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May 21, 2005

菅伸吉の横顔

 「MASTERキートン」絶版か、という週刊文春の記事、わたしも買ってきて読みました。記事の全文じゃないけど、かなりの部分はコチラのかたが、テキスト化しておられます。

 「MASTERキートン」の原作者、勝鹿北星=菅伸吉は作品制作にあまりかかわっておらず、浦沢直樹としては釈然としなかった。そこで原作者の名前を小さくしようとしたところ、雁屋哲から横槍がはいり、結局、絶版あつかいに、という記事です。

 この記事でやっとわたしたちは、「MASTERキートン」における、浦沢直樹、勝鹿北星、長崎尚志の関係がわかったわけです。そうか、「MASTERキートン」を語るとき、長崎長崎よく言われてたのは、勝鹿北星があまりタッチしていなかったからなんですね。

 「MASTERキートン」原作の菅伸吉氏は1946年1月3日生まれ。2004年12月9日に亡くなりましたが、勝鹿北星、きむらはじめ、ラデック・鯨井などのペンネームで知られるマンガ原作者です。作品には、以下のようなものがあります。

きむらはじめ名義:

・なんか妖かい!?(1982年〜1984年、里見桂、小学館、少年サンデーコミックス)
・青拳狼(1984年、池上遼一、小学館、少年サンデーコミックス)
・ホットDOC(1984年〜1988年、加藤唯史、小学館、ビッグコミックス)
・エア・ポケット(1985年、安良城考、小学館、ビッグコミックス)
・熱いですよ!(1986年、原田久仁信、小学館、少年ビッグコミックス)
・ブラックマネーゲーム マンガ地下経済の実態(1987年、影丸譲也、学習研究社)
・めんくい ラーメン放浪記(1988年、前川K三、ぶんか社)
・たちまち晴太(1991年、水島新司、小学館、ビッグコミックス)
・ビリー!(由起賢二、三心堂出版社)

勝鹿北星名義:

・MASTERキートン(1988年〜1994年、浦沢直樹、小学館、ビッグコミックス)
・キートン動物記(1995年、浦沢直樹、小学館)

ラデック・鯨井名義

・SEED(1996年〜2002年、本庄敬、集英社、ヤングジャンプコミックス)
・マジンジラ(2004年、つやまあきひこ、ソニーマガジンズ)

 「MASTERキートン」以後の晩年(と言ってしまうにはお若いのですが)には、エコロ方面がライフワークとなっていたようです。菅伸吉のエッセイとして、お酒に関する次のようなものが読めます。

ラデック・鯨井の取材裏話その1 小さな記事から
ラデック・鯨井の取材裏話その2 商品に人と歴史あり
ラデック・鯨井の取材裏話その3 命のつながり

 なぜか先日までネット上では、菅伸吉=東周斎雅楽(イリヤッド、テレキネシス)=江戸川啓視(プルンギル青の道、青侠ブルーフッド)という奇妙な情報が流れてましたが、最近は長崎尚志=東周斎雅楽=江戸川啓視で落ち着いたみたいですね。

 バイオグラフィーのうち、多くの作品が小学館のものであるのに、「葬式にも小学館関係者は一人も来ていませんでした」というのは悲しい話。ここで登場するのが雁屋哲です。

 「『ダメ!』と言われてメガヒット」(2004年東邦出版)という、マンガ家と編集者の関係を書いた本がありますが、その著者・宇都宮滋一 のブログで、本には掲載されなかった「ゴルゴ13」についての文章が公開されてます。

第1回 ・第2回 ・第3回 ・第4回 ・第5回 ・第6回 ・第7回 ・第8回 ・最終回

 上記のうち、第6回でインタビューされているのが、菅伸吉です。

 これによると、1969年電通入社。このときの同期が雁屋哲で、以後親友に。

 1972年「週刊少年マガジン」連載の池上遼一「ひとちぼっちのリン」という競輪マンガの原作者は“阿月田伸也”とクレジットされ、これは雁屋哲の最初期の作品とされていますが、実は菅伸吉も参加していたとのことです。

 雁屋哲は「男組」で人気作家になりましたが、菅伸吉は長く売れず、「なんか妖かい!?」のヒットをきっかけに、「ゴルゴ13」のシナリオに参加。最初の作品が「アイボリー・コネクション」で、以後約10年間ゴルゴに作品提供。

 というふうに記載してありますが、調べてみると「ゴルゴ13 アイボリー・コネクション」は1978年作品で、1982年の「なんか妖かい!?」のかなり前になり、事実関係が混乱しています。

 “きむらはじめ”のペンネームの由来は、コチラのかたの「MASTERキートン→喜劇役者バスター・キートン→日本の喜劇役者 益田喜頓→彼の本名 木村一」説というのがありまして、大ウケしたんですが、残念ながら、「実名の少年からつけた」と。

 雁屋哲と菅伸吉は、同志的、戦友的な友人だったようです。雁屋哲が、菅伸吉の晩年や没後における小学館の態度に、義憤を感じるのは納得できますが、マンガが読めなくなるのは困ったことだなあ。

 追記:今回の文春の記事が出る前に、勝鹿北星の謎にがんばってせまったサイトがコチラ。浦沢直樹の元アシスタントだった伊藤剛氏の証言もあります。

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