「最強伝説黒沢」比喩とは妄想である
レトリックのうち比喩は、文章でよく使われる手法でしょう。たとえばモハメド・アリのボクシングは、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われました。
で、この文章がマンガのシナリオにあった場合、マンガ家はどんな絵を描けばいいのでしょう。これはもう、チョウとハチの絵を描くしかないのじゃないか。でも、「あしたのジョー」の試合の場面にオーバーラップして、チョウとかハチが描かれてるのを想像してみて下さい。あんまりかっこよくないよなあ。文章じゃかっこいいのに。
「ふき出しのレトリック」によると、こういうのは「直喩」とか「明喩」というのが正しいみたいですね。
文章の場合の比喩は、字面も関係するし、読者の脳内でその絵を空想させるからこそ有効。実際にそれを絵解きすると、ヤボになっちゃうかな。
ただし、これを好んで多用するマンガ家がいます。福本伸行です。
「カイジ」シリーズの主人公のカイジが、危機的状況におちいる。そのとき、その状況は心理描写として、何かにたとえられ、彼の独白とともに具体的に描かれます。
「その思考によって」「解きほぐされていく」「心理という名の結び目」とあって、複雑に絡み合った縄の絵が描いてある。
ギャンブルの行く手に希望が見えてきたとき。「とても開きそうになかった」「勝ちへの扉が今軋みつつ動き出した」「扉は開かれたのだ」「そしてそこから一条の光」とあって、ドアが開き、暗い部屋に光がさす絵。
くり返し登場するのが、クレバスの前で立ちすくむカイジ。「これはまず飛べる距離なんだ……!」「つまり勝てる勝負……!」 カイジがクレバスを飛び越える絵。
「渡らせてください……! このか弱い橋を……!」とあって、壊れそうなつり橋を渡るカイジ。
「ギャンブルという魔物の…」「その粘ついた触手に」「捕まってしまった……!」 実際に魔物の手が人の手をつかんでいる。
笑ったのが、「てめえの勝負の幕はもう降りかけてんだよ…!」 カイジの目の前でホントに『幕がおりかけてる』んですが、いったい何の幕かしら。
とまあ、わかりやすいというか、ベタというか、あまりに具象的というか。これが味なんですけどね。
さて、福本伸行「最強伝説黒沢」の6巻です。この巻で、比喩表現が新しい展開を見せました。
かわいい女の子から「置いてこうよもう……!」「このオランウータン…!」と罵倒される黒沢。彼の心の中の映像では。なぜか西部劇に出てきそうな町。火事で大騒ぎの中、赤ん坊のオランウータン、マイケルを抱く少年。「置いとけないよっ……!」 それに対して父親が「置いていくんだっ…!」 父と子の口論があって、結局マイケルを置いて逃げる少年。「ごめんよっマイケル…!」「マイケル〜…!」
いつもの比喩かと思えば、黒沢の妄想であります。
自分の日々の不安を、とりあえず心の押し入れにしまっておく黒沢。「面倒な事を全部詰め込んだ…………」「押し入れ……」「そのふすまを恐る恐る……」「開けてみるんだ………!」 実際に押し入れを開ける黒沢。「暗黒へと続く……………」「奈落っ…!」「千尋の谷っ…!」 実際に深い谷が口をあけています。で、そこで黒沢の行動が、ふすまをピシャッと閉めて、「み…見なかった事にしよう……!」 涙でぐしゃぐしゃの黒沢の顔。
比喩で始まったはずの場面の中で作中人物が行動し、ギャグをかましております。この場面、黒沢が自身の内面を他人に語るシーンですから、座談の中でオチをつけてるんですね。
マンガ表現においては、作者が仕掛けた比喩は、作中人物の妄想と不可分であることがわかります。だから、比喩表現がエスカレートして、妄想に変化することも可能。マンガにおけるレトリックは、文章によるものとはかなり違うんだなあ。
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