桑田次郎と平井和正
マンガショップからぞくぞくと昔のマンガが復刊されてますが、今、中心となって復刊されてるのが、園田光慶(ありかわ・栄一)と桑田次郎(現在は二郎)です。その他の作家のものも含めて、読んだことはあるけども記憶の中だけにあるもの、読んだこともないものもあって、ああ、あれも欲しい、これも欲しいとなるんですが、なんせお値段が高い。一律一冊1890円はキツすぎる。
桑田次郎は月刊誌時代から、ムチャクチャ忙しい人気作家だったのですが、初めてマンガ週刊誌に進出したのが、1962年「週刊少年マガジン」に連載された「軍用犬ヤマト」(原作・真樹日佐夫)。
翌1963年には、「週刊少年マガジン」で「8マン」(原作・平井和正)、「週刊少年キング」では「キングロボ」を連載開始(少年キングだからキングロボね)。このころの人気作家は、あたりまえのように複数の週刊連載を持ってるなあ。
桑田次郎は月刊誌時代に「まぼろし探偵」「月光仮面」というビッグヒットがあるんですが、現在にいたるも桑田次郎の代表作といえば「8マン」。平井和正のSFマインドに満ちたストーリーと、桑田次郎のシャープな線と正確なデッサン。このふたりの相性は最高。
ところが1965年、桑田次郎の拳銃不法所持事件。桑田自身の自伝「走れ!エイトマン」によると、自殺目的に集めていた拳銃が4丁にもなっていたと。
当時の連載が、「週刊少年マガジン」に「8マン」、「週刊少年キング」に「少年ジュピター」、「少年画報」に「まぼろし探偵」(第2期)、「こどもの光」に「パトロールV」。これは仕事しすぎだ。すべてこの事件で連載中断となりました。
ただし、桑田次郎はすぐ復活します。1965年のうちに、「週刊少年キング」で平井和正とのコンビ第2作「エリート」の連載開始。平行して、秋田書店「まんが王」でコンビ第3作「超犬リープ」の連載も始まりました(「リープ」は当初、桑田次郎は「つばさ新也」のペンネームで描いてたらしい。誰が見ても、桑田次郎は桑田次郎でしかないんですが)。さらに、読みきり形式の「8マン」も、「週刊少年マガジン」「別冊少年マガジン」などに不定期掲載。どれもすべて面白い。
8マンは、東八郎刑事の記憶を移植したスーパーロボット。エリートは、超常的存在の宇宙人によって潜在能力を発揮できるようになった、本来平凡な地球人。リープはしゃべることも可能なスーパーロボット犬。
名作の誉れ高い「エリート」ですが、残念ながら連載途中で中断してしまいます。1966年、「週刊少年キング」を発行していた少年画報社が、バットマンを強力プッシュ。この年4月からのTV放映にあわせたもので、7月からアメコミ雑誌「バットマン」を創刊しました。これに連動して、「週刊少年キング」「少年画報」「別冊少年キング」の3誌に、日本版バットマンを掲載。これが描けるのは、当時、確かに桑田次郎だけだったかもしれない。
「エリート」が中途半端な第一部完となったのが、「週刊少年キング」1966年22号。その翌23号からすぐ、桑田次郎版バットマンが連載開始されました。
ところが、桑田次郎の描くバットマンはすごくカッコよかったのですが、バットマン自体、日本では評判になりませんでした。アメリカでは大ヒットしたTV版バットマンが、日本ではうけなかったからです。
・日本での、バットマン番組の人気は低かったという。日本版の翻訳が悪いのかと思って、訳者を変えてみたけれど、それでもダメだったそうだ。また、放送に呼応して少年画報社から出版された、月刊コミック雑誌「バットマン」も、売れ行きはよくなくて、本国から「アメリカでは大ヒットなのに、どうして日本ではダメなのか?」と、いぶかしげな手紙が来たという。
・日本にはバットマンのコミックスの土壌は、ごくわずかしかない。だから、このえせキャンプのいやらしさ(中略)が、日本の視聴者には、無意識のうちにしらじらしさを感じさせ、感情移入がしにくかったのではないかと私は思っている。
・だいたい、ああいうふざけすぎたものは、日本では受けないのである。もっと泥くさくないと、ダメなのである。(小野耕世「バットマンになりたい」)
〈キャンプ〉とは、小野耕世によると「一種のダンディズムである。それはまったく無効用なものを一歩下がって愛でる姿勢であり、ものを味わう醒めた、そしてさらにいえば冷えた情熱である。」「そして、キャンプというのは、そもそもホモ・セクシュアルの世界から生まれたコトバだということを知るとき、すべては明瞭になる。」言ってみれば、当時の日本には、このキャンプというか粋というかオタクというか、そういう余裕がなかったと。
「週刊少年キング」の桑田次郎版バットマンは、1967年15号で終了。翌16号よりは、再度、平井和正原作の「エリート第2部 魔王ダンガー」が始まりましたが、これも短期で終了してしまいました。
「まんが王」連載の「超犬リープ」も、後半は不幸な展開でした。
・前半部分のMMM団(ミリタリズム・マーダラー・マッドネスの頭文字をとった)という、悪の組織のとの対決は、編集部の意向でやむなく終わらざるをえなかった。そして、別の路線を走らさせられることになる、それが原作者の意欲を失わせてしまった。(西部直樹:サン・ワイド・コミックス版「超犬リープ(1)」解説より)
とまあ、これまでの桑田次郎・平井和正コンビの3作品は、名作と言われながら、どれも天寿をまっとうできませんでした。その他、桑田・平井コンビ作品としては、別冊少年マガジン1967年9月号の「鋼鉄魔人」がありますが、未見です。
1969年、講談社から「週刊ぼくらマガジン」創刊。このとき創刊号から連載されたのが「デスハンター」です。「週刊少年マガジン」が青年向けにシフトしすぎたため、「ぼくら」をリニューアルして子供向けの週刊誌をめざしたもの。さいとう・たかをが「バロム・1」を連載するなど、明らかに対象年齢が低い。
ただし、この中で「デスハンター」は、明らかに異色。桑田次郎のクールな絵ではありますが、生首ころがる残酷シーンや女性をリンチするシーンは、今読んでも相当なものです。ただし、この作品で、やっと、桑田・平井コンビの作品はちゃんと完結することができました。
典型的子供マンガの絵から始まり、手塚調でもない、劇画でもない絵を作り上げた桑田次郎。今でも魅力的です。絵に関してはまったく独自の存在で、フォロワーさえ存在しえなかった。平井和正と組んだ諸作品は、マンガよりも、むしろタツノコプロなどのアニメに影響を与えたような気がします。
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Comments
フォロワーはいないことはないですよ。
http://page.freett.com/1970/kuwata.htm
また、名前忘れたけど「遊星仮面」の作者は
桑田のアシスタント出身で絵柄はもちろん桑田風です。
ついでに、真似たわけではないでしょうが
ゼータガンダムのカミーユやヤザンは
桑田が描いたような顔ですね。
Posted by: 砂野 | September 14, 2005 08:04 PM