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May 06, 2005

手塚治虫と医師免許

(前回からの続きです。最終回)

 中野晴行「そうだったのか手塚治虫 天才が見抜いていた日本人の本質」(2005年祥伝社新書)が最近刊行されました。著者は手塚治虫に関しては専門家と言っていい人物ですが、彼が手塚治虫に関するデータの根拠にしてるのが、「手塚治虫展図録」(東京国立近代美術館・朝日新聞社)です。

 わたし持ってません。おそらく詳しい手塚年譜も掲載されてるのでしょうが、今、簡単に読める手塚治虫の年譜は、以下の2種。

・asahi.comの「飛べ!鉄腕アトム」のコーナーの年譜
・手塚治虫@ワールドの年譜

 後者は、「手塚治虫全史 その素顔と業績」(1998年秋田書店)に掲載されている年譜と同じもののようです。この2種の年譜とも、大阪大学附属医学専門部入学が1945年、卒業が1951年で、一致してます。6年かけての卒業ですが、この時期、阪大医専部は5年制。1年留年してることは年譜には書いてありません。

 ま、あれほど大量の作品を描き続けていた時期の手塚治虫が、フツーに卒業できたと考えるほうがおかしいですわね。

 ここで、asahi.comの年譜に奇妙な記述が。

・1951年:大阪大学附属病院でインターン生活始まる。医師国家試験に落ちる。

 国家試験に落ちる?

 この記述は明らかに間違いです。戦前、日本では医学部・医大・医専で教育を受け、各学校を卒業しさえすれば、試験なしで医師免許が貰えました。戦後これはGHQに改められ、1946年には早くも第1回医師国家試験が施行されています。

 これに加えて、学校卒業後1年間のインターン(無給研修)が義務付けられ、国家試験を受ける資格を得るのはインターン終了後となりました。

 つまり、手塚治虫が医専部を卒業したのが1951年ならば、その年には国家試験を受けることはできなかったはずで、1951年に国家試験に落ちることは、やりたくても不可能。

 ならば、彼が国家試験に落ちた話は、どこから出てきたのか。ここで気になるのが、小野耕世「手塚治虫 マンガの宇宙へ旅立つ」(1989年ブロンズ新社)の中の文章。

・この年(1952年)の7月、オサムは医師の国家試験を受け、翌1953年9月、医師の免許を手にした。

 試験が1952年で、医師免許を貰うのが1年以上たってからなんてことがありうるのか。桜井哲夫「手塚治虫 時代と切り結ぶ表現者」(1990年講談社現代新書)には、試験が1953年7月、医師免許取得も1953年9月と書いてます。でも、だったら、インターンが終わった1952年から1年間、手塚は何をしてたんだよっ。

 ここで、わたしは1952年から手塚治虫が何回か国家試験に落ちたんじゃないかと考えました。しかし、その後調べたところ、試験合格と免許取得のタイムラグはありうるようです。

 現在の医師国家試験は年1回、2月に施行され、3月末に合否発表。その数週間後に医師免許が手許に届くらしい。しかし、手塚治虫が受けた1952年には、試験は年2回、5月と11月に施行されてたようです。5月の試験の結果発表が7月ごろか。

 この当時、試験に合格しても、医師免許証はなかなか発行されなかったみたい。同時期の試験を受けて合格しても、医師免許取得の時期がバラバラで、同年の8月であったり、9月であったり、12月になったり。翌年になった人もいます。

 というわけで、試験が1952年、免許取得が1953年でも、OKみたい(それにしても1年以上かかるものかなあ。翌年の試験も終わってんぞ)。微妙に疑惑は残りますが。

 順調に行けば、手塚治虫が合格したのは1952年の第12回医師国家試験のはずです。国に返還するかどうかで、一時ニュースになった手塚の医師免許証を見ることができれば、このことはすぐ確認がとれるんですけどね。

 さて、マンガ家・手塚治虫にとって、医学生という立場はどういうものだったのか。すでにデビュー作「マァチャンの日記帳」のとき、「大阪帝大医学専門部」の現役学生であることが紹介されていました。

 彼の自伝「ぼくはマンガ家」によると、

・当時の「週刊朝日」にも、「学生漫画家手塚云々」と書かれて、「ロストワールド」がとりあげられたし、事実、よく売れた。

 学生マンガ家と紹介されたなら、医学生であるとも書かれたはずです。

 また、学童社が「ジャングル大帝」単行本を発行したときの、電車内吊り広告はこんなふう。

・若き医学者の余技は遂に日本の漫画を大転化一新させた!! その人気今や圧倒的 豊かな空想 科学的センス 文学的香気に充ちた比類ない優秀漫画の出現 特にお子様の教育に関心を持つ御家庭に奨む

 中野晴行「マンガ産業論」によりますと、この時代、サイフを握ってて実際にマンガを買うのは、子供じゃなくて、親だった。この広告は、もちろん親世代に向けたもので、「若き医学者」というコピーはすごく有効だったはず。

 「冒険王」1952年6月号の記事「手塚治虫先生とマンガ問答」。

・「いや、ぼくはもちろん、マンガはすきですが、ほんとうは、これでも、お医者さんですよ。お医者さんのたまごなんですよ。」
「え? あの、お医者さん?」
「ぼくは、いま、阪大病院の小児科室にいます。しかし、聴診器を患者さんにあてていると、いつのまにかマンガの場面になってきて、よわっちゃうんですよ。アッハッハ。」

 手塚治虫にとって、医学生であることは、大きなセールスポイントになっていました。

 もちろん、マンガ家は浮草稼業。いつ人気がなくなるかもしれません。だから、手に職をつけておきたかった。ただし、ここまで医学生であることが宣伝材料になってしまうと、マンガ家・手塚治虫にとっても、医学生をやめてマンガに専念する選択肢はなかったはずです。

 医学生が勉強しなきゃいけない総量が、現在と比べてはるかに少なかったとはいえ、手塚は、フルタイムのマンガ家にとっても、多い仕事量をこなした上で勉強を続けていました。漫画少年に「ジャングル大帝」、少年に「アトム大使」、漫画と讀物に「新世界ルルー」、少年画報に「サボテン君」、冒険王に「冒険狂時代」、おもしろブックに「ピピちゃん」、そして描き下ろしの単行本。オールタイム・ベストワン級の傑作「来るべき世界」は1951年作です。こりゃ大変だ。

 そして、卒業。インターン。国家試験。ここで医師免許を手にしなけりゃ、何のための6年間やらわからない上に、マンガ家・手塚としても今後、医者というセールスポイントがなくなってしまう。何が何でも合格しなけりゃならなかったはずで、いかに戦後、医者を増やす国策下であったとしても、プレッシャーは存在したでしょう。

 手塚治虫が東京に転居したのは、インターンが終わって、医師国家試験が終わって、合格発表も終わって、から、と考えたほうが、すっきりするようです。新たに医師免許取得という肩書きを得て、手塚治虫は晴れて東京に進出しました。

 今回は、これでおしまい。当然、次にくる話題は「手塚治虫と医学博士」ですが、これについては資料が集まっておりませんので、またいずれ。

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Comments

「手塚治虫展図録」の年譜も
1945(17歳) 7.1 大阪大学付属医学専門部に入学。
1951(23歳) 3.24 大阪大学医学専門部卒業。
1952(24歳) 7.16 医師国家試験にパス。
となっております。その他の部分も大雑把に見較べてみたところどうやら「手塚治虫@ワールド」の年譜は「手塚治虫展図録」の年譜を下敷きにして加筆修正したもののようです。御参考までに。

Posted by: 池本 | May 07, 2005 12:57 AM

情報提供ありがとうございます。となると、いまのところもっとも詳しくて正確な年譜は、手塚治虫@ワールドのものになるのでしょうね。

Posted by: 漫棚通信 | May 07, 2005 08:50 AM

2003年の日記帳のフォルダに新聞の
切り抜きがありました。
<国への返却義務あった手塚治虫さんの
医師免許証>~記念館は展示継続を要求~
との見出し。下に写真があり、それを判読
しますと、
<昭和28年9月18日・厚生大臣
 山縣勝見>と読めます。

奥さんが発見し、記念館の企画展
「”ブラック・ジャック”のDNA」に展示と
記事にあります。

でも本人死亡の場合は、国へ返却の
義務があるようです。
このときは「返納してもらうのが原則
だが、著名人の遺品として資料的
な価値があるとも考えられ、即座に
判断しかねる。慎重に検討したい」
と厚生労働省・試験免許室は回答
しています。
その後どうなっていますやら…。
ご参考までに。
何日付けなのかメモしてありませんが
多分「朝日」かと思います。

Posted by: 長谷邦夫 | May 16, 2005 08:19 PM

コメントありがとうございます。医師免許に書かれる日付は、国家試験の試験日や合格発表の日ではなく、かなり遅れるのがあたりまえのようです。ただ、いかに昭和27-28年とはいえ、1年以上も遅れるものかなあというのが疑問でして。ただし、もしも昭和27年の国家試験に落ちて何回か再挑戦したとすると、トキワ荘に住んでたころ忙しくマンガ描きながら試験勉強してたことになって、これはこれで、ちょっと無理かしらなどと考えてます。

Posted by: 漫棚通信 | May 16, 2005 09:57 PM

医療崩壊ー地域医療の崩壊は、今国民的な関心になっていると思いますが、わたしの知人の開業医の先生が最近、このテーマで執筆されています。
この本によると、その崩壊の主な責任は、医療行政の問題にあると指摘しています。つまり、医療費など年間2200億円削減のしわ寄せを、地域の医療現場に押しつけているとのことです。
このような、一開業の方々を含めて、現場の医療関係者から様々な議論が巻き起こってくることを期待したいところです。
『医は仁術か算術か―田舎医者モノ申す』(定塚甫著・社会批評社・1500円)
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/80-9.htm

Posted by: 堀口舞 | October 08, 2008 01:30 PM

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