手塚治虫と年令
(前回からの続きになります)
手塚治虫は1928年(昭和3年)生まれですが、生涯、1926年(大正15年)生まれと自称していました。これはいつから何のために始まったのでしょうか。
ネット上には、手塚が医専出身をごまかすために年令を詐称したなどと、おバカな話が出回ってますが、そんなことはありません。手塚のデビューは1946年1月。「小國民新聞」(のちの毎日小学生新聞)連載の「マァチャンの日記帳」です。そのときの作者紹介。
・あたらしく、あすかられんさいするまん畫(ぐわ)「マアチャンの日記帳」の作者手塚治蟲(てづかはるむし)さんは、みなさんと同じくりくり坊主で、十九歳のお兄さんです。毎日、大阪帝大醫學専門部に通學して、お醫者さんになる勉強をしてゐられますが、小さいときからまん畫が大好きで、國民學校二年生のときからいろいろのまん畫をかいて、たのしんでゐられました。あまり上手なので、みなさんのために、れんさいすることにしました。ほがらかなマアチャンをかはいがつてあげてください。
このとき手塚治虫、17歳。中学は4年で修了してしまっていましたから、医専の同級生の中でも最も若い年令です。手塚は、デビューのときから、年令を2歳多く自称していたことになります。これは確信犯なのか、あるいは誤植をそのまま利用したのか。
1945年、阪大医専部に入学したときの手塚の写真(伴俊男「手塚治虫物語」)や、1946年ごろ、友達とおちゃらける手塚の写真(泉谷迪「手塚治虫少年の実像」)が残ってますが、今でいうならフツーの高校生。むしろ童顔で、中学生といっても通るかもしれない。
こういうトッポイ顔の17歳が、マンガ家として売り出そうとしてるわけですから、2歳、年を多く言うのもむべなるかな。もしかしたら、医専の年上の同級生と伍して酒を飲むときも、年令のサバ読んでたかもしれません。
いずれにしても、手塚治虫はデビューのときの年令を使って、一生過ごすことになりました。
以下次回。
Comments
昭和3年11月生まれで、昭和21年1月に数えで19歳。おっしゃるとおりですね。その後の手塚がずっと大正15年生まれと自称していたのは、そのあたりの勘違いを利用したのかもしれません。
Posted by: 漫棚通信 | October 25, 2012 10:59 PM
「マァチャンの日記帳」の1946年で「十九歳」というのは、数え年ということは考えられないでしょうか。
Posted by: fukueri | October 25, 2012 09:55 PM