小池一夫のマンガ原作(その2)
(前回からの続きです)
もしかすると小池一夫は、マンガのコマわりよりも、映画をイメージしているのかもしれません。
「子連れ狼」の一篇「別れ霜」は、特にその傾向が強いようです。
・雨が降っている…。
城跡の朽ちかけた東屋で、降る雨を見ている大五郎。
ロングの画面から次第に大五郎の顔にズーム。
(語り字幕を大きく)
・語り「土地のものが
ひとときの憩いを求めるために
造ったものであろうか
小高い丘の城跡とおぼしき
朽ちかけた東屋で
その子は 雨を見ていた
ひと雨ごとに 春の足音は
長かった冬を追い立ててはいたが
童子の心と肌には まだ凍てつくような雨だった
・だが……
寒さにも ひもじさにも
そして 淋しさにも
悲しいまでに 順応している
宿命の子だった
父を待つことにも
・しかし……」
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大五郎の大アップから、画面は東屋の中にカメラはパンして…。
筵が一枚、竹の弁当箱と水筒があって悲しい。あわれをさそう。
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語り「二ツ目の朝には
帰るはずの父であった
それが三ツ目の朝となり
四ツ目の夜が来て
五ツ目の朝が雨だった」
「ロングの画面」「ズーム」「大アップ」「カメラはパン」と、映画用語が頻発します。小島剛夕も、シナリオにしたがって映画を意識したコマわりをしました。
(1) 東屋とその中にいる大五郎の遠景。大五郎は右方をながめています。1ページを使った大ゴマ。語り「土地のものが…雨を見ていた」
(2) 大五郎と東屋にズーム。カメラ位置同じ。「ひと雨ごとに…追い立ててはいたが」
(3) さらにズーム。カメラ位置同じ。「童子の心と…雨だった」
(4) さらにズーム。カメラ位置同じ。「だが………」
(5) さらにズーム。カメラ位置同じ。大五郎の顔のアップ。「寒さにも…淋しさにも」
(6) さらにズーム。ただしカメラは上方に移動し、大五郎を斜め上から見おろす位置に。「悲しいまでに…宿命の子だった」
(7) さらにズーム。大五郎の顔だけの大アップ。「父を待つことにも」
(8) カメラは左にパン。大五郎の頭の一部と、大五郎の後ろにある筵が見える。「しかし………」
(9) カメラはさらに左を写す。筵と、その左にある竹の弁当箱と水筒。「二ツ目の朝には帰るはずの父であった」
(10) 弁当箱と水筒にズーム。「それが三ツ目の朝となり四ツ目の夜が来て」
ここまで10コマ。2ページと半分です。映画的に言うと、オープニングシーンをワンカットで長回し。しかも、ナレーションはまだ途中で終わっていません。続くコマは大五郎の手が竹の弁当箱を持つアップのコマで、「五ツ目の朝が雨だった」と語られます。
カットの変わり目をナレーションでつなぐという、流れるような展開です。小池一夫が意識して映画的に書いたシナリオを受け、小島剛夕はそのまま映画のようなコマわりをしました。各コマのナレーションの長さは一様ではなく、語りの文字の数がそのコマを読む時間であり、カメラが移動する時間でもあります。
この回は特に映画的手法がめだち、山門に至る長い石段を大五郎が登るシーン。カメラは上にあり、登ってくる大五郎を正面から見おろします。
(1) 大きなコマ、石段の下のほうに小さく大五郎。
(2) 大五郎にズーム。
(3) さらにズーム。
(4) さらにズーム。
(5) さらにズーム。
(6) さらにズーム。大五郎の顔のアップ。(この間もナレーションは続いています)
(7) ページが変わって、今度は大五郎の後姿、カメラは大五郎より下方にあります。大五郎の奥に山門が見える。
(8) 石段をほとんど登りきる大五郎の後姿。さらに山門が近づきます。今度はカメラは大五郎の真後ろを移動しながら追っかけていきます。
(9) 山門の真下の大五郎の後姿。カメラはずっと大五郎を追います。ハンディカメラだな。
(10) 大五郎後姿は山門の奥、寺の庭に進みます。やはりカメラは大五郎のすぐ後ろにくっついています。ここまでまるまる2ページ。
まるきり映画です。このシーン、シナリオでは
・山門に至る長く高い石段を…。上からのアングルで──。
筵で身体をくるみ、トコトコ石段を上ってくる大五郎。
雨に濡れた石段のこう配、その鋭角的な画面に悲しい大五郎。上ってくるシーンをズーミングして…。
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(下から)上っていく大五郎を追って…。
そして山門の奥、そびえたつ古刹を。
これだけですが、ナレーションがけっこう長い。小島剛夕の演出では、大五郎の歩みをじっくり見せました。
小島剛夕の方が、映画的演出をリードすることもありました。
左門という浪人が、草原で火に囲まれた大五郎を見つめるシーン。
・左門「見すごすわけにはゆくまい!」
石段をおりかけて、その足をピタリととめる。
ギョッと左門の表情が硬くなる。その細い目のアップ…。
・左門「あの死生眼を、確かめるには、またとない機会! はたして、あの眼が恐怖を知らぬ、動ぜぬ眼なれば、火にかこまれて…」
左門の眼に凹地に迫っていく野火が映る。
・左門「ここから見極めてくれる! 不憫なれど、わしも剣の道を歩むもの、確かめずにはおかぬ!」
完成原稿は以下のとおり。
(1) 左門の上半身。「見すごすわけにはゆくまい!」
(2) 左門の足もとのアップ。擬音で「ピタ」
(3) 左門の顔のアップ。無音。
(4) 左門の足もとのアップ。無音。
(5) 横長のコマ。左門の両目のアップ。「あの死生眼を…火にかこまれて………」
(6) 中央に小さく大五郎。周辺から火と煙がせまる俯瞰。これにオーバーラップして左門の両目のアップ。「ここから…確かめずにはおかぬ!」
「眼に野火が映る」というシナリオを、映画的オーバーラップ=大五郎に迫る野火の俯瞰×左門の両目のアップで表現しました。お見事。
足もとを2度繰り返して見せるのも、シナリオにはない、小島剛夕の演出です。
小池一夫がいつも映画的シナリオを書いているわけではありません。とくにこの回がめだつだけなのかもしれません。
ただし、梶原一騎と違って、小池一夫は最終原稿をある程度イメージしながら原作を書いています。アップや俯瞰の指示、カメラ位置の指示。梶原一騎の原作が講談などの語り芸に基づいていたのに対し、小池一夫の原作は、映画シナリオがお手本になっているようです。
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