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March 31, 2005

サンデー、マガジンと手塚治虫(その2)

(前回からの続きです)

 サンデーに川崎のぼるが登場したのは、マガジンの「巨人の星」より早く、1965年のことでした。1967年には「アニマル1」が始まっており、川崎のぼるはマガジン、サンデーの両方にヒット作を描くという超人的な仕事ぶりでした。

 白土三平の「カムイ外伝」も1965年から連載されており、マガジンの「ワタリ」とほぼ同時の開始です。

 その他にも、江波譲二が1964年、園田光慶「あかつき戦闘隊」が1967年、横山まさみちが1968年、楳図かずお「おろち」と、さいとう・たかを「デビルキング」が1969年。このあたり、サンデーとマガジンで、作家の奪い合いをしていたのがよくわかります。マガジンだけが劇画作家を独占していたわけではありません。

 「W3」に続く、手塚治虫のサンデー連載作品は、狼男の登場する「バンパイヤ」でした。さらにそれに続くのは、もろ和風妖怪モノの「どろろ」。これは明らかにマガジンの水木しげるに対抗した路線だったに違いない。「どろろ」といれかわるように、水木しげる「河童の三平」がサンデーに初登場したのが1968年でした。

 この後、手塚治虫は少年マンガで低迷します。「どろろ」のサンデー連載中から、少年キングに「ノーマン」(1968年)を連載。1969年にもキングに「鬼丸大将」連載。ヒットしたとはいいがたい。以後、青年マンガ誌には佳作を発表しますが、少なくとも少年マンガ週刊誌にはヒット作といえるものがなく、短編連作中心になっていきます。少年チャンピオンの「ザ・クレーター」とか、少年ジャンプの「ライオンブックス」とか。

 長編連載を始めても、短期で終了することが多かった。キング「アポロの歌」(1970年)、チャンピオン「やけっぱちのマリア」(1970年)、チャンピオン「アラバスター」(1970年)。1972年にはひさびさにサンデーに「ダスト18」、そして「サンダーマスク」を連載しましたが、なんだかなあ、というようなものでした。

 1973年のチャンピオン「ミクロイドS」も短期で終了。月刊誌では「ブッダ」(1972年〜1978年)のような大長編も描いていましたが、週刊誌での手塚治虫は、長編はことごとく失敗し、すでに短編ゲスト作家のあつかい。1973年には虫プロ商事、続いて虫プロダクションの倒産という事件もありました。

 しかし、手塚治虫は復活します。1973年「ブラックジャック」開始。それまで描きまくっていた短編連作の集大成でした。登場人物はそれまでの手塚キャラが総登場。当時、わたしは友人と「ブラックジャック読んだか」「読んだ、アトムとか出てきとったぞ」「手塚、マンガやめるつもりとちゃうか」などと会話しておりました。手塚がマンガファンの会話に出てくるのは長らくなかったことでした。

 翌1974年、マガジンと和解し、「おけさのひょう六」でマガジンに再登場。同年「三つ目がとおる」の連載開始。そして1977年、講談社から「手塚治虫漫画全集」の刊行開始。ここに神様が完全復活したのです。

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Comments

 黒手塚というか、私が好きなのは、やはりその頃がマンガに目覚めた頃だからでしょうね。単行本で「どろろ」や「バンパイヤ」を読んだのもこの頃でした。この頃の作品はダークなところも含め、後の「ブラックジャック」「三つ目がとおる」に通じるものがあった様に思います。当時、もはや古いとレッテルを貼られ一方ではゴタゴタもありで、先生も必死にもがいていた作品群だと思います。ある意味、手塚先生の「失踪日記」なのかな。
 私が生の手塚先生にお会い(というか目撃)したのは三回あります。伊勢丹で80年頃催された第一回コミコンジャパンでと高田馬場の街角と同じく高田馬場のBIGBOXのエレベーターの中です。BIGBOXのレストランで医師会か何かの会合があったらしく、一緒に乗り込んできた人と「武見さんはね~」みたいな会話をしていました。(当時の医師会のドン武見太郎氏のことでしょう。)コレもなつかしい思い出であります。

Posted by: 61年生まれ | April 02, 2005 09:12 PM

おお、黒手塚ファンがいらっしゃいましたか。1968年「空気の底」シリーズから、1973年のブラックジャック開始までが黒手塚時代。ところが、この時代に自伝的作品も多く、手塚治虫もいろいろ思うところがあったんだろうなあ、と。

Posted by: 漫棚通信 | April 02, 2005 04:15 PM

なつかしや。
>長編連載を始めても、短期で終了することが多かった。キング「アポロの歌」(1970年)、チャンピオン「やけっぱちのマリア」(1970年)、チャンピオン「アラバスター」(1970年)。1972年にはひさびさにサンデーに「ダスト18」、そして「サンダーマスク」を連載しましたが、なんだかなあ、というようなものでした。

この辺の作品は手塚先生も嫌っていたようですね。なにかで読みましたが「アラバスター」「ダスト18」なんて全集入りするまで単行本化しなかったぐらいで。

でも、この時期の作品が個人的には好きなんです。なにか生の手塚治虫が出ているようで。

Posted by: 61年生まれ | April 02, 2005 02:02 PM

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