部から音が消え、どんどん静かになっていきます。音がなくなると、大人マンガになっていくわけですね。

 さらには、キャプションすらないヒトコママンガが存在します。こうなると、形式的には一般の絵画と区別がつかない。ある種のヒトコママンガは、やっぱり絵画と同じものとしか言いようがなくなってしまいます。マンガは形式から離れると、「単純な線」「デフォルメされた絵」「滑稽な印象」という古典的定義にもどってしまうようです。

 コドモの落書きは、どうしても「マンガ的」と感じてしまいます。「滑稽な印象」はなくとも、「単純な線」と「デフォルメされた絵」だけで、わたしたちはそれをマンガ的と認識する。つまりマンガとは絵柄なのでしょうか。

 サタデー・イブニング・ポスト誌の表紙で有名な、ノーマン・ロックウェルの絵には、当然漫符もフキダシもありません。絵柄はかなり緻密ですが、一枚の絵の中にストーリー性があり、ユーモアを感じさせます。わたしたちはこのロックウェルの絵を、「マンガ的」と読み取ってしまう。つまりマンガとは滑稽な印象なのでしょうか。

 結局、現代のわたしたちがある絵をマンガであると認識するには、マンガの構成要素の、形式・絵柄・滑稽のすべてが必要なわけではなく、それぞれが単独でも成り立つような気がします。

 マンガの定義そのものが無意味なのかもしれません。「北斎漫画」から現代のマンガまで、同じ「マンガ」という言葉を使ってはいますが、その意味する内容はまったく別のモノに変化してきたはずです。過去から現在にまで存在する、その時代のある種の絵画をわたしたちは「マンガ」と呼んできました。ところが、マンガは一定の形をとり続けたことはありません。時代にともない対象そのものがどんどん変化しているから、当然マンガ的と考えられるものも変化しています。

 すでに文章中で「マンガ」と書くとき、「Comic」「Cartoon」や「BD」まで含めた大きな意味のマンガなのか、目の大きな少女が活躍する、スタイルとしての「Japanese Manga」なのかを、区別する必要さえ出てきています。

 というわけで、マンガってやっぱりとらえどころのないヌエみたいなモノなのね。今回、中学生の寝言みたいな文章でスミマセン。美術の専門書とか読むと、もっときちんと書いてあるんでしょうけど。

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July 15, 2005

雑記

 マンガの話じゃありません。

■ 映画館で「スター・ウォーズ シスの復讐」を見てきたその夜、TVでエピソード6の「ジェダイの復讐」を放映してたんですが、オリジナルとは音楽とかいろいろ変わっててびっくり。

 オリジナル「ジェダイ」は、森の木陰でドンジャラホイ、と小熊が踊るという貧相なラストだったんですが、放映されたバージョンでは、この直前に全宇宙の各都市が、銀河皇帝が死んだので大喜び、というシーンが挿入されてまして、なかなかスケールが大きくなってました。そして、オビ=ワン、ヨーダ、ダース・ベイダーの幽霊が登場するんですが、ダース・ベイダーはエピソード2・3のヘイデン・クリステンセンに変わってるじゃないですか。昼間に劇場で見たオニイチャンと再開してこれもびっくり。

■ 「マイヤヒー」を歌ってる「O-ZONE」がミュージック・ステーションに出演してました。バックにモナーのフラッシュが流れてまして、「飲ま飲まイェイ」状態。スタジオの大爆笑が聞こえてましたが、東欧の彼らは、アレを知ってたのか、ちょっと可哀想。

■ 今シーズンのTVドラマ、「海猿」「がんばっていきまっしょい」「ドラゴン桜」「電車男」「女系家族」いろいろございますが(まめに見てるなあ>自分)、なにやらスゴイのが天海祐希の「女王の教室」。小学6年生を支配する恐怖の女教師。ラストがどこに着地するかわからない作品で、現役小学生に見せるとあまりの怖さに固まってました。

■ 書庫を整理したのはいいんですが、「ケロロ軍曹」の10巻だけがどっかいっちゃって、ずっと探してるんですが見つからんっ。実は買ったまま読んでなかったもので、買い直すべきかどうか、ああ、どうしよう。というか、どこにいったんだよう。

■ ときどき大手のニュースサイトに紹介されることがあって来訪者が増えます。それはそれでうれしいのですが、なぜか、根性入れて書いた記事は人の目に触れずに、ちゃっちゃと書いたお気楽なエントリばかり読まれることに。しかも、ほとんどの人がリピーターにはなってくれないからなあ。しくしく。

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July 13, 2005

アトムのパンツ

 前回のエントリは、わたし自身のマンガ的ヰタ・セクスアリスと申しますか、二次元で何がエロかったかの思い出であります。普遍性に乏しい話題で申しわけありませんが、「あばしり一家」からさらにさかのぼると。

 手塚治虫が意識して描くエロはちっともうれしくなくって、むしろ人間以外のモノこそ色っぽい、てなことがよく言われます。古いものになると、「メトロポリス」の人造人間、性別を自由に変えられるミッチイとか。「ロスト・ワールド」で悪役ランプに食べられちゃう植物人間の『あやめ』と『もみじ』とかね。

 ただし、わたし自身が二次元のエロを意識したのは、これはもうアトムであります。女性じゃなくて、少年、しかもロボットであったというのが、自分でもなんともですが。

 かつてわたしは、アトムそのものというより、シチュエーションに興奮したようです。アトムのエネルギーがつきちゃって、手足を縛られちゃうのね。アトムは力をこめて抜け出そうとしますが果たせない。どうもこれがよかったらしい。なんかドキドキしたっす。今で言うなら、ソフトSMでしょうか。

 もちろん、アトムの造形そのものが、エロい。だって半裸の少年ですよ。天馬博士が、できるだけ人間に近く造ろうとしたという設定ですから、限りなく人間に近いはずですが、そこはそれ、やはり人間じゃない。

 まず、頭がかたそう。光を反射する素材ですから、少なくとも毛ではなくてつるりんとしてる。皮膚の色は肌色。おそらくは黄色人種ふうの色をしてるのでしょう。硬さはどうか。私のイメージではぷにぷにじゃなくて、プラスチック程度じゃないかと。ここには異論もございましょう。

 足元はブーツを履いたり、初期にはサンダルのようなものを履いたりします。サンダル履きの、足首のないアトムの足は、いかにも女の子っぽい。

 アトムの造形上、最大の疑問はベルトと黒パンツ、あれはなんでしょ。これもきらきら輝いて光を反射する素材。衣服じゃなくて、アトム本体のデザインのように見えますね。

 おそらく、マンガ内でアトムのパンツが着脱できるものとして表現されたのは、悪名高い「アトム二世」(1975年文藝春秋デラックス)だけでしょう。この作品でアトムはパンツをずらして、アクビしながら歯をみがいてました。パンツが脱げるなら当然、その下には性器があったはずで、この作品のみ、アトムは女の子とホテルに行ったりしてます。

 これを例外として、アトムのパンツは脱げるものではなかったはず。つまり、あのパンツそのものが肌です。お尻からマシンガンが出てくる構造みたいだし。アトムの全身の皮膚がプラスチック様の硬さじゃないかと思うのは、頭、体、パンツが同じような物質でできてるような気がするからです。

 さて、寒さを感じないロボットに衣服は必要ないとはいえ、アトムは、普段の生活では服を着てました。やはりもともとが人間らしく作られてるわけですし。ただしそのうちに、年中、ハダカになりたがるようになります。

 初期「アトム大使」でも、サーカスに出演するときや、空を飛び活躍するときはハダカになってます。敵と戦うときに服を着てたら汚れたり破れるから、服を脱ぐのはしょうがないとしても、とくに後半、アトムはほとんどハダカで通すようになります。ウランちゃんやアトムの父母がきちんと服を着ているのと対称的。

 これはもう、服がキライなのか、ハダカが好きなのか。もちろん、アトムというより手塚治虫の変化です。

 実はアトムがこまめに小学校に通ってたころは、きちんと服を着てることが多かったのですが、そのうち学校のシーンがなくなってからは、ずぼらになって、ほとんど服を着なくなります。浦沢直樹「PLUTO」の原作「地上最大のロボット」のアトムも、すっかり服を着なくなったころ、年中ハダカのころのアトムですね。

 でもねー。服を着なくなってからのアトムは色気がなくなった。やっぱりずっとハダカじゃダメ。いざというときに脱ぐのじゃなくっちゃ。後半のアトムが面白くなくなったのも、学校生活が描かれなくなり、アトムが服を着なくなって、未来世界の日常描写に手を抜き出してからじゃないかな。

 さて、浦沢版アトムはもちろん服を着ており、イマドキの小学生の格好をしてます。彼は、いつ脱いでくれるのか。そして、彼のパンツはどうなっているのか。ちゃんと見せてもらいたいものです。

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July 11, 2005

マンガとオッパイ

 最近のマンガでは女の子のパンツが見えるの見えんのと、微妙なレベルで読者が喜んでおりますが、少年マンガに最もヌードが多かったのは、おそらく1960年代末から1970年代前半、まだ劇画的リアルが幼かったころ。そのころはあたりまえに、少年誌で女の子がヌードになってました。始めたのはもちろん、永井豪です。おそらく、彼こそ、少年誌に女の子のヌードを一番多く描いた作家でしょう。

 でもって、少年誌で女性の乳首を最初に描いたのは誰か。これも記憶だけで言うと、永井豪「あばしり一家」じゃなかったか。

 1968年開始の少年ジャンプ「ハレンチ学園」で、小学生の女の子たちは、スカートめくりでフツーにパンツを見せていました。そして1969年、少年チャンピオン創刊号から連載が始まった「あばしり一家」に、ヒロインの男装の麗人・菊之助が登場します。

 極道一家の紅一点で中学生。ハレンチ学園の小学生たちよりスタイルは良く、腕も立つけど、いつも敵に捕われて危機一髪になります。普段は男勝りでも、そういうシーンでは「やめてーっ」と悲鳴をあげて、「必ず」オールヌードになるお約束。明らかに先行していたジャンプより、エロ度は高い。

 ごく初期こそ、乳首は手で隠されたり、何かの影になっていました。ところが、極悪教師たちが孤島の中学校で生徒を殺しまくるという「パラダイス中学」編は、「バトル・ロワイヤル」も真っ青のホラー風味。生首が宙を舞い、美少女もあっさり殺される展開。

 残酷度のエスカレートに伴ない、ヌードシーンも過激になって、菊之助もオールヌードの立ち回り。乳首がチラッと見えました。といっても小さな小さなアルファベットの「c」。このなんでもないシーンに、どれほどのボンクラ小中学生読者が身悶えたか。

 しかし一度描かれると、もうそれはあたりまえの表現となり、この程度では誰も驚かなくなります。その後、敵につかまった菊之助はヌードで十字架にかけられ、真正面から胸がおっぴろげられました。ついに、ここで、乳首と乳輪にスクリーントーンが貼られたのです。このシーン、わたしには全国読者のどよめきが聞こえましたね。この小さな一歩がマンガ表現の大きな飛躍となりました。

 ↑今回、大ボラの可能性高いので、あんまり信用しないでね。

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July 08, 2005

ホームドラマとマンガ

 高橋留美子の新短編集「赤い花束」は、テーマというか読者層というか、かなり年齢層が上の作品集になりましたですな。

 このビッグコミックオリジナルに年1回ずつ掲載される短編シリーズも、3冊目なわけですが、「Pの悲劇」「専務の犬」と続くうちに、登場人物の年令がじわじわ上がってる気がします。

 著者も1957年生まれですから、もうすぐ48歳。今後もずっと少年誌のトップランナーをつとめられるとは考えていないでしょうから、自身の将来の方向性について、いろいろと模索しているにちがいない。やはりねらい目は、高齢者向けマンガか。今回の短編集の登場人物は、高齢者というにはまだリタイアしてませんが。

 収録の全作品とも、中年夫婦の、夫か妻、どちらかが主人公。以前は若奥様が主人公になるのが多かったのに、今回の作品集では、さえない中年の夫が物語の中心です。もちろん年令や主人公の設定は掲載誌によって規定されているのですが、著者にとっても必然の変化じゃないでしょうか。

夫が妻以外の女性によろめくのが2作。
親子断絶が1作。
妻が姑と旅行するのが1作。
老父の介護が1作。
急死した夫の幽霊が主人公なのが1作。

 基本的には、家庭の危機→お笑い+ハートウォーミング系でまとめるパターン。すべて家族の再生がテーマです。

 高齢者向けマンガがテーマにすべきなのは、仕事の成功か、性愛か、趣味か、あるいは世界国家を語るべきか。家族・家庭に回帰するというのは、いかにもありそうで大きなテーマになりそう。

 ホームドラマというのは、日本マンガではしばらく忘れられていました。家族関係を描くマンガは、「巨人の星」とか「美味しんぼ」とか父子の対立パターンが主。かつて少女マンガが描いた家族は、中心に必ず少女がいましたが、今後のホームドラマでは初老の夫婦が中心になってくるんじゃないかな。めざせ「渡る世間は鬼ばかり」。

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July 06, 2005

「フーテン」のおわり

 永島慎二が亡くなりました。

 「フーテン」は、おそらくわたし持っているマンガのうち、最もくり返し読んだ作品です。一時は年に一回かならず読むようにしてました。わたしの手許にあるのは、1972年青林堂刊の上下巻のヤツ。豪華限定版の一巻本も発行されてますが、普及版の上下巻でもハードカバーで立派なものです。

 「フーテン」は1967年虫プロ「COM」で連載が始まり、1968年に永島の長期のアメリカ旅行をはさんで、1969年からは秋田書店「プレイコミック」に連載を移して1970年に終了。

 児童マンガ家・長暇貧治はマンガが描けなくなり、新宿でフーテンと呼ばれる若者たちと遊んでいます。時代は1961年から1963年。このころの長暇を中心に、周辺の若者たちをスケッチした作品です。若者の夢と彷徨を描いた作品として、先駆的かつ名作でありました。

 よく私小説的と言われますが、主人公がマンガが描けなくなったと言って悩むのが新しかった。ここまで女々しい主人公はそうはいません。かつて、わたしがこの作品に強くひかれたのも、この文士的女々しさが心地よかったからじゃないか。ニッポンのオトコノコは弱音を吐くのを禁じられていました。だからこそ、そのタブーを破るヒトビトがうらやましい。

 ただし、長暇貧治はマンガが描けない描けないと言っていますが、実際の永島は、この時期1961年から「漫画家残酷物語」の連作を開始しており、悩みながらも名作を描き続けていました。

 生活は苦しかったらしく、1964年から1966年までは虫プロでアニメ制作に参加。その後1967年からは、「COM」「ガロ」「週刊少年キング」の3誌に同時に作品を発表するという、メジャーとマイナーをまたにかけた活躍。さらに朝日ソノラマなどから単行本も次々と発行され、永島ブームが到来しまた。

 1970年7月、プレイコミックで「フーテン」が終了した時の文章。

この度、P・Cにて1年近く、れんさいさせて戴いた“フーテン”を未完ながら、一度おわらせたいと決心しました。
このところ、又体の調子をくずして、再度入院することとなり、その上、現在の私は作品を作る意欲にかけます。
このまま描きつづけることは、たとえできたとしても。それは惰性にすぎず、読者諸兄および自分にまでウソをつくと、イヤ、うそをつきつづけることになると考えるのです。

少しオーバーにいえば“フーテン”は私のライフワークになるはずでした。その“フーテン”をはなしなかばで投げだす漫画家としての私は、すでに職業漫画家としては失格で、今までも何回か作品なかばにして挫折して来ましたが、今度の場合その集大成とも、いえるのではないかと思います。

 少年キングの「柔道一直線」からの降板はこれより先、1970年春です。永島慎二はいつまでも「悩めるマンガ家」でした。

 1972年に少年向け短編で小学館漫画賞受賞。1980年代からはストーリーマンガからはほぼ引退状態となり、イラストや「旅人くん」などの4コマ中心に。晩年には、「フーテン」続編として虫プロ興亡記なども計画されていたようですが、果たせぬ夢となりました。

 ご冥福をお祈りします。

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July 05, 2005

クロマティ高校事件解決策

 クロマティ氏から怒られた「魁!!クロマティ高校」ですが、丸くおさまる解決策をいくつか。

■更生する

 クロマティ氏の一番の不満は、「青少年の健全育成に取り組んでいるのに、不良少年をテーマにした漫画などに名前が使われ憤りを感じている」ことだそうです。だったらこの際、クロマティの意向に沿うよう、みんな更生しちゃうのはどうか。

 不良とはいいながら、クロ高の連中、ほとんどそれらしい活動してないし、「今日からみんなマジメになりましたっ」とか宣言しても、今後のマンガの展開を変える必要はありません。

 クロマティ氏も自分の一声で、不良少年たちを更生させたことで、すっかり満足。

■名前を変える

 クロマティ高校でなきゃいけない理由は無いんだから、この際、学校名、ついでにタイトルを変えちゃうのはどうか。

 新タイトルは「クロマティ氏に怒られたから魁!!クロマティ高校改め○○高校」ということにして、誌上で新しい名前を募集すれば、それなりに盛り上がっていいんじゃないかしら。

 映画は作り直すわけにはいかないから、タイトルだけ変更して、作中にクロ高の名が出てきたときは、「ピー」音で消しておけばよろしい。

■登場させる

 クロマティ氏の名前だけいただいて、クロマティ氏をマンガに登場させなかったのがいけなかったのかもしれない。今からでも遅くないから、クロマティ氏をマンガ内キャラクターにしてしまうのはどうか。いろいろギャグをしていただく。

 有名人をフィクションの中に登場させて、茶化したり批判したりするのは、TVでも映画でも、世界中でやってる手法ですが、これを訴えるやつはめったにいません。むしろ風刺や批判の対象にしたほうが、訴えにくくなるはずです。

■あやまる

 ひたすらあやまって許してもらうのはどうか。

 もちろん、マンガ内でマンガの登場人物たちがクロマティ氏にあやまりに行くのですよ。ゴリラもメカ沢もフレディも、キャラクター全員で頭を下げれば、許してくれないかなあ。

■居直る

 これでもだめなら、居直るのはどうか。

 マンガ内に実在の人物の名が出てくるのは、マンガという表現形式の必然であるとか言っちゃうわけですな。川上だって、長嶋だって、マンガの登場人物だったんだよ。アメリカの「MAD」なんか、今でも全ページ実在の人物ネタだよ。

 もし裁判になれば、裁判経過を野中英次調でマンガでレポートすれば、おお、マンガの新しいジャンルができるかもしれない。


 いずれにしても、実在の人物がギャグマンガにクレームをつけるという、深刻ながらも笑える展開なんですから、これをマンガ内で利用しない手はありません。今後に注目。

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July 04, 2005

バイトくんの風景

 いしいひさいち「大阪100円生活」が発売されてます。「バイトくん」が主人公の、相変わらずの貧乏大学生マンガですが、この本には、いしいひさいちのエッセイ(というか短文)が掲載されており、これを読んでてちょっと驚いた。

 著者が大学生時代に、万博へ向かう電車がえらいこと混雑しておったという記述がありまして、ああそうだった。いしいひさいちが1951年生まれ、1970年大阪万博のときに19歳。つまり、バイトくんがサンダル履きでうろうろしているあの街は、1970年前後の大阪だったか。

 何を今さらとお思いでしょうが、著者が「日刊アルバイト情報」にマンガ連載を開始したのが1972年。ちなみに、いしいひさいちも投稿した虫プロ「COM」が休刊したのが1972年。「Oh!バイトくん」がチャンネルゼロから同人誌として発行されたのが1974年から1977年。プレイガイドジャーナル社版の「Oh!バイトくん」発行が1977年11月。「タブチくん」のアクション連載開始が1978年で、単行本が発売された1979年にはベストセラー作家に。

 いしいひさいちが全国レベルに登場したのが1978年。政治の時代はすでに終わり、学生はシラケていると評されたころ。ニュートラやらハマトラやらサーファーの時代です。

 マンガ方面ではニューウェーブと呼ばれた一団がいました。読者がいしいひさいちの「バイトくん」をどう見ていたかというと、ニューウェーブ・マンガのトップランナーで、オシャレな大学生活に対するアンチの表明であると。初期バイトくんにときどき出てきた「東淀川貧民共和国」も、すでにアナクロになっていた学生運動の戯画である、とまあ当時のわたしは考えておりましたね。

 ところが、著者が大学生時代から描き続けているバイトくんは、まさに政治の時代の生き残り。1970年前後の大学生は、いかにノンポリとはいえ時代の影響を受けないはずはありません。「東淀川貧民共和国」のデモは、まさに今そこで起きている事実を描いたもの。彼らの貧乏は、時代に対するアンチでもなんでもなくて、そのままのリアルだったのか。

 「大阪100円生活」を読んで、バイトくんは、1975年連載開始の「嗚呼!!花の応援団」より先行していたことを再確認した次第です。

 さて、1970年からも1978年からも遠く遠く離れてしまった現代、バイトくんは何をしているかというと、十年一日どころか、三十年一日の永遠の貧乏生活です。さすがにヘルメットにタオルでマスクの学生は登場しなくなりました。

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July 01, 2005

居候するバケモノたち

 今回の「武蔵対七人の侍」事件はいろいろ考えさせられます。NHK「武蔵」が黒澤明「七人の侍」を盗作したシーンがあるとして裁判になったものです。ここで争われたのが著作権の問題。

・著作物とは、思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

 法律上は、アイデアは模倣してもいいけど、表現はマネしちゃダメ、とされます。ここの線引きが難しいのですが、今回の判決では、雨中の合戦、とか、地面に刀を刺しておき合戦の途中で交換する、とかは表現じゃなくてアイデアであるとされました。だからマネしてもいい。

 まあ今回は誰がどう見てもパクリなんですが、むしろ、積極的に模倣が行なわれることで表現の進歩があるから、法律はこれを許しているのでしょう。

 よく言われることですが、初めてタイムマシンを小説に書いたのはH・G・ウェルズ。なんというすばらしいアイデア。でも、その後に2番目・3番目とマネするやつが出てきたからこそ、時間旅行モノというジャンルができたわけですし、タイム・パラドックスなんて思考実験もされるようになりました。最初とその次にマネしたヤツ、きっと白い目で見られたでしょうが、あんたたちの功績はでかいぞ。

 タイムマシンのようなアイデアだけじゃなくて、ストーリーと絵さえ似ていなければ、設定や構成なら、いくらマネしてもいいのかな。

 藤子不二雄が得意とした「人外のバケモノ居候」ジャンルがあります。「オバケのQ太郎」(1964年週刊少年サンデー)から「ドラえもん」までの例のヤツ。

 平凡な少年のところにオバケがやってきて、居候する。個性の異なる主人公をふたり置くことができ、そのふたりに漫才をさせることができる偉大な設定です。

 オバQ以前にも当然居候は存在してまして、おそらくは益子かつみ「快球Xあらわる!!」(1959年週刊少年サンデー)あたりがそのルーツか。野球ボール型の宇宙人が、のび太くんに似たナサケナイ少年を助ける話。オバQは、この設定を模倣したと言えます。

 藤子不二雄Aは「オバケのQ太郎」の成功後、同じ1964年に同タイプの居候マンガ「忍者ハットリくん」(少年)を開始しています。おそらく藤子の名でこのパターンを続けたことが、ジャンルを完成させたのじゃないかしら。

 オバQ後は、昔の怪獣やら宇宙人やらは、たいてい居候してました。長谷邦夫「しびれのスカタン」(1965年少年画報)とか、板井れんたろう「おらぁグズラだど」(1967年週刊少年サンデー)とかね。もちろん藤子不二雄ブランドの居候マンガは次々と続きました。

 このジャンルは「ドラえもん」という大ヒットの後、「うる星やつら」を経て「ケロロ軍曹」にまで至ります。さらには、「ヒカルの碁」も「デスノート」もこのパターン。わたしには、佐為もリュークもドラえもんに見えてしょうがない。

 こうして模倣が重ねられ、居候マンガは子供マンガの王道となりました。

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