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April 30, 2005

続・シートンいろいろ「死神小僧キム」

 しつこく、シートン。

 シートンがマンガのキャラクターとして登場する作品がありました。白土三平「死神小僧キム」です。

 「死神小僧キム」は「ぼくら」1962年10月号から1963年4月号まで連載。「シートン動物記」とほぼ同時期の作品で、白土三平のシートンへの傾倒がよくわかります。1963年に東邦図書出版社から2巻に単行本化され、1971年、筑摩書房「少年漫画劇場」8巻に再録されてます。わたしの持ってるのはこれ。

 「死神小僧キム」は、西部劇です。主人公キムは、西部を放浪する少年で、彼が現れるとなぜか街が全滅してしまうので、死神小僧と呼ばれ恐れられている。

 キムの造形は、白土三平おなじみのキャラクターでして、影丸やワタリと同じような、横に流れる髪型で、お茶の水博士タイプの鼻の少年(と言って、わかってもらえるかどうか)。白土三平の「忍者旋風」「真田剣流」「風魔」などでは、ハンサムな風魔小太郎が変装した姿としてくり返し登場します。

 この少年、西部を放浪してるんですが、身体能力は、まるきり忍者です。彼が探しているのが、「アタタカイ闇ノオフクロ」と呼ばれる黒いピウマ。この謎の少年キム、死んだはずなのに突然生き返り、実は双子の兄弟がいた、なんていつもの白土三平パターン。そしてこの作品も、いつもの白土作品と同じように、未完であります。

 で、このキムを追っかけてるのが、シートンです。総髪にメガネ、ヒゲをはやした痩せ型の人物。カメラで撮影し、スケッチをして、キムを観察する。彼によると、キムはクロマニヨン人で、生きた化石人類であると。学会に発表して、センセーションをまきおこしたいという野望を持っています。

 キムを追うシートンは、物語の狂言回しで、コメディリリーフでもあります。長井勝一の「三平さんとシートン」によると、白土三平は「シートンの著作だけでなく、シートンという人物をすごく尊敬していた」「シートンは、様々な事物を観察し、分析するときのしつこさみたいな面で超人的な忍者に近いものがあったとうけとっているようだ」

 動物を観察し、スケッチし、絵に描く。カメラの趣味もある。白土三平は自分とシートンに多くの共通点があると考えていたようです。 

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April 28, 2005

マンガ古書の世界

 わたしはいわゆるコレクターではありませんので、定価以上の本を買った回数は、それこそ片手で数えるぐらい。

 「未読王購書日記」、「あなたは古本がやめられる」、それから喜国雅彦「本棚探偵」シリーズとかを読んで、古書蒐集は楽しそうでいいなあ、などと思ってはいけません。古書の世界には深くて暗い谷があり、一度その世界に足を踏み入れると、人間界に戻って来られなくなることもあるらしい。

 というようなことは、紀田順一郎「古本屋探偵の事件簿」とか、横田順弥の諸作を読むとよくわかります。ああオソロシイ。

 で、古書の世界を書いて、ミステリ小説として今回刊行されたのが、二階堂黎人「稀覯人の不思議」です(“稀覯人”と書いて“コレクター”と読ませます)。古書といっても、この本で扱われてるのが、マンガ古書。とくに手塚治虫の古い本。

 マンガにおいて大量消費が始まったのは、以前にも書きましたが、1966年の新書版ブーム以降です。それより前の単行本は、発行部数は少ないわ、残存数はもっと少ないわ、造本がきれいなものもあり、プレミアがつくものがいっぱい。コレクターが求めるものも、このあたり。

 二階堂黎人は、もと手塚治虫ファンクラブ会長でしたから、この周辺のことについては大変くわしい。ですからこの本にもウンチクがいろいろ出てきます。

 たとえば、「ジャングル大帝」の雑誌連載はほとんどカラーだったけど、手塚治虫はどうやって描いていたか。原稿に直接色をのせるのじゃなくて、一度、白黒原稿を良質の紙に印刷してしまう(今ならコピーするところ)。それに着色する。この理由は、白黒で単行本を出すときのことを考えたから。いや、勉強になります。

 ストーリーは、手塚治虫ファンクラブ会長が殺され、コレクションの手塚治虫のマンガ古書が盗まれる。特に重要な本は、学童社版「ジャングル大帝」3巻と、月風書店「白雪姫」です。

(以下、著者がトリックに関わるかもしれないとして、あとがきにしか書いていない内容に触れます。ご注意下さい) 

 ただし、衆知のこととは言いませんが、読者の多くが知っているように、このような本は存在しません(著者は慎重ですが、これを書いてもトリックをばらすことにはならないと思いますが)。でもありそうにも思えるところが楽しい。

 殺人の動機は、もちろん古書をめぐるコレクターの心の闇ですが、このあたり、登場人物に比較的マトモな人が多くて。紀田順一郎の書く話とかのほうが、もっと怖い、底の抜けた人物が登場しますよー。

 あと、1986年の設定なんで、てっきり生前の手塚治虫が動いてしゃべって、登場人物とからむと思ったんですが、残念ながら、登場しません。この時代設定は、単にシリーズ探偵の水乃サトルがこの時代中心に活躍してるのと、著者が当時の手塚治虫ファンクラブの内情をよく知ってるかららしい。

 ミステリでは、歴史上の人物がどんどん探偵役になってることだし、手塚治虫が探偵役のミステリ、誰か書きませんかねえ。彼自身も「バンパイヤ」で、キャラクターとして探偵のマネゴトしてたから、きらいなほうじゃあるまい。

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April 26, 2005

手塚治虫の少年時代

 大阪の池田といえば、上方落語ファンには「池田の猪買い(いけだのししかい)」でおなじみですが、ここは最近、あの宅間守が事件をおこした大坂教育大学附属池田小学校がある場所として有名になっちゃいましたね。で、この学校はもと、大阪府立池田師範附属小学校と言いまして、手塚治虫の母校です。

 手塚治虫は、実家のあった宝塚から池田までは阪急宝塚線を利用して通学していましたが、これと途中まで同じ方向に走ってるのが昨日大きな事故をおこしたJR福知山線です。というわけで、わたし、あのあたりの地名を聞くたびに手塚の名を思い浮かべてしまう。

 シートンを探して図書館の子供の本周辺をうろついておりましたとき(うーむ、アヤシゲに見えたかもしんない)、手塚治虫の子供向け伝記なんてのもありまして、そっちも読んでみました。そうか、手塚はすでに歴史上の人物なんだなあ。

 子供向けの伝記というものは、少年時代のエピソードに多く筆をさくことになっているらしくて、たとえばポプラ社の「おもしろくてやくにたつ子どもの伝記」シリーズの「手塚治虫」も、前半は子供時代のオハナシ。手塚が「新宝島」を描くまでが70%です。

 オトナが読んで、ちゃんとしてるなあと感心したのが、小野耕世が書いたブロンズ新社「にんげんの物語」のシリーズ「手塚治虫 マンガの宇宙へ旅立つ」であります。

 実はわたし、この本の存在を知らなかったのですが、手塚治虫が亡くなったのが1989年2月9日。で、この本の刊行が1989年の10月でして、没後、もっとも早い伝記となります。どうしてこんなに早く伝記が書けたかといいますと、実はこの本、手塚の生前、1987年から企画が始まっており、著者の小野耕世は、宝塚で手塚にインタビューとかしてたんですね。その他、手塚の同級生とか多数にも話を聞いている。

 で、この本もほとんどが少年時代の話です。子供のための伝記が子供時代を描くのは、子供たちが子供時代にどう生活するかの指針を与えるためにあるようです。ほら、ワシントンが桜の木を切ったのを白状する話(これはマユツバということですが)で、正直の大切さを教える。手塚治虫の少年時代から、子供たちは何を学ぶんでしょうね。

 少年時代の手塚治虫は何をしていたか。

 手塚治虫、本名・治、1928年11月3日生まれ。11月3日は今は文化の日ですが、もともとは明治天皇誕生日の明治節。オサムの名は明「治」からとったものです。

 小学生時代の手塚治虫は。雑誌「子供の科学」を読んでいた。宝塚歌劇を見ていた。人前で話すのが得意だった。空想の世界を作文に書いた。電車の運転手を覗いていた。マンガを山のように持っていた。裏山で遊んだ。プラネタリウムが好きだった。秘密結社をつくった。ピアノを自在に弾けた。そしてマンガを描いていた。

 この本で大きく取り上げられているのが、手塚治虫の昆虫採集です。小学5年生から始まり、北野中学2年の時には自作の「原色甲虫図譜」という手描きの図鑑を2集まで作成。その後友人と「昆虫の世界」という雑誌を、中学4年までに11号まで刊行しました。

 そして、戦争がありました。

 中学の軍事教練のとき、「行軍に捕虫ビンをもっていっていいですか」と質問した話は、いかにも手塚らしいというか何というか。中学3年(1943年)から勤労動員。本来、旧制中学は5年までですが、手塚の学年は4年でくりあげ卒業することになり、4年生の9月からも学校には行かず、軍需工場へ。

 1945年の3月に、北野中学を4年で卒業。同年、大阪大学附属医学専門部に入学。当時いっぱいつくられた他の医学専門学校と同じく、軍医を早く多量につくるための学校で、旧制中学卒業で入学することができました。旧制高校(今の大学教養部にあたります)を卒業してからはいる大阪大学医学部とはちょと違う。何にしても戦時中の教育システムは混乱しててよくわからん。

 医学専門部に入学しても、勤労動員が続きます。6月からは大阪空襲。このころ、手塚はなお昆虫採集を続けていました。8月15日終戦。このとき16歳、もうすぐ17歳。今ならまだ高校2年です。

 戦争が終わって、手塚治虫は学生マンガ家として売り出します。「新宝島」「地底国の怪人」「ロストワールド」「来るべき世界」など、手塚の単行本時代のほとんどが、大阪の医学生時代に描かれたものです。やっぱこのヒト天才だわ。

 医学専門部は本来4年制でしたが、戦後、5年制に変更されます。さすがに手塚はマンガばっかり描いてましたから1年留年して、1951年3月に卒業。戦前の日本には医師国家試験などというものはなく、学校卒業すれば、即、お医者でしたが、戦後はシステムが変わって、卒業後1年間のインターンという無給研修があり、その後、国家試験にとおってやっと医師を名のれるようになりました。手塚のインターン終了が1952年。

 手塚治虫が医師国家試験を受けたのが、1952年の7月。医師免許を手にしたのが1953年9月。普通こんなに時間がかかるわけはありませんから、こりゃ何回か試験に落ちてるな。(←この部分については、コチラで再検討しました)

 インターンが終了した1952年、やっと手塚治虫は東京に居を移します。このとき、まだ23歳。すでに「漫画少年」では「ジャングル大帝」の連載が始まっており、「少年」では「アトム大使」が終了して、この年から「鉄腕アトム」の連載が開始します。

 このように戦後マンガは、いち医学生が学校に通いながら描いたものから始まったのです。

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April 23, 2005

永劫回帰のココチヨサ「ハチミツとクローバー」

 羽海野チカ「ハチミツとクローバー」を楽しく読んでいるんですが、このマンガのどこが人をひきつけるのか。もちろん絵はかわいいし、コメディ的展開にニコニコできるし、「ギャグ」といえるまで突き抜けてて爆笑できる部分も多い。

 でも、ココチヨサのいちばんの理由は、このマンガ、いつまでも同じ所をぐるぐるまわってるからです。

 最初は、美大生の恋愛と成長の物語と思ってました。でも、卒業シーズンになっても、メンバーが去らない、変化がない。登場人物は、美大教授・花本の家に集まる学生5人。♀が、はぐ(1年生)、山田(4年生)。♂が、竹本(2年生)、真山(4年生)と、留年をくりかえしている森田(6年生)。

 最初の年、「お別れの日が」「近付いているのだ」(2巻12話)と前フリがあって、山田と真山が卒業、森田がまた留年。で、この関係がくずれるかと思ったら、山田は大学院へ。真山は就職したけど、アパート(というか、下宿ね)を引っ越さず、みんなとつるんだまま。おいおい、変わらんじゃん。

 2年目、「皆で過ごすクリスマスは」「これが最後なのだと感じた……」(3巻17話)と、前フッといて、森田がまた留年。変わってません。

 3年目、竹本が留年。森田が8年生でやっと卒業したと思ったら、日本画科3年に編入。変わらんっ。

 この5巻でやっとわかりました。作者はオハナシを終わらせるつもりがない。

 人間関係のほうはどうかというと。これが何の進展もない。みんなそれぞれが片想いのまま。キスのひとつもございません。

 ハチクロは表面的には、成長物語や恋愛物語のふりをしながら、すでにその展開を放棄しています。最新7巻で、竹本が自分探しの旅をして、ちょっと成長したような展開ですが、もうだまされんぞっ。

 まったく変化しないシチュエーションと成長しない登場人物の設定は、古典的ラブコメのそれです。高橋留美子「めぞん一刻」の、まったく進展しない恋愛ドタバタは1980年から1987年まで、なんと7年間続きました。さらにさかのぼると、トムとジェリーの永遠の追っかけっこ。ハチクロはそれらの正しい子孫です。

 永遠の学生時代、永遠の片想い、永遠のモラトリアム。でも、今度の卒業シーズンこそ、きっと別れがあるに違いない(とか言っといて、また留年したりして)。ハチクロの物語が終わるとき、登場人物も読者も、幸せなエデンの園を失うことになるのでしょう。

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April 21, 2005

シートンいろいろ(その2)

(前回からの続きです)

 谷口ジロー版ロボと、村野守美版ロボの類似点は以下のとおり。

 谷口ジローのロボでは、オープニング、ロボとその一味がウシを襲うシーンから始まります。その声を焚き火をしているふたりのカウボーイが聞いている。若いほうが、オオカミを追いかけようとすると、老人がムダだと言う。

 このシーン、まるきり村野版と同じです。原作はシートンの一人称ですから、こんな老人と若者のカウボーイコンビなど登場しません。

 セリフも似ています。谷口版の老カウボーイ。「あいつはただのオオカミじゃない」「悪魔がのりうつってるのさ」

 村野版では。「あれはただのオオカミではない」(略)「まるで人間をあざ笑っているばけものだ」

 次に、ロボの群がウシを襲うのをカウボーイが目撃するシーン。谷口版では、老カウボーイの回想として描かれますが、村野版では、別のカウボーイが酒場で回想する形です。で、彼らはともに、興奮してライフルでロボに発砲するのですが、原作では、この男は銃を撃たないのです。銃撃という演出が似ている。

 テキサスのタナリーという男が登場して、ロボを追いますが、彼の造形が似ている。通常より背の高いカウボーイハットと、皮製らしい上着。面長の顔にヒゲ。

 シートンがロボに罠をかけ始めて次々と失敗。ロボと一緒に行動しているメスのブランカをねらって罠をかける。谷口版では、シートンがこのように言います。「これが失敗したなら」「もう……」「私はロボを追うことはないだろう」

 村野版では。「もし今度の作戦でもロボに負けたら…」「残る手だてはわたしにない!」

 ともに、これが最後の作戦との決意を表明していますが、実は原作では、シートンはこれが最後だとは思っていません。この劇的なセリフの演出が似ている。

 谷口ジローのオリジナリティはどこにあるのでしょうか。大きくは3点。まず、パリのシートンを描いたこと。今泉吉晴の評伝によっています。

 次に、シートンが遠くからロボを目撃するシーン。これは原作や村野版にはない見せ場になってます。

 そして、ブランカやロボが罠にかかるシーンを描いたこと。原作では、シートンの一人称ですから、罠にかかった彼らを発見するシーンはありますが、罠にかかるシーンは直接は書かれません。

 ここは全編のクライマックスともいえるわけで、マンガならぜひとも描写したいところでしょう。谷口ジローの演出は、ブランカが罠にかかるシーンを7ページ、ロボが罠にかかり、その後、牛に襲われるまでを11ページかけてじっくり見せます。村野版は原作どおりに、そのシーンはあえて描いていません。(ほるぷ出版の宮田淳一版には、罠にかかるシーンは、あります)

 これらの谷口ジローのオリジナリティある構成は認めながらも、特にオープニング、ふたりのカウボーイのシーンが、村野守美版に似てるんだ。このくらいの類似がなんだと思われるかもしれません。同じ原作を脚色してるんだから、似ないほうがおかしいのかなあ。でもやっぱり、この類似は気になります。

 こうなると、ぜひとも1974年の「谷口治郎」版が読みたいところです。これではどうなってたんだろうなあ。でも、おそらく読むことは不可能。

 わたしの推理では、谷口版、村野版に共通する元ネタがあるんじゃないか。リライトされた小説か、アニメか、実写映画か。まさかマンガじゃあるまい。

 と、ここまでひっぱって書いてきましたが、今回、オチはありません。結局、これについては確認できませんでした。

 子供向けにリライトされた「ロボ」をいろいろ読んでみましたが、マンガのような脚色をしている作品は見つかりませんでした。アニメに関しては、1990年ごろ、複数の「ロボ」が発売されているようですが、未見です。

 あとは、実写映画。ディズニーが「狼王ロボ」(THE LEGEND OF LOBO)を1962年に制作し、1963年に日本でも公開、1973年にはリバイバル公開されてます。英語版のビデオを取り寄せることは可能なようですが、うーむ、考えちゃうなあ。

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April 20, 2005

シートンいろいろ(その1)

 谷口ジロー「シートン 旅するナチュラリスト 第1章『狼王ロボ』」が発売されてます。谷口ジローの圧倒的な画力で、自然と動物を描写。

 「シートン動物記」は学校図書館の定番ですからみんな知ってるし、マンガ化されることも多い。動物を描くのが好きだったり得意なマンガ家にとっては、挑戦しがいのある原作のようです。「シートン動物記」の中で、なんといっても人気トップは、「狼王ロボ」でしょう。

 谷口ジローは「ブランカ」「神の犬」や「犬を飼う」も描いてますし、紙屋研究所経由で知ったところでは、すでに1974年「学習漫画 シートン動物記」(集英社、全12巻)のうち、「谷口治郎」名義で、4巻を描き下ろしていたそうです。「狼王ロボ」「裏町の野良ネコ」「白いトナカイの伝説」「少年とオオヤマネコ」。彼にとっては、シートン、それもロボ再挑戦になるわけです。オビに著者いわく、「ずっと以前から、“ロボ”を描きたかった。そして今こそ描けると思った。」

 谷口ジローの「シートン」を読めばわかりますが、シートンは画家でした。ですから、シートンのオリジナル著作には彼自身のカットや挿画が掲載されています。で、この絵がスゴイ。

 シートンの描いたオオカミは、正確な骨格を持ち、動き・迫力とも十分、恐ろしく、気高く、かっこいい。さらに森、荒野、山々からなる風景も、細かく描き込まれています。

 さらに、シートンの最初の単行本となった「美術のための動物の解剖学」(STUDIES IN THE ART ANATOMY OF ANIMALS、1896年。日本語版タイトル「美術のためのシートン動物解剖図」)は、ウマやイヌ、ライオンなどの筋肉、骨格の解剖図を描いただけでなく、ウマやイヌの走るところの分解写真を連続した絵にしたものも。彼はアニメーターの先祖でもあるわけです。

 そもそも、「狼王ロボ」を含む、シートン『動物記』という書物は存在しません。シートンの諸作を『動物記』というタイトルをつけて日本に紹介したのは内山賢次で、戦前のことになります。戦時中も敵性文学なのに、戦争末期まで版を重ねた人気作品だったそうです。

 戦後には1951年に、評論社から内山賢次訳で「シートン全集」全18巻が刊行。本文のカットはシートン本人のもの。挿画は、シートン自身の水彩画(?)を、ペンでトレースか模写かしたものでした。(評論社からは、のちに龍口直太郎訳で、「少年少女シートンの動物記〈原画版〉」というのも刊行されてます)

 1971年には、集英社から藤原英司訳で「シートン動物記」全8巻刊行。ここで挿画はトレースから写真版となり、その他にも、シートン自身がカメラで撮影したロボやブランカ、オオカミ罠の写真も掲載されました。谷口ジローの描く、罠にかかったブランカ(「シートン」201ページ)は、シートンの撮った写真の模写です。

 のちに子供向けに多くリライトされたのがこの藤原英司版。「谷口治郎」の「学習漫画 シートン動物記」も、1974年集英社から出てますから、藤原英司版をもとにしていたはずです。

 今泉吉晴は、谷口ジローの「シートン」では、原案として名前が記載されていますが、現在、福音館書店から5冊刊行されている「シートン動物記」の訳者です。そして、「シートン 子どもに愛されたナチュラリスト」(2002年福音館書店)という、シートンの評伝の作者でもあり、「動物記」とは別の、「シートン動物誌」(全12巻、1997年紀伊国屋書店)の監訳もしてます。

 福音館書店版の「シートン動物記」は、シートン自身のカットや挿画をできるだけ多く載せようという意図で作られています。「シートン 子供に愛されたナチュラリスト」にも、多数の図版や写真が掲載され、大著の「シートン動物誌」には、シートンの絵(油彩か、水彩、スケッチ、細密画)や、彼が撮影した動物写真もいっぱい。

 ここでやっとわたしたちは、シートンの画家としての側面を知るようになりました。この段階で、谷口ジローが「シートン」を描くということは、画家シートンに対する挑戦でもあるのです。

 谷口ジローの師匠、石川球太も、動物マンガを得意としました。「石川球太の野生シリーズ(1)シートンの動物記」(1991年講談社)という単行本もあります。この野生シリーズの(2)と(3)は「ツンドラ狼物語 黒チビちゃん」という作品で、石川球太は、おそらく日本で一番多くオオカミを描いた作家でしょう。

 石川球太版の「シートンの動物記」は読んでいませんが、諸作品が描かれたのは1965年前後らしい。こちらのサイトによると、オオカミ好きの石川球太なのに、意外や、「ロボ」は描いていないようです。

 白土三平の「シートン動物記」は有名。小学館「小学六年生」に連載されたもので、この作品と「サスケ」で、1963年の第4回講談社児童まんが賞を受賞しました。初に単行本となったのは1961年東邦図書出版社から2冊、のち1964年に青林堂から「灰色熊の伝記」上下巻が出版されています。

 白土三平作品は、1993年から1995年にかけて「定本・シートン動物記」のタイトルで、小学館から「灰色熊の伝記」「フェニボンクの山猫」「スプリングフィ−ルドの狐」のタイトルで3冊がカラーで復刊されました。白土三平も「ロボ」は描いてません。これも意外だなあ。

 いわゆる学習マンガの枠内では、ほるぷ出版からは、まんがトムソーヤ文庫というシリーズの中に、宮田淳一「シートン動物記」(1996年)があり、「オオカミ王ロボ」も描かれています。

 1989年にはホーム社から「コミック版シートン動物記」全10巻が刊行されており、第1巻で、村野守美が「オオカミ王・ロボ」を描いてます。これはなかなかの力作ですが、しかし。

 構成・演出が、谷口ジロー版「狼王ロボ」と、よく似てる。というか、そっくり。これはいったいなぜ。

 以下次回。

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April 17, 2005

雑記

■マンガの話じゃないけど

 CD「“ケロロソング”全部入りであります!」はオトクだぞーと宣伝しときながら、買ったとたんに、アニメのオープニングソングが変わっちゃうてのは、ちょっとずるくないかい。

 んで、70年代ダンスミュージックであるところの「アフロ軍曹」と「アフロ戦争」を毎日聞いてるんですが、これを歌ってる「ダンス☆マン」ってグッチ裕三だよね。ほかの説もあるの?

 もいっこ、「ギロロの一番長い日」っていう歌は「オーレはギーローロー、戦場の赤い悪魔ー」で始まるんですが、この歌、「おーもーいーいこんだーあらー、しーれんーのーみーちーいをー」と、「巨人の星」テーマソングがまるまるワンコーラス歌えてしまえます。お試しあれ。

すがやみつるホームページ

 をときどき覗くんですが、2005年4月8日の日記で、吾妻ひでお「失踪日記」に関連して、吾妻ひでおの未発表作品がアップされてました。

 といっても、すがや氏と吾妻氏がご近所、ということで、かつて吾妻ひでおが、すがや氏の子供さんに鉛筆で描いてあげた、落書きのような数ページ。でもちゃんとストーリーあり。

 ところが、次に覗いたときには速攻で消されてました。うーむ、このようなものでも、著作権を考えたうえの消去でしょうか。ネットはきびしい。

■「ブラック・ジャック マガジン」

 というヤングチャンピオン増刊号が発売されてます。ヤングチャンピオンとサスペリアミステリーに掲載されてる、いろんな作家がブラック・ジャックを描くという企画の総集編。ときどき立ち読みしてて、いずれ単行本になるんだろうけど、買っちゃいました。

 以前「COMIC CUE」で、手塚治虫リミックスてのがあって、これはいろんな作家が手塚作品のリメイクやパロディを描くものでした。今回のブラック・ジャックは、まず、サスペリアミステリーの「ブラック・ジャックM」が、手塚シナリオどおりのリメイク。ヤングチャンピオンの「ブラック・ジャック ALIVE」が、設定とキャラクターを使って、新しくブラック・ジャックを新しく描いたもの。

 もちろん面白いのは「ALIVE」です。青池保子・高倉あつこのように、自分のキャラとブラック・ジャックを競演させるタイプのものもありますが、その他はむしろ、ちゃんとしたブラック・ジャックの新作です。

 これって、まったくアメコミと同じやり方じゃないですか。バットマンやスパイダーマンの設定でいろんな作家が描く。キャラクターの基本デザインは同じですが、作家によって当然絵は違う。というか、それを楽しむ。

 日本でも今後流行しないかなあ。ドラえもんや009をオレに描かせろというヤツはいっぱいいそうだし。

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April 15, 2005

桑田次郎と平井和正

 マンガショップからぞくぞくと昔のマンガが復刊されてますが、今、中心となって復刊されてるのが、園田光慶(ありかわ・栄一)と桑田次郎(現在は二郎)です。その他の作家のものも含めて、読んだことはあるけども記憶の中だけにあるもの、読んだこともないものもあって、ああ、あれも欲しい、これも欲しいとなるんですが、なんせお値段が高い。一律一冊1890円はキツすぎる。

 桑田次郎は月刊誌時代から、ムチャクチャ忙しい人気作家だったのですが、初めてマンガ週刊誌に進出したのが、1962年「週刊少年マガジン」に連載された「軍用犬ヤマト」(原作・真樹日佐夫)。

 翌1963年には、「週刊少年マガジン」で「8マン」(原作・平井和正)、「週刊少年キング」では「キングロボ」を連載開始(少年キングだからキングロボね)。このころの人気作家は、あたりまえのように複数の週刊連載を持ってるなあ。

 桑田次郎は月刊誌時代に「まぼろし探偵」「月光仮面」というビッグヒットがあるんですが、現在にいたるも桑田次郎の代表作といえば「8マン」。平井和正のSFマインドに満ちたストーリーと、桑田次郎のシャープな線と正確なデッサン。このふたりの相性は最高。

 ところが1965年、桑田次郎の拳銃不法所持事件。桑田自身の自伝「走れ!エイトマン」によると、自殺目的に集めていた拳銃が4丁にもなっていたと。

 当時の連載が、「週刊少年マガジン」に「8マン」、「週刊少年キング」に「少年ジュピター」、「少年画報」に「まぼろし探偵」(第2期)、「こどもの光」に「パトロールV」。これは仕事しすぎだ。すべてこの事件で連載中断となりました。

 ただし、桑田次郎はすぐ復活します。1965年のうちに、「週刊少年キング」で平井和正とのコンビ第2作「エリート」の連載開始。平行して、秋田書店「まんが王」でコンビ第3作「超犬リープ」の連載も始まりました(「リープ」は当初、桑田次郎は「つばさ新也」のペンネームで描いてたらしい。誰が見ても、桑田次郎は桑田次郎でしかないんですが)。さらに、読みきり形式の「8マン」も、「週刊少年マガジン」「別冊少年マガジン」などに不定期掲載。どれもすべて面白い。

 8マンは、東八郎刑事の記憶を移植したスーパーロボット。エリートは、超常的存在の宇宙人によって潜在能力を発揮できるようになった、本来平凡な地球人。リープはしゃべることも可能なスーパーロボット犬。

 名作の誉れ高い「エリート」ですが、残念ながら連載途中で中断してしまいます。1966年、「週刊少年キング」を発行していた少年画報社が、バットマンを強力プッシュ。この年4月からのTV放映にあわせたもので、7月からアメコミ雑誌「バットマン」を創刊しました。これに連動して、「週刊少年キング」「少年画報」「別冊少年キング」の3誌に、日本版バットマンを掲載。これが描けるのは、当時、確かに桑田次郎だけだったかもしれない。

 「エリート」が中途半端な第一部完となったのが、「週刊少年キング」1966年22号。その翌23号からすぐ、桑田次郎版バットマンが連載開始されました。

 ところが、桑田次郎の描くバットマンはすごくカッコよかったのですが、バットマン自体、日本では評判になりませんでした。アメリカでは大ヒットしたTV版バットマンが、日本ではうけなかったからです。

・日本での、バットマン番組の人気は低かったという。日本版の翻訳が悪いのかと思って、訳者を変えてみたけれど、それでもダメだったそうだ。また、放送に呼応して少年画報社から出版された、月刊コミック雑誌「バットマン」も、売れ行きはよくなくて、本国から「アメリカでは大ヒットなのに、どうして日本ではダメなのか?」と、いぶかしげな手紙が来たという。

・日本にはバットマンのコミックスの土壌は、ごくわずかしかない。だから、このえせキャンプのいやらしさ(中略)が、日本の視聴者には、無意識のうちにしらじらしさを感じさせ、感情移入がしにくかったのではないかと私は思っている。

・だいたい、ああいうふざけすぎたものは、日本では受けないのである。もっと泥くさくないと、ダメなのである。(小野耕世「バットマンになりたい」)

 〈キャンプ〉とは、小野耕世によると「一種のダンディズムである。それはまったく無効用なものを一歩下がって愛でる姿勢であり、ものを味わう醒めた、そしてさらにいえば冷えた情熱である。」「そして、キャンプというのは、そもそもホモ・セクシュアルの世界から生まれたコトバだということを知るとき、すべては明瞭になる。」言ってみれば、当時の日本には、このキャンプというか粋というかオタクというか、そういう余裕がなかったと。

 「週刊少年キング」の桑田次郎版バットマンは、1967年15号で終了。翌16号よりは、再度、平井和正原作の「エリート第2部 魔王ダンガー」が始まりましたが、これも短期で終了してしまいました。

 「まんが王」連載の「超犬リープ」も、後半は不幸な展開でした。

・前半部分のMMM団(ミリタリズム・マーダラー・マッドネスの頭文字をとった)という、悪の組織のとの対決は、編集部の意向でやむなく終わらざるをえなかった。そして、別の路線を走らさせられることになる、それが原作者の意欲を失わせてしまった。(西部直樹:サン・ワイド・コミックス版「超犬リープ(1)」解説より)

 とまあ、これまでの桑田次郎・平井和正コンビの3作品は、名作と言われながら、どれも天寿をまっとうできませんでした。その他、桑田・平井コンビ作品としては、別冊少年マガジン1967年9月号の「鋼鉄魔人」がありますが、未見です。

 1969年、講談社から「週刊ぼくらマガジン」創刊。このとき創刊号から連載されたのが「デスハンター」です。「週刊少年マガジン」が青年向けにシフトしすぎたため、「ぼくら」をリニューアルして子供向けの週刊誌をめざしたもの。さいとう・たかをが「バロム・1」を連載するなど、明らかに対象年齢が低い。

 ただし、この中で「デスハンター」は、明らかに異色。桑田次郎のクールな絵ではありますが、生首ころがる残酷シーンや女性をリンチするシーンは、今読んでも相当なものです。ただし、この作品で、やっと、桑田・平井コンビの作品はちゃんと完結することができました。

 典型的子供マンガの絵から始まり、手塚調でもない、劇画でもない絵を作り上げた桑田次郎。今でも魅力的です。絵に関してはまったく独自の存在で、フォロワーさえ存在しえなかった。平井和正と組んだ諸作品は、マンガよりも、むしろタツノコプロなどのアニメに影響を与えたような気がします。

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April 13, 2005

完璧!「アタックNo.1」

 さて、浦野千賀子版の元祖「アタックNo.1」です。先日も書きましたが、1968年新年1号から週刊マーガレットに連載。オリンピックの年、新年号からのバレーボールマンガ新連載に、期待の大きさがうかがえます。

 絵がアレですし、わたし、実は今まで敬遠してちゃんと読んでなかった。でも、古典はバカにしちゃいけないと、反省してます。これほどあらゆる要素がつまった、面白い作品もちょっとないぞ。


■鮎原こずえの戦績

 ストーリーのおおまかな流れと、彼女の戦績は以下のとおり。


○中学(富士見学園)2年生

・鮎原こずえが、バレーボールで有名な東京の明法学園から静岡県富士見学園に転校。

・女子不良グループをたばねてバレー部と対決。勝利。

・ライバル早川みどりとキャプテンの座を争う。のち和解。


○中学3年生

・富士見学園が浜紀中学と合併。バレー部も合併して、浜紀中学グループと対立。のち和解。

・春の全国中学バレーボール選手権試合。予選を突破して、全国大会優勝(おお、早くも)。

・優勝してバレー部、慢心。ソ連女子ジュニアチームと練習試合して、あっさり負けちゃって、改心。

・鮎原こずえ、鬼キャプテンとなり、部員から反発。バレー部をやめて、一時体操部へ。

・夏季バレーボール全国選手権大会。予選突破して、全国大会では惜しくも準優勝。

・オールジャパンに参加して、アメリカで世界ジュニアバレーボール選手権。ソ連を破って優勝。


○高校(富士見高校)1年生

・富士見高校に進学。古い体質のバレー部先輩と対立。バレー部をやめて、新バレー部を創設。のち和解。

・インターハイ予選突破。

・ボーイフレンドの一ノ瀬くん死亡(ええーっ!?)。

・インターハイ準優勝。

・一ノ瀬くんの生き別れの双子の兄、竜二登場(なにーっ!?)。

・新入部員、真木村との対立、のち和解。

・春の選抜大会。予選突破。全国大会優勝。


○高校2年生

・こずえが緊急手術。子供が生めないカラダに(ちょっと待てーっ)。

・インターハイ予選突破。

・大学生、湯島二郎とデートの日々。一時バレーから心が離れる。のち別離。

・インターハイ優勝して、春夏連続優勝。

・そして全日本女子に参加して、ブルガリアでの世界選手権。ソ連に負けて準優勝。現実世界でも、1970年の世界選手権はこのとおりの結果でした。


 通常のスポーツマンガと同じように、大会で優勝したり、準優勝したり。いろんなライバルが登場し、魔球の開発と、そのための特訓があります。このあたりは、基本としてはずせないところ。

 くりかえし描かれるのは、大会の前のチーム作りです。チーム内対立→和解が定番。あと、省きましたが、コーチとの対立→和解もくりかえされます。これとは別に、恋愛事件の数々がはさまってるのも大きな特徴です。

 「アタックNo.1」では、勝利の障害になるのは、もちろんライバルの存在ですが、それ以上にチーム内の対立が重要。加えて恋愛も大きな障害のひとつとなります。魔球とライバルが最重要の少年マンガと、ここがちょっと違う点です。


■魔球

 球技マンガといえば魔球。「アタックNo.1」にも出てきます。

 まず、「木の葉おとし」。あまり珍しくない変化球サーブみたいで、浜紀中学の泉選手や、早川みどり、鮎川こずえが使います。中学時代の鮎川こずえが得意としたのが、左右、どちらの腕も使えるスパイク。

 体操部の特訓で身につけたのが、「前後左右の回転レシーブ」。このあたり、魔球じゃありませんが。

 卓球をヒントに開発したのが、ボールの横から手をあてる変化球スパイク。高校になって、セッターが片手で回転させながらトスを上げ、さらにスパイクのときに回転を強めるという、改良版も登場しました。セッターがつけた回転に、鮎原こずえが逆の腕でスパイクし逆回転を加えてしまい、普通のボールになっちゃったというお間抜けなこともありましたけど。

 早川みどりが「木の葉おとし」から偶然に生み出したのが、もっと変化の強い「逆回転サーブ」。適当だなあ。

 ライバルたちの技には、大阪・寺堂院高校の「三位一体の攻撃」「イナズマ攻撃」とかもありますが、青葉学園の山本の「大ボール・スパイク」がスゴイ。ボールが大きく見えるんですが、その理由は。

「ボールがへこむくらいの力で打つと」「へこんだボールはその圧力の反動でもとの大きさをとりもどすかのように……」「前後左右にゆれ」「大きくなって見える」 サッカーマンガあたりでも使えそう。

 これに対抗して鮎川こずえが開発したのが「電光スパイク」。

「ボールがトスされ……」「前衛のひとりがアタック体勢にはいると」「その前後左右から飛燕のようなジャンプでとびあがりスパイク!!」「ボールが相手コートにバウンドするまでの早さが1秒たらず」 よくわからんけど、ジャンプとスパイクの両方が速いらしい。

 そして、天井に向かって打つスパイク「竜巻おとし」。でも、あとからジャンプしなくてもできることがわかり、サーブにも使えるようになりました。

 最後に登場したのが、ボールが4つに見える魔球。

 「落葉がヒントなんです 1枚の落葉でもくるくる舞えば数枚にも見えるところから思いついたんです」 おーい、ここまでくると、「黒い秘密兵器」の時代に逆戻りしてますけど。
 
 「アタックNo.1」の魔球は、「サインはV!」の「いなずまおとし」「X攻撃」などよりかなり地味。魔球合戦なら「サインはV!」の圧勝ですが、「アタックNo.1」は、コートを走り回ってスパイクの的をしぼらせないとか(笑えます)、スパイクをスパイクで返すとか(ムチャです)、魔球が無くても、ゲームシーンはじゅうぶん面白いんですよー。

 
■ケンカ、乱闘いっぱい

 「アタックNo.1」のオープニングシーンは、転校生・鮎原こずえが授業中、堂々と居眠りしてる場面。先生に注意されて「授業をうける気がないんなら医務室でもいってねろ」「じゃそうします」

 場面変わって校内でカツアゲする不良グループ(♀)。そこへ鮎原こずえ登場。「よしなさいよ あんたたち」「まあ親分! 見てたの」

 鮎原こずえって優等生イメージだったんですが、違うみたい。実はこのマンガの登場人物、けっこうケンカっ早くて、すぐ口が出る、手が出る。

・鮎川こずえと早川みどりの対立。「早川さん ついに本性をあらわしたわね」「なんですって?」「口ではいい子ぶってるけど じぶんがキャプテンになりたくてしょうがないのね」 早川がこずえの頬をバシッ。

・こずえと早川が和解。早川が「気のすむようにわたしのほおをぶって!」「いいの」「ええ」 こずえが早川の頬をバシッ。「ごめんつい力がはいって」

・富士見学園と浜紀中学の対立。浜紀中学グループに笑われた早川。「カーッ」「な…なによ やる気!?」 早川が相手の頬をバシッ。

・鮎川こずえが意見してます。「泉さん あなたって人はひどい人ね こんないい人をまま母というだけでそんなあつかいをするの」「にどとこんな人をわたしの母といわないで」 こずえが泉の頬をバン。

・ボーイフレンドも女性に手をあげる。鮎川こずえがバレーボール部をやめると知った一ノ瀬くん。「ど どうしてやめたんだ」「あら 努さんはこうなるのをねがってたんじゃなかったの」「ばかっ」 バシッ。

・鮎川こずえとオールジャパン内のライバルの対立。こずえが「いったいなにがいいたいのよ」「つまり先生はあなたをひいきしてるってことよ」「えっ いっていいこととわるいことがあるわ」「なまいきなこといって!! ゴマすりにそんなこといえるの」 キッ。バシッ。手を出したのはこずえ。「きゃっ やったわね」「ええやったわよ」

・同じ相手と。こずえが「あの手この手をつかって じぶんが目だとうとする行為なんてみっともないあがきだってことよ」「いわせておけば」「うるさい!」 バシッ!。これも手を出したのはこずえ。「きゃーっ」「あ あなたのせいよ こんなにチームをめちゃくちゃにしたのは」 ドンドンドン。さらに殴り続けるこずえ。

・高校に入ると、先輩の2年生、大沼みゆきが運動部らしく、しょっちゅう後輩を殴ってます。ついにキレたこずえが逆襲。バシッ。

・コーチが選手を殴るのは日常茶飯事。「なんだおまえうごけなかったのか え 足でも悪いのか おれは人形を相手にしてるんじゃない」 バシッ。「なんどいえばわかるんだ」 ふたりの頭をつかんでごっつんこ。

・ついには選手に選手を殴らせるという罰。ペチン。「なんだそれは おれはなでろとはいわなかったぞ」「わ わたしできません」 バンバン。コーチ自ら殴ります。

・一番ハデなのは、暗闇からバレーボールを投げつけられるという襲撃を受けた鮎原こずえ、怒りに燃えて犯人を探して走り回ってたら、ライバルチームの3人組に遭遇しました。こずえは彼女らを犯人と思い込んで、暴言を吐いてしまう。これがきっかけで河原で大乱闘。大会出場停止になっちゃいました。

 主人公はけっして無垢なよい子じゃないとわかっていただけたでしょうか。自己主張強く、嫉妬深く、でも熱血。心に闇も抱えている。性格は、現代マンガの登場人物よりフクザツじゃないかしら。


■鮎原こずえの恋愛

 少女マンガですから、恋愛もあります。

 鮎原こずえの最初のボーイフレンドは、血のつながらない親戚になる、一ノ瀬努くん。マジメで熱血な新聞部。生徒会副会長で、学園一のハンサムで、勉強ができる。カンペキやね。初期には早川みどりが恋のライバルでもありました。

 続いて、中学サッカー部キャプテンの三田村くん。「野性的な魅力を感じないではいられないわ」 三田村と一ノ瀬が殴りあうシーンもあったりします。

 三田村くんは高校に進学すると、男子バレー部にはいっちゃって、のちに早川みどりと交際することに。

 さて、一ノ瀬くんですが、高校1年生の夏、電車にひかれて死んじゃいます。さあ大変。と思ったら、彼には赤ん坊のころ、養子に出された生き別れの双子の兄がいた!

 東京にいる彼、竜二くんは、育ての両親が交通事故で死亡、施設に引き取られ生活してましたが、そこを脱走。自立心に満ちたワイルドなヤツ。

 その後、富士見市で生活するようになりますが、こずえとの間に大きな進展は無い。「おそらくきみは努を永久にわすれないだろう おれだってほんとうはきみがすきだ」「でも努にはかなわない きみのことはあきらめるよ」

 主要登場人物を死亡させる大きな展開の結果が、これかーい。

 その直後、新展開。鮎原こずえが急病に。子宮付属器炎の手術を受け、高校2年生にして子供が生めないカラダになっちゃいます。

 このことが、何の伏線になるかというと。

 こずえは入院中に知り合った大学生、湯島二郎と交際を始めます。社長の息子で大金持ち。でもって、実は親の決めた婚約者がいて、こずえとフタマタかけていた。

 恋愛に浮かれているこずえを母親がさとします。「それじゃはっきりいうわ あなたは結婚しても幸福にはなれないのよ」←子供ができないから。お母さん、キッツイなあ。

 二郎の婚約者からも言われます。「彼は湯島家の長男でありひとり息子よ」「また大東自動車の3代目社長となる人よ」「その湯島家に子供ができなければ当然あなたは湯島さんと結ばれることはできないのよ」

 でもって、優柔不断の二郎は、いつ帰ってくるかわからない海外旅行に出てしまいます。こんな男やめてしまえーっ。

 その後、手紙が来て、彼はやっぱり婚約者と結婚することにしたと。なーんや、それ。大きな手術しておきながら、こんな男とのエピソードかいっ。

 こういう「意味の無い」死や不幸や双子のエピソードは、1970年以後、日本からほぼ消滅してましたが、韓流ドラマブームで復活。この古典的少女マンガ的展開も味わい深いなあ。


■ライバルの卑劣な計略

 これも定番ですが、最近のスポーツマンガでは少なくなりましたかね。「アタックNo.1」世界では、ライバルは堂々と卑劣です。

・鮎原こずえが、先輩・大沼と、退部をかけてバレーの試合。大沼はこずえに睡眠薬を飲ませて、試合中に眠らせる(犯罪です)。

・東京の甲徳女子。富士見高校のコーチ(♀)の密会写真を週刊誌に売ると言って、鮎原こずえを脅迫。実はアイコラ写真(犯罪です)。

・東京の東南女子高。鮎原こずえの素行調査や新聞記者に化けて家計簿の調査。さらにはこずえを拉致監禁し、筋電図を記録。コンピューターで解析して弱点を探るため(りっぱに犯罪です)。


 「アタックNo.1」には、スポーツマンガのあらゆるエッセンスが凝縮しています。チーム内の選手間の対立。コーチと選手の対立。そして和解とチームの完成。魔球の開発と特訓。強力なライバル。卑劣なライバル。勝利のあとの慢心。

 さらに少女マンガらしく、恋愛。さらに恋人の死。生き別れのお兄さん。不妊による悲恋まで登場。いろんな要素がてんこもり。なんでもありのスポーツ・マンガ。完璧です。

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April 11, 2005

日本版ヒーローのかたち「スパイダーマンJ」

 オリジナルのスパイダーマンは、悩めるヒーローとはいいながら、戦いの最中に軽口を叩いてばっかりの基本的にお気楽なヤツ。でも、スパイダーマンが日本でリメイクされるとき、日本には日本のやりかたがございます。

 日本版スパイダーマンは、まず、池上遼一・平井和正版が1970年。特徴は、悩みを前面に出したこと。主人公の悩みは、ヒーローであることじゃなくて、若いということからくる普遍的な悩みです。彼は、10ページにわたってオナニーしたあと、妄想の中でガールフレンドをヌードにしちゃったことで悩みます。

 1978年の東映のTV版スパイダーマンは、わたし設定覚えてないんですよ。素顔のスパイダーマンなんて、全く記憶にない。ともかく、木をひょいひょい登っていく特撮がおもしろかった。このアクションは忍者映画にも流用されましたよね。

 そして、巨大ロボット。なんでスパイダーマンにロボットやねーん、とか言いながら、けらけら笑いながら見てました。子供向け特撮TVに特化したスパイダーマン。これはこれで楽しい。

 でもって、今回、「コミックボンボン」に連載されている山中あきら「スパイダーマンJ」1巻が発売されました。“J”はジャパンかな。掲載誌からわかるように、明らかにコドモ向けなのですが、いやー、こうきたか。

 主人公の「J(ジェイ)」は小学生。まず、チビです。日本マンガでヒーローが背が低いのは、デフォルトと言えなくもない。鉄腕アトムもハガレンも鮎原こずえもみんな小さい。背の高いヒーローって、イガグリくんと、青田赤道、桜木花道ぐらいか? のたり松太郎もいましたか。本家も体格は良いとはいえないから、よく似てます。

 コドモとはいえ、スパイダーマンだから悩みます。彼の悩みは、正義の仕事が忙しくて、友達を遊べないこと。おお、これも元祖と似た悩みだ。

 悪人の設定が面白い。スパイダーマンがクモなんだから、悪役も昆虫で統一しました。ゴキブ・リーダー、アメンボンバー、アリーガー、カマキリ怪人・マンティス、ハチをあやつるワスプルギス。仮面ライダーだなあ。アメリカ版本家より敵のデザインが統一されているのが和風。

 そして、彼らの背後には悪の首領、カブトムシのビートル・ロードがいるらしい。謎に満ちた悪の組織の設定は、日本のマンガやTV番組が長年にわたって築き上げてきた伝統芸。

 逆に主人公のスパイダーマンJが、どうやって超能力を得たのか、スパイダー・ウェブをどのように出してるのか、家族関係がどうなってるのか、まったく説明がありません。背景を説明しないのは、エヴァ以来の流行なのか。

 で、なんといってもこの作品のいいところ。アクションにアイデアいっぱい。クモの糸を弓のつるのように使って自分の体を飛ばす「スパイダー・ボウガン」。糸を円の形にして敵を切断する「スパイダー・ウェッブソー」。クモの糸で自分の体全体を覆っちゃう「スパイダー・ウェッブアーマー」。いろいろ考えるなあ。子供マンガあなどるべからず。

 きっとスパイダーマンJは、必殺技を考えたり完成させたりするのに、いろいろ特訓してるに違いない。この必殺技と特訓のあるなしが、彼我の違いでしょうか。

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April 10, 2005

11とおりのまんが道

 「マンガの道 私はなぜマンガ家になったのか」というインタビュー集が刊行されております。こういう本も玉石あるのですが、これは玉のほう。良かった。

 登場するマンガ家は以下のとおり。安野モヨコ、山本直樹、江口寿史、古屋兎丸、小池田マヤ、山田芳裕、吉田戦車、矢沢あい、しりあがり寿、内田春菊、ハロルド作石。よく似たタイトルで同時期に刊行された「マンガ道、波瀾万丈」に比べて、インタビュイーの年令がかなり下がってます。

 インタビュアーのしゃべる部分をなくし、独白のかたちで構成。内容は、マンガと自分のかかわりについてだけ。これが気持ちいい。人生訓などは出てきません。そして作家が、インタビュアーにマンガについての知識があるだろうことを信用してしゃべってるのが伝わってきます。緊張感に欠けるともいえますが、その分、本音がいっぱい出ているような気が。

 アメリカ人がインタビューした「マンガマスター 12人の日本のマンガ職人たち」というのも興味深い本でした。力作。そのマンガ家の全体像がよくわかります。ただ、緊張感ありまくりの対話で、正面きって井上雄彦に、「『リアル』のテーマについて教えてください」とか質問してるからなあ。キツそう。

 その点、こっちはラフな雰囲気。吉田戦車がまついなつきから、「お前の描く女の子にはマンコがついてない」と言われたエピソードとか。

 インタビュー本としては、とり・みきの「マンガ家のひみつ」なみに面白くてちゃんとしております。

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April 08, 2005

追悼・岡田史子

 伊藤剛氏のブログで、岡田史子が亡くなったことを知りました。

 自分の一部が欠けてしまったような気がします。わたしにとって、虫プロ「COM」の読書体験はとても大きなものですが、「COM」とは何かと問われれば、手塚治虫や石森章太郎ではなく、宮谷一彦や青柳裕介でもなく、永島慎二と岡田史子こそ、「COM」そのものでした。

 岡田史子がわたしたちの前に初めて登場したのは、「COM」1967年2月号の「まんが予備校 ぐら・こん」への投稿作、「太陽と骸骨のような少年」7ページ。全ページが縮小され掲載されました。各方面に衝撃を与えた作品だったらしいのですが、わたしが「COM」を初めて買ったのは1967年3月号。この号はのちに手に入れて読んだものです。

 少年と看護婦が、詩について語り合う。彼らがいるのは精神病院のようで、少年はときどき正気に戻り、このように普通に会話できるらしい。ストーリーらしきものはありません。ただ、この作品はそれまでマンガが表現したことのない世界を描こうとしていたのはまちがいない。岡田史子、1949年生まれ。いわゆる24年組と同世代。このときまだ高校2年生でした。

 わたしが最初に出会った岡田史子は、1967年6月号の「ぐら・こん」掲載の「フライトハイトと白い骨」です。ただし29ページ中2ページだけの掲載で、ほとんど印象には残りませんでした。作品の全ページを読めるようになったのは、「岡田史子作品集1 赤い蔓草」(NTT出版、1992年)が発行されてから。

 作品として通して読んだのは、「COM」1967年8月号の特集「新人まんが家競作集」。登場したのは、宮谷一彦、白石晶子、青柳裕介、中島宏治、小山田つとむ、はせがわほうせい、そして岡田史子。4ページの「夏」という作品で、少年が森で死体を見つけるという、やーな作品でしたが、瞳もないタドンのような大きな黒い目がブキミでした。主人公、死体、別の少年が登場しますが、いったいホントに死んでるのは誰やらワカラナイという、難解な作品です。

 そして衝撃の「ポーヴレト」。「COM」1967年10月号の月例新人入選作は、星野安司(のちの日野日出志です)「つめたい汗」でしたが、このときの次席が、岡田史子「ポーヴレト」24ページ。1ページに9ページ分が縮小される変形の掲載方法でしたが、全ページを読むことができました。

 作品ごとに絵柄を変えてきた岡田史子は、この作品で、白目の部分を黒く塗り、瞳を白く抜きました。主人公ポーヴレト(♂)が恋人に自分の過去を語る。飼っていたネコの死。姉の死。そして友人を殺してしまったこと。そして、翌日彼は従軍記者として戦場に向かう。

 これはすごかった。この小さく印刷された作品を、どれほど読み返したか。あとから思えば、この作品こそ1970年代少女マンガの先駆でした。

 1968年1月号で、傑作「ガラス玉」が月例新人入選作として掲載されました。主人公レド(♂)が工場から帰ってくると、部屋に自分の死体が倒れている。そして親の形見のガラス玉をなくなっている。彼は恋人とガラス玉を探しに出かけますが、ガラス玉は子供時代には誰もが持っているけど、いつのまにやらなくしてしまうものらしい。レドは、ガラス玉を自分で新しくつくるために、「アトラクシア」という国にひとりで旅立つ。ラストシーンは、恋人の独白「ガラス玉ってなんなのよ レドのばか!」

 暗喩に満ちた幻想的な作品です。「アトラクシア」とは、四方田犬彦によるとギリシャ語で「魂の静謐」のことらしい。つまりあの世か? 岡田史子が繰り返し語る「死」は、この時代、そして後年を含めても、マンガのテーマとして稀有な存在でした。

 以後、岡田史子は1970年まで、「COM」を中心に精力的に作品を発表し、多くの傑作を残しましたが、1971年以後は筆を折った形になりました。1978年にカムバックして、少女コミックやマンガ少年に作品を発表。

 わたしの手許にあるのは「増刊週刊少女コミックDELUXE」1979年1月27日号。「アンニーおばさんの砂金ちゃん」。

 作家のアンニー女史が病におかされ死期が迫る。生き別れの息子を探そうとすると、候補者が300人。うち2人が残るが、どちらが息子かわからない、というお話。死が登場しますが、明らかに、エンタメです。この方面も、もっと読みたかった。

 歴史的に、日本マンガが大きく進歩しようとしたときに登場し、多くのマンガ家に影響を与え、人々の記憶に残るさまざまな作品を残した岡田史子。先駆者というのは、現れるべくして現れるものなのでしょう。

 ご冥福をお祈りします。

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April 07, 2005

オリンピックと少女マンガ

 1959年、皇太子ご成婚をきっかけにTVの普及が急速に進みましたが、太平洋を越えてTV中継ができるようになったのは1963年から。日本人がオリンピックをTV観戦する習慣ができたのは、1964年東京オリンピック以降です。

 東京オリンピックで人気となったのは、男女体操、重量挙げ、レスリング、マラソンなど。柔道無差別級で、神永がヘーシンクに負けたのが大きな話題になりました。そして日本女子、唯一の金メダルが「東洋の魔女」のバレーボール。男子も銅メダルとってるんですが、ちょと影が薄かった。

 さて、マンガはこの東京オリンピックをどう取り込んだか。実は、ほとんど接点がありませんでした。オリンピックを題材にしたマンガは、大人マンガは別にして、子供マンガではわずかに月刊誌のギャグマンガ(生活ユーモアマンガといったほうが正しいか)があっただけではなかったか。このころのスポーツマンガは、まだまだ時代劇や生活マンガの延長で、ドメスティックな視点から脱却できていませんでした。

 オリンピックを視野に入れたマンガが始まるのは、1966年の「巨人の星」の成功を受け、1968年にメキシコオリンピックをひかえた前年の、1967年からです。

 といっても、日本人が活躍できる種目じゃなきゃマンガにならないんですが、当時の、体操や重量挙げ、陸上競技マンガってあまり知らないなあ。梶原一騎・永島慎二「柔道一直線」が少年キングで1967年から。主人公はオリンピックを目標にしてるわけじゃありませんが、外国人と戦いますし、ヘーシンクも登場します。

 川崎のぼる「アニマル1」が少年サンデーで1967年から。これはレスリングでメキシコオリンピック出場を目指すマンガでした。

 本命、女子バレーボールは、週刊マーガレットで浦野千賀子「アタックNo.1」が1968年新年1号から。遅れて、週刊少女フレンドでは、望月あきら・神保史郎「サインはV!」が1968年10月15日号から始まりました。メキシコオリンピックは、この年の10月12日からの開催でしたから、もろ、これにぶつけた連載開始です。この2作は、少女マンガにおけるスポーツマンガの嚆矢となりました。

 マンガが描こうとするのは、おもに物語ですが、それ以外にも、叙情を語ったり、内面世界を語ったりもする。でも、それ以外にマンガというジャンルは、肉体を描くのにもっとも適しているのじゃないか。

 マンガの中で絵に描かれた肉体は、作者の理想を表現できます。小説や演劇・映画で、文章や現実の女優に演じさせた肉体よりも読者に迫ることが可能。その結果、表現はより過剰となり、少女マンガでは足が極限的に長くなり、青年マンガではオッパイが非現実なほど大きくなります。

 少女マンガが肉体を描くために、最初に手に入れたのは、バレエでした。続いて、手塚治虫という先駆者が描いたのが、戦う少女「リボンの騎士」。ただジャンルとしては成立せず、後年のベルばらやスケバンものの出現を待たなければなりませんでした。

 続いて登場したのが、スポーツです。「アタックNo.1」や「サインはV!」の登場人物は、旧時代のマンガから離陸し、肉体表現で物語を進行させるようになりました。

 そして、もう少したつと、肉体を描くのにもっとも有効な、セックスシーンが少女マンガにも登場するようになりますが、これはまた別の話。

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April 05, 2005

村田順子とアジアンアイドル

 1995年に村田順子が「香港○美アイドル探偵団」(“○美”は“○”の中に“美”ね)という本を出しました。エッセイマンガ、になるのかな、当時ブレイクしつつあった香港映画と俳優・歌手たちを紹介した本。わたしは当時「香港四大天王」と言われても、なんのことやらさっぱりだったので、勉強させていただきました。

 で、そのころ香港にいりびたっていたジャパニーズ・オッカケのカタガタが、その後どうなったかというと、なんと、というか、当然、というか、韓国のイケメンのほうに流れていらっしゃいました。

 書店に行くと、韓国アイドルに関する本が、なんじゃこりゃというくらいあふれておりまして、オバサマがじっくり時間をかけてアレコレ手にとったうえで、数冊レジに持って行く光景が見られます。わたしも冬ソナとかはちょっとだけ見て、あまりの展開にアゴをがっくり落としたあと、けらけら笑ってましたが、映画は別として、韓国のTVドラマって昔の日本マンガに似てますねー。

 村田順子もすっかり韓国のヒトに変身してまして、「解体☆韓国エンタメ完全攻略」を刊行してます。内容は、韓国の俳優・歌手の紹介、韓国芸能界のさまざまなレポートなど。香港本のときは、ほとんどマンガで描かれてたんですが、この本はマンガ半分、エッセイ半分。

 わたしのようなオッサンは、実用書というか、お勉強のつもりで読むんですが、彼女らがなんで他国のアイドル、しかもアジアンにいれあげるのかは、考えまとまらないんで今回パス。

 著者自身の言葉では、「今の日本の芸能界には25歳を過ぎてもきゃしゃで少年のような男しかいないじゃん!」「包容力皆無じゃん」「どっこいお隣り韓国は純愛の聖地だった!!」「しかもとびきりイイ男の宝庫!」ということになります。

 「男は戦争をするけれど、女は愛で国境を越える」「『人を想う気持ち』は尊いと思う」「その気持ちを思い出させてくれた“韓流”を、安易なバッシングから守りたい」

 さすが、アジアのいい男を追っかけて20年。年季と根性がはいってます。愛情あふれた楽しい本でした。ただ残念ながら、香港本のときもそうでしたが、村田順子の似顔絵はまったく似てないんで、誰やらわからんのが難点。

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April 03, 2005

小沢花音版「新アタックNo.1」

 浦野千賀子の「アタックNo.1」を集中して読んでたんですが、いやー、面白いわ。傑作。でもってリメイクの小沢花音の「新アタックNo.1」はどうか。

 リメイクってのは、作家の意欲でできるものじゃなくて、社会状況でなされるもの。「アタックNo.1」の場合、バレーボール人気が高まったとかじゃなくて、単にTVドラマ化がきっかけになったものだから、このリメイク版もいつまで連載続くものやら、不安いっぱいの始まりです。

 元祖は中学2年で開始、全国大会とかあって、国際大会まで行ったあと、高校入学で仕切りなおしの展開をしてました。このリメイク版では、中学の有名バレー選手、鮎原こずえが富士見高校に入学する時点から始まります。主人公は天真爛漫の性格。背は低くとも、抜群のジャンプ力を持つ天才選手。そのけなげさに、登場人物全員が魅かれてしまう。

 展開は、元祖のエッセンスを集めたようなものですが、最大の違いは主人公の性格。現代の鮎川こずえは無垢です。時代が下るにつれて、マンガの登場人物はどんどん無邪気になっていくという、他ジャンルとは逆の傾向があるみたいですね。色が無くなり単純に。

 この点、元祖とは大きく違うんですねー。元祖はその心の黒さが魅力なんですよー。嫉妬する、すねる、殴りあいする。現代の登場人物より、性格は複雑だぞっ。

 小沢花音版はTV放映が終わるときが大きな分岐点。そのあとも続くほどのチカラを持てるかどうか。

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April 01, 2005

4月最初のマンガ

 今日買ったマンガ。

・小山ゆう「あずみ」35巻。また出たか。

・細野不二彦「ダブル・フェイス」6巻。

・細野不二彦「ヤミの乱波」1巻。カバーがリバーシブル。

・松永豊和「竜宮殿」3巻。これで完結。

・菊池直恵「鉄子の旅」3巻。

・三家本礼「巨乳ドラゴン」。結局、古巣のぶんか社から刊行。

・森薫「エマ」5巻。

・小沢花音「新アタックNo.1」1巻。先日、嶋中書店から再刊された、望月あきら・神保史郎「サインはV!」を見かけて買ったら、勢いがついて、浦野千賀子の元祖「アタックNo.1」も買うことに。で、読み始めたら、これが面白くて面白くて。だもんで、どんなふうにリメイクされてるか、知りたくなっちゃったのね。

・田中圭一「死ぬかと思ったH」。あいかわらず下品でウレシイ。

・「ストーリートファイター ザ・コミック」2巻。1巻は買ったまま、まだ読んでません。

 ああ、重かった。

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