武士道と「シグルイ」
山口貴由/南條範夫「シグルイ」4巻が発売されてます。相変わらずの肉体破壊と、それを上回る妄執がげろげろげーで、大変おもしろい。
「シグルイ」=「死狂い」は江戸中期に書かれた「葉隠」に出てきます。葉隠以前に「死狂い」という言葉があったのかどうかはよく知りません。葉隠は、佐賀鍋島藩の山本常朝が武士道を説いた書物ですが、幕末には幕府側にもこの言葉を使っている人がいて、それなりに有名だったみたい。
「武士道は死狂いなり」 刺激的なキャッチコピーです。死を賭して狂わんばかりになって目的を達成せよ。「武士道というは死ぬことと見付けたり」なんてのもありました。こっちのほうが有名かな。常に死を意識して生きよ。で、何のために死ぬかというと、もちろん主君のためです。
ただし葉隠が書かれたのは太平の江戸中期でして、書かれたときからすでにアナクロな精神訓であったようです。サムライが平和に慣れへらへらしてたから、武士道の教科書が必要だった。葉隠を語った山本常朝も、赤穂浪士と同時代、元禄の太平に生きる学者でした。山本はこの時代の若者を、「損得我儘」ばかりで、「我さへ快く候えば何も構わず」の、あかんたればっかりと嘆いております。いつの世にもある「いまどきの若い者は」というやつですな。
戦国時代の武士は下克上の世界で、裏切り裏切られはあたりまえ。君臣関係は絶対的なものでなく、ある種の契約に基づくもの。主君に対する忠節よりも、自分の家族・家来・領民を守ることこそ大切でした。ところが武士「道」が説かれたときには、主君第一に変化しちゃいます。
その後、幕末の動乱を経て明治になってから「葉隠武士道」は、明治政府体制確立のため、とくに軍人教育において積極的に利用されました。軍人が葉隠の言うように死ぬことを目的にすれば、引くことを知りません。武士道は武士がいなくなってから完成されたとも言えます。
さて、「シグルイ」の世界は江戸初期。葉隠が書かれるよりかなり前の時代です。登場する武士たちは、自身の欲望とメンツのために生きています。結果として、文字通り、「死」に「狂って」いるわけで、奇妙にねじくれた個人主義の権化。葉隠武士道とはまったく別物です。
でもわたしは「シグルイ」の中の武士たちが、葉隠武士よりも好きなのよ。共にアンリアルの存在なのかもしれませんが、個人の欲望に忠実な分、人間らしいじゃないですか。
Comments
ゴメンナサイ、わたしにもわからんのですよ。ま、シグルイはあと10年ぐらい続きそうだから、のんびり待つということでひとつ。
Posted by: 漫棚通信 | July 27, 2005 06:20 AM
はじめまして。ベンと申します。
自分もシグルイにはまっております。
掲載誌を見ていないので今どういう状況なのかよくわからないのですが、夕雲というのは何者なのでしょうか?
そして4巻で九郎衛門が殺られたときに伊良子の後ろにいた巨漢ともう一人の女性(いく?)は誰なんでしょうか?よろしくおねがいします。
http://www.dennoukukan.com/
Posted by: ben | July 26, 2005 11:51 PM