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June 30, 2005

マンガの買い方

 マンガを買うには、まめに書店に通って、おお、ついに出たか、なんてのがほんとはいいんでしょうが、これだけ発行点数が増えますといろいろ大変。以前には、ニュースグループに書き込まれた翌月のマンガ発売予定とか、ニフティのFCOMICに掲載されるものを利用してました。月の終わりに翌月に買うマンガをこれでチェックする。あくまで「予定」で、発売中止とか延期になるものも多いのですが、それはそれで楽しかった。

 テキスト形式の発売予定をエクセルの表になるように加工して、さらにファイルメーカーで読み込んでデータベース化してました。1988年以降については揃ってましたが、これが調べものをするときなかなか便利だったんですよ。

 ところが、ネットが進歩しちゃいますと、まずオンラインで検索するから、この自分でつくったデータベースを見ることがほとんどなくなっちゃいました。それにファイルメーカーに加工するのがけっこう手間がかかる。

 それと、これしてるとどうしても買うマンガが保守的になっちゃって、知ってる作家だけを追いかけるようになっちゃう。わたしがコメントする作品に、最先端のものが少ないのは自分でもよくわかってます。いかんなあ。

 というわけで、昨年末より自分で発売予定をチェックするのをやめちゃったんですが、ところが今度は買い逃しがずいぶん増えてしまって、書店の棚にありゃりゃと思う作品を見つけることがあります。すでに数ヵ月前に発売されてたことを知って愕然としたり。

 最近なら、三宅乱丈/大山あつし「ヒーローズ」の2巻が発売されて完結してるじゃないか。1巻ていつ出てたんだよー。

 いずれにしてもすべてのマンガを読むのは不可能。時間と金には限りがあります。ネット上のおすすめマンガも、取捨選択しなきゃいけないし。自分にとってベストのマンガの買い方、読み方ってむずかしいなあ。

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June 29, 2005

「もやしもん」大学マンガは学習マンガ

 で、前回からの続きになりますが、大学マンガが読者にとって未知の世界を紹介するのなら、これは学習マンガにほかならない。うんちくマンガと言ってもいいのですが、石川雅之「もやしもん」あたりになると、読者に示すのは、へぇと言わせるような雑学じゃありません。ある分野の知識を積極的に教えたい、という欲望がうかがえる。

 このマンガでは、発酵についての知識や細菌学について、教科書なみにきちんと伝えようとしています。とくに第9話で展開される、どぶろくの造り方。

 コメとコウジと空気中の酵母。さらにオニギリにくっついていた乳酸菌。これらからいかにして、雑菌を繁殖させずにどぶろくを造るのか。このマンガでは、擬人化された細菌たちがわあわあ騒ぎながら、どぶろくができあがっていくのが描写されます。

 これを学習マンガと言わず何と言う。主人公は、菌を擬人化して見ることができる能力を持っています。しかも、菌の種類によって、こいつらの顔がそれぞれ違うんだよー。まさにこのマンガ的超能力のせいで、楽しい学習マンガができました。戦前戦後、子供マンガが目指した、古典的な「面白くてためになる」マンガとは、こういうものではなかったか。

 ただ、学習マンガだからこそ、ひとことだけ。

 第7話で、樹教授が顕微鏡をのぞいただけで、O-157を断言してますが、これはムリでしょ。教授がのぞいているのは光学顕微鏡ですから、もし菌が見えても、大腸菌の鞭毛は特殊な染色をしない限り見えず、桿菌であることがわかるだけ。神のごとき目を持っていないと大腸菌とは判定できません。さらに、O-157てのは血清型による大腸菌の分類です。酸に強いことを考慮しても、O-157とは断定できないはず。

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June 26, 2005

大学漫画物語

 わたしの同居人は、自称、日本で6番目のお嬢様女子大を卒業したことになってまして、しかもバブル絶頂期の女子大生だったもんで、一応、ボディコンでぶいぶい言わしとったわけですな、これが。

 ところが、彼女は間違いなくその大学で、ナンバーワンの貧乏人だったので、当時の話がおもろくてねー。同級生に何やらイベントに誘われたとき、金が無いから行けへんわ、と断ると、「○○さん、意地をはらずにお父様におっしゃればよろしいのに」

 そのお父様からして貧乏人なんじゃー、とはツッこめず、おほほと笑っておったそうです。このように、ヒトの学生時代の話はオモロイ。とくに自分の知らない世界のことは。

 最近、大学マンガが増えてきてませんか。「もやしもん」と「げんしけん」を連続して読んだからそう思うのかしら。「もやしもん」が農業大学。「げんしけん」が大学のオタク部。文系の学部かな? 「ハチミツとクローバー」が美大。「のだめカンタービレ」が音大。どれも知らない世界で、しかも大学生という、まだ何者にもなっていない連中の話だから、基本的にお気楽で楽しい。

 かつて1960年代、加山雄三の映画「若大将」シリーズが能天気な大学生活を描いていた時、これに対応して大学生活を描くようなマンガは存在しませんでした。おそらくは、少女マンガのうち、アメリカを舞台にしたマンガが大学生活を描いていたんじゃなかったっけ。本村三四子「おくさまは18歳」は、TV版とは違ってアメリカの大学のお話でした。

 少年・青年マンガでは、ぎりぎり浪人生活までは描かれてました。松本零士「男おいどん」とか。青年マンガでの大学は、学生運動の場だったり、ドロップアウトすべき場所で、勉強や生活が描かれていたわけではなかった。

 青年マンガで大学生活をちゃんと描いたのは、まず、どおくまん「嗚呼!!花の応援団」。続いて、いしいひさいち「バイトくん」。関西・ギャグ・大学は親和性が高いのかしら。

 西村しのぶ「サード・ガール」が1984年。わたしは少女マンガにくわしくないのですが、きっといっぱいオシャレ系大学マンガってあったに違いない。江川達也「東京大学物語」が1992年。ねじくれた大学マンガと言えなくもない。

 佐々木倫子「動物のお医者さん」(1988年)こそ、現在にいたる大学マンガの元祖でしょう。読者の知らない特殊な分野を専行する学生たち。彼ら、あるいは彼らの教師たちも浮世離れしており、ある種この世の楽園を形成しています。ハチクロ、のだめ、もやしもんは、すべてハムテルとチョビの子供たちであります。

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June 24, 2005

武士道と「シグルイ」

 山口貴由/南條範夫「シグルイ」4巻が発売されてます。相変わらずの肉体破壊と、それを上回る妄執がげろげろげーで、大変おもしろい。

 「シグルイ」=「死狂い」は江戸中期に書かれた「葉隠」に出てきます。葉隠以前に「死狂い」という言葉があったのかどうかはよく知りません。葉隠は、佐賀鍋島藩の山本常朝が武士道を説いた書物ですが、幕末には幕府側にもこの言葉を使っている人がいて、それなりに有名だったみたい。

 「武士道は死狂いなり」 刺激的なキャッチコピーです。死を賭して狂わんばかりになって目的を達成せよ。「武士道というは死ぬことと見付けたり」なんてのもありました。こっちのほうが有名かな。常に死を意識して生きよ。で、何のために死ぬかというと、もちろん主君のためです。

 ただし葉隠が書かれたのは太平の江戸中期でして、書かれたときからすでにアナクロな精神訓であったようです。サムライが平和に慣れへらへらしてたから、武士道の教科書が必要だった。葉隠を語った山本常朝も、赤穂浪士と同時代、元禄の太平に生きる学者でした。山本はこの時代の若者を、「損得我儘」ばかりで、「我さへ快く候えば何も構わず」の、あかんたればっかりと嘆いております。いつの世にもある「いまどきの若い者は」というやつですな。

 戦国時代の武士は下克上の世界で、裏切り裏切られはあたりまえ。君臣関係は絶対的なものでなく、ある種の契約に基づくもの。主君に対する忠節よりも、自分の家族・家来・領民を守ることこそ大切でした。ところが武士「道」が説かれたときには、主君第一に変化しちゃいます。

 その後、幕末の動乱を経て明治になってから「葉隠武士道」は、明治政府体制確立のため、とくに軍人教育において積極的に利用されました。軍人が葉隠の言うように死ぬことを目的にすれば、引くことを知りません。武士道は武士がいなくなってから完成されたとも言えます。

 さて、「シグルイ」の世界は江戸初期。葉隠が書かれるよりかなり前の時代です。登場する武士たちは、自身の欲望とメンツのために生きています。結果として、文字通り、「死」に「狂って」いるわけで、奇妙にねじくれた個人主義の権化。葉隠武士道とはまったく別物です。

 でもわたしは「シグルイ」の中の武士たちが、葉隠武士よりも好きなのよ。共にアンリアルの存在なのかもしれませんが、個人の欲望に忠実な分、人間らしいじゃないですか。

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June 22, 2005

リアルのレベル「しおんの王」

 森田拳次「丸出だめ夫」は、週刊少年マガジンに1964年から1967年まで連載されました。発明家の父と、0点ばっかり取ってる息子、だめ夫のお話。

 珍奇な発明品をめぐるギャグ作品でしたが、登場人物の性格も笑いのパターンもおとなしく、月刊誌時代の生活ユーモアマンガのバリエーションといえます。武居俊樹「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」では、赤塚不二夫がマガジンに「天才バカボン」を連載開始するとき、「あの程度のものが通用するのって、良くないと思うんだ。森拳は、オレの友達だよ。だけど、あの漫画ぶっとばしたいの」と発言していたことになってます。

 「丸出だめ夫」の主要登場人物に「ボロット」という名のロボットがいました。ボロットが、だめ夫と父の父子家庭にお手伝いさん代わりに参加してから、このマンガに人気が出ました。円筒形をした古典的スタイルのロボットですが、家事全般なんでもこなす賢いヤツ。

 ところが、ボロットには声を出す機能がありません。で、ボロットはどうやって会話するかというと、何枚も大きなボール紙を持ち歩いているらしく、自分のセリフをこれに手書きして示すわけです。字を書いているシーンはほとんどありません。だめ夫のフキダシのセリフと、ボロットの持つ紙のセリフで、普通に意思疎通が取れてお話は進行します。高性能のロボットなのに、手書きの紙、というのがギャグでした。

 安藤慈朗/かとりまさる「しおんの王」で、同じことをやってます。

 主人公の安岡紫音は中学1年生にしてプロ女流棋士(1巻では11歳)。幼児期に両親を殺害され、それ以来声が出せなくなっています。ですから彼女のセリフは彼女の持ち歩くメモ帳に書かれ、相手に示される。

 実際にやってみればわかりますが、筆談ってのは、自分が書くほうでもけっこう時間がかかる。その間、相手を待たしてるから、あせって字が読みにくくなっちゃったり。相手が書いてるときは手持ち無沙汰になって、相手の手元を覗き込んだり。

・ライバルの沙織が自動販売機の前で、紫音にたずねる。「コーヒーでいいかしら?」 紫音がメモを示して「ココアを」

・名人に出会ってあいさつ。「よお元気かい」 紫音がメモを見せて「はい!」

 スムースにお話が展開します。紫音が字を書くシーンはいっさい描かれません。でも「はい」なんてのはふつう動作で示さないか?

・病気になった紫音。養母が「まだ足元がフラついてるじゃないですか」「対局なんて無理ですよ!」 汗をかく紫音の横顔。紫音がグイッと養母を押しのける。次のコマで紫音がメモを示して「行きます。自分で決めたことだから」

 これだけの文章を手書きするには、わたしが実験したところ約14秒。どうも汗をかく横顔のシーンで、紫音は苦しんでいたのではなく、一生懸命字を書いていたらしい。

 マンガの表現に、どこまでのウソを受け入れるか、逆にどこまでリアルを求めるか。これはマンガのジャンル、作風によって異なるし、もちろん日本とアメリカでも違うはず。マンガのリアルのレベルは一様ではありません。

 女子高校生で、女流棋士で、大金持ちで、美形の運転手を呼び捨てにしてエラソーに命令してるヤツが登場しててもいい。美人でメガネっ娘の女流棋士、ミニのワンピースにポシェットを斜め掛け、でも実は男、というヤツがいてもいい。これは日本マンガの世界では問題なく許される範囲でしょう。

 筆談によるスムースな話の展開は、「丸出だめ夫」では問題なくOK。でも「しおんの王」という作品世界ではどうか。おそらく作者は承知の上で、筆談のリアルよりテンポを優先させています。確かに筆談で字を書くシーンをすべて省略しちゃうのは、演劇や映画・アニメでは困難で、マンガならでは演出ではあります。

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June 19, 2005

「卓球社長」の先進性

 マンガ分野にも2007年問題というのがあるそうで、中野晴行「マンガ産業論」によりますと、1947年生まれのベビーブーマー第一陣が、定年を迎えるのが2007年。60歳を越えた彼らはマンガ雑誌を買わなくなっちゃうんじゃないか、という問題。

 自分がひとよりはマンガを買う人間なもんで、これって予測がつかんです。マンガに限らず、面白そうなモノを見のがしたくないっ、という欲求があってこそ、いろんな分野を覗いていくんでしょうが、社会からリタイアしてからもそういう欲求が残るのかどうか。年取ると新しいマンガが読みにくくなってくるのは確かですね。

 いっぽう、雑誌を作る側からは、高齢者向けのマンガ制作が始まっております。高齢者向けのマンガというと、枯れた人情話か、逆にギンギンにアブラぎって、若い者に負けんぞーという話か。島耕作シリーズも高齢者向けになってきてますな。

 ひとつのサンプルが、島本和彦「卓球社長」です。主人公は会社社長。普通に人格者ですが、趣味が卓球。温泉卓球のレベルでは、無敵です。で、この社長が、社員や取引先と卓球で「勝負」する話。ちゃんとしたスポーツマンガで、かつ、島本和彦ですから、燃えます。

 卓球というのが微妙。ゴルフみたいに金と時間をかけたら何とかなる(かも)というスポーツとは違います。若い方がもちろん有利とはいえ、メジャースポーツじゃない分、鍛錬した高齢者が勝つ事も可能。

 主人公の年令設定が、昭和23年に高校一年生というから、このマンガが最初に描かれた1997年には、66歳。この主人公で、スポーツマンガで、ギャグになってる。こういうのも先進性というのじゃないか。


 追記:ここまで書いたあと書庫を覗いていたら、さらに先輩、水島新司「野球狂の詩」の岩田鉄五郎がいましたね。初登場時は50歳で現役投手でした。30年以上前の作品なのに、水島新司は変わらんなあ。この作品は子供向けだったはずなんですが、最近の作風と一緒。あぶさんって今いくつになってるんでしたっけ。

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June 17, 2005

困った本「少女まんがの系譜」

 タイトルにいつわりあり。二上洋一「少女まんがの系譜」のことです。

 このタイトルで、オビに「少女まんが全史を総覧 長年、担当編集者として現場に立ちあってきた著者による、書き下ろしまんが史、まんが論」とあれば、米沢嘉博の「戦後少女マンガ史」や「別冊太陽 子どもの昭和史 少女マンガの世界」も古くなったし、それ以来だなあ。と、思うでしょ。ところがさにあらず。序章にはこのように。

・この稿の目的は、「漫画の歴史」を見ていくことではない。
・これは評論書ではない。歴史書でもない。
・資料が散逸したり、少女まんがの世界に関するエピソードが捻じ曲げられて残ったり、消滅する前に、あるがままの形で後代に伝えたいというのが真意である。

 おおそうか、知られざるエピソードが読めるのか、と思ったら、あとがきでは、

・すでにオープンになっている伝説的なエピソードや、人名辞典に記載されている生年や経歴だけを書かせていただきました。

 どないやねん。

 結局どんな本かといいますと、まず巻末に、かなり詳細な少女マンガ作品年表が載ってます。わたしは年表を読むのが好きなのですが、フツーの読者にはつらいかも。で、著者がその年表をながめながら、人名と作品名をただただ、羅列していく、という本です。

 最初に少女マンガの起源として、田河水泡「スタコラサッチャン」をあげています。戦後の少女マンガは、わたなべまさこ・牧美也子・水野英子の3人から始めてますが、これは米沢嘉博と同じ。途中には、里中満智子・一条ゆかり・内田善美・くらもちふさこ、4人の長めの作家論があったりします。

 が、それ以外は、作家と作品の名がひたすら、ずっと続きます。作家のエピソードなんてほんのちょっぴり。年表は2000年を越えて続きますが、本文は1988年で突然終了してて、愕然とします。「昭和が終わったから」だそうです。平成の17年間の少女マンガは、「天然コケッコー」「プライド」などのわずかな作品を除き、著者にとってほとんど空白か。

 図版はまったく載ってません。これもめずらしいな。

 著者はもうすぐ70歳になろうとする、元・集英社編集者のかたですが、何のための本なのか、よくわからん。結局、ヤマダトモコ作成の労作(作成の苦労話はココココ)、少女マンガ作品年表だけが役に立つという、困った本です。

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June 15, 2005

戦記ブーム以後の戦争マンガ

 まだ考えがまとまっていないので、ちょっとしたメモです。

 戦記ブーム以後の戦争マンガはどんな展開をするかの分類。

1)過去−娯楽:戦記マンガの流れにあるもの。松本零士の戦場マンガシリーズ、バロン吉元の「昭和柔侠伝」「どん亀野郎」など。架空戦記モノも含まれるかな。

2)過去−告発:テーマとしてはっきり戦争反対を打ち出したもの。悲惨な描写が展開します。中沢啓治「はだしのゲン」、新里堅進の諸作品など。

3)現在−娯楽:ゴルゴ13が代表的作品でしょう。娯楽作品の背景としての戦争。

4)現在−告発:ベトナム戦争をテーマにしたものはこれ。樹村みのりの作品など。ベトナム戦争終了後の日本マンガにはなかなか例がありませんが、世界に目を向けると、Joe Sacco「Palestine」「Safe Area Gorazde」などの戦場ルポマンガ。実は買ったけどまだ読んでません。

5)未来−娯楽:未来のものを告発するというのはちょっとムリなので、このパターンは娯楽が主体となります。バリエーションは多い。

 5−a)ポリティカル・フィクション:「沈黙の艦隊」ですな。「気分はもう戦争」もそうかな。現代の政治状況下での戦争を仮定したもの。舞台は未来というより、現代に限りなく近い時代ですが。

 5−b)人類同士の戦争:もちろん「ガンダム」ですね。「ナウシカ」や「未来少年コナン」も。映画「マッドマックス」やその影響下にある「北斗の拳」もそうか。「AKIRA」もこの分類でどうでしょうか。

 5−c)宇宙戦争:「ヤマト」がそうです。「エヴァンゲリオン」もここに入れましょう。宇宙人侵略モノはすべてこれ。あえて言うなら「ケロロ軍曹」まで。

 敵がヒューマノイドの場合、(5−b)と(5−c)を分けることに意味があるのか、という疑問が出てきますが、(5−c)の場合、戦争開始にこまかい理由が必要なくて、すべて「地球侵略」で片付くところがちょと違うかと。

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June 13, 2005

マンガと戦記ブーム

 この週末は、マンガショップから復刊された園田光慶/相良俊輔「あかつき戦闘隊」と、辻なおき「0戦はやと」をまとめて読んでましたら、イキオイがついて、ちばてつや「紫電改のタカ」も再読しちゃいました。これらの第二次大戦の日本軍を主人公にしたマンガは、「戦争マンガ」ではなく「戦記マンガ」と呼ばれます。

 辻なおき「O戦太郎」が「少年画報」で連載開始されたのが1961年9月号。少年画報社「週刊少年キング」創刊号(1963年7月)から「0戦はやと」が連載開始され、「太郎」は1964年8月号まで、「はやと」は1964年末まで続きました。キングでは吉田竜夫「少年忍者部隊月光」も、第二次大戦中の話でしたが(TV版のほうは現代)、これはさすがに戦記マンガとは言わないか。

 「0戦はやと」は、比較的無邪気。なんせ主人公のはやとが伊賀忍者の末裔、ライバルの一色が甲賀忍者の末裔という設定です。少年マンガの枠内での戦記マンガは、明らかにチャンパラ・格闘マンガのバリエーション。ですから、必殺技が出てくる。赤胴鈴之助の真空斬り、星飛雄馬の大リーグボールに相当するのが、0戦はやとの「黒ワシ垂直二段射ち」や「みじんくずし三角攻め」。

 主人公の父親も戦死しますが、わりとあっさり流される。ラストは、主人公を含めて所属する爆風隊全滅です。

 週刊少年サンデーでは、九里一平の「大空のちかい」が1962年45号から1964年19号まで。「0戦太郎」に対抗して、こちらの飛行機は隼(ハヤブサ)でした。えーと、ご存じでないかた向けに書いておきますと、三菱零式戦闘機は海軍、中島飛行機の一式戦闘機「隼」は陸軍の飛行機です。

 キングの「0戦はやと」とほぼ同時に週刊少年マガジンで始まったのが、ちばてつや「紫電改のタカ」です。これは1963年7月から1965年1月まで。

 子供マンガですから、基本的に娯楽作品ですが、このちば作品のまあ、陰鬱なこと。主人公は本来まじめな熱血漢だったのですが、途中で自棄的に無理な特訓で自分のカラダを痛めつけるし、戦争に絶望してニヒルに走ったりする。チャンパラモノの流れをひくお茶目な「逆タカ戦法」などの必殺技と、主人公の鬱々たる内面との落差が、少年マンガとして異様です。最後に主人公は特攻の命令を受けますが、納得して出撃するわけではありません。

 戦記ブームは少年マンガ雑誌が中心となっていました。マンガ週刊誌は上記の3誌ですが、それ以外にもマンガ月刊誌、「丸」のような戦記雑誌、プラモデル、テレビなどがブームを作ります。

 TVアニメ「0戦はやと」が放映されたのが1964年1月から10月まで。ほかに当然ながら映画にも戦記ものがありましたが、これらはもちろん子供向けではありません。たとえば「独立愚連隊」が1959年、「太平洋の嵐」が1960年、「太平洋の翼」が1963年、「兵隊やくざ」が1965年。子供世界の戦記ブームとは別の流れから製作されたものです。

 夏目房之介「マンガと『戦争』」によりますと、戦記マンガのブームは貸本劇画で1957年ごろから始まり、たとえば水木しげるは1958年より戦記モノを描き始め、1960年には「少年戦記」という貸本短編集シリーズを20冊以上も出していたと。

 「少年画報大全」には少年画報の表紙写真が全て掲載されていますが、1960年の表紙はスキーとか山登りする少年で、戦争を思わせるものは皆無だったのに、1961年には少年パイロットと日本海洋少年団に扮した少年が登場(ともに現代)するようになります。「0戦太郎」の連載はこの年から。「冒険王」の貝塚ひろし「ゼロ戦レッド」もほぼ同時に始まりました(こちらのページの昭和42[1967]年開始説はマチガイ)。

 少年画報の付録にも、ボール紙の0戦とか飛燕の模型が付くようになりました。1962年には梶原一騎の小説「零戦まぼろし隊」の連載開始。この年の表紙のうち戦車や飛行機が登場するのは4冊。1963年は3冊。

 少年画報1963年7月号には「少年画報社から新しい少年週刊誌がでます!」「この新しい週刊誌に名まえをつけてください!」という懸賞があり、名前の候補は以下のとおり。

・週刊少年フレンド ・週刊少年ファイター ・週刊少年ルック ・週刊少年キング ・週刊少年画報

 ここに新週刊誌(少年キングのことですよ)の5大特徴というのがありまして、(1)飛行機・軍艦など最新の科学兵器がひと目でわかる図解特集。(2)プラモ・切手など日本一の豪華プレゼント。(3)血わき肉おどる空と海と陸の三大戦争まんが。(4)スリル・スピード・科学と冒険、息もつかせぬ本誌独占の特ダネ記事がいっぱい。(5)世界の最新ニュース速報。

 戦記ブームの中での創刊だったのがよくわかります。で、懸賞の商品はすべて模型で、M-41戦車、ゼロ戦、戦艦大和などでした。

 翌1964年が戦記ブームのピークでしょう。少年画報の表紙は、江木俊夫くん(日活アキラ映画→マグマ大使→フォーリーブス→覚せい剤)が少年飛行兵やら水兵やら戦車兵やらのコスプレ全開で、8冊が戦争関連です。

 ところが、1964年秋からは東京オリンピック関連となり、1965年からは表紙は少年モデルの写真から、マグマ大使や怪物くんの絵に。戦記ブームは1964年をピークに急速にしぼんでいきます。

 そして1967年。戦記マンガが復活。園田光慶/相良俊輔「あかつき戦闘隊」が週刊少年サンデーに連載されました。もはや忍者の子孫とか、必殺技のような操縦法が出てくるわけではありません。ラバウル近くの小島、7人からなるならず者部隊「あかつき戦闘隊」に新任の若い隊長が赴任してくる。すがやみつるのサイトによると、「あかつき戦闘隊」のオープニングシーンは、石原裕次郎映画「零戦黒雲一家」(1962年8月)にそっくりだそうです。

 マンガショップの紹介文には

・折からの戦記ブームの中一躍大人気となった。雑誌ではブームにのって、巻頭で第二次世界大戦当時の兵器やメカを毎週のように特集し、本文でも「あかつきタイムズ」のような戦記情報コーナーまで登場した。

 とありますが、確かにある程度の人気はあったでしょうが、この時期、戦記ブームはすでに終了していたはずです。時代はすでに「巨人の星」を代表とするスポ根モノに移っていました。

 あかつき戦闘隊のメンバーは、くりかえし敵の襲撃を受け、つぎつぎと命を落としていきます。その後、第二部は生き残った二人が潜水艦に乗り込む話となり、1969年まで続きましたが、この作品でも、ラストで主人公は撃墜されて戦死します。

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June 11, 2005

アメコミのシナリオは(その2)

(前回からの続きです)

 続いて、31ページ。盗みをはたらく不良少年たちとバットマンのアクションシーン。


1)アパート外壁の非常階段の踊り場を見おろす構図。そこでは3人のスペイン人の若者が、ステレオと大きなテレビを、開いた窓から急いで運び出そうとしている。彼らの動きは凍りつき、ひとりは両手でテレビを抱えたままである。みんな、恐怖の表情で上方を見つめている。

 キャプション(B):コスチュームの効果は期待以上だ
 キャプション(B):彼らは目を見開いて凍り付き、私に十分な時間を与えてくれる…


 このシーン、上方のバットマン視点から見下ろした構図です。さすがに読者が少年たちをスペイン人と認識するのはムリで、ひとりは黒人として描かれているようです。


2)視点は人物の腰のレベルにある。full figure。バットマンはアパートの窓からの光に照らされている。バットマンは非常階段の踊り場に飛び降り、外側を向いてテレビを持った少年に唸りかかる。少年は思わず跳びずさり、驚いてテレビを落とし、正面の柵を越え背中から落ちそうになっている。二人目の少年は、すばやく横側の柵に跳びあがり、スパイダーマンのようにうずくまって構えている。三人目の少年は後ろに倒れ、踊り場の床に腰を落とし、ビルの壁に向かって恐怖の叫びをあげている。背景にはゴッサム・シティの夜景。

 キャプション(B):最も手強そうな者の間近に着地する… アフリカで身につけた唸り声で彼の恐怖心を煽る…
 キャプション(B):そして突然、全てがバラバラになる
 キャプション(B):左の男は母親を呼び…
 キャプション(B):右の男は落ち着きを取り戻して体勢を立て直す… これはまずい…
 キャプション(B):そして、手強そうな男は怯える余り…


 2コマめの複雑なアクションシーンはでは、背景の夜景までは描きこめませんでした。ここは情報量の多いコマで、そこまで描くと、うるさくなりすぎるみたい。


3)バットマンのextreme close。必死で手を伸ばすバットマン。

 キャプション(B):駄目だ…
 キャプション(B):私は殺人はしない…

4)非常階段踊り場を見上げる構図。少年の視線は読者の方へ。彼は口を開けて悲鳴をあげている。バットマンはほとんど柵から落ちそうになりながら、彼の足首をつかんでいる。スパイダーマンは片手ではしごをつかみバランスをとりながら、バットマンに近づき、蹴ろうとしている。三人目は両手でテレビを持ったまま、立ち上がろうとしているが、ただ見ているだけ。

 キャプション(B):彼は娘の様に悲鳴を上げる…
 キャプション(B):15になるかならないかという歳だ…
 キャプション(B):子供だ… まだ子供…


 次は、42ページ。バットマンとゴードン警部補が、暴走するトラックを止めようとするアクションシーン。ゴードン警部補の車には、エッセン刑事(♀)が同乗しています。


1)バットマンのmedium close。彼は周囲を警戒している。≪彼は屋根の上にいる。背景は夜の空。たぶん屋根に登るのが彼の任務なのだよ≫

 セリフなし。

2)ゴードンのclose。車のフロントガラスを通してゴードンを見上げる構図。彼の口からはタバコが吹っ飛び、肩を持ち上げハンドルを切っている。

 キャプション(G):薬のせいか…
 キャプション(G):心臓発作か…


 2コマめは、完成原稿では逆からの構図となり、カメラはゴードンの後ろにあり、フロントガラスを通して奥にはトラックが見えるように描かれました。


3)トラックのフロントガラスを通して、運転手を見上げる構図。運転手はシートにもたれ、目を大きく見開いたまま固まっている。

 キャプション(G):それは問題じゃない…
 キャプション(G):コントロールを失っている… アクセルを踏んだまま、足が固まっている…

4)カメラは後方へ引く。前景にはホームレスの女性が道の真ん中に立っている。ガラクタいっぱいのショッピングカートを引っ張っているが、車輪が壊れ、動かない。遠景で、トラックが彼女に迫ってくる。ゴードンの車はトラックの後ろを蛇行しながら追っている。

 キャプション(G):いけない、あの年寄り…
 キャプション(G):このままではいけない…
 効果音(ゴードンの車から):SKREEEE
 キャプション(G):何とかしろ、このノロマ…

5)バットマンのシルエット。屋根の上から空中に飛び出す。

 セリフなし。

6)ゴードンの車中。アクションをmedium closeで。エッセンがゴードンを見ると、彼は車のドアを開き、車外に飛び出そうとしている。≪車は、もちろん、走っているのだよ≫

 エッセン:警部補…
 ゴードン:ハンドルを頼む


 次のページ。


1)ホームレスの女性のmedium close。彼女は視線を上げ、混乱している。

 セリフなし。

2)ゴードンのfull figure。彼は車から飛び出し、走るトラックの助手席側のドアにつかまる。エッセンはゴードンの車のハンドルを握る。

 キャプション(G):畜生… 時間がない…
 キャプション(G):時間が…

3)full figure。アクションを見上げる構図。バットマンは街灯を使って方向を変え、通りに向かって空中に飛び出す。

 セリフなし。


 この作品でマズッケリはシルエットを多用しています。前ページ5コマめはミラーの指定によるシルエットですが、前ページ1コマめのバットマンもシルエット。このページの2コマめと3コマめもシルエットによる表現で、人物や車、トラックはまっくろけです。これでアクションがわかるのだから、うまい絵だわ。


4)アクションをmediumで。ゴードンは助手席側の窓から手を伸ばして、必死にハンドルをつかもうとする。運転手の表情や姿勢に変化はない。

 キャプション(G):どうしても届かない…
 キャプション(G):間に合わない…
 キャプション(G):私がしくじれば…

5)アクションをlongで。バットマンはホームレス女性にタックルし、トラックの行く手から救い出す。トラックはショッピングカートにぶつかって、ガラクタをぶちまける。さらにゴミ箱も跳ね飛ばす。ゴードンはトラックから飛び離れ、舗道を転がる。

 セリフなし。


 5コマめがサイレントで、セリフも効果音もないことに注意。かっこいいなあ。このシーン、日本ならコマをもっと割るところですが、できるだけヒトコマで見せようとするのがアメコミ風ですね。でもさすがにゴードンが舗道を転がるところまではこのコマでは描けませんでした。

 こういう複雑なアクションは、かなりの部分をマンガ家にまかせています。何が起こっているのかは、はっきり書いてありますが、細かい絵の指示までは出されていません。ネーム形式よりは、マンガ家の自由度が高い。

 フランク・ミラーのこのシナリオは、ひとつひとつのコマ=パネルの絵を、文章で説明する形で書かれています。いい呼び名がないのですが、パネル説明形式と名づけましょう。

 (a)梶原一騎の小説形式、(b)小池一夫の映画シナリオ形式、そして(c)フランク・ミラーのパネル説明形式、さらに最近日本ではやっている(d)ネーム形式。いろんなマンガ原作のパターンがありえます。

 マンガ家の自由度は、(a)が最も大きく、(d)が最も小さい。原作+絵が1+1=2じゃなくて1+1=3を狙うのならば、自由度の大きい方が、何かが生まれる可能性が高い。逆にマンガを管理する編集者の立場なら、(d)に近づくほど、最終の仕上がりが予測できていいのかもしれません。

 原作者の能力によっても異なってきます。小説家が原作者なら、当然(a)になるでしょうし、映画脚本家なら(b)でしょう。原作者に絵心があって、マンガ原稿の完成形がイメージできるなら、(c)か(d)になる。一方、(a)(b)(c)はいずれも、文章で人に何かを伝える技術が必要ですから、文章が苦手ならどうしようもありません。

 今回フランク・ミラーの原作を読んでみて、中庸となるこの形式は、マンガ原作として、バランスが取れててなかなかいいんじゃないかと思うんですがいかがなもんでしょ。ただし原作者は、絵も描けて、文章も書けるヒトじゃないといけませんが。

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June 10, 2005

アメコミのシナリオは(その1)

 マンガ原作については以前よりしつこく書いておりますが、

・梶原一騎の原作作法()()(
・小池一夫のマンガ原作()(

 梶原一騎の原作は小説形式でした。一方の雄、小池一夫はシナリオ形式です。最近の「ヒカルの碁」とか「デスノート」はネーム形式らしい。

 フランク・ミラー/デビッド・マズッケリ「バットマン:イヤーワン」に収録されているアメコミ原作は、シナリオとネームの中間のような形です。原作の段階でミラーが絵を描くことはなく、すべては文章で表現されます。ただし、(1)1ページを何コマで構成するか、(2)そのコマでのキャプション、セリフ、効果音、(3)そのコマの絵の細かい指定まで、ミラーはすべて書き込んでいます。タイプされたあと、手書きでの修正も多い。

 とくに人物をどの大きさに描くかの指定は、extreme close、close、medium close、medium、medium long、long などで表現されます。かなり細かい分類で、原作者→マンガ家間の取り決めが必要となるでしょう。また、全身像を描くように、full figure と指示が書かれたりもします。

 この作品ではキャプションは二種類あり、それぞれ、バットマンの内面の独白と、ゴードン警部補のそれです。マンガ表現上はバットマンの独白は白い四角いフキダシ、ゴードン警部補の独白は黄色の四角となり、カラー印刷で読む限り、読者が混乱することはありません。シナリオ上では、バットマン=ブルース・ウェインがB、ゴードンがGと書かれています。

  「バットマン:イヤーワン」の8ページめは以下のように書かれています(思いっきりの意訳で失礼。そこのアナタ、誤訳をあまり指摘しないように)。キャプション、セリフは日本語版のとおりです。


1)大きなコマ。大きな屋内駐車場の中。駐車場の壁はなく、ゴッサムのビル街が見渡せる。内部は暗い。車は数台しか置いていないが、すべて高級車。手前に黒く輝くポルシェ。ヘッドライトは点灯している。フロントガラスは影になり暗い。

 タイトル(2ページめと同じように):3月11日
 キャプション(B):エンジンは本当に静かだ。止める事を忘れそうなほどに
 キャプション(B):全ては計画通りだ。駐車場係にサインを求められさえした。アリバイは完璧だ
 キャプション(B):ブルース・ウェインがハリウッドのセックス・シンボルと同じホテルで目撃された。狙い通りに噂が広まるだろう
 キャプション(B):これからの数時間の私の居場所に疑問を挟むものはいまい


 これがひとつのコマを描くためのシナリオです。まずコマの大きさの指定があり、そのコマでの絵の構図が指示されます。その後にキャプションやセリフが書き込まれる。「タイトル」として日付が書いてあるのは、この作品では、ひとつの日にひとつのエピソード、これが繰り返される形式をとっているので、エピソードごとに日付が記入されているからです。

 フランク・ミラーは日本の少女マンガみたいな華麗で複雑なコマわりをすることもあるのですが、この作品では、地味なオーソドックスなコマわりです。原作と絵が別人の場合、日本でもコマわりは保守的になるのが普通ですね。

 この日は、バットマンになる前のブルース・ウェインが、変装して盛り場を歩くエピソードと、ゴードン警部補が暴漢に襲われるエピソードが同時に起こる長い一日です。


2)ブルースのclose。顔にダッシュボードからのライトが下方からあたっている。彼は灰色の顔料を頬に塗りつつある。表情は穏やか。

 キャプション(B):これは偵察任務だ。準備を整え、本格的な戦闘に備えて、敵をつぶさに観察するのだ…
 キャプション(B):正体を悟られない事が何よりも重要だ。私の両親が殺害された事は、誰もが知っている

3)ブルースのclose。彼は気味の悪いニセの傷跡を、頬から首にはりつけようとしている。

 キャプション(B):まずは服と肌の色を変え…
 キャプション(B):注意を逸らすため、顔に目立つ特徴を加える

4)ゴードンのmedium。ゴードンの駐車場。自分の安っぽいおんぼろセダンのドアを開け≪車にサビた修理の跡まではないよ≫、ゴードンが肩越しにふりかえっている。誰かの声が聞こえたのだ。≪デビッド、ブルースの駐車場とゴードンの駐車場はまったく違うんだ≫

 キャプション(G):夜勤から外して欲しいと4回も要請した… 夜は私がついていなければ… バーバラとリトル・ジェームズに…
 キャプション(G):そうとも、男の子が欲しい
 キャプション(G):4回も要請したが、なしのつぶてだ。私は署内で浮いている…
 声:出勤かい、警部補さんよ?

5)立っているゴードンのmedium long。手前に大きく、バットを握った数本の腕。

 声:今日は遅刻だな
 [2]:いっそ、休んだらどうだ


 このあと、ゴードン警部補が暴漢に襲われる展開になります。

 5コマめのセリフの[2]っていうのは、アメコミでよくある、前のフキダシと後のフキダシをつなぐ、という指示みたい。

 ところどころに、フランク・ミラーからデビッド・マズッケリにあてた連絡文が挿入されています。自分のイメージをできるだけ正確にマンガ家に伝えるためです。ただし、どうしても言葉足らずになることもあって、「ゴードンの駐車場」という言葉について、マズッケリが疑問点を鉛筆で書き込んでいます。


駐車場とは? ゴードンが住んでるのはアパートなのか、一戸建てなのか?


 結局、車が多く並んでる駐車場に描かれましたから、アパートだったのね。

 大きく変更されたのは5コマ目です。ミラーの指定では、奥にゴードン、手前に暴漢たちの腕、という絵のはずでしたが、ここにもマズッケリのメモが書き込まれています。


逆の方が良いか? ゴードンをcloseとして、暴漢を奥にシルエットで。


 完成原稿はマズッケリが考えた構図で描かれました。このように、絵の構図に関しては、マンガ家が最終的な権限を持っているようです。

 以下次回。

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June 09, 2005

今年はバットマンの年

 アメコミの翻訳は、映画かTVが日本に来ると、刊行されるということになっておりまして、古くは実写版バットマンのTV放映にあわせて、少年画報社からバットマンの翻訳雑誌が創刊されたり、東映版スパイダーマンの放映にあわせて、光文社がマーヴェル・コミックスの翻訳出したり。

 で、今年は映画「バットマン ビギンズ」の年です。ジャイブから、「バットマン:イヤーワン」「バットマン:テイルズ・オブ・デーモン」「バットマン:ダークナイト・ストライクス・アゲイン」の3冊が連続して、どん、どん、どん、と刊行。あと、小学館プロダクションから「バットマン:パーフェクト・ガイド」の刊行も控えております。

 オールタイム・ベストワン級のアメコミ、フランク・ミラー「バットマン:ダークナイト・リターンズ」(1986年)の続編が、「バットマン:ダークナイト・ストライクス・アゲイン」(2001年)です。

 実は、一応は原書で読んでおりましたが、まあ英語がむずかしいったらありゃしない、ストーリーがよくわかっておりませんでした(トホホ)。で、今回の翻訳は大変ありがたい。デキはまあ、前作「ダークナイト・リターンズ」が、奇跡のようなマスターピースですからね。比べられるとキビシイ。

 「バットマン:テイルズ・オブ・デーモン」は、あら懐かしい、ニール・アダムスの作品を集めたもの。映画「バットマン ビギンズ」で渡辺謙が演じる、ラーズ・アル・グールっていうあまりなじみのない悪役を紹介するために日本で編集しています。オビでコメント書いてるのは、原哲夫。おお、「北斗の拳」の原点は、ニール・アダムスだったか。

 一番のおすすめは、やっぱり「バットマン:イヤーワン」でして、以前に小学館プロダクションが出してた「スーパーマン/バットマン」という雑誌の1号・2号に翻訳が掲載されましたが、今回はカラリングを変更した版。翻訳も違います。シナリオがフランク・ミラーで絵がデビッド・マズッケリ。ブルース・ウェインがバットマンのコスチュームを着て、新米ヒーローとして活躍を始めた最初の年をリアルに描いた傑作です。

 3作並べて読むと、アメコミの絵にはいろんなタイプがあって幅が広いなあ。むしろ日本マンガのほうが、絵のバリエーションが少ないんじゃないかしら。

 「イヤーワン」でうれしかったのが、フランク・ミラーのシナリオの一部が掲載されていることです。ネーム形式なのかと思っていましたが、なんと、全編、文章によるシナリオでした。これが細かく読むと面白くて面白くて。

 この続きは次回に。

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June 06, 2005

谷口ジローの「学習漫画シートン動物記」

 以前シートンについて書いたとき(「シートンいろいろ その1」「その2」)、コメント欄でsoorceさんに教えてもらった手を使いまして、やっと、図書館で谷口ジローの学習漫画を読むことができました。

 1974年5月から毎月1冊ずつ、集英社から「学習漫画シートン動物記」全12巻が発売されました。一冊定価550円。このうち、谷口ジローが本名の「谷口治郎」名義で、4冊を描き下ろしています。

・第1巻 狼王ロボ Lobo, the King of Currumpaw:1974年5月
・第4巻 裏町の野良ネコ The Slum Cat:1974年8月
・第7巻 白いトナカイの伝説 The Legend of the White Reindeer:1974年11月
・第10巻 少年とオオヤマネコ The Boy and the Lynx:1975年2月

 このとき谷口ジロー27歳、石川球太のアシスタントはすでにやめていた時期です。自分名義のマンガ単行本としては、おそらく最初のものではないでしょうか。

 学習マンガのシリーズですから、ハードカバー、カラー口絵つき。4色カラーや2色ページも多く、豪華なつくりです。クレジットは、「監修:藤原英司、漫画:谷口治郎、動物ミニ百科:実吉達郎、装幀:鈴木安男、解説動物画:清水勝」とされています。谷口ジローのマンガ以外に、ところどころ「学習コーナー」と題した部分があって、舞台となる場所の地図や動物の解説が描かれていますが、ここは谷口ジローの絵ではありません。

 まず「オオカミ王ロボ」から。書影はこれ。オオカミの絵はお見事ですが、人物の絵はいかにもマンガ調。カラー口絵が見開き2P。

 内容は章立てで分かれており、これは他の作品でも同じです。「ロボ」は以下のように展開します。

・プロローグ:9P:荒野の遠景から始まります。昼間にウシを襲うロボのグループ。

・第1章 コランポーの王様:17P:翌日、倒されたウシを見つける牧童ふたり。後年の作品と同じで、年寄りと若者のコンビ。年寄りの方が若者にロボの解説を始めます。「おめえはこの土地にきたばかりでなにも知っちゃいねえんだ」「やつの悪魔のような恐しさを……」

 後年の漫画アクション版ではこう。「フッ」「おまえはまだこの土地に来たばかりで何も知らねえのさ」「ロボの怖さをな………」「あいつはただのオオカミじゃない」「悪魔がのりうつってるのさ」 まるきり同じ。原作にはこのふたりは登場しません。後年の版が、この学習漫画版のリメイクであるのがよくわかります。

 ふたりが焚き火をする夜のシーンはありませんが、(1)老若ふたりのカウボーイからお話が始まり、(2)ロボのことを悪魔と呼ぶのは、村野守美版より谷口ジローの学習漫画版が先行しているのがわかりました。

 他の登場人物もこんなふうで、いかにも石川球太の描く人物です。

・第2章 賞金かせぎ:16P:テキサスのタナリーのエピソード。彼の顔はこれで、これも石川球太タッチ。

・第3章 ロボ対シートン:15P:シートンが登場して、毒のえさが失敗するまで。シートンは若い顔してます。

・第4章 かしこい狼と鉄のわな:21P:オオカミ用の罠を手に入れてから、その失敗。ロボのグループの足跡の謎の提出まで。

・第5章 白い狼ブランカ:24P:ブランカがロボの前を走ってるのを牧童が目撃→ブランカはロボの妻に違いないと推測。ブランカ用の罠を仕掛け、ブランカがかかり、死亡するまで。ブランカが罠にかかるシーンは原作にはありませんが、学習漫画版では後年の版と同じように、大きな見せ場です。

 気になっていた、ブランカに罠をかける前のシートンの独白。これも村野守美版より谷口ジローが先行していました。「この計画が失敗することがあれば もう、わたしはおまえを追わないだろう」

 後年の版でのセリフ。「これが失敗したなら」「もう……」「私はロボを追うことはないだろう」 おお、そっくりだ。ちなみに原作にこんな言葉は出てきません。

・第6章 狼王のさいご:28P:ロボが罠にかかり、捕まるまで。ロボが罠にかかるシーンも原作にはありませんが、学習漫画版ではこのように。擬音はガビーンですが、後年の漫画アクション版では、ガピーンとなり、年月がたっても、擬音は似てるものですね。

・エピローグ:7P:ロボの死。

 学習漫画版ロボでは、動物は、けっこう擬人化されています。まず、しゃべる。ディズニーというより、師匠の石川球太の影響じゃないかしら。さすがにフキダシは使用していませんが、ロボは「ブランカーッ」と叫びながら走ってますし、ウシもこんなふう

 そして、ロボは涙も流します。シートンの夢に出てくるロボは、さらに擬人化されこんな感じに。

 「狼王ロボ」は、動物と風景はダントツにうまい絵ですが、人物が弱い。谷口ジローらしさはちらっと見えるだけです。この時期の谷口ジローの青年マンガを読んだことはないのですが、この人物で青年マンガを描いていたとは考えづらい。

 「学習漫画シートン動物記」終了後の谷口ジロー作品のうち、単行本に収録されて読むことのできる初期作品は、1976年以降のものです。1976年に谷口ジローが描いていた人物は、池上遼一の影響が濃く、顔に細かい斜線が多く入っていました。学習漫画時代の谷口ジローの人物は、まだまだ石川球太の影響下にあったのか、それとも、あえて子供向けに師匠のタッチを取り入れたのでしょうか。

 「裏町の野良ネコ」はニューヨークのネコの話で、都会のお話。シートンはこんな作品も書いてたんですね。ネコという日常に見かける動物だけに、谷口ジローの描くネコのかわいいこと。ただし、この作品のネコも、けっこう擬人化されてて、メガネをかけて本を読んだりもします。この作品では人物は、こんなふう

 「白いトナカイの伝説」は、ノルウェーの伝説。悪の政治家をトナカイがやっつけるお話で、小鳥や小人が歌を歌います。

 「少年とオオヤマネコ」は、今、谷口ジローがアクションで不定期連載してます。ロボに続き、これも自作のリメイクですから、それだけ思い入れが深いのでしょう。

 この作品は白土三平も「フェニボンクの山猫」のタイトルでマンガ化しています。シートンの実体験がもとになっていて、いかにもシートンらしいお話。オオヤマネコが孤立した小屋の子供たちを襲うというもので、ホラーにもサスペンスにも描くことができます。そしてロボと同じく、この作品のヤマネコは人間の敵であり、かつ誇り高い野生の存在でもあります。

 書影を見ていただくとわかりますが、「ロボ」と比較すると、人物は表現はマンガ調の人物から、谷口ジロータッチの人物に変化してきています。表紙以外の人物はこんなふう

 谷口ジローの場合、動物と風景の描写が初期よりずばぬけていました。そのわりに人物が弱かった。ただし数年後にはこの弱点は克服され、人物表現はむしろ他人より優れたものになりました。これは通常のマンガ家の進歩とは、逆のコースじゃないでしょうか。

 そして現在、谷口ジローの描くマンガは、現代日本マンガの到達点と考えられるまでになっています。ここにいたって、過去の自作をリメイクするのですから、漫画アクション版シートンが、気合はいりまくりの渾身の作品となっているのも、納得であります。


 追記:今回のエントリは、「『谷口ジロー』の街」を参考にさせていただきました。とことん調べられたお見事なファンサイトです。

 また、なんとか画像なしの文章だけで書こうと試みたんですが、無理でした。だって、ほとんど誰も見たことがない時期の谷口ジローですし。というわけで、今回書影以外の画像の引用も多くなってます。あえて画像のサイズ・解像度を小さくしてありますが、著作権上、問題あると思われるかたはご連絡ください。

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June 05, 2005

マンガとロボット

 日本のマンガやアニメが発明したものに、ロボット・ヒーローというものがあります。もちろんロボットは、海外の映画や小説内で活躍していたのですが、これを子供向けエンタテインメントの主人公にしたのは、やっぱ日本が最初じゃないかな。

 遠藤汐「昭和ロボット漫画館」という本が発売されてます。マイナーな出版社の本なので、あまり書店では見かけないかもしれませんが、著者自らあちこちにメールを出して、営業活動されているそうです。大変ですねえ。

 実はあんまり期待せずに読んだところが、これが面白い。研究書じゃなくて、気楽な娯楽読み物ですが、なんと言っても、ちゃんとしているのがよろしい。著者は国会図書館まで行ってマンガをきちんと読んでるし、マンガの初出も記載されてる。マイナーな作品の図版も見られます。

 取り上げられてるマンガは、田河水泡「人造人間」、武井武雄「ハツメイハッチャン」、坂本牙城「タンク・タンクロー」などから始まって、アトム、鉄人、ロボット三等兵、ドラえもんまでいろいろ。誰も知らない、寺田ヒロオ「ロボット兄弟」なんてのも出てきます。

 著者はプロレス関係のライターなので、アトムを取り上げても、ロボッティング(アトム世界でのロボット同士のプロレス)中心に書いてあったり、あと「8マン」は、マントがないデザインだからこそ、強かった、とか。

 鉄腕アトムは「鉄腕」とは呼ばれない。ガンダムも「機動戦士」とは呼ばれない。なのに鉄人28号だけ、「28号」じゃなくて「鉄人」と呼ばれるのはなぜか。これは相撲取りの四股名である、との楽しい指摘です。

 もちろんすべてのロボットに言及することは不可能ですが、楳図かずお「わたしは真悟」は欲しかったなあ。あと、「あ〜る」も「パトレイバー」も、一応昭和の作品でした。

 さて、今ロボットマンガはどうなっているかというと、相田裕「ガンスリンガー・ガール」が、彼らの正しい子孫ということになるのでしょうか。

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June 03, 2005

「最強伝説黒沢」比喩とは妄想である

 レトリックのうち比喩は、文章でよく使われる手法でしょう。たとえばモハメド・アリのボクシングは、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われました。

 で、この文章がマンガのシナリオにあった場合、マンガ家はどんな絵を描けばいいのでしょう。これはもう、チョウとハチの絵を描くしかないのじゃないか。でも、「あしたのジョー」の試合の場面にオーバーラップして、チョウとかハチが描かれてるのを想像してみて下さい。あんまりかっこよくないよなあ。文章じゃかっこいいのに。

 「ふき出しのレトリック」によると、こういうのは「直喩」とか「明喩」というのが正しいみたいですね。

 文章の場合の比喩は、字面も関係するし、読者の脳内でその絵を空想させるからこそ有効。実際にそれを絵解きすると、ヤボになっちゃうかな。

 ただし、これを好んで多用するマンガ家がいます。福本伸行です。

 「カイジ」シリーズの主人公のカイジが、危機的状況におちいる。そのとき、その状況は心理描写として、何かにたとえられ、彼の独白とともに具体的に描かれます。

 「その思考によって」「解きほぐされていく」「心理という名の結び目」とあって、複雑に絡み合った縄の絵が描いてある。

 ギャンブルの行く手に希望が見えてきたとき。「とても開きそうになかった」「勝ちへの扉が今軋みつつ動き出した」「扉は開かれたのだ」「そしてそこから一条の光」とあって、ドアが開き、暗い部屋に光がさす絵。

 くり返し登場するのが、クレバスの前で立ちすくむカイジ。「これはまず飛べる距離なんだ……!」「つまり勝てる勝負……!」 カイジがクレバスを飛び越える絵。

 「渡らせてください……! このか弱い橋を……!」とあって、壊れそうなつり橋を渡るカイジ。

 「ギャンブルという魔物の…」「その粘ついた触手に」「捕まってしまった……!」 実際に魔物の手が人の手をつかんでいる。

 笑ったのが、「てめえの勝負の幕はもう降りかけてんだよ…!」 カイジの目の前でホントに『幕がおりかけてる』んですが、いったい何の幕かしら。

 とまあ、わかりやすいというか、ベタというか、あまりに具象的というか。これが味なんですけどね。

 さて、福本伸行「最強伝説黒沢」の6巻です。この巻で、比喩表現が新しい展開を見せました。

 かわいい女の子から「置いてこうよもう……!」「このオランウータン…!」と罵倒される黒沢。彼の心の中の映像では。なぜか西部劇に出てきそうな町。火事で大騒ぎの中、赤ん坊のオランウータン、マイケルを抱く少年。「置いとけないよっ……!」 それに対して父親が「置いていくんだっ…!」 父と子の口論があって、結局マイケルを置いて逃げる少年。「ごめんよっマイケル…!」「マイケル〜…!」

 いつもの比喩かと思えば、黒沢の妄想であります。

 自分の日々の不安を、とりあえず心の押し入れにしまっておく黒沢。「面倒な事を全部詰め込んだ…………」「押し入れ……」「そのふすまを恐る恐る……」「開けてみるんだ………!」 実際に押し入れを開ける黒沢。「暗黒へと続く……………」「奈落っ…!」「千尋の谷っ…!」 実際に深い谷が口をあけています。で、そこで黒沢の行動が、ふすまをピシャッと閉めて、「み…見なかった事にしよう……!」 涙でぐしゃぐしゃの黒沢の顔。

 比喩で始まったはずの場面の中で作中人物が行動し、ギャグをかましております。この場面、黒沢が自身の内面を他人に語るシーンですから、座談の中でオチをつけてるんですね。

 マンガ表現においては、作者が仕掛けた比喩は、作中人物の妄想と不可分であることがわかります。だから、比喩表現がエスカレートして、妄想に変化することも可能。マンガにおけるレトリックは、文章によるものとはかなり違うんだなあ。

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June 01, 2005

「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」を読んだのだ!!

 伝説の少年サンデー赤塚番編集者・武居記者が、回想録「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」を書いたのだ。今回のエントリのタイトルは誰でも思いつくフレーズだから、みんな使ってもいいのだ。これでいいのだ。

 著者・武居俊樹は1966年に小学館に入社し少年サンデー編集部に配属され、その年から1974年まで赤塚不二夫を担当しました。赤塚不二夫を囲む座談会に出てくる編集者、というより、「レッツラゴン」に登場して、赤塚不二夫をいじめまくるキャラクター「武居記者」でおなじみ。

 サンデー、マガジン間の熾烈な戦いは、手塚治虫の「W3事件」や、劇画作家の奪い合いから語ることもできますが、この本はもちろん赤塚不二夫が中心です。

 著者が赤塚を担当し始めた1966年11月は、少年サンデー「おそ松くん」の黄金期。ただし、その年の夏には、マガジンがサンデーを発行部数で追い抜いていました。マガジンは赤塚をくどいて、ついに1967年3月「天才バカボン」連載開始。「天才バカボン」の好調さを見て、同年サンデーも「おそ松くん」を月一連載として、「もーれつア太郎」を始めます。

 「おそ松くん」が面白くなくなったわけではありません。わたしは、この月一回掲載される「おそ松くん」長編バージョンが大好きでした。

 1969年8月、今度はサンデーがマガジンからなんと「天才バカボン」を引き抜きます。サンデーはバカボン・ア太郎の2作同時連載となりました。サンデーでのバカボンは1970年3月に終了。ア太郎も1970年6月で終了。

 1971年、「天才バカボン」は講談社「ぼくらマガジン」で短期連載の後、再度少年マガジンで27号から復活。サンデーでは37号から「レッツラゴン」が連載開始。いよいよ、赤塚不二夫の、メチャクチャというか、ナンセンスの極北というか、シュールなギャグの時代が始まります。

 しかし、著者にとって、このような雑誌間の戦いは背景にすぎないようです。著者は、赤塚不二夫と、赤塚不二夫の描くマンガが大好きで、自分がそれに参加していたことを誇りにしている。ですから、この本で描かれるのは、ひたすら、赤塚不二夫への愛、赤塚マンガへの愛です。

 サンデーの「レッツラゴン」は1974年に終了。マガジンの「天才バカボン」も1975年の初頭に終了。ここまでが赤塚不二夫の全盛期でした。このとき赤塚39歳。

 戦前から存在する「生活ユーモアマンガ」は、いつ「ギャグマンガ」に変身したのでしょう。「ギャグ」を名のるには、キャラクターの過激さが必須です。手塚治虫の一発ギャグや、シュールな存在の杉浦茂を先駆として、まず赤塚不二夫の「ナマちゃん」(1958年)が過激な言動をするキャラクターを登場させました。「ユーモアマンガ」から離陸するにはあと少し。その後、石森章太郎「テレビ小僧」(1959年)を経て、赤塚・藤子・つのだらのトキワ荘グループの刺激の強い作品が、古典的・月刊誌的ユーモアマンガを駆逐しました。

 それからたった十数年。赤塚不二夫は、見開き2ページがヒトコマだったり、タイトルページが(雪で)真っ白だったり、左手で描いたり、ネームをそのまま掲載したりする(あれ、最近も誰かがやってる?)ところまで突き抜けてしまいます。

 この時代の赤塚不二夫のマンガが、笑えたかというと、たとえば電車の中でぷっと吹き出すみたいに笑って読んでたわけじゃない。読者は、びっくりして、あきれて口をあんぐり開け、でも喜んで読んでました。読者の10歩ぐらい先を行ってた。

 1975年以後、赤塚不二夫はあっという間に失速します。40歳以後の赤塚は、マンガ家としては、残念ながら晩年といわざるを得ません。

 「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」は、1966年に始まって、途中著者と出会う前の赤塚不二夫の半生記を挟んで、「レッツラゴン」終了の1974年までが全体の85%。赤塚の晩年の姿は少し描かれるだけです。

 もちろん興味深い話はいっぱいあって、たとえば、古谷三敏「ダメおやじ」の初期には、赤塚不二夫がかなりの部分、参加していた話とか。言われてみて、なるほど、と思いますね。あと、手塚治虫と赤塚不二夫を比較して、手塚のアシスタントで大成したマンガ家はほとんどいないけど、赤塚は成功した弟子をいっぱい送り出した、とか。

 ちょっと残念なのが、「レッツラゴン」と同時期の、少年マガジン「天才バカボン」に対する記述が少なすぎる。このころのバカボンも凄かったんだけどなあ。って、これを期待するのは無理か。

 マンガ家とマンガに対する愛のあふれた、いい本でした。

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