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March 21, 2005

梶原一騎の原作作法(その1)

 アラン・ムーア/デイブ・ギボンズ「ウォッチメン」のオープニング・シーンは、道路に落ち血にまみれたピースマーク・バッジの超アップから始まります。ヒトコマごとにカメラが上昇して(あるいはズームバックして)、2ページかけてビルの窓から見を乗り出して下の道路を見る男の、さらに上からの視点になる。

 これと同じオープニングが、アラン・ムーア/ケビン・オニール「続リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン」で見られます。意味不明の模様のアップから始まり、コマごとにカメラが上昇して、最終的に9コマめでこれは荒野を飛ぶ、空飛ぶじゅうたんの模様であったことが明らかとなります。

 アメコミの原作は絵コンテ、日本でいうところのネーム形式で提供されると聞いたことがありますが、このアラン・ムーア原作の2作の描写が同じってことは、アラン・ムーアの原作はやっぱりネームなのかしら。

 先日、竹熊健太郎氏のブログのコメント欄に、長谷邦夫氏が、小池一夫の連載1回分の原作が400字詰原稿用紙1枚だけ、というシェーとびっくりするような証言を書き込まれてましたが、このようにマンガ原作の作法に決まりはありません。

 竹熊健太郎「1+1=3 『原作論』確立に向けての提言」という文章は、「『梶原一騎』を読む」(1994年ファラオ企画)という本に載ったものです。マンガ原作の方法論確立の必要性を論じ、梶原一騎原作集の刊行を提言してます。で、この本には、梶原一騎/ながやす巧「愛と誠」原作原稿のうち、3枚の写真が掲載されていました。

 この「1+1=3 『原作論』確立に向けての提言」が竹熊健太郎「マンガ原稿料はなぜ安いのか?」に再録されたのが2004年。めでたいことに、この間に、実際に梶原一騎の原作集が刊行されました。

 「梶原一騎直筆原稿集『愛と誠』」(1997年風塵社)。布張りハードカバー、400字詰原稿用紙のカラー写真を、1ページに6枚ずつ載せた400ページ以上の巨大なゴツイ本。「愛と誠」連載分175回のほとんどが読めます。

 ほとんどというのは、原稿が現存してないものがいくつか、「キチガイ」を伏字にした部分、そして欠番の回などがあるからです。欠番は12回と35回。12回は、誠が不良にあこがれる学生たちのボスになる回。35回は愛が身を挺して乱闘事件をやめさせる回。差別的な内容でもなく、なぜ欠番になってるのかよくわかりません。

 連載1回分はマンガではおおむね20ページでした。梶原一騎の原作は、400字詰原稿用紙で、だいたい12から14枚。鉛筆書き。修正はほとんどないみたい。縦の行からはみだすことはありませんが、横枠は無視しており、一行の文字数はテキトーに変化します。

 毎回、最初の4行をつかって、

純愛山河
 愛と誠
   (原作)梶原一騎

と書かれます。最後までずっと。この「純愛山河」っていうのは、連載時にはタイトルの一部だったんですが、単行本になるとき、消されちゃいましたね。

 梶原一騎は、マンガ原作を小説のように書きます。でも、読者は編集者とマンガ家しかいないわけですから、やっぱり小説ではない。連載第1回より少し引用してみます。1ページ目は有名なコレです。

 愛は平和ではない。
 愛は戦いである。
 武器のかわりが誠実(まこと)であるだけで、それは地上における、もっともはげしい、きびしい、みずからをすててかからねばならない戦いである――。
 わが子よ、このことを覚えておきなさい。
(ネール元インド首相の娘への手紙)

 さて、有名なこの文章ですが、わたしどうしても元ネタを見つけられません。ホントにネール(ネルーというのが正しいらしいです)がこんなこと言ったのか? いつも疑ってばっかりですが、これって梶原一騎の創作ちゃうの? ご存じの方がいたらご教授ください。

“昭和三十九年冬――
 信州蓼科(たてしな)高原”

 一面の銀世界――高原も周囲の八が岳連邦も雪景色一色、カラマツ林も雪帽子をかぶってつらなり、こおりついて輝やく蓼科湖、白樺湖などの一大展望。
 その白銀世界に、しかし、黒アリのむれのように無数の人影がバラまかれていて……
 高原のスロープのスキー場には、上空にリフトが運行し、雪をけたてて色とりどりのスキー・ウエアが疾駆する。
 湖面のスケート場も、氷上をかけめぐる人々の色彩で、あたかも花畑のごとし。
 それら、にぎわいを見おろす位置――
 高みのカラマツ、白樺林にかこまれて、あちこちに点在する別荘。
 そのおおくは山小屋調の建物の中で、ひときわ堂々たる構え、北欧あたりの旧家をしのばせガッシリそびえる別荘の門前で、
「キャッ、キャッ!」
「ハッハッハッハ!」
「ホホホホッ!」
 はじける笑い声――

 オープニングの情景描写。まず遠景、その後スキー場、スケート場、林と別荘。どんどん近寄って、愛の別荘へ。これはわかりやすい。マンガを描くには必要十分じゃないか。

 ながやす巧は、ここまでを3ページ、10コマで描きました。遠景1コマ、スキー場4コマ、スケート場4コマ、林と別荘群1コマ、愛の別荘の上部1コマ、下方より笑い声。

 ちっちゃな少女が、それでも一人前に、ちんまりスキー・ウエアを着こみ、これまた、ちっちゃなスキーをはいて、愛くるしい顔を紅潮させヨチヨチ……門前の平面の雪の上を、すべっている。
 そのかたわらには、
「なかなか、うまいぞっ、愛!
 ソレ、あんよはおじょず、ころぶはおへた……ハハハ!」
 と、ナイトガウンにサンダルばき、いかにもエリート然とした父親らしい男と、
「ホント……ことしの春から愛ちゃんも小学校、そのときになったら、はじめて別荘でスキーをはかせてもらう約束で、たのしみにしていたんですもの。ホホホッ」
 と、母親か、目のさめるように美しい女性が、これはフカフカのセーター姿。
「キャッ、キャッ! 見て、パパ、ママ。
 愛、じきに名スキーヤーになれるでしょ」
 ゴキゲンでヨチヨチの少女に、
「ええ、きっとなれるわ。
 でも、あんまり、いっぺんに熱中しすぎるとつかれるから、おうちにはいってオヤツになさいな」
 美しい母親がいうが、
「もうすこし……ネッ、おねがい!」
 少女はねだって、
「まあ、よかろう。
 しかし、けっして遠くへいってはいかんぞっ、愛!」
 父親にいわせることに成功、そのまま両親は別荘内へと姿を消す。

 ちなみにこの「目のさめるように美しい」母親が、後日、オニのようなお母さんとなります。原作とマンガでのセリフの改変も少しあり。「おじょず→じょうず」「うまいぞっ→うまいぞ」「ホホホッ→ホホホ…」「いかんぞっ→いかんぞ」微妙な変更ですが、大時代な梶原一騎調を、ちょっとだけやわらげてる。

 「そのまま両親は別荘内へと姿を消す」なんてのは、小説というよりシナリオ。

「ウフフッ……」
 見送って、いたずらっぽい少女の微笑。
 ソロリ、ソロリ……と、そして、愛とよばれる可憐な少女は、わが別荘の門前をはなれる冒険をはじめた……
 まもなく平面の雪、やや斜面にかわる。
 スイ! 愛は自然、すべって、
「ステキ!」
 感に堪えた表情となり……
 スーイ! さらに、からだが加速にのって、白樺林の間道を走るもので、
「スキーってサイコー……」
 ウットリとなっていたが……
 ヒューン! わが身が、まさしく風を切りはじまるにおよんで、
「ア……ア……アッ……」
 はじめて、うろたえた表情にかわり、
「こ……こわい!」
 さらに、その恐怖を決定づけて――
 突如、ゆくてが白樺林をぬけ、大きくひらけ、だだっぴろい白銀世界の斜面!
 すさまじい、はてしない急傾斜スロープ!
 キイーン!! もはや、うなりを生じて、ちっちゃな愛のからだは、その急傾斜のスロープをば大滑降にうつっていて、
「キャア〜ッ!!」
 悲鳴も後方に、ちぎれとび、
「た、たすけてえ〜っ。
 パパ……ママ!!」

 アクションシーンの始まりです。小説やシナリオと違って、擬音が入るのがマンガの特徴ともいえます。梶原一騎の場合、行の始めに擬音を書くのが決まりのようです。ただし、擬音に関してはマンガの方でかなり自由に直しています。「スーイ→スー」「ヒューン!→シャャァー」(発音できません)

 最大の変更は、愛が急に広いスロープに出たシーン。原作にはありませんが、ながやす巧はここで大ゴマを使って、愛にジャンプさせました。愛の正面から見た図。下半分は雪の白。上半分は空の青を示す黒。擬音で「バッ」、愛の悲鳴「キャア〜ッ!!」。さすがにここは、梶原一騎よりながやす巧がうまい。

 口のみ大きくあけ、しっかと目をとじ、すさまじい粉雪のあおりうけて……
 キイーン!! 一陣の疾風と化す……
 そのとき!
 広大なスロープの横手に、もう一つ、ちっぽけな黒点のながれの疾風が出現―
 たくみなジグザグ滑降をとって、愛のゆくてへと、まわりこんできた!
 直剪と曲線、ふたつの疾風のながれが、みるみる接近……
 ガシーン!! つぎの一瞬、激突!
 もうもうたる雪煙!
 しばし、すべてを支配して……
 やがて、その雪煙、うすれゆくと……
 愛のからだは雪の斜面上、うつぶせに、ほうりだされていて、その片足だけに、かろうじて、くっついているスキー。
 みじろぎもしない……

 誠の登場。「そのとき!」とか「つぎの一瞬」とか書くのが梶原一騎。これは、小説というより、講談に近いんじゃないかしら。読むというより、語って気持ちいい、聞いて気持ちいい。

「う……う……」
 それが、かすかに、うめきだすと、
「うえええ〜ん!!」
 火のついたような号泣が、はじけた――
「パパ……ママ……
 ああああ〜ん!!」
「泣くな……」
 と、それへ声が降った――
「泣くなったら、バカ!」
 と、さらに。
「…………」
 一瞬、泣きやんで愛は、ものうく雪だらけの顔ねじまげて……見た。
 ものすごい光景を見た!
 ひとりの少年がーまだ小学一、二年生ぐらいの少年が、まるで怒り金時みたいな形相で突っ立っていた!
 これも全身これ雪まみれだが……
 その顔が血まみれなのだ!
 おびただしい血潮が、あとから、あとから、眉間のあたりからあふれ、それが雪の白を鮮烈に染めて裂いて、少年のからだの前面をつたい、したたって、足もとの雪にも点々と真紅の花を咲かせる!
 少年の両足のスキーは無事だが、その右手に杖のように立てている愛のスキの片方は、なかばからヘシおれかけているのみか、そりかえった先端部分に……
 べっとり、血ノリがこびりついている!
 武者人形の金太郎みたい、これぞまさしく“日本の少年”といった感じで、きかん気そうだが涼しい目もと、やや吊りあがった少年の顔立ちを、それやこれやの戦慄的いろどりが、まるで怒り金時にしている。

 さて、文章に力がはいってきました。このあたり、あまりリキまないようにして、プロジェクトX調で田口トモロヲに読ませると、いいかもしんない。

 「顔ねじまげて……見た」ときて、行を変えて「ものすごい光景を見た!」となります。地の文にも「!」がいっぱい出てきます。ここは盛り上がるシーンなのだと、いやでもわかる。

 以下次回。

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