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March 31, 2005

サンデー、マガジンと手塚治虫(その2)

(前回からの続きです)

 サンデーに川崎のぼるが登場したのは、マガジンの「巨人の星」より早く、1965年のことでした。1967年には「アニマル1」が始まっており、川崎のぼるはマガジン、サンデーの両方にヒット作を描くという超人的な仕事ぶりでした。

 白土三平の「カムイ外伝」も1965年から連載されており、マガジンの「ワタリ」とほぼ同時の開始です。

 その他にも、江波譲二が1964年、園田光慶「あかつき戦闘隊」が1967年、横山まさみちが1968年、楳図かずお「おろち」と、さいとう・たかを「デビルキング」が1969年。このあたり、サンデーとマガジンで、作家の奪い合いをしていたのがよくわかります。マガジンだけが劇画作家を独占していたわけではありません。

 「W3」に続く、手塚治虫のサンデー連載作品は、狼男の登場する「バンパイヤ」でした。さらにそれに続くのは、もろ和風妖怪モノの「どろろ」。これは明らかにマガジンの水木しげるに対抗した路線だったに違いない。「どろろ」といれかわるように、水木しげる「河童の三平」がサンデーに初登場したのが1968年でした。

 この後、手塚治虫は少年マンガで低迷します。「どろろ」のサンデー連載中から、少年キングに「ノーマン」(1968年)を連載。1969年にもキングに「鬼丸大将」連載。ヒットしたとはいいがたい。以後、青年マンガ誌には佳作を発表しますが、少なくとも少年マンガ週刊誌にはヒット作といえるものがなく、短編連作中心になっていきます。少年チャンピオンの「ザ・クレーター」とか、少年ジャンプの「ライオンブックス」とか。

 長編連載を始めても、短期で終了することが多かった。キング「アポロの歌」(1970年)、チャンピオン「やけっぱちのマリア」(1970年)、チャンピオン「アラバスター」(1970年)。1972年にはひさびさにサンデーに「ダスト18」、そして「サンダーマスク」を連載しましたが、なんだかなあ、というようなものでした。

 1973年のチャンピオン「ミクロイドS」も短期で終了。月刊誌では「ブッダ」(1972年〜1978年)のような大長編も描いていましたが、週刊誌での手塚治虫は、長編はことごとく失敗し、すでに短編ゲスト作家のあつかい。1973年には虫プロ商事、続いて虫プロダクションの倒産という事件もありました。

 しかし、手塚治虫は復活します。1973年「ブラックジャック」開始。それまで描きまくっていた短編連作の集大成でした。登場人物はそれまでの手塚キャラが総登場。当時、わたしは友人と「ブラックジャック読んだか」「読んだ、アトムとか出てきとったぞ」「手塚、マンガやめるつもりとちゃうか」などと会話しておりました。手塚がマンガファンの会話に出てくるのは長らくなかったことでした。

 翌1974年、マガジンと和解し、「おけさのひょう六」でマガジンに再登場。同年「三つ目がとおる」の連載開始。そして1977年、講談社から「手塚治虫漫画全集」の刊行開始。ここに神様が完全復活したのです。

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March 30, 2005

サンデー、マガジンと手塚治虫(その1)

 1959年、「週刊少年サンデー」と「週刊少年マガジン」がほぼ同時に創刊されて以来、二誌はライバルとして戦ってきました。

 創刊号の表紙はサンデーが長嶋。その前年にデビューして大活躍。マガジンの方が朝潮。いしいひさいちがマンガに描いた今のアサシオじゃなくて、もひとつ先代。このときまだ大関でした。やっぱり長嶋の方がスターです。

 二誌とも初期はマンガ雑誌というより、読み物中心の少年向け総合週刊誌でした。サンデーのマンガのラインナップが、手塚治虫「スリル博士」(探偵モノ)、寺田ヒロオ「スポーツマン金太郎」(野球モノ)、藤子不二雄「海の王子」(SF)とポップなのに比べて、マガジンは高野よしてるのSF「13号発進せよ」はともかく、付録に水島順「新吾十番勝負」や矢野はるき「天兵童子」、本誌に忍一兵「左近右近」(原作は吉川英治ね)の時代劇がメインでしたから、これは違うわ。現代まで続く、サンデーの都会っぽさ、マガジンの泥臭さは、創刊号からの伝統なんですね。

 ただ、マガジンも創刊時に藤子不二雄をねらってたけど、2日の差でサンデーにさらわれた、というエピソードは藤子不二雄A「いつも隣に仲間がいた…/トキワ荘青春日記」に出てきます。

 さて、手塚治虫はサンデーのヒトでした。マガジンの創刊号にはお祝い原稿として「手塚治虫探偵クイズ」というカットが載ってますけど、週刊のマンガ連載はサンデーだけで続きます。

 「スリル博士」(まだまだ手探り、1959年)、「0マン」(傑作、1959年〜1960年)、「キャプテンKen」(泣けるラストシーン、1960年〜1961年)、「白いパイロット」(ちょっとお疲れ、1961年〜1962年)、「勇者ダン」(かなりお疲れ、1962年)。ここまで連続して連載が続きました。このあと手塚治虫は1963年1月から「鉄腕アトム」のTV放映が始まり、週刊連載を中断し、マンガの仕事はアトムやビッグXなど月刊誌が中心となります。

 手塚治虫が週刊連載をしていなかった、1963年〜1964年、まだまだマンガ月刊誌は元気でした。日本一の人気マンガ家が、週刊連載を持たないという時代がありえたのです。ただし、サンデーでは、1961年に横山光輝「伊賀の影丸」、1962年に赤塚不二夫「おそ松くん」、1964年藤子不二雄「オバケのQ太郎」が連載開始。いよいよ週刊誌の快進撃が始まります。1963年には3冊目の少年マンガ週刊誌「少年キング」が創刊され、月刊誌はどんどん苦しくなっていきます。

 さて、そのころのマガジン。ビッグヒットは、ちばてつや・福本和也「ちかいの魔球」(1961年〜1963年)、吉田竜夫・梶原一騎「チャンピオン太」(1962年〜1963年)、1963年からは桑田次郎・平井和正「8マン」、ちばてつや「紫電改のタカ」、1964年から森田拳次「丸出だめ夫」が連載開始。でもまだサンデーにはかなわない。

 そこで、マガジンは週刊連載を休んでいた手塚治虫に連載を依頼。手塚治虫もTVアニメとして企画していた「ナンバー7」の雑誌展開を予定しOKします。が、その後紆余曲折あって「W3事件」がおこります。

 1965年、少年マガジンに連載していた手塚治虫「W3(ワンダースリー)」が、連載6回で突然の連載中断、1ヵ月後、少年サンデーで、同じタイトル、ほぼ同じ設定で、初めっから連載が始まりました。

 サンデーに復帰した手塚治虫は、連続してサンデーで連載を持ちました。「W3」(1965年〜1966年)、「バンパイヤ」(1966年〜1967年)、「どろろ」(1967年〜1968年)の3作。手塚中期の代表作といっていいでしょう。

 マガジン版「W3」は1965年13号から18号までの連載で中断。その直前、というか、W3事件の最中に発生したのが、桑田次郎の拳銃不法所持事件でした。これで「8マン」は1965年15号の掲載分をアシスタントの代筆とし、終了となってしまいました。マガジンとしてはえらいことです。

・「W3」「8マン」両事件と前後して、ちばてつやさんの結婚という朗報があったが、新婚旅行のため、「ハリスの旋風」は長期休載を余儀なくされ、『マガジン』は人気上位三本を欠く誌面となり、部数はみるみる減少していった。片や『サンデー』は「おそ松」「オバQ」、それに横山光輝さんの「伊賀の影丸」が人気絶頂で、まさに旭日昇天の勢いを見せ、彼我の部数は五十万部対三十万部という大差となってしまった。(内田勝「『奇』の発想」)

 マガジンは、この後、貸本劇画作家を積極的に採用する方針を固めます。すでに貸本作家としては別格の白土三平は、「風の石丸」(1960年)、「狼小僧」(1961年)でマガジンに連載を持ったことがあり、「ワタリ」が1965年より始まっていました。

 まず登場したのが、水木しげる。1965年から「墓場の鬼太郎」、1966年には「悪魔くん」。続いて、楳図かずお。「半魚人」(1965年)、「ウルトラマン」(1966年)。そして、川崎のぼる・梶原一騎「巨人の星」が1966年に開始。これでついに1966年の夏には、マガジンはサンデーを抜いて少年誌トップの座につきました。

 さいとう・たかをは、「カウント8で起て!」(1966年)でマガジンに初登場。「無用ノ介」が始まったのが1967年。佐藤まさあき「でっかい奴」1967年。横山まさみち、影丸譲也が1968年から。

 この劇画路線に加えて、1967年より赤塚不二夫「天才バカボン」が開始、1968年よりはついに、ちばてつや・高森朝雄「あしたのジョー」が開始。マガジンはどんどん部数をのばし、1967年夏には100万部、サンデーの倍近い部数。これは瞬間最大でしたが、1968年夏には毎号100万部以上を発行することになります。

 マガジンが劇画路線をとっていたとき、サンデーが劇画を無視していたわけではありません。

 以下次回。

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March 28, 2005

年度末につき

 毎年恒例の、って今年から恒例にしちゃいますが、年度末ですので、年間集計を。

 以前にも書きましたが、わたくし、家計簿つけるのが趣味みたいなものでして、うちの家計簿ソフトはこの3月24日が年度締め日になってました。さて、2004年度でマンガにつかった金額は。

 79万5332円。

 昨年が71万0890円でしたから、12%増で、ちょっと増えすぎ。これはブログを始めて、ネットのあちこちで面白そうなマンガの話を見聞きしたからですねー。みなさん、ありがとうございました。

 金額は集計できるけど、冊数は推計。1冊1000円として約800冊か。以前はちゃんと、買ったマンガのタイトルとか作者とか発行年月日とか、記録してたんですが、最近はズボラになっちゃったなあ。

 金額が多いと思われるか、少ないと思われるか。おほほほ、その程度など、たいしたことはなくてよ。古本者やコレクターから見れば、わたしなどはヒトケタ違うんだろうなあ。

 多いと思われるかたには、わたし、外で飲酒する習慣がありませんし、昼食は外食ですが抜いちゃうことが多くて、週2回ぐらいしか食べません。というわけで、このあたりなら同居人も納得できる数字かと…←アホンダラーッと叫びながら遠くから何かが走ってくる足音が…

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March 26, 2005

オヤヂが語るオタク史「ゴルゴ13はいつ終わるのか?」

 文脈としては、昨日のエントリの続きのつもりで書いてます。

 竹熊健太郎の前作「マンガ原稿料はなぜ安いのか?」は、確かにマンガの本でしたが、「ゴルゴ13はいつ終わるのか?」は違います。内容は、マンガ論がちょっと。あとは、自分史とオタク史(アニメとマンガ)を重ねて語ったもの。

 わたしがなぜオヤヂオヤヂと書いてるかというと、この本に書かれた竹熊健太郎のオタク観が、世代、年令を強く意識したものだからです。竹熊健太郎はこの本の中でずっと自分を「第一世代」オタクと名のり続けています。

 オタクの自分語りには世代による細分化が必要という自覚なんでしょう。これによって読者側は、自分の年令と、オタク(オタク以外は読者として想定してないでしょ)としての来し方行く末を意識させられることになります。

 勝手な推測ですが、想定している読者は、若いヒト。自身をオタクと考えるヒトビトも、上はすでに40代後半。りっぱなオヤヂになっております。オヤヂが若い衆に歴史というものについて、ちょっと講義をしてみよう。

 オタクの世界では、「知ってる方が勝ち」ですから、年功序列のヒエラルキーが成り立っちゃう。古くからオタクやってる方が当然知識が多く、エライ、ということになってしまいます。こういう関係はよろしくない。そこで、若きオタクたちに向けての、オタクの基礎教養と歴史の講義です。

 いつものように饒舌で大変楽しいのですが、微妙な年代や感覚の差によってツボにはいる部分がずいぶん違うなあ、と。とくにアニメ評価は年代差が出やすいみたい。

 わたしもTV初放映時の「宇宙戦艦ヤマト」(1974年)をずっと熱中しながら見てました(なんせ、その間松本零士のマンガ版が連載されてた「冒険王」買い続けてました)が、1977年の映画版(TV版の再編集)を公開初日に見たとたん、イッキに熱がさめました。だって、あのTV用の荒い線を劇場の大きなスクリーンで見るのはつらかった。それにTV版をダイジェストしたストーリーも、オトナの鑑賞にたえうるものではなかった。ブームは別にして、純粋に作品だけの評価では、今でもこう考えております。

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March 25, 2005

全方向オヤヂ「マンガ道、波瀾万丈」

 桐山秀樹「マンガ道、波瀾万丈」はインタビュー集。インタビュイーは以下のとおり。弘兼憲史、本宮ひろ志、小林よしのり、小山ゆう、ちばてつや、政岡としや、モンキー・パンチ、藤子不二雄A、さいとう・たかを、松本零士、水木しげる、楳図かずお、古谷三敏、細野不二彦、吉沢やすみ。マンガ家は全員男性でオヤヂばっかり。

 ゆるい、スカスカのインタビュー集ですが、これも当然。弘兼憲史がトップに登場することからわかるように、「週刊アサヒ芸能」に連載されたものなんだからですねー。読者もオヤヂです。インタビュアーのライターは別にマンガにくわしいわけでもなんでもありません。しゃべってる内容も人生論あり、妄想あり。ま、オヤヂ週刊誌ですしね。

 インタビュアー(1954年生まれ、オヤヂですな)の立場は、全肯定、全ヨイショ。資料的にも、もうひとつ。成功した人に人生訓を聞く、というスタンスの本だからしょうがないか。わたしがこの本に期待してたのは、あまりインタビューされない、モンキー・パンチや政岡としやなんですが、意外と読ませた回が、吉沢やすみ。一発屋としての「ど根性ガエル」のあと、デパートのガードマンをしていたとは。

 オヤヂ週刊誌にはそれなりの読ませどころがあるんだ。泣ける話やねえ。

 わたしの知りたいことは、あまり聞いてくれない。たとえば、最近はモンキー・パンチ=加藤一彦ですが、以前は弟・加藤輝彦もモンキー・パンチとしてクレジットされることが多かった(虫プロ「COM」1968年8月号「道産っ子まんが家大いに語る」など)。兄弟の役割分担がどんなものだったか、聞いてみたいなあ。でもそれはない。ま、オヤヂ週刊誌ですしね。

 この本って、しゃべる人、聞く人、読む人、すべてオヤヂなんだよ。しかもその三者のうち、オタクらしき人は誰もいない(あえて言うなら取材される側の細野不二彦ぐらいか)。

 かつてこういう本は、少なくとも読者にオタク(あるいはマニア)を想定してたはずだと思うんだけど、最近はそういうことはないのね。ウスい人がウスい人に向けてつくるマンガに関する本、というのが存在しうるようになった。アニメ「鉄腕アトム」が放映開始されたのが1963年。その時小学生だったとしても、今50歳前後。今のオヤヂは全員、子供時代からTVアニメを見て育った世代なんだよなあ。濃い人もウスい人もみんな成長してオヤヂになっちゃったんだね。

 これに対して、濃い人が濃い人に向けて書いた本が、竹熊健太郎「ゴルゴ13はいつ終わるのか?」。オタクのオヤヂが、オタク読者だけを相手にしているわけで、これはイサギヨイぞっ。感想は次回。

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March 23, 2005

梶原一騎の原作作法(その3)

(前回からの続きです。最終回)

 梶原一騎のマンガ原作原稿がいちばん何に似てるかというと、やはり小説でしょう。梶原一騎は実は小説が書きたかったのか。

 もっとも小説風な書き出しの、連載52回のようなものもあります。

「影の大番長がベールをぬいだぞ!」
「は……はじめて見たぜっ、おおっぴらにスケバン・グループ
ひきつれノシ歩くのを!」
「い、いったい、なぜ自分から正体をあらわしたんだ?
 影の大番長イコール高原由紀とは、だれもしが〈ママ〉しっちゃいるが口にしてはならねえタブーだったのに……」
 ヒソヒソ、ザワザワ!! 校庭のあちこち、ささやきあう男子生徒たちの注目あびて――
 ザッ、ザッ、ザッ!! スケバン親衛隊したがえ、まかり通る高原由紀のセーラー服のリボンが、さっそう朝風にひるがえる。

 状況の説明なしに、突然セリフから始まるという、マンガ原作を放棄したような書き方です。これではマンガ家は困る。当然、マンガのほうでこのシーンは、スケバンたちをひきつれた高原由紀の遠景から始まります。ならば原作もそこから書き始めるべきでは。これは梶原一騎のモチベーションを維持するための手法なのか。

 ただし、小説っぽくないのが、「ヒソヒソ、ザワザワ!!」「ザッ、ザッ、ザッ!!」の擬音の部分です。でも、最近のライトノベルとかくわしくないんですが、今は、小説でも擬音多くなってますか?

 梶原一騎といえども、マンガ表現を意識した書き方をすることもあります。

 連載9回より引用。

 夜ふけの早乙女邸の建物。
 すっぽり雪化粧して、その窓の一つにほんのりカーテンごしの灯がもれて……
 その内部は愛の勉強部屋である。
 豪華なステレオ、白いピアノ、人形など。
 愛は机に向かい、机上にレター・ペーパーをひろげている。
(岩清水くんの手紙……
 秀才だけど、ひかえめで内気な、あの岩清水君が……と……
 うけとったとき、わたしをおどろかせた炎のような文章!)
 チクタク、チクタク……鳩時計の音とダブって、スタンドに灯ほの暗い虚空におどる、その炎の活字!

 マンガ原作らしく、場面の説明から始まってます。部屋のレイアウトなどはマンガ家におまかせ。ながやす巧の描いたピアノはアップライトですが、超大金持ちの早乙女家ですから、ここはぜひ、グランドピアノが欲しかった。梶原一騎はどちらをイメージしていたのか。このあたりの意思疎通が不足しています。

 そして、珍しく活字の指定がありますが、それが、「炎の活字」。 燃える字!?

“夏休みのあいだ、きみのことばかり考えていたあげく、このことだけ、きみにつたえておく決心をしました。
 おたがい、まだ中三では勉強が先決であり、恋だの愛だのという感情には慎重でなければならぬと、よくわかっています。
 だから一つだけ、ぼくの心からなる誓いだけ、つたえておきます――
 早乙女愛よ、岩清水弘は、きみのためなら死ねる!”
 その部分の活字のみ巨大化して――
“きみのためなら死ねる!”
 さらに巨大化して――
“きみのためなら死ねる!”(←二行分使用して大きく書いてあります)

 この後、岩清水が(心の中で)連発して有名になったフレーズ、「きみのためなら死ねる」の初登場シーンです。活字の大きさが指定されています。

 ながやす巧はこう描きました。

 1コマめ。愛の部屋を斜め上方より鳥瞰。虚空に浮かぶ岩清水の手紙の文章。フキダシはありません。字だけ。「夏休みのあいだ、きみのことばかり考えていたあげく、このことだけ、きみにつたえておく決心をしました」

 2コマめ。鳩時計のアップ。擬音で「チクタクチクタク」。「おたがい、まだ中三では勉強が先決であり、恋だの愛だのという感情には慎重でなければならぬと、よくわかっています」

 3コマめ。愛の手もとの手紙のアップ。「だから一つだけ、ぼくの心からなる誓いだけ、つたえておきます――」

 4コマめ。愛の顔のアップ。大きな活字で「早乙女愛よ、岩清水弘は、きみのためなら死ねる!」

 5コマめ。バックは黒のみ、活字は白ヌキでさらに大きく「“きみのためなら死ねる!”」

 6コマめ。さらに大きく愛の顔のアップ。さらに大きな活字で「“きみのためなら死ねる!”」

 健闘してると思います。ただ、梶原一騎がマンガ表現として活字にまで口を出したのだから、何らかの具体的イメージがあったはず。この原作原稿で、それが伝えられたとは思えません。ここは文章で書くなら、もっと細かい表現や指示が必要。さらに活字の級数まで指定すべきでした。

「わたしは……早乙女愛は……」
 愛のつぶやき、じっと虚空の一点みつめる視線のゆくてに、幼児キリストを抱いて金色の輪にくるまれた聖母マリアの画像。
「太賀誠のために死ねるだろうか?」
 と、ひたむきな瞳の色で自問自答。
「いいえ、そのまえに……
 わたしは彼を愛しているのだろうか?」
 そのとき――ポッ、ポッ、ポッ、ポッ、ポッ!
 にわかに、ばかに威勢よく鳩時計の中からとびだした、かわいい鳩が五つさえずって、ひっこんだ。
「愛している!」
 と、ひくい、はげしい愛のさけび!
「す……すくなくとも……
 あの遠い日の魔のスロープで、見知らぬ少女をすくって血にまみれた彼をあいしているっ、永遠にかわらず!」
―――眉間を血にそめ、不敵に、ほこらしく立ちはだかる、おさない誠の図!
「そ、そして、あの彼のためになら……」
 と、つづけて愛、
「あのときの太賀誠のためになら、わたしは……死ねる!」

 朝の5時だと書かずに「鳩が五つさえずって」と書くところが小説っぽいといえますが、幻想のマリア像や回想の誠を一行ですませてしまうのは、マンガ原作ならでは。

 梶原一騎の原稿では心で思っていることは( )で、実際の発言は「 」で表現されます。ですから、ここでの愛の言葉は、全部実際に声に出してる。「つぶやき」と書いてありますしね。でも「わたしは……死ねる!」と、ひとりごとを言ってるとアブナイひとに見えちゃいますので、さすがにながやす巧は実際のマンガでは、ここの愛のセリフを心の声にしちゃった。フキダシで囲まずに、活字を宙にただよわせました。

「おれのこのキズは、どうしようもねえ、お人よしの紋章だった!
 これからは他人をふみ台に、てめえだけ強く、のしあがる力の紋章にかえてやるぜ!
 名門・青葉台学園を舞台に――
 ハーッハッハッハ!!」
 くるおしく哄笑する誠の回想シーン!
「た……たとえ、いまの彼がどうであろうと、あのときの男らしい、ほこりたかい、そう……わたしの白馬の騎士と別人ではないのだわ!
 きっと、きっと、あのときの太賀誠は、いまの彼の中のどこかに、すんでいる!」
 と、必死にあらがうように愛、
「あの永遠の像を愛しつづけ、つぐないつづければいいのだわ!
 ど……どんなに苦しい、きびしい愛であり、つぐないであろうと、あの永遠像のためなら死ねるのだから……
 そうだわ、へこたれたりする道理がなかったのだわ!」
 いつしか……
 その愛の面上に、ほのぼのとした微笑が……ひろがりつつあった。
 微笑しながら、愛は涙をこぼしていた。
 とめどなく涙は、あふれ、ながれた。
 立って大きく窓をひらくと――
 雪は降りやみ、星がまたたく東の空が、ほのかに白みはじめていた。

 ただしマンガでも、心の声のまま、えんえんとしゃべり続けるのもヘンなので、「た……たとえ」のあとからは実際の声に出してます。こういうひとりごとシーンてのは、どうなんでしょう、小説というより、演劇っぽいような気がしますが。

 梶原一騎作品のうち、「愛と誠」は代表作ではあるけれど、傑作ではありませんでした。終盤に近づくと展開は、残酷度アップ、下品度アップ、女性の肌の露出度も上がり、なぜか脈絡なく突然、愛がグアム旅行に出かけたり、何が何やら。

 そして最後はロッキード事件に絡めて、政府高官こそ悪、という展開。ゴルフ場に殴り込んだ誠が「長官」を襲い、砂土谷に刺されて死んじゃう。海岸で愛と瀕死の誠が抱き合い、それを岩清水、高原由紀、座王権太が見つめるという、韓流ドラマみたいなラストシーンでした。これはこれで今、ウケるかな。

 終盤の展開の乱れが、この直筆原稿からも伝わってきます。毎回、原稿に書いてある「純愛山河 愛と誠」の字。これがある時を境に荒れてきます。全連載175回中、115回以降。

 新たな敵、緋桜団と砂土谷峻がすでに登場しており、その前の114回は、愛、誠と高原由紀がボートの上で語り合う回。その次回から「愛」の字は急に崩れて、ていねいさが消え、最後まで元に戻ることはありませんでした。このあたりで、梶原一騎の意欲が減退していったのがうかがえます。

 さて、梶原一騎自身はマンガ原作原稿で小説を指向したと思われますが、完成したものは小説とは異なるものです。最終的な完成形がマンガである限り、擬音の多用は必要。レイアウトはマンガ家におまかせ。さらにはどのように「ものすごい」かを、マンガ家に預けてしまう書きかたをせざるを得ず、結局は小説的描写からは離れてしまいました。その結果、小説っぽいけど、シナリオのようでもあり、講談のようでもあるモノに。やはり、マンガ原作は小説ではありえない。

 しかも、この原作の書きかたは、マンガ表現を意識したとき、マンガ家に意図を伝えるのに不十分な方法です。梶原一騎の方法では、原作者が最終的に管理できるのは、登場人物のセリフだけでしかありません。原作者が、画面レイアウトや、セリフのコマ分割による効果まで支配しようとするならば、梶原一騎とは違う方法が必要となりそうです。ほったゆみが「ヒカルの碁」で選んだ原作方法はネーム形式で、おそらくは「デスノート」の大場つぐみもそうでしょう。

 しかし、マンガ家との共同作業という面を考えるなら、梶原方式は、竹熊健太郎の言うとおり、1+1=3を生み出す可能性のある方法でした。ながやす巧は梶原一騎の原作を読んで、自分なりの新しい演出を加えていってますし、あえて扱いを小さくしたところもある。梶原一騎の書いた連載第1回のアクションシーンに、愛のスキージャンプという効果的なシーンを付け加えたのは、マンガ家・ながやす巧です。最終的な仕上がりを担当するマンガ家が、プラスアルファしてくれるかもしれないのが梶原方式。

 マンガ原作としてのネーム形式は、理想的な方法なのでしょうか。そのやり方では、マンガ家は純粋に画家の仕事しかしておらず、もっと大きなものを生み出す可能性が少なすぎないか。その点、梶原方式はその余地を残していた。それとも現代では、編集部が作品をきっちり管理する方が好ましくて、プラスアルファなんて、期待しちゃいけないんでしょうか。

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March 22, 2005

梶原一騎の原作作法(その2)

(前回からの続きです)

 さて、アクションシーンの中でも、梶原一騎が得意とした格闘シーンはどうでしょうか。

 連載21回。ボクシング部主将・火野との決闘。

 と、茫然自失の火野めがけて、
「たとえば、こんなぐあいに――よ!」
 ドバッ!! うしろげりの奇襲!
 もろに、みぞおち蹴りこまれ、
「ア……ウッ!」
 のけぞり、よろめく火野!
 クルリ! それへ向きなおりざま、火野に立ちなおるいとまもあたえず、
「あーらよっと!」
 ガシーッ!! まわしげりで肩口を強襲し、さらに、ふみこみざま――
 グワン!! ストレート・パンチ胸板へ!
 ズズン!! ついに火野は尻餅!
 野球部グラウンドのホーム・ベース付近で、うしろげりの火ぶたが切られ、のけぞりよろめく火野を追ってマウンドに近い土の盛り上りの地点で、ついにダウンにもちこんだ誠の速攻、猛攻!
「やっ、やったあ!!」
 タイガー・グループの歓声!
「ケンカは先手――これぞ極意!」
 声なく息のみ、瞳みはる愛……

 誠が火野に3発、キック、キック、パンチ。マンガも原作を正確になぞってます。面白いのは、アクションを書いたあとで、「野球部グラウンドの…」以下の文章が挿入されていますが、これは、場面説明です。つまり、話のイキオイで格闘を始めちゃったけど、場面は野球部のグラウンドのホームベースとマウンドのあたりだよ、とマンガ家に伝えているわけです。型にはまった説明文より、イキオイが大切!

「もういっちょ、おまけに〜!」
 と、尻餅ついた火野めがけ、なおも誠が、けりこまんとしたせつな――
 しかし――ガッ!!
 火野は左ヒジあげ強烈にブロック!
 アキレス腱あたりをカチあげられ、誠は一本足でキリキリまい!
「グフフフフッ……
 あまりの早乙女くんの自分をすてた迫力に、おれは一瞬、ぼうぜんと戦意をそがれとったが、また燃えてきたぞ!」
 ユラ〜……殺気で火野は立つと、
「こういうきたないやつが、ああも美しいものに愛される矛盾を、なんとしても、ぶちくだかずにはおかーん!」
 ほえざま、ようやく体勢ととのうた誠スレスレに、すでに風のごとく肉迫!
 グワッシーン!! 横なぐり、ものすごいの一語につきる鉄拳の炸裂!
 横面ぶちのめされた誠の顔面、ひしゃげたようにさえ見え、横ざまに宙とんでケシとびズーン!!
 マウンド上に土煙を高々とあげ、たたきつけられる!
 土煙の中から、もたげた四つんばいの誠の形相たるや……
 鼻と口からの大量出血で、すさまじいまでの血みどろ!
「ヒイ〜ッ!」
 だらしなく子分どもの悲鳴――
「あ……あっ、あれが本格的ボクシングのパンチ!」
「し、しかもグラブはめない素手の……」

 梶原一騎お得意の、格闘シーン最中での長広舌です。マンガ家が苦労する所じゃないかしら。ながやす巧は「ぼうぜんと戦意をそがれとったが…」のところでコマを変えて、次のコマで「また燃えてきたぞ!」と言わせました。そして「こういうきたないやつが…ぶちくだかずにはおかーん!」は、火野が誠につっこむ大ゴマの中で一気にしゃべらせてます。

 そして、パンチの表現として「ものすごいの一語につきる」。小説では、まず絶対に使わない表現でしょう。これはあくまで原作原稿。最終の仕上がりはマンガ家にまかされています。「ものすごい」を表現するのは、文章でなく、マンガなのです。

 さらに、いつものように、まわりの観客が解説してくれます。「本格的ボクシングのパンチ」「しかも素手」

 梶原一騎で多用されたこの観客による解説は、原作者→マンガ家→読者のワンクッションおく関係性の中で、原作者が直接読者に伝達したいという欲望のあらわれのようです。ほかの原作なしのマンガの中で観客が語る内容は、けっこう高度なものが多い。そこで解説してくんなきゃ絶対わからないよってなもの。これに対して、梶原一騎作品での観客の解説は、あたりまえのこと。いわずもがなのこと。絵にまかせていればいいのに。

 要は「ものすごい」パンチであると。原作では「ものすごい」と書き、「ひしゃげた」「血みどろ」と書きましたが、結局これはマンガ家に対する業務連絡みたいなものです。マンガ家はホントに「ものすごい」絵を描いてくれるだろうか。梶原一騎は不安です。だから、ダメオシのように観客に語らせている。観客のセリフなら、原作者から直接読者に届くから。

 火野は仁王立ちで咆哮!
「立ていっ、ウジムシ!!」
 それへ、やにわに――パーッ!!
 マウンドの土をば片掌につかんだ誠、目つぶし狙って、たたきつけるが――
 火野、すばやく太い両腕を顔のまえ、クロスさせて堅固にブロック!
 ダッ!! なおも誠の右足が横ざまに四つんばいから一閃、火野の股間へ!
 カアーン!! と、しかし、いかにも、まぬけた金属製の音!

 読んでて気持ちいいリズムですが、「マウンドの土をば片掌につかんだ誠」←「をば」ですよ「をば」。連載第1回でも「急傾斜のスロープをば」っていうフレーズがありましたが、体言止の多用といい、やっぱりこれは語りの芸。講談だなあ。

「ますますもってウジムシめ!」
 平然、きめつけて火野、
「目つぶしごときボクシングの堅固なブロックには通用せず、さらにきたないキンケリもまた、どうせこんなことだろうと予想して試合で反則パンチ防止用につかうファール・カップをつけてきたわい!」
「ウ……ウ……」
 血みどろの歯がみ、四つんばいの誠を、
「立てい!」
 ムンズ!! これまた血ぞめのシャツの胸倉つかみ、ひきずりおこす!
「や……やめてえ〜っ!!」
 愛は絶叫し、ころげるようにホーム・ベース位置からマウンドへとはしりつつ、
(た、たとえ火野さんに土下座してでも、やめてもらわなければ……
 こ……殺されてしまう!)
 思いつめる、その愛めがけ――
 バキーッ!! 胸倉つかまれ、またも横面をはりとばされた誠が血ヘドの尾をウズまかせつつ、ケシとんできた!
 ズズーン!! もろに愛と激突!
 もんどりうって転倒の愛!
 誠のほうは、さらに一直線にケシとんでいき、なんとホーム・ベース真上へとホーム・スチールのごとく――ズザーッ!!
 土煙あげ、あおむけ地すべりすて昏倒!
 あたり一面、まるで赤ペンキをぶちまいたごとき血、血、血、血の海!
 ワナワナ、ガタガタ……声もなくバック・ネットにはりついて、ふるえおののくタイガー・グループの面々!

 このように目つぶし、急所蹴り、ファール・カップ、愛との激突と多彩なアクションの連続も梶原一騎。「ギャラクティカ・マグナム!」の1発で終わるのとは対照的。

 そしてこのおびただしい血の量を見よ。連載第1回の誠、子供時代からいっぱいの血を出してましたが、今回も「血、血、血、血の海」です。梶原一騎は血が好きだなあ。

 形相すさまじく、ゆっくり、火野がマウンドをおりてくる!
 途中、うつぶせに横たわって動かぬ愛に目をやり、
「ゆ……ゆるせ!」
 つぶやいて通過……
 血の海のホーム・ベース上で、あおむけの誠が上体もたげる。
 血みどろ、うつろな目……
 それでも、うしろっとび、逃れんとするのを、ゆるさず火野――
「死ねっ、小悪党!」
 グワワーン!!まともに三日月キズの真上に左ストレート!
 あらたな鼻血が――シュバッ!
 鼻孔から二条の尾をひいて誠、バック・ネットに背中から激突!
 バウン……反動で、はねかえるのへ、さらに火野の非情の右ストレート・カウンター――バキッ!!
 こんどはアゴ尖端を強烈無比に突きぬかれ、のけぞりケシとんで、ふたたび誠はバック・ネットに激突――ガガン!!
 夕闇の空にそびえるネットが、てっぺん近くまで震動して――
 ズズズズ! こんどははねかえりもせず誠、ネットづたいに沈みゆく。
 血の海に尻餅、その白いシャツが、いまや鮮血まだらの赤シャツと化す!

 今回の「ものすごい」パンチは、バックネットという大道具を使用しています。パンチ→バックネットにぶつかりはねかえる→カウンターパンチ→もう一度バックネットにぶつかる→「夕闇の空にそびえるネット」が振動する。

 さらに、またまた血。

 マンガ家を介してしか読者と向きあえない原作者は、バックネットの振動と血でものすごいパンチを表現しようとしました。

 ただし、このシーンをながやす巧は、火野のカウンターパンチを1ページの大ゴマを使うことで、「ものすごい」パンチを直接表現してしまいました。ネットの振動はちょっと描かれただけ。そして、マンガじゃ誠のシャツはもともと色つきの設定なんで、モノクロページじゃベタ。血の色はわからないんですよねー。

 マンガ家はパンチそのものが描きたい。原作者は、そこを婉曲に表現してみたい。このシーン、マンガ家と原作者がそれぞれ主導権を取ろうとして争っているように見えるのはわたしだけ?

 以下次回。

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March 21, 2005

梶原一騎の原作作法(その1)

 アラン・ムーア/デイブ・ギボンズ「ウォッチメン」のオープニング・シーンは、道路に落ち血にまみれたピースマーク・バッジの超アップから始まります。ヒトコマごとにカメラが上昇して(あるいはズームバックして)、2ページかけてビルの窓から見を乗り出して下の道路を見る男の、さらに上からの視点になる。

 これと同じオープニングが、アラン・ムーア/ケビン・オニール「続リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン」で見られます。意味不明の模様のアップから始まり、コマごとにカメラが上昇して、最終的に9コマめでこれは荒野を飛ぶ、空飛ぶじゅうたんの模様であったことが明らかとなります。

 アメコミの原作は絵コンテ、日本でいうところのネーム形式で提供されると聞いたことがありますが、このアラン・ムーア原作の2作の描写が同じってことは、アラン・ムーアの原作はやっぱりネームなのかしら。

 先日、竹熊健太郎氏のブログのコメント欄に、長谷邦夫氏が、小池一夫の連載1回分の原作が400字詰原稿用紙1枚だけ、というシェーとびっくりするような証言を書き込まれてましたが、このようにマンガ原作の作法に決まりはありません。

 竹熊健太郎「1+1=3 『原作論』確立に向けての提言」という文章は、「『梶原一騎』を読む」(1994年ファラオ企画)という本に載ったものです。マンガ原作の方法論確立の必要性を論じ、梶原一騎原作集の刊行を提言してます。で、この本には、梶原一騎/ながやす巧「愛と誠」原作原稿のうち、3枚の写真が掲載されていました。

 この「1+1=3 『原作論』確立に向けての提言」が竹熊健太郎「マンガ原稿料はなぜ安いのか?」に再録されたのが2004年。めでたいことに、この間に、実際に梶原一騎の原作集が刊行されました。

 「梶原一騎直筆原稿集『愛と誠』」(1997年風塵社)。布張りハードカバー、400字詰原稿用紙のカラー写真を、1ページに6枚ずつ載せた400ページ以上の巨大なゴツイ本。「愛と誠」連載分175回のほとんどが読めます。

 ほとんどというのは、原稿が現存してないものがいくつか、「キチガイ」を伏字にした部分、そして欠番の回などがあるからです。欠番は12回と35回。12回は、誠が不良にあこがれる学生たちのボスになる回。35回は愛が身を挺して乱闘事件をやめさせる回。差別的な内容でもなく、なぜ欠番になってるのかよくわかりません。

 連載1回分はマンガではおおむね20ページでした。梶原一騎の原作は、400字詰原稿用紙で、だいたい12から14枚。鉛筆書き。修正はほとんどないみたい。縦の行からはみだすことはありませんが、横枠は無視しており、一行の文字数はテキトーに変化します。

 毎回、最初の4行をつかって、

純愛山河
 愛と誠
   (原作)梶原一騎

と書かれます。最後までずっと。この「純愛山河」っていうのは、連載時にはタイトルの一部だったんですが、単行本になるとき、消されちゃいましたね。

 梶原一騎は、マンガ原作を小説のように書きます。でも、読者は編集者とマンガ家しかいないわけですから、やっぱり小説ではない。連載第1回より少し引用してみます。1ページ目は有名なコレです。

 愛は平和ではない。
 愛は戦いである。
 武器のかわりが誠実(まこと)であるだけで、それは地上における、もっともはげしい、きびしい、みずからをすててかからねばならない戦いである――。
 わが子よ、このことを覚えておきなさい。
(ネール元インド首相の娘への手紙)

 さて、有名なこの文章ですが、わたしどうしても元ネタを見つけられません。ホントにネール(ネルーというのが正しいらしいです)がこんなこと言ったのか? いつも疑ってばっかりですが、これって梶原一騎の創作ちゃうの? ご存じの方がいたらご教授ください。

“昭和三十九年冬――
 信州蓼科(たてしな)高原”

 一面の銀世界――高原も周囲の八が岳連邦も雪景色一色、カラマツ林も雪帽子をかぶってつらなり、こおりついて輝やく蓼科湖、白樺湖などの一大展望。
 その白銀世界に、しかし、黒アリのむれのように無数の人影がバラまかれていて……
 高原のスロープのスキー場には、上空にリフトが運行し、雪をけたてて色とりどりのスキー・ウエアが疾駆する。
 湖面のスケート場も、氷上をかけめぐる人々の色彩で、あたかも花畑のごとし。
 それら、にぎわいを見おろす位置――
 高みのカラマツ、白樺林にかこまれて、あちこちに点在する別荘。
 そのおおくは山小屋調の建物の中で、ひときわ堂々たる構え、北欧あたりの旧家をしのばせガッシリそびえる別荘の門前で、
「キャッ、キャッ!」
「ハッハッハッハ!」
「ホホホホッ!」
 はじける笑い声――

 オープニングの情景描写。まず遠景、その後スキー場、スケート場、林と別荘。どんどん近寄って、愛の別荘へ。これはわかりやすい。マンガを描くには必要十分じゃないか。

 ながやす巧は、ここまでを3ページ、10コマで描きました。遠景1コマ、スキー場4コマ、スケート場4コマ、林と別荘群1コマ、愛の別荘の上部1コマ、下方より笑い声。

 ちっちゃな少女が、それでも一人前に、ちんまりスキー・ウエアを着こみ、これまた、ちっちゃなスキーをはいて、愛くるしい顔を紅潮させヨチヨチ……門前の平面の雪の上を、すべっている。
 そのかたわらには、
「なかなか、うまいぞっ、愛!
 ソレ、あんよはおじょず、ころぶはおへた……ハハハ!」
 と、ナイトガウンにサンダルばき、いかにもエリート然とした父親らしい男と、
「ホント……ことしの春から愛ちゃんも小学校、そのときになったら、はじめて別荘でスキーをはかせてもらう約束で、たのしみにしていたんですもの。ホホホッ」
 と、母親か、目のさめるように美しい女性が、これはフカフカのセーター姿。
「キャッ、キャッ! 見て、パパ、ママ。
 愛、じきに名スキーヤーになれるでしょ」
 ゴキゲンでヨチヨチの少女に、
「ええ、きっとなれるわ。
 でも、あんまり、いっぺんに熱中しすぎるとつかれるから、おうちにはいってオヤツになさいな」
 美しい母親がいうが、
「もうすこし……ネッ、おねがい!」
 少女はねだって、
「まあ、よかろう。
 しかし、けっして遠くへいってはいかんぞっ、愛!」
 父親にいわせることに成功、そのまま両親は別荘内へと姿を消す。

 ちなみにこの「目のさめるように美しい」母親が、後日、オニのようなお母さんとなります。原作とマンガでのセリフの改変も少しあり。「おじょず→じょうず」「うまいぞっ→うまいぞ」「ホホホッ→ホホホ…」「いかんぞっ→いかんぞ」微妙な変更ですが、大時代な梶原一騎調を、ちょっとだけやわらげてる。

 「そのまま両親は別荘内へと姿を消す」なんてのは、小説というよりシナリオ。

「ウフフッ……」
 見送って、いたずらっぽい少女の微笑。
 ソロリ、ソロリ……と、そして、愛とよばれる可憐な少女は、わが別荘の門前をはなれる冒険をはじめた……
 まもなく平面の雪、やや斜面にかわる。
 スイ! 愛は自然、すべって、
「ステキ!」
 感に堪えた表情となり……
 スーイ! さらに、からだが加速にのって、白樺林の間道を走るもので、
「スキーってサイコー……」
 ウットリとなっていたが……
 ヒューン! わが身が、まさしく風を切りはじまるにおよんで、
「ア……ア……アッ……」
 はじめて、うろたえた表情にかわり、
「こ……こわい!」
 さらに、その恐怖を決定づけて――
 突如、ゆくてが白樺林をぬけ、大きくひらけ、だだっぴろい白銀世界の斜面!
 すさまじい、はてしない急傾斜スロープ!
 キイーン!! もはや、うなりを生じて、ちっちゃな愛のからだは、その急傾斜のスロープをば大滑降にうつっていて、
「キャア〜ッ!!」
 悲鳴も後方に、ちぎれとび、
「た、たすけてえ〜っ。
 パパ……ママ!!」

 アクションシーンの始まりです。小説やシナリオと違って、擬音が入るのがマンガの特徴ともいえます。梶原一騎の場合、行の始めに擬音を書くのが決まりのようです。ただし、擬音に関してはマンガの方でかなり自由に直しています。「スーイ→スー」「ヒューン!→シャャァー」(発音できません)

 最大の変更は、愛が急に広いスロープに出たシーン。原作にはありませんが、ながやす巧はここで大ゴマを使って、愛にジャンプさせました。愛の正面から見た図。下半分は雪の白。上半分は空の青を示す黒。擬音で「バッ」、愛の悲鳴「キャア〜ッ!!」。さすがにここは、梶原一騎よりながやす巧がうまい。

 口のみ大きくあけ、しっかと目をとじ、すさまじい粉雪のあおりうけて……
 キイーン!! 一陣の疾風と化す……
 そのとき!
 広大なスロープの横手に、もう一つ、ちっぽけな黒点のながれの疾風が出現―
 たくみなジグザグ滑降をとって、愛のゆくてへと、まわりこんできた!
 直剪と曲線、ふたつの疾風のながれが、みるみる接近……
 ガシーン!! つぎの一瞬、激突!
 もうもうたる雪煙!
 しばし、すべてを支配して……
 やがて、その雪煙、うすれゆくと……
 愛のからだは雪の斜面上、うつぶせに、ほうりだされていて、その片足だけに、かろうじて、くっついているスキー。
 みじろぎもしない……

 誠の登場。「そのとき!」とか「つぎの一瞬」とか書くのが梶原一騎。これは、小説というより、講談に近いんじゃないかしら。読むというより、語って気持ちいい、聞いて気持ちいい。

「う……う……」
 それが、かすかに、うめきだすと、
「うえええ〜ん!!」
 火のついたような号泣が、はじけた――
「パパ……ママ……
 ああああ〜ん!!」
「泣くな……」
 と、それへ声が降った――
「泣くなったら、バカ!」
 と、さらに。
「…………」
 一瞬、泣きやんで愛は、ものうく雪だらけの顔ねじまげて……見た。
 ものすごい光景を見た!
 ひとりの少年がーまだ小学一、二年生ぐらいの少年が、まるで怒り金時みたいな形相で突っ立っていた!
 これも全身これ雪まみれだが……
 その顔が血まみれなのだ!
 おびただしい血潮が、あとから、あとから、眉間のあたりからあふれ、それが雪の白を鮮烈に染めて裂いて、少年のからだの前面をつたい、したたって、足もとの雪にも点々と真紅の花を咲かせる!
 少年の両足のスキーは無事だが、その右手に杖のように立てている愛のスキの片方は、なかばからヘシおれかけているのみか、そりかえった先端部分に……
 べっとり、血ノリがこびりついている!
 武者人形の金太郎みたい、これぞまさしく“日本の少年”といった感じで、きかん気そうだが涼しい目もと、やや吊りあがった少年の顔立ちを、それやこれやの戦慄的いろどりが、まるで怒り金時にしている。

 さて、文章に力がはいってきました。このあたり、あまりリキまないようにして、プロジェクトX調で田口トモロヲに読ませると、いいかもしんない。

 「顔ねじまげて……見た」ときて、行を変えて「ものすごい光景を見た!」となります。地の文にも「!」がいっぱい出てきます。ここは盛り上がるシーンなのだと、いやでもわかる。

 以下次回。

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March 18, 2005

漫棚ができるまで

 最近、やっと暖かくなってきて、書庫に入っても数分で凍えてしまうということがなくなりました。いい季節だなあ。暑いぶんには汗流してりゃいいんですが、北西の角部屋で小さな窓がひとつだけという特殊なつくり、しかも冷暖房まったくなし。だもんで、北国じゃないけど冬の夜などジャージの上下でいると、ヘタすると凍死するんじゃないかと。

 数年前にこの10畳の書庫をつくったとき、やっと、自分の蔵書が一覧できるようになってスッゴクうれしかったんですが、それまで、買った本をどうしてたかというと、倉庫用のコンテナを借りておりました。数ヵ月に一度、雑誌や単行本をダンボール箱に詰め込んで、倉庫に持っていくことを繰り返して約10年。一度詰め込んだ本は、まあ二度と読めませんわね。

 ただ、このやり方のいいところは、スペースを気にせず本が買える点であります。オタクの敵は、家族とスペース。手許に置かなきゃいくらでも買えるぞっ。でも、ドラゴンボールを読み直したくてもそれはかなわぬ夢。というわけで、一時は、ナウシカを2セット、ポーの一族を3セット持ってたこともあります。←バカ

 ところがさすがに10年使ってると、コンテナもけっこういっぱいになってきまして、そろそろ詰め込むにも限界が見えてきます。上部のスキマがかなり小さくなってきてるじゃないですか。おそらくダンボール箱も百個をはるかに越えてたでしょう。

 書庫ができて、まず自分のクルマで実家から数十のダンボール箱を運び込み。一回に数個ですから、何往復したか。これはマンガ以外の本と古い雑誌中心でしたね。でも、いつのまにやら捨てられちゃった雑誌は数知れず(ああ、リリカとマンガ少年の全巻揃いは…)。

 続いて、コンテナの契約解消。コンテナ屋のおっちゃんに、トラックでの搬送と、書庫への搬入を頼みました。搬入の当日。わたしはいなくて、同居人が立ち会ったんですが、なんと、じいちゃんがふたり、トラックにダンボール箱積み込んでやってきたそうな。

 みなさん、ご存知とは思いますが、本は重い。本を詰めたダンボール箱は、もっと重い。本が上質紙でできてたりすると、さらに重い。で、ふたりのじいちゃんが、ダンボール箱一個ずつ書庫まで、えっちらおっちら運んでくれたそうです。ところが、いつまでたっても終わらない。同居人はいたたまれなくなっちゃったと。

「ハアハア、えらく重いけど、何がはいってるの」
「スミマセンネエ、本なんですよー」
「ああそう、ハアハア、ほかのは何」
「スミマセン、全部、本なんですよー」
「ハアハア、えらい勉強家なんやねえ」

 ちゃいます、全部マンガなんですー、とは言えなかった。

 全部マンガじゃありません、9割ぐらいです。現在、雑誌・単行本合わせて2万冊ぐらい(←テキトーです。数える気もございません)でしょうかしら。

 この本の搬入の前に、四方の壁に沿わせて天井までのスチール棚を、わたしが取り付けておりましたので、これに本を並べてゆく。ただしこれでは全ては収納できません。

 その後、書庫内の中央部に置くスチール棚を買いました。これは配達のヒトが、組み立ててくれるサービス付きなんですが、このときも、わたしは留守。同居人が立ち会いました。やってきたのが、じいちゃんと若いの、二人組。若いのが書庫に入ってまわりを見回し、おおー、とか、すげー、とか言ってる横で(まあ、四面の壁に天井までマンガが並んでますから、けっこうな眺めです)、じいちゃんは不自然なほどむすーっとしてしゃべらず、黙々とスチール棚を組み立てていた。

 これはこれで、同居人、いたたまれなかったらしい。

 さらにその後、書棚を買い足すときは、組み立てサービス付きの物、禁止、のお達しが出ておりまして、自分で組み立てられるものを買っております。

 で、これでやっと自分の買った本が読める環境ができて、ネットで駄文を書き始めたというわけであります。でも、本というのは増殖が止まらないんですねー。ゆかに積み上げ始めると、もういけません。ああ、何とかしないと読みたい本が見つからんっ。

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March 16, 2005

永島先生アメリカゆき

 のまとし氏からメールをいただきまして、お前の書いてることは間違っとるぞ、と。

 のま氏は現在、豆本出版のパロマ舎を主宰されているかたで、1970年から1974年まで永島慎二の内弟子をされてから、野間吐史の名でガロや少年ジャンプにマンガを発表。のちにアニメーションの仕事もされています。

 わたしの文章のどこが間違ってるかというと、まだブログになる以前の文章、「総本家漫棚通信」に置いてある「リメイクじゃなくトレース」と「永島慎二と1967年」であります。

 最近刊行された、ふゅーじょんぷろだくと版「漫画家残酷物語」はオリジナル原稿版です。じゃ、以前流通してたサンコミックス版などはなんだったかというと、これがトレース。わたしは「リメイクじゃなくトレース」を、トレースしたのは永島慎二自身と考えて書いておりました。

 のま氏からご指摘いただいたのは、1967年からの朝日ソノラマ・サンコミックス版全3巻をトレースしたのは、当時の弟子たち、村岡栄一、向後つぐお、三橋誠(三橋乙椰、シバ)であると。さらに、のちに朝日ソノラマの一冊版(1975年)のときには、欠けた話をのま氏がトレースしたと。

 あらー。だって、けっこうよくできてたよ。線も達者だし。でも、永島慎二自身の線じゃないのね。繰り返し読んだわたしの、ああ、純情はどうなる。

 第2点。「永島慎二と1967年」でわたしは、1967年に連載開始された「柔道一直線」は、永島慎二の渡米、すなわち逃亡によって、マンガ家が斎藤ゆずるに変更された、と書いています。でもねー、これはあの名著、斎藤貴男「梶原一騎伝」に沿って書いたものなんですよー。

 「梶原一騎伝」の記述は以下のとおり。1970年春、少年キング連載中の「柔道一直線」のマンガ家が、永島慎二から斎藤ゆずるに、突然に変更された。永島慎二は、そのときニューヨークにいた。

・「やりたくないものを、これ以上やってもしょうがないじゃない」
 説得にこれつとめる『少年キング』の面々を尻目に、永島はそう言い残して、絵の勉強に旅立っていたのだ。

 しかーし、のま氏より、渡米し日本に帰ってからも、永島慎二は「柔道一直線」を継続して描いていた、と教えていただきました。

 「柔道一直線」の連載開始が、1967年6月。虫プロ「COM」1968年4月号に、永島慎二の「ごあいさつ」という文章が載っています。

 1967年9月ごろより精神的に不安定になり、そのころから1968年4月の外国旅行を計画し始めた、と。韜晦が多くわかりにくい文章なんですが、そういうことみたい。ここで、実際に1968年4月10日アメリカに出発することと、当時COM連載中の「フーテン」休載のお知らせをしています。

 そしてアメリカから帰って、「COM」1968年9月号には、峠あかねによる永島慎二インタビュー「ダンさんのアメリカ旅行」と2ページマンガ。

・作品が雑誌で売れるようになってしまいぼくが考えていた作品作りの方向とはちがってしまった。読者の方には非常に申しわけないことだが、ぼくは、そのような仕事がいやだいやだと思いながら、やっていたわけです。それなのに仕事はどんどんふえてくる。これは非常によくないことだ。それを一度やめて清算する必要がある。

 「週刊少年キング」での「柔道一直線」連載は、1967年23号から1968年22号、そして空白をおいて1968年42号から1970年47号まで。1968年の空白の時期がちょうど永島慎二の渡米に一致するようです。1968年に20週=5ヵ月も休載していることになり、人気連載マンガとしてはただごとではない。

 スミマセン、やはり私の書いたのは明らかにマチガイです。永島慎二が渡米したのは1970年でなく、1968年。日本に帰ってきてからも、ちゃんと「柔道一直線」を描き続けていました。斎藤貴男も、ちゃんと修正しておくように。

 ただし、アメリカから帰ってきても、永島慎二の悩みは変わりません。その後1.5年経過して、1970年春、永島慎二は「柔道一直線」を降りてしまいます。1969年から桜木健一主演の実写版TV放映が始まり、人気絶頂のころです。

 COM1970年4月号にひさびさに永島慎二登場の次号予告が載りました。「久々に登場、青春まんがの雄永島慎二がライフワーク『漫画家残酷物語』の中の哀蚊を新たに描き下ろす」

 で、実際には翌1970年5・6月号に、「その周辺」という、エッセイマンガの先駆というべき作品が掲載されました。ただし旧作の再録。

・この作品を描いた頃から、ちょうど一年ほどになります。この作品にあるように、一年めの現在も糖尿病に悩まされ、と同時に現在の小生のまんが家生活に対する姿勢に疑問を感じてきました。医者からいっさいの仕事のさし止めをくい、それでこれを機会にゆっくり休養しようと思いたった訳です。

 COMに書いた文章ですが、おそらくは少年キング読者にも語っているよう。

 「その周辺」は、マンガが描けなくなった永島の周辺を描いたマンガ。1968年のアメリカ旅行のことも一部ふれられています。

・サンフランシスコまで船でいき
そこから 空を飛んで
ニューヨークにつき
そこで約一か月
マンハッタン島の中を
地下鉄と足で ウロチョロし
マイアミからメキシコシティに
はいり 田舎をまわって
ロスアンゼルスにつき
そこから ジェット機で
十八時間くらいで帰ってきた
約八十日間の旅行であった……

 行きは船便ですよ。しかも全行程80日。編集者についての言及もあります。

・ちょうど 
そのころ そんな小生に
陽のあたる場を人並みの稿料で
与えてくれた人に
K誌の編集長をつとめるK氏と
G誌編集長のN氏がいた
おかげで 小生は
この世界に足を踏みいれて
やっと人並みに食えるように
なったのである

 G誌N氏はガロの長井勝一と思われますが、K誌K氏とは1967年からの少年キング編集長、小林照雄でしょうか(キングにはこの前にも金子一雄がいますが)。斎藤貴男「梶原一騎伝」によると、小林照雄は

・二十年が経過した今も永島を許せないと言う。

 COM1970年8月号にも永島慎二「漫画家残酷物語」の次号掲載が予告されましたが、翌1970年9月号には彼の1ページイラストと文章のみでした。

・今年に入ってやっと、みなさんとCOM誌上でお会い出来ると思っていたら体の調子をくずしてだめになり、今月こそとハリキッテおったところやはりだめになりました。つまり漫画が描けなくなってしまったのです。

 とまあ、このように、柔道一直線辞任事件は、永島慎二にとっても、キズと後遺症を残しました。

 のま氏の指摘の第3点は、永島慎二は「柔道一直線」をちゃんと描いていたぞ、という点。キャラクターの下書きとペン入れはすべて本人であったと。

 わたしは「永島慎二と1967年」で、「三橋乙揶は、後年にはほとんどを向後つぐおや三橋が描いていたと語っています」と書きましたが、これは、「『梶原一騎』をよむ」に収録された梶井純「柔道一直線 俗の俗なる『強者』の伝説」がモトネタ。もとの文章は以下のとおりです。

・あれは、営業仕事ですからねえ……。始めは永島先生も、けっこうノッていたみたいです。梶原一騎氏からの影響もあったのでしょうか。空手の練習も始めたほどですから。あとになってからは、ほとんどを向後やぼくらにまかせることもあったくらい。イヤになったんでしょうね。ぼくはおもしろくもなんともなかったですが、向後は娯楽志向ですから、ずいぶん描いていました。ほとんど向後がやったときもあったと思います。

 うーむ、我ながら、要約としては不正確ですね。「こともあった」が抜けております。実際に「柔道一直線」を読みますと、斎藤ゆずるに交代する直前まで、永島慎二自身の絵であることは間違いないように思われます。

 ホントに向後つぐおが描いたと思われる部分は、ストーリーでいうなら、先輩の大豪寺との決闘が終わったあと、アメリカン・スクールのロバート・クルスとの戦いの途中まで。連載では1969年の初期、約5回分にあたるようです。あまりに前後と絵が違いすぎる。

 ただし、直後よりきっちり永島慎二の絵に戻っていますから、永島慎二が投げたというのでもなさそう。

 梶井純によりますと、

・とくに後半以降、たしかに向後つぐおの描線が多い。また、彼は、同時期に「巨人の星」を描いた川崎のぼると親しかった関係から、手伝いにいくことも多かった。そのため、直也の顔が飛雄馬と同じになっていたり、周作と一徹がそっくりになったりという現象も現れた。

 そうか? わたしには、少なくとも上記の1969年初期を除いて、主要登場人物に永島慎二以外の手がはいっているようには思えませんでしたが。

・ちなみに永島は、「柔道一直線」を放棄した後、ひとりアメリカへ渡り(後略)

 だから違うって。

 というわけで、永島慎二の伝説には修正すべき点が多いことが、今回の結論です。

(1)永島慎二は、芸術的作品を描いたあと「柔道一直線」で大衆路線に転じたのではなく、1967年、COM連載、ガロ連載、少年キングの「柔道一直線」連載、過去の「漫画家残酷物語」の単行本化が同時に始まり、ブームといえるものがあった。

(2)渡米して「柔道一直線」を投げたのではなく、その後も1年半はちゃんと描いていた。1970年春に辞任する直前までは、きちんと絵をいれていた。

 ということで、いかがでしょうか。

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March 15, 2005

マンガについて書くという行為

 1週間かけて「20世紀少年」を読む、そして書くということを続けてみて、わたし自身はすごく楽しかったのですが、あらためて、マンガについて書く行為の意味を考えてしまいました。

 夏目房之介「マンガ学への挑戦」で、提出された命題に「マンガは誰のものか」というものがあります。作者のものか、読者のものか。

 これをわたしなりに言いかえると、マンガが制作され、発表され、読者に届き、読者の反応が社会に広まる、この過程のどこを語るのか、ということです。

 まず、発表された直後の作品を語る型。絵の意匠を考え、セリフの深読みをする。場合によっては別の場所での作者の発言やインタビューにもあたる。こうして作者の意図を読み取ろうとするわけです。ネットでよく見る、作品のアラにツッコミをいれる読み物もこのタイプになるでしょうか。

 第二に、マンガが読者に届き、読者の頭の中でどんな化学反応をおこしたかを書く型。自分がいかに感動したか、その理由は何かを追及・考察する。すぐれた評も多い。

 第三に、作者と読者の関係性を語るもの。マンガ表現論はここに属すると思われます。表現上の作者の意図をまず考え、その後読者の立場にたち、読まれ方によっては、作者の意図以上のものを読み取ることもありうる。

 その作品のマンガ史における意義や、社会に対する影響を考えるのが第四の手法です。当然マンガに対する目は俯瞰的になり、マンガを含む社会、教育、歴史を語ることになります。

 この四者をきっちり分けることはむずかしく、ひとつの文章の中でも混在しうるものですが、書き手側におのずと得手不得手がありまして、たとえばわたしならば、第二型がすごく苦手。華麗な文章で感動的に語る評を読むと、自分の文章力のなさにおちこんでしまいます。

 わたしの同居人に言わせると、あんたの文章には色も香りもない、読む気がまったく起こらんわ、と罵倒するわけですが(実際に読もうとしません)、形容詞が貧弱で悪かったねっ。書けないものはしょうがないよっ。

 第三型、第四型は広く深い知識が必要になるので手にあまることも多い。考える時間だって必要でしょうし、ブログという形式にはなじまないか。

 わたしの書くものが第一型にかたよってしまうのはそのためでもあります。

 でもって、このブログで書く行為に、何かの意味があるのか、という点については悩めるところではありますが、自分が楽しいからいいじゃん、というところで、思考停止しております。

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March 13, 2005

「20世紀少年」をきっちり読み直す(その6)

 前回からの続きです。思いっきりネタバレします。未読のかたはご遠慮ください。

(8)残された謎

 謎としてあと何が残されているでしょう。お話の展開としては、ともだち暦3年に登場しているマスクをかぶった“ともだち”は、フクベエじゃなさそう、という流れ。となると、誰が、いつ、フクベエと入れ替わったのか。

 1971年8月31日の理科室事件の全貌がわかれば、この謎も解けるのか。

 もうひとつ気になるのは、6年生のときに死んだカツマタ君です。カツマタって名字か名前か、はたまた、別の言葉から作られたあだ名なのか。

 彼について語られるのは1巻5話、11巻12話、12巻6話、14巻6話、16巻3話です。カツマタ君は学校の怪談の登場人物。フナの解剖の前日に死んじゃって、夜な夜な理科室にバケて出て解剖してる。

 14巻6話では、ヨシツネによって小学校の架空の伝説のように語られています。しかし11巻12話では、ヤマネ君の話として、「仲の良かったコが死んだ」「解剖実験を楽しみにしてたのに、その前日に死んだ」「夜ごと学校に忍びこんで、その仲の良かったコの幽霊と、実験を繰り返していた」と、いかにも実在の人物らしく語られていた。もし彼が実在だったとすると、これまでの展開で、あまりに登場が少なすぎる。

 さて、カツマタ君は単なる伝説の人物なんでしょうか。それとも、実在の人物? ならば今後またお話に登場してくるのか。

 1巻1話の冒頭、カンナ(この時点ではこの少女が誰かも不明だったのですが)が夜中にむっくり起きると、巨大ロボットが。彼女はパンツとTシャツで寝てましたから、季節は夏のはず。

「まさか、またアレが………!!」

 似たシーンは12巻1話にカンナと神様の夢の中にあります。夜中に巨大ロボットが現れ、「西暦が終わりました」とアナウンス。となると、このシーンは西暦の終わる年=2015年の夏のことか。そのとき、巨大ロボットが再登場するのでしょうか。

 謎、いっぱい残ってるじゃないか。


(9)おわりに

 「20世紀少年」を読み直してみて、これ、やっぱり面白いわ。穴やほつれはいっぱいあるけど、この複雑なプロットを、これだけ複雑なストーリーで描ききるのはチカラワザ。しかも、読者を興奮させる構成力がすごい。

 これまで発表されている部分で、最高の盛り上がりを見せたのが、12巻の“ともだち”の正体が判明するまでの数話。“ともだち”の正体を明かす証拠が、次々と提出されていきます。

・2015年、ヨシツネの秘密基地:ヨシツネ、ユキジ、小泉響子。(1)ヴァーチャルアトラクション内で、1970年の首吊り坂事件は、1971年のこととされていた。→1970年万博と1971年理科室事件の隠蔽。(2)2000年大晦日の写真を撮ったのはフクベエ。(3)1971年スプーン曲げ事件の犯人はフクベエ。

・2015年、春波夫とマルオ。(1)春波夫が“ともだち”の顔を目撃し、似顔絵を描く。(2)マルオがフクベエのマンションへ行き、1997年フクベエの子供とされていた3人がニセ者と知る。

・1997年、0歳のカンナ。自分を抱いた男の顔を思い出す。

・2015年、オッチョと角田が、理科室でヤマネ君、“ともだち”と対決。

・2000年大晦日、ケンヂが忍者ハットリくんのお面をはずした“ともだち”を目撃。

・これらがカットバックしながら同時に進行し、ついにヤマネ君が“ともだち”を射殺。オッチョがハットリくんお面を“ともだち”の顔からはずし、フクベエの顔が読者の前に(12巻12話)。

・巻が変わって13巻1話。フクベエ←ふくべ←服部←ハットリというトリックが明かされる。

 “ともだち”の正体を明かすまでの展開は、それこそ何百というやりかたがあるでしょうが、作者はこう描きました。時空を越えてすべてを一点に集約させてお面をはずし、さらに「服部」でダメオシ。いやスゴイ。

 浦沢直樹のこの手腕をみていると、手塚治虫を連想します。

 以前にも書いたことがありますが、手塚治虫と石上三登志の対談(キネマ旬報1977年1月下旬号)での手塚の言葉。

 「僕には泣かせるコツが三つあるわけです。一つは、死なないだろうと思っていた主人公を、最後に殺すこと。」「それと、三枚目を配置して、笑わしておくこと。」「それからもう一つ。泣かせたあと、余韻がほしいわけ。(略)泣かせっぱなしでなしに、最後にもう一回、その余韻のダメ押しで泣かせようというわけ。女の子を泣かせるのには、余韻をえんえんと付ける。」

 これは「泣かせ」のテクニックについての言葉ですが、手塚の、読者の感情を自在にあやつる自信がうかがえる。笑わせ、泣かせ、はらはらさせ、感動させる。

 どんな題材でも私にまかせれば面白くしてみせましょう。浦沢直樹もこれぐらいの自信があるのじゃないかしら。

 ああ、“ともだち”っていったい誰なんだよう。


(10)おまけ

 最後に「20世紀少年」のあちこちにちりばめられた、マンガへのトリビュートについて。

 「よげんの書」には、鉄人28号そっくりのロボットが出てきます。「9人の戦士」という言葉もありますが、これはサイボーグ009。

 “ともだち”グループのフクベエ、サダキヨ、ヤマネ君の少年時代は、8マンに登場した超人類にそっくり。

 カンナが2014年に住んでるアパートが「常盤荘=トキワ荘」で、となりに住んでるマンガ家が金子氏と氏木氏のふたり合わせてウジコウジオ。

 つかまっちゃったマンガ家が宝塚先生、西森氏、青塚氏。オッチョと行動をともにするマンガ家・角田(かくた)は、つのだじろうというより、寺田ヒロオふう。

 小泉響子がときどきする驚愕の表情は、楳図かずおの恐怖顔。

 そして、忘れちゃならない、死んだはずの人間が次々生き返って再登場するのは、白土三平です。ホントに死んだときは、双子がいたり、同じ顔に化ける一族がいたりしますが、「20世紀少年」は、まさかそんな展開にゃならんだろうな。

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March 12, 2005

「20世紀少年」をきっちり読み直す(その5)

 前回からの続きです。思いっきりネタバレします。未読のかたはご遠慮ください。

(7)その他のことなど

 曲がったスプーンは「20世紀少年」の小道具としてずっと登場しています。

 フクベエと万丈目の初めての出会いは1970年、5年生の秋。フクベエがスプーン曲げを見せることで始まります(16巻5話)。

 クラス内で給食のスプーン曲げ事件が起こったのが6年生のとき(12巻10話)。その後のシーンで桜が散ってますから(16巻5話)、これは1971年4月の事件です。

 1971年8月31日、フクベエと万丈目の2回目の出会い。同日、喫茶店で、今度は万丈目がスプーンを曲げています(14巻6話)。

 1972年、中学生になったフクベエと万丈目が組んで、TV番組に出演しますが、このときのネタがスプーン曲げ。トリックがばれ、非難の対象になりました(18巻10話)。

 1997年、万丈目と市原節子弁護士が会談したときも、万丈目がスプーンを曲げてました(2巻1話)。

 2000年、子供時代のカンナがスプーン曲げ(10巻11話)。

 2014年、歌舞伎町教会でカンナがマフィア相手にスプーン曲げを見せています(9巻8話)。

 このようにスプーン曲げは、超能力の象徴としていっぱい描かれていますが、マンガ内ではもっと早くスプーン曲げが登場しています。10巻11話、11巻7話で、屋上のケンヂがスプーンを曲げようとしているシーンがあり、サダキヨと話しています。これは1970年5年生の1学期です。

 ケンヂが言うには、小学校の頃、すでに流行ってた、誰かが海外ニュースか何かで、(ユリ・ゲラーの)情報を仕入れたんだろうと。はて、こんなことがありうるのか。

 ユリ・ゲラーが来日して、日本でスプーン曲げブームが起こったのは、1974年のことでした。アメリカやイギリスでテレビ出演を始めたのが1973年。それ以前にアメリカで超能力テストを受けたのが1972年のこと。

 ユリ・ゲラー登場以前の日本には、何かを曲げるにしても、スプーンを曲げようという発想がありませんでした。うーむ、どう考えても、ケンヂの小学生時代、1970年にスプーン曲げがはやってたとは思えませんが。


 さて、その後のケンヂの生活は。

 日付が類推できるのは1971年10月2日。その前日、ゴールデン洋画劇場で「大脱走」が放映され、小学6年生のケンヂたちが話題にしています(6巻10話)。

 1972年、中学1年生。ケンヂは公立の小学校から公立の第四中学校へ。ギターに目覚め、同級生の山口さん(のちの三浦さん)に恋心を抱いたりしてます(1巻3話)。

 1973年、中学2年には放送室を占拠して、T・レックスの「20th Century Boy」を流しましたが、誰も反応してくれませんでした(1巻1話、7巻11話)。


 そして「しんよげんの書」。

 「しんよげんの書」については、まだ全貌が明らかにされていません。

 つくったのは、“ともだち”グループ。「よげんの書」に対抗して1969年に制作されました(12巻4話)が、前述したように、「よげんの書」完成後にフクベエが見たあとに書かれたものか、「よげんの書」制作中、オッチョがヤマネ君に細菌兵器のアイデアをもらう前に書かれたものか、制作時期は混乱しています。

 内容は、わかっているうちでは、以下のようなものです。

・2014ねん、しんじゅくのきょうかいでしゅうかいがひらかれ、そしてまたあくむのようなせかいがはじまるだろう。
・しゅうかいで、きゅうせいしゅはせいぎのためたちあがるが、あんさつされてしまうだろう。
・ばんぱくばんざい。ばんぱくばんざい。じんるいのしんぽとちょうわ。そして、せかいだいとうりょうがたんじょうするだろう。(9巻7話)
・せいぼがこうりんするとき、てんごくかじごくのどちらかをたずさえてくるだろう。(9巻11話)
・2015年西暦が終わるだろう。(15巻4話)
・東方で法王は倒れ。(15巻1話)
・せーるすまんが登場するらしい(15巻12話)
・りんりんとでんわがなってすべてのじゅんびがととのうだろう。(15巻12話)
・かれはいちどしんでよみがえるだろう。(16巻6話)

 特に最後の予言は、1971年の理科室事件と、2015年万博会場の“ともだち”復活のダブルミーニングですね。
 

 最後に、マンガマニアとしてのトリビア。10巻10話、サダキヨが語ります。

「あれは中学二年の時だ」
「『COM』って漫画雑誌があってね」
「どうしても読みたかったんだ。『火の鳥』の新章が始まるんでね」

 サダキヨが中学2年といえば、1973年4月から1974年3月まで。虫プロ「COM」は1971年12月号が最終号。1972年1月からは「COMコミックス」と名前を変え4冊発売、別の雑誌となってしまいました。そして1973年8月に1冊だけ「COM」復刊号が発売され、手塚治虫「火の鳥」第9部乱世編第1回が掲載されました。サダキヨが探してたのはこの本ですね。

 あと1回だけ続きます。

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March 11, 2005

「20世紀少年」をきっちり読み直す(その4)

■ 本日の新聞に小学館の広告として、小学館漫画賞審査委員特別賞の、さいとう・たかをと秋本治の対談の一部が掲載されてました。ここにゴルゴと両さんの握手のカットが載ってましたが、ゴルゴって両さんと握手するときも左手なんだなあ。プロだなあ。


■ 以下、「20世紀少年」について、前回からの続きです。思いっきりネタバレします。未読のかたはご遠慮ください。

(5)1971年、小学6年生:理科室事件

 1971年、ケンヂたちは小学6年生です。すでに秘密基地の原っぱはボウリング場になり、夏休みだからといって、集まって何かをするわけではありません。何かをしていたのは、ケンヂグループではなく、“ともだち”グループのほうでした。

 1971年8月31日夏休み最後の日。理科室事件は、1巻5話でモンちゃんの話として、12巻でヤマネ君の話として、14巻でヴァーチャルアトラクションとして、16巻で“ともだち”の夢として、4ヵ所で語られます。ただし、この事件はまだまだ謎が多い。

 理科室当番のモンちゃんは水槽のスイッチを入れ忘れ、夜中に理科室へむかいます。総勢は1巻5話の108ページでは5人、その後のページや14巻6話では4人になってて混乱してます。モンちゃん、ケロヨン、コンチ、ドンキー。実際に理科室へ行ったのはドンキーだけ。

 そこでドンキーは、フクベエと、ヤマネ君、サダキヨの3人に会います。フクベエは首を吊っていますが、生き返りました。

 おっと、サダキヨ。キミは小学5年生の夏にもう転校しちゃったはずだろ。なぜここに登場する(これも16巻で説明があります。後述します)。

 理科室事件の謎はいろいろ残っています。

 フクベエたち3人が理科室にドンキーが来ると知っていたわけはありません。ならば、彼らは、自分たちだけで何をしていたのでしょう。

「かれはいちどしんでよみがえるだろう」(16巻6話)

 フクベエが「しんよげんの書」にしたがって奇跡をおこすのを、ヤマネ君、サダキヨに見せていました。そのとき、予定外にドンキーが闖入したことになります。でも、首吊りの仕掛けってフクベエひとりでできるものなのか? 誰か手伝わないと無理じゃない? だったら、ヤマネ君、サダキヨにもトリックとわかってたんじゃないのか。

 そして、2015年元旦、理科室でのヤマネ君の言葉。

「“ともだち”はこの理科室で生まれた」
「いや死んだというべきか」(12巻7話)

 死んだってのは、「いちどしんで」という意味でしょうが、生まれたというのは何だ。ヤマネ君がフクベエのトリックによるよみがえりを信じていたとは思えませんから、何か別のものの比喩か。

 ヴァーチャルアトラクション内、1971年8月31日の万丈目も、謎の言葉を。

「やはりあの日だ」
「1971年のあの日」
「俺の人生が変わった日」
「そしてこの日、“ともだち”の人生も……」(14巻6話)

 人生を左右するほどの事件があったはず。

 この後ヴァーチャルアトラクション内では、背広に覆面の“ともだち”が登場し、首を吊っているフクベエの足をひっぱって殺そうとする(14巻10話)。“ともだち”の夢の中では、首吊りの仕掛けがはずれて、フクベエの首が絞まる(16巻6話)。

 いずれもフクベエが死にそうになってます。

 このあとの展開は、いずれ語られることになるのでしょう。


(6)小学4年生から6年生まで

 小学生時代に大きな事件が3つありました。1969年4年生、秘密基地の「よげんの書」のとき、フクベエとサダキヨ。1970年5年生、首吊り坂事件のとき、フクベエとサダキヨ。1971年6年生、理科室事件のとき、フクベエとサダキヨとヤマネ君。

 3年にわたっての3つの事件と設定してしまったため、いろいろ矛盾が出てきてしまいました。まず1970年の大阪万博が、1969年につくった「よげんの書」に登場する。

 これについては、16巻2話で、1969年の春にフクベエが万博のことを作文に書き、クラスに広めたことになってます。でも、それにしても、1969年夏にはケンヂが太陽の塔の形を知っていたことになり、無理があるよなあ。

 そして、5年生の1学期しかいなかったはずのサダキヨが、3年間にわたって登場を続けてしまう。

 これについても16巻で一応説明されます。フクベエとサダキヨが初めて会話したのは、秘密基地で「よげんの書」を見ているとき。このふたり、まだ4年生で別の学校のはずなんですが、お互いに名前を知ってました(16巻1話)。

 5年生の1学期でサダキヨが転校してきたのは、「隣の学校で」「イジメに」あったから(16巻2話)。だから、もともとご近所で知り合いだったのね。

 サダキヨが引っ越して5年生の2学期に転校したあと、1971年4月、6年生の1学期にサダキヨがフクベエとヤマネ君のいる理科室に帰ってきます。転校先でもイジメられたため、この後“ともだち”グループに復帰しました。

 なぜこんな複雑な設定にしたのでしょう。短期間しか同級生じゃなかった、という人物をどうしても作りたかったのか。ただ、あまりに複雑な展開なので、作者も忘れちゃってました。

 10巻9話のサダキヨの回想シーンでは、1970年1学期の遠足→1970年1学期のイジメ→関口先生に声をかけられる→1969年夏の秘密基地でのフクベエとの出会い→1970年夏休みおわりの引越し、の順で語られます。1970年のお話の中に突然、1969年夏のシーンが出てくることになり、すっごく、変なことになってます。

 もうちょっと続きます。

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March 10, 2005

「20世紀少年」をきっちり読み直す(その3)

 前回からの続きです。思いっきりネタバレします。未読のかたはご遠慮ください。

(3)1970年、小学5年生:首吊り坂事件

 このあと、1969年夏の事件として、ヤン坊マー坊の秘密基地破壊と、それに続くケンヂたちとの戦いがありました(4巻4話、5巻1話)。これで秘密基地ごっこは終わりかと思えばさにあらず、秘密基地は再建されて、1970年にも続きます。

 1970年夏。ケンヂたちは小学5年生になっています。この年の大きなイベントは、大阪万博でした。かれらも秘密基地で万博の話題でもりあがっています(7巻4話)。

 そして、1970年夏の大きな事件は、首吊り坂屋敷の事件です。

 首吊り坂屋敷事件についての詳細は、ともだちランドのヴァーチャルアトラクションでの小泉響子の体験と、16巻で描かれる“ともだち”の夢(=回想)でしか明かされません。ですから、その内容が真実であるかどうか、不明です。しかしここでは、その二者とも、ある程度真実であろうということにして、話をすすめますね。

 1970年1学期、サダキヨが転校してきました。サダキヨは1969年からずっと、ナショナルキッドのお面をかぶっていることになってます。物持ちいいなあ。

 この夏、フクベエは自分が万博に行ったことにして、自宅でこもっていました。そこへサダキヨがやってきて、ふたりで首吊り坂屋敷のいたずらを始めます。大きなテルテル坊主を吊るしたのです(16巻3話)。

 この夏、“ともだち”グループにはヤマネ君は参加していません。彼はこのときフクベエから絶交中(16巻5話)、そしてこの夏は8月31日まで万博に行っていました(12巻7話)。

 そして、1970年8月28日(小泉のヴァーチャル体験では、1971年ですが、ここは1970年のこととして考えていきます)。ケンヂたちが首吊り坂屋敷探検に行こうということになります(8巻9話)。

 メンバーを誰にするか。ケンヂはフクベエの名をあげ(8巻9話)、実際に誘いに行きます(16巻4話)。小学生時代、唯一、ケンヂグループからフクベエの名が呼ばれたのは、この時でした。

 フクベエは、サダキヨから取り上げたナショナルキッドのお面をかぶって、首吊り坂屋敷に先回りしようとしますが、ケンヂにつかまって、探検の仲間にされてしまいます。このとき、集まったのは8人。ケンヂ、オッチョ、モンちゃん、ヨシツネ、コンチ(ヘルメットをかぶった、水木しげる描くところの長井勝一ふう少年)と、フクベエ、その他2人。これは8巻10話、16巻4話も同じです。なんと、“ともだち”の正体がわかっていなかった8巻10話の段階で、子供時代のフクベエの顔が登場していたのです(8巻182ページ2コマめ、183ページ1コマめ)。

 このとき読者にとって彼は単なる名無しの少年で、フクベエとはわからず、ましてや“ともだち”とわかるはずもありません。このさりげない登場のさせ方はお見事。

 この後、首吊り坂屋敷で、テルテル坊主の陰でフクベエとサダキヨがしゃべっているとき、その足もとをヨシツネが(ヴァーチャルアトラクション内では小泉響子もいっしょに)目撃します。

 おっと、ヨシツネくん。キミ、13巻1話で、フクベエのことを「あいつは僕達の子供の頃の記憶の中にはどこにもいない!!」なんて言ってますけど、ちゃんと首吊り坂屋敷のとき、一緒だったじゃないですか。記憶にないのは、単にキミが忘れっぽいだけ?

 新学期になって、サダキヨが突然転校してしまったことがわかり、学校では万博のことは話題にならず、ケンヂたちのオバケ騒動が一番の話題。フクベエの心の傷となります。


(4)1970年秋、小学5年生:秘密基地の終わり

 1970年秋になって、フクベエと万丈目の初めて出会い(16巻5話)。このときフクベエがスプーン曲げを見せます(16巻6話)。そしてヤマネ君が“ともだち”グループに復帰。

 さて同じ頃、秘密基地の原っぱがボウリング場建設予定地になり、ケンヂたちはタイムカプセルを埋めることになります。落ち葉が舞い散ってますから(1巻9話)、秋といいたいところですが、正月ピンク映画のポスターが張ってあるので、季節はビミョー。

 ここに集まったのは8人。うち顔がわかるのは、ケンヂ、マルオ、ヨシツネ、モンちゃん、コンチ。あとの3人は不明です。あとからドンキーが参加しました。

 このタイムカプセルから出てきたのは、“ともだち”マークの旗、レーザー銃の絵、鉄人28号型巨大ロボットの絵です(1巻9話)。

 このエピソードは「20世紀少年」の中でとりつくろうことのできない矛盾で、最近のお話の流れでは「なかったこと」にされております。レーザー銃の絵は、10巻9話、16巻1話に登場するフクベエが見る「よげんの書」の中にまるきり同じ絵がありますから、これから破りとったものと考えられます。でも、鉄人28号型巨大ロボットの絵は?

 この絵はケンヂが「よげんの書」であるところのスケッチブックに描き(8巻2話)、後にもそこに存在するものです(5巻4話)。「よげんの書」の絵をコピーしたかのようにまったく同じ絵が(いやまあ、実際にコピーした絵なんですが)、なぜタイムカプセルから出てきたのか。

 完全に同じ絵が2枚あることになり、こりゃおかしいわ。合理的な説明はつかない。というわけで、「よげんの書」が登場してからは、このタイムカプセルのエピソードは封印されてしまいました。

 以下次回。

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March 08, 2005

「20世紀少年」をきっちり読み直す(その2)

■ 本年度最大の話題作にして、発売早々にまったく手に入らないらしい、吾妻ひでお「失踪日記」。わたしは近所の書店にはないことを確認した後、3月4日にアマゾンに注文入れたら3月6日に届きました。

 そのあたりに置いておいたら、同居人のほうが先に読んじゃって、しくしく泣いてるじゃないですか。

 ネットでは、いしかわじゅんの書いた文章が感動的です。


■ 以下、「20世紀少年」について、前回からの続きです。思いっきりネタバレします。未読のかたはご遠慮ください。

(2)1969年、小学4年生:よげんの書

 1969年夏の大きな事件は、まず、ケンヂたちの秘密基地建設です。オッチョが“ともだち”マークをデザインしました(1巻1話、2巻2話)。

 続いて、「よげんの書」の制作。「よげんの書」の内容は以下のようなものです(5巻4話)。

・20せいきのおわりに、悪のそしきがせかいせいふくにうごきだしました。
・【宇宙船が都会を攻撃する絵】 かれらはさいしょに、おそろしいさいきんへいきでサンフランシスコとロンドンをおそいました。
・【宇宙船が太陽の塔を攻撃する絵】 次にかれらがさいきんをばらまいたのは、1970年、バンパクで有名な大阪です。日本中がきょうふにふるえあがりました。
・【破壊される空港の絵】 そして悪のそしきの次のねらいは……羽田空港でした!! 東京は、にげ場のないきょうふをあじわうことになりました。
・しかし、ほんとうのきょうふはこれからなのです!! せかいめつぼうののろしがあがり………【破壊される国会議事堂の絵】
・【鉄人28号型巨大ロボットの絵】 2000年12月31日!! ズーンズーンとおそろしい地なりとともに、ついにそのきょだいなかげは、東京にすがたをあらわしました。原子りょくきょだいロボット!! さいきんをばらまきながらはかいのかぎりをつくす!! はたして21せいきはくるのでしょうか!! 東京の…いや、世界のうんめいやいかに!!
・【“ともだち”マークの絵】 そこに……9人の戦士がたちあがったのです!! 地球の平和のため、かれらはどうたたかうのでしょうか!!
・【破れたページ】

 1巻3話で「何が何でも、俺は戦う!!」とケンヂがリキんでいます。この後、彼らは戦うべき敵をつくることになりました。

 2巻11話で、世界征服を目的とする悪の組織が、細菌兵器を使うことにしました。言い出したのはオッチョですが、実はヤマネ君のアイデアでした(12巻4話)。

 あれ、ちょっと待ってくれ。ヤマネ君はどうして「よげんの書」のことを知っていたのでしょう。ヤマネ君は、フクベエ=ともだち、サダキヨと3人のグループでした。ヤマネ君は「よげんの書」のことを友達から聞いたと。友達とは当然フクベエのことです。でも、フクベエが見た「よげんの書」はもうできあがっていたはず。あれれ? 「よげんの書」が完成するのと、フクベエが見るのとどっちが先なの?

 そして、誰もが気づくヘンな点。なんで1969年に書いた「よげんの書」に、1970年の大阪万博、しかも太陽の塔が登場するんだ?

 わたし、最初、この太陽の塔の絵は、1970年になって描かれたものと考えていました。でもねー、子供の遊びって1年かけてはしませんよね。あっという間にあきちゃうもの。それに、フクベエが秘密基地にはいって「よげんの書」を見たとき、平凡パンチやら、サンデー、マガジンやらがありました。これは秘密基地をつくったとき、みんなが持ち寄ったもの。こんなものが1年後まであるわけがない。だから太陽の塔の絵も1969年に描かれたものです。(この点は、のちに16巻でクルシイ説明があります。後述します)

 そのあとのページ、空港の爆破を考えたのはオッチョでした(3巻7話)。

 さらに巨大ロボットのデザインは、ケンヂです(8巻2話)。「やっぱり鉄人28号のマネッコだ」

 1巻10話、2巻6話で、大きなロボットの顔が出てきたとき、だれもが悪の巨大ロボットの顔と思ったはずです。だってまるきり鉄人28号のパロディでしたもの。とがった鼻、中世鉄カブトふうの口、そして“ともだち”マークの目。でも8巻2話で登場したこの顔は、太陽の塔の腹の部分でした。あらー。

 おそらくは、巨大ロボットの目が“ともだち”マークじゃ、バレバレなのに気づいての設定変更じゃないかしら。

 追記:お茶の水工科大学に金田正太郎くんがいて、そこの敷島教授が巨大ロボットを設計するのだから、初期設定では、やはり巨大ロボットは鉄人28号型だったはずですね。(2005/3/15)

 破られたページについて。10巻9話、16巻1話に出てくる「よげんの書」には、レーザー銃の絵があります。これが破られたページなのか。

 さて、こうして1969年にできあがった「よげんの書」ですが、秘密基地にはいったフクベエ=ともだちと、サダキヨが見てしまいます。すべての始まりともいえる重要なシーンですが、さて、サダキヨ。

 サダキヨは5年生の1学期に転校してきて、夏休みの終わりにはもう別の学校に転校したはず(3巻7話、9巻1話、10巻9話、11巻4話)。1969年にはまだみんな4年生だよ。なんでサダキヨがここにいるんだ? (実はこれも16巻にクルシイ説明があります。後述ね)

 以下次回。

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March 07, 2005

「20世紀少年」をきっちり読み直す(その1)

 以下、思いっきりネタバレします。未読のかたはご遠慮ください。

 ここ数日、浦沢直樹「20世紀少年」を読み直しておりました。きっかけは、今回発売された18巻ラスト。おいおい、“ともだち”はフクベエだったんとちゃうんかーい。どないなっとんねん。というわけでね、きっちりとね、読み直してみようかと。連載終了までは待っとれんぞ。

 ただし、展開にアヤシイところがあっても、作者の設定・記述ミスなのか、仕掛けられたトリックなのかがわからないんで、そこが難しいところです。


(1)ケンヂの過去。時系列で。

 まずケンヂの誕生日から。

 浦沢直樹は1960年1月生まれ。ケンヂの誕生もその前後であることはまちがいない。

 1959年夏、ケンヂが母親の腹の中にいたことはわかっています(2巻8話)。17歳になったカンナが、ケンヂの誕生日に記念碑にラーメンをお供えしたのが2014年冬です(5巻8話)。マンガ内でそのまま季節が変わらずに2015年になりましたから、ケンヂの誕生日は1959年12月ごろとなります。この1959年はマンガ週刊誌としてサンデー、マガジンが創刊された年でもあり、作者としても思い入れがある年なんでしょう(6巻4話)。

 次に、小学2年生のころ、ケンヂが姉キリコと映画「ゴジラの息子」を見に行ったのが、1967年(2巻10話)。みんな半袖の服を着てるからおそらく夏。でもねー、「ゴジラの息子」はお正月映画だったから、1967年でも12月の公開だよ。

 困ったなあ、このシーン。冬でも半袖だったか、ケンヂのモノローグが全部マチガイだったと考えるかしかありません。「ゴジラの息子」は、後日成人したキリコが懐かしんで見てる(11巻9話)から、それなりの伏線であるわけで、すっきりしないなあ。

 さて問題の1969年夏。ケンヂたちは小学4年生です。

 マンガ内で日付がハッキリしているのが、1969年7月20日夜、ドンキーがケンヂの家にTVを見せてもらいにやって来ます(1巻6話)。アポロ11号の月着陸を見るためですが、結局ケンヂは寝てしまった。

 この年は7月19日が土曜日で、終業式のところが多かったようです。アポロ11号着陸船イーグルの月面着陸が7月20日午後4時17分(日本時間21日午前5時17分)。まあ、普通の小学生なら寝てる時間ですね。しかし21日の昼には、もっと注目すべきシーンが世界中にリアルタイムで放映されました。アームストロング船長が自分の足で月に立ったのです。

 7月20日午後10時56分(日本時間21日午前11時56分)のことです。その後、アームストロング船長とオルドリン宇宙飛行士が月面で船外活動。この時間帯こそ、日本では真っ昼間。みんなTVにかじりついていました。でも、ケンヂたちはあきちゃったよう。

 7月21日、ケンヂ、マルオ、ヨシツネが目をしょぼつかせながら話してるところへ、TVを見ていたドンキーが、興奮して走ってくる。彼だけがアームストロングが月に立ったのをリアルタイムで目撃しました。

 そこに、顔の登場しない少年が話しかけます。少年時代の“ともだち”の初登場です。“ともだち”はアームストロングやオルドリンじゃなくて、月周回軌道に残されたコリンズ宇宙飛行士のほうに共感しています。

 こらこら、“ともだち”、この歴史的な日にTVも見ずに何をしておる。すっかりあきちゃったケンヂたちとは違って、あんたはコリンズに思い入れ、あんだろっ。

 以下次回。

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March 04, 2005

堤義明がモデルのマンガ

 元コクド会長、ってゆーか、世界一の大富豪・堤義明、逮捕されちゃいましたねー。感想や感慨はひとそれぞれでしょうが、これだけのビッグネームになりますと、彼を主人公にしたマンガもありました。

 かわぐちかいじ「ライオン」。コミックバンバン(徳間書店)1985年11月号から1987年9月2日号まで連載。なんでライオンかというと、西武ライオンズからの連想と、親が子を鍛えるというアレですね。

 展開は、堤義明と異母兄の堤清二(=作家・辻井喬)の対立が軸であります。

 パシフィック・グループの総帥・塙神次郎(堤康次郎)の後継者と目されている息子の塙神一(堤清二)。彼が高層オフィスビル「パシフィック・エコー」のオープンセレモニーであいさつしてる最中、塙神次郎が妾の子の高校生・塙鉄人(堤義明)を連れてくる。鉄人はラグビーの試合直後に引っ張り出されたので泥だらけ。ここから、鉄人と神一が、次期会長の座をめぐって戦うことになります。

 鉄人の最初の仕事は、奥秩父鬼ヶ沢のリゾート開発。がむしゃらな行動力と人間的魅力でこれを成功させた鉄人の次の仕事は、三流球団・博多ライオンズの買収です。

 猪瀬直樹が「ミカドの肖像」を週刊ポストに連載したのが1985年1月18日号から。ここでは西部グループの商法がレポートされ話題になりましたが、おそらく「ライオン」もこの記事の影響を受けての連載だったと思われます。

 この頃、かわぐちかいじは、絵の洗練とともに麻雀マンガ「プロ」で小ブレイク。メジャー進出してモーニングの「アクター」で中ブレイク。その後「沈黙の艦隊」で大ブレイクしますが、「ライオン」は「アクター」と同時期の作品。作中には麻雀マンガのキャラクターも登場します。

 著者ノリノリの勢いのある時期の作品ですが、残念ながら作品の後半は、野球の話と女性の奪い合いになっちゃって、企業ドラマとしては尻すぼみ。ラストシーンは、当然ながら鉄人の勝利です。

・一歩一歩千尋の谷から這い上がった獅子の子は
・父親に近づき…………
・やがて乗り越えて行く…………

 でもって、逮捕されちゃってはイケマセンねえ。

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March 02, 2005

3月は買うマンガが多くなる?

 経験上12月は買うマンガ多くなるんですけど、3月もその傾向あるかしら。

 昨日と今日、買ったマンガ。

・浦沢直樹「20世紀少年」18巻。この作品の斬新なところは、「現実世界」の「現代」で話が始まり、その後マンガ内世界では、外側の現実とは違う奇妙にずれた歴史を築いていく、という構成の妙じゃないでしょうか。つまり「今」から始まるパラレルワールド。1999年に連載が始まったときにはマンガ内は1997年。現実世界で世紀が切り替わるときに、マンガ内でも2000年大晦日のクライマックス。よくもまあこんなことできたもんだ。でもって、1巻冒頭にカンナが登場してますが、このシーンはいつ描かれるのか。

・小山ゆう「あずみ」34巻。これを買うのは、すでに、惰性です。でも今日TVで放映する映画「あずみ」は見るつもり。

・村上もとか「龍」38巻。マンガ内で第二次大戦の終戦が近づいてますが、黄龍玉璧の争奪戦は戦後まで続くのか? だったらいつまでも終わんないぞー。

・山本英夫「ホムンクルス」5巻。もしかして、ユカリって、このマンガのヒロイン?

・三浦建太郎「ベルセルク」28巻。私の生きてる間に結末が読めるだろうか。

・吉崎観音「ケロロ軍曹」10巻。「戦慄恐怖…心霊宇宙大決戦!」の巻。マンガ版じゃよくわかんなかったけど、アニメ版でやっとナウシカパロディってわかりました。

・相原コージ「真・異種格闘大戦」1巻。トレーデイングカード3枚の付録つき。ゴージャス!

・石原まこちん「THE 3名様」5巻。わたしファミレスではなごめません。

・西島大介「世界の終わりの魔法使い」。描き下ろし単行本。まだ読んでません。

・羽生生純「青【オールー】」5巻。これで完結。これもまだ。

・「comic 新現実」3号。特集は吾妻ひでお。「失踪日記」がすでに発売されてるらしいんだけど、見つかんないよー。

・「バットマン:ハーレイ&アイビー」。あいかわらずブルース・ティムの絵はかっこいいなあ。

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