リアルのレベル「しおんの王」
森田拳次「丸出だめ夫」は、週刊少年マガジンに1964年から1967年まで連載されました。発明家の父と、0点ばっかり取ってる息子、だめ夫のお話。
珍奇な発明品をめぐるギャグ作品でしたが、登場人物の性格も笑いのパターンもおとなしく、月刊誌時代の生活ユーモアマンガのバリエーションといえます。武居俊樹「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」では、赤塚不二夫がマガジンに「天才バカボン」を連載開始するとき、「あの程度のものが通用するのって、良くないと思うんだ。森拳は、オレの友達だよ。だけど、あの漫画ぶっとばしたいの」と発言していたことになってます。
「丸出だめ夫」の主要登場人物に「ボロット」という名のロボットがいました。ボロットが、だめ夫と父の父子家庭にお手伝いさん代わりに参加してから、このマンガに人気が出ました。円筒形をした古典的スタイルのロボットですが、家事全般なんでもこなす賢いヤツ。
ところが、ボロットには声を出す機能がありません。で、ボロットはどうやって会話するかというと、何枚も大きなボール紙を持ち歩いているらしく、自分のセリフをこれに手書きして示すわけです。字を書いているシーンはほとんどありません。だめ夫のフキダシのセリフと、ボロットの持つ紙のセリフで、普通に意思疎通が取れてお話は進行します。高性能のロボットなのに、手書きの紙、というのがギャグでした。
安藤慈朗/かとりまさる「しおんの王」で、同じことをやってます。
主人公の安岡紫音は中学1年生にしてプロ女流棋士(1巻では11歳)。幼児期に両親を殺害され、それ以来声が出せなくなっています。ですから彼女のセリフは彼女の持ち歩くメモ帳に書かれ、相手に示される。
実際にやってみればわかりますが、筆談ってのは、自分が書くほうでもけっこう時間がかかる。その間、相手を待たしてるから、あせって字が読みにくくなっちゃったり。相手が書いてるときは手持ち無沙汰になって、相手の手元を覗き込んだり。
・ライバルの沙織が自動販売機の前で、紫音にたずねる。「コーヒーでいいかしら?」 紫音がメモを示して「ココアを」
・名人に出会ってあいさつ。「よお元気かい」 紫音がメモを見せて「はい!」
スムースにお話が展開します。紫音が字を書くシーンはいっさい描かれません。でも「はい」なんてのはふつう動作で示さないか?
・病気になった紫音。養母が「まだ足元がフラついてるじゃないですか」「対局なんて無理ですよ!」 汗をかく紫音の横顔。紫音がグイッと養母を押しのける。次のコマで紫音がメモを示して「行きます。自分で決めたことだから」
これだけの文章を手書きするには、わたしが実験したところ約14秒。どうも汗をかく横顔のシーンで、紫音は苦しんでいたのではなく、一生懸命字を書いていたらしい。
マンガの表現に、どこまでのウソを受け入れるか、逆にどこまでリアルを求めるか。これはマンガのジャンル、作風によって異なるし、もちろん日本とアメリカでも違うはず。マンガのリアルのレベルは一様ではありません。
女子高校生で、女流棋士で、大金持ちで、美形の運転手を呼び捨てにしてエラソーに命令してるヤツが登場しててもいい。美人でメガネっ娘の女流棋士、ミニのワンピースにポシェットを斜め掛け、でも実は男、というヤツがいてもいい。これは日本マンガの世界では問題なく許される範囲でしょう。
筆談によるスムースな話の展開は、「丸出だめ夫」では問題なくOK。でも「しおんの王」という作品世界ではどうか。おそらく作者は承知の上で、筆談のリアルよりテンポを優先させています。確かに筆談で字を書くシーンをすべて省略しちゃうのは、演劇や映画・アニメでは困難で、マンガならでは演出ではあります。
Comments
リュウの道、一時は繰り返し読んでましたねー。アイザックってネーミングが稚気あふれてました。
Posted by: 漫棚通信 | June 24, 2005 08:46 PM
石森の「リュウの道」の「アイザック」も敵に改造されるまで喋れない。めっちゃ不便。それに、
筆談を誰も思いつかんのかとツッコンだ読者は私だけではないはずだ。
リュウが知りたい過去のできごとを
単に知らないということにしとけばよかったのに・・・。
Posted by: 砂野 | June 23, 2005 03:12 PM