このひとがあの作詞家「テレビアニメ魂」
山崎敬之「テレビアニメ魂」読みました。なんたってタイトルがかっこいい。
著者は1968年に東京ムービー入社。1990年の退社までずっと、テレビアニメ制作にかかわり続けてきたかたです。作品でいうなら「怪物くん」「巨人の星」から「それいけ!アンパンマン」まで。
著者の仕事は「企画・文芸」。門外漢にはよくわからない役職名ですが、
・物語の舞台設計を考案し、脚本家に執筆を依頼して手直しをしながらシナリオを完成させる、いわばシナリオの「編集長」が僕の役割だった。
・テレビアニメは、原作者はもちろん、テレビ局、スポンサー、制作スタッフなどさまざまな立場の人々の意向を反映して作られます。それを集約してキャラクターを設定し、ストーリーを練り、脚本家にシナリオ執筆を依頼するのが僕の仕事でした。
実際にどんな仕事をするかというと、原作者やスポンサーとシナリオのすり合わせをしたり、仕事の遅れた脚本家のシナリオを自分で仕上げたり、脚本家を取り替えて仕事を依頼したり。
作品を立ち上げるとき、キャラクター設定やストーリー設定をするのも仕事。さらには、作詞も。「東京ムービー企画部」作詞ということになってる「アタックNo.1」の、あの主題歌「苦しくったってー悲しくったってー」は、著者の作詞です。おお。
もちろん、アニメの本なのですが、マンガ関係でも興味深い記述が。
「巨人の星」の雑誌連載開始が1966年5月。アニメの放映開始が1968年3月。途中で雑誌連載に追いついてしまったアニメ版は、雑誌版にないオリジナルストーリーを作ったり、30分番組で1球しか投げないという伝説の回を作ったりするのですが、終了近くになって、雑誌の最終回を待たずに、アニメ版の最終回の制作にはいらなければならなくなった。
原作者梶原一騎自身は、「原作とアニメは別物である」という考え方で、アニメによる異本を認める立場だったようです。会議で、一度はマウンド上で飛雄馬が死ぬというシナリオが決定され、梶原一騎やスポンサーのOKも貰うのですが、テレビ局からの反対で、現在の形になったと。父と子の和解のラストですね。
雑誌版の最終回の掲載が、アニメの最終回の制作中。つまり、「巨人の星」のラストシーンは、アニメのほうが先行していたわけです。先行したアニメ版シナリオが、梶原一騎の原作に影響を与えなかったはずはない、と思われますがいかがかしら。
大リーグボール2号の足を真上に上げる投球フォーム。
アニメ版では途中でオープニングムービーを作り直し、このとき飛雄馬の投球フォームを大げさなものに変更しました。この後しばらくして、雑誌版で大リーグボール2号が誕生。東京ムービー側としては、梶原一騎が大リーグボール2号を考えついたのは、アニメの新フォームを見てであると確信しています。
あと、「オバケのQ太郎」の「毛が3本」を決定したのは、アニメ版が始まったときである、とか。
テレビアニメ史の裏話いっぱいの本で、面白い面白い。大塚康生「リトル・ニモの野望」などと一緒に読むと、登場人物がダブってて、重層的になってなおよろしいかと。
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Comments
ちかいの魔球の分身魔球は
「新・巨人の星」でまた出てきて
影を見て打つというのも同じ。
描く側が覚えてんだから読む側も覚えてます。
(笑)
Posted by: 砂野 | May 26, 2005 09:55 PM
魔球のアイデアをみんなで考える図ってのは微笑ましくてなかなかいいじゃないですか。「黒い秘密兵器」の黒い秘球なんかは、種明かし聞いても何がなにやら理解できませんけど。「劇画一代」のエピソードは、金田正一の投球フォームを撮影して、アニメの飛雄馬の作画の参考にした、というやつですね。
Posted by: 漫棚通信 | May 26, 2005 08:49 PM
少年マガジンで魔球のアイデアは
編集者全員で考えていたそうです。
69年春に十年間を振り返る大きな記事があり、年表と裏話が載りました。
61年から三年続いた「ちかいの魔球」では
アイデアが追いつかず、(消える魔球の説明はウヤムヤで、単に速いから見えないのか?
となっていた)遅れた案出分が次の「黒い秘密兵器」に使われたそうです。
たしか梶原のエッセイ「劇画一代」で、
オープニングは実写に基づいたもので、
飛雄馬と同じ左投手のフィルムを手に入れるのに苦労したとなっていたけど、
それは疑わしい。裏焼きすればいいんだから。
Posted by: 砂野 | May 25, 2005 10:08 PM