オリンピックと少女マンガ
1959年、皇太子ご成婚をきっかけにTVの普及が急速に進みましたが、太平洋を越えてTV中継ができるようになったのは1963年から。日本人がオリンピックをTV観戦する習慣ができたのは、1964年東京オリンピック以降です。
東京オリンピックで人気となったのは、男女体操、重量挙げ、レスリング、マラソンなど。柔道無差別級で、神永がヘーシンクに負けたのが大きな話題になりました。そして日本女子、唯一の金メダルが「東洋の魔女」のバレーボール。男子も銅メダルとってるんですが、ちょと影が薄かった。
さて、マンガはこの東京オリンピックをどう取り込んだか。実は、ほとんど接点がありませんでした。オリンピックを題材にしたマンガは、大人マンガは別にして、子供マンガではわずかに月刊誌のギャグマンガ(生活ユーモアマンガといったほうが正しいか)があっただけではなかったか。このころのスポーツマンガは、まだまだ時代劇や生活マンガの延長で、ドメスティックな視点から脱却できていませんでした。
オリンピックを視野に入れたマンガが始まるのは、1966年の「巨人の星」の成功を受け、1968年にメキシコオリンピックをひかえた前年の、1967年からです。
といっても、日本人が活躍できる種目じゃなきゃマンガにならないんですが、当時の、体操や重量挙げ、陸上競技マンガってあまり知らないなあ。梶原一騎・永島慎二「柔道一直線」が少年キングで1967年から。主人公はオリンピックを目標にしてるわけじゃありませんが、外国人と戦いますし、ヘーシンクも登場します。
川崎のぼる「アニマル1」が少年サンデーで1967年から。これはレスリングでメキシコオリンピック出場を目指すマンガでした。
本命、女子バレーボールは、週刊マーガレットで浦野千賀子「アタックNo.1」が1968年新年1号から。遅れて、週刊少女フレンドでは、望月あきら・神保史郎「サインはV!」が1968年10月15日号から始まりました。メキシコオリンピックは、この年の10月12日からの開催でしたから、もろ、これにぶつけた連載開始です。この2作は、少女マンガにおけるスポーツマンガの嚆矢となりました。
マンガが描こうとするのは、おもに物語ですが、それ以外にも、叙情を語ったり、内面世界を語ったりもする。でも、それ以外にマンガというジャンルは、肉体を描くのにもっとも適しているのじゃないか。
マンガの中で絵に描かれた肉体は、作者の理想を表現できます。小説や演劇・映画で、文章や現実の女優に演じさせた肉体よりも読者に迫ることが可能。その結果、表現はより過剰となり、少女マンガでは足が極限的に長くなり、青年マンガではオッパイが非現実なほど大きくなります。
少女マンガが肉体を描くために、最初に手に入れたのは、バレエでした。続いて、手塚治虫という先駆者が描いたのが、戦う少女「リボンの騎士」。ただジャンルとしては成立せず、後年のベルばらやスケバンものの出現を待たなければなりませんでした。
続いて登場したのが、スポーツです。「アタックNo.1」や「サインはV!」の登場人物は、旧時代のマンガから離陸し、肉体表現で物語を進行させるようになりました。
そして、もう少したつと、肉体を描くのにもっとも有効な、セックスシーンが少女マンガにも登場するようになりますが、これはまた別の話。
Comments
はじめまして
興味そそるホムペですね。
ゆ~っくりと拝見させていただきます。TBヨロシク。
Posted by: おしゃれ通信。。 | May 12, 2005 07:25 PM