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February 13, 2005

水木しげると手塚治虫

 戦後マンガの二大巨頭をあげるとするなら、手塚治虫に対抗するのは白土三平か、横山光輝か、はたまた水木しげるか。誰になるのでしょう。

 水木しげる1922年生まれ、手塚治虫1928年生まれ。1965年、手塚治虫がW3事件で少年マガジンから離れたのち、少年マガジンの方針転換により、貸本マンガから最初にひっぱられてきたのが水木しげるでした。すでに43歳、前年にガロが創刊され、貸本時代の極貧から一息ついたところ。水木しげるのメジャー進出そのものが手塚治虫との因縁があったことになります。

 同時代に手塚治虫という巨星が存在するわけですから、意識しないわけはない。水木しげるも手塚についてはフクザツな気持ちを書いています。

 水木しげるが紙芝居を描き始めた1951年ごろ、手塚のマンガを読んで「アメリカのディズニー漫画の日本支店だな」と感じたと。画家になる夢をまだ持っていた水木しげるにとっては、少年マンガはすべて幼く見えました。

・絵の清新さと筋の運び方のスピードには敬服した。すなわち、なかなか上手だった。(略)あの白土三平さんも、つげ義春さんも、初期の作品には手塚色がないこともない。(「水木さんの幸福論」2004年日本経済新聞社)

 誉めているのやらなにやら、奥歯になにかはさまったような言い方です。

 実際の手塚との出会いは、自伝などによると、1965年ごろだったらしい。水木が少年マガジンに登場する直前、長井勝一、白土三平、つげ義春らと一緒にマンガ大会のようなもの(「ねぼけ人生」では王子公民館、「水木しげる伝」では板橋)に参加したとき、手塚治虫や石森章太郎も参加していたと。

 その後水木しげるは人気マンガ家となり、手塚治虫からも当然ライバル視されたはず。いっぽう水木しげるも気になります。

・私が四十を過ぎてようやく売れ出したころ、手塚さんはすでに、押しも押されもせぬ漫画界の重鎮で、スーパースターだった。だから、そのころの手塚さんは売り出したばかりの中年漫画家のことなんかあまり意識していなかっただろう。だが、私は「ライバルだ」と思ってやってきた。若いときから漫画界に君臨してきた彼に対して、屈折した思いもあった。

・手塚さんがコンクリート舗装の大きな道を闊歩してきたとすれば、私は細く曲がりくねった悪路をつまづきながら歩いてきたようなものだ。(「水木さんの幸福論」)

 水木しげるが手塚治虫をモデルにして描いた「一番病」(1969年)という作品があります。

 主人公は江戸一番のカンオケ屋徳兵衛。寺社奉行から使いがきて、このたびカンオケ文化向上のためカンオケ賞を設定することになった。ついては徳兵衛に審査員になってほしいと。

「聞くところによりますと昌平コウあたりでもカンオケを研究する者がでてきたとか これはまあ当然のことだと思いますね」
「なんつったって俺が日本一のカンオケ職人よ」
「カンオケ界の王者だよっ」

 この業界にもライバルがいて、ひと月の生産量を競っています。

「いずれにしても怪物屋の四百五十個には挑戦しなければなりませんね」
「しかし先生のように 日本にはじめて丸いカンオケを作られ それを今日の産業にまで高められた先生が なにも若い者と一緒になって数に挑戦される必要もないでしょう」
「でもぼくはお上に納める税金も一番です」
「もちろんカンオケの数だって負けられるものですか」

 葬儀社主宰の瓦版用の座談会では、同業の「水又屋」と口論になります。

「そうですねえ カンオケは必要品ですから人類がある限りあるんであって 金魚の糞のようにいつも人間についてまわって………」
「水又屋 カンオケ芸術を糞にたとえるのはフキンシンじゃないか」
「糞もカンオケも同じですよ」
「なんだと! カンオケを軽蔑することは俺を軽蔑したことになるんだぞ」
「なんだと この誇大妄想狂!」
「俺はケンカだって一番なんだぞ コーン」(←殴った音です)

 一番病という狂気にとりつかれた人間は、仕事が苦しみじゃなくて楽しみなんだ、年をとってもはりきってる、と登場人物が語り、ちょっとだけ毒をうすめてはいますが、そうとうな作品です。「カンオケ」を「マンガ」に置き換えてお読みください。

 手塚の没後、2003年に第7回手塚治虫文化賞特別賞を水木しげるが受賞しました。

・(前略)複雑な思いもあって、内定の連絡を受けて躊躇したが、賞金の百万円も目の前にちらつき、受けることにした。妻も二人の娘も「えっ、もらうの?」と言った。(「水木さんの幸福論」)

 授賞式でのスピーチ。

・会合にいくと、手塚さんや石ノ森さんがいつも徹夜自慢をする。私は生まれつき眠りに対して弱いタチでしたが、これが今日の健康につながっています。半分寝ぼけたような一生でしたけど、これが良かったわけです。
http://ja.tezuka.co.jp/news/special/200307/shakai.html

 ここでも、自分は一番病じゃなかったので長生きしてると。

 水木しげると手塚治虫が並んだ写真があります。週刊少年マガジン1969年3月30日号の表紙。マガジンの創刊10周年記念超大号として、当時の人気作家が勢ぞろい。マガジン系じゃないひとも多く、ここにマガジンとは袂をわかっていた手塚治虫も参加しています。集合写真風ですが、合成かどうかはわかりません。

 水木しげる、手塚治虫、横山光輝、さいとう・たかを、ちばてつや、川崎のぼる、桑田次郎、つのだじろう、赤塚不二夫、藤子不二雄AとF、影丸譲也、矢代まさこ、永井豪、石森章太郎、ジョージ秋山、楳図かずお、森田拳次、一峰大二。

 最前列は手塚を中心に水木、横山という並びでした。

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Comments

戦後漫画を「手塚文脈」でのみ語る動きがどんどん加速している昨今、水木しげる原理主義者としては、興味深い記事でした。
つげ義春さん(何度目かの時、ご本人が先生と呼ばれるのはちょっと…とおっしゃられていたので)や白土三平先生(お会いした時に先生以外に言葉がありませんでした、感激で)の初期作品に、手塚漫画の影響が見られるというのは同感です。漫画というものが「子ども向け」と言われていた時代、どうしてもある程度「子ども向けの絵柄」というものがあり、似通うのは当然かとも思います。
しかし水木さん(ご存知の通り、水木さんはご本人=武良茂氏が漫画家であるご自分のことを水木さん、と言います)はどうでしょうか。
水木さんはもちろん、復員後輪タクや紙芝居や貸本漫画で糊口をしのいできましたが、絵柄は驚くほど一貫していますよね。
私とて手塚先生の偉大さを充分認識している一人であり、ファンでもあります。手塚漫画には多大な影響を受け、尊敬する漫画家のもちろんお一人であることは言うまでもありませんが、戦後漫画は手塚治虫やトキワ荘だけで語れるものではないと思っています。
手塚治虫と並び称するのであれば、水木しげるという意見には大賛成ですね。実は何年も前から(教鞭を執っている専門学校に97年にコミック編集専攻科ができた時にも、生徒たちに)そう伝えてきました。
水木さんが手塚治虫文化賞特別賞を受賞した際も、「賞金が出るもんな」とすぐに了解した次第です。水木さんがお元気なのは、まさしくその「枯れない」ところでしょう。
ガロ編集長の長井師が存命中、ガロで長井×水木対談を神保町の小料理屋で収録しました。
長井さんが酒をチビチビやり、ほとんど料理に手をつけないのを見るや、水木さんは長井さんの分も「食べないんならいただきますよ」と言ってもりもり食べられていたことや、漫画家協会のパーティでは左腕の付け根に紙のお皿を挟み、そこに右手で器用に料理を取っては精力的に食べておられたのを懐かしく思い出しています。

Posted by: 白取 | February 13, 2005 at 09:23 PM

コメントありがとうございます。
水木しげる氏はマンガ表現がワンアンドオンリーでありつづけただけでも偉大なのですが、戦記マンガ家であり、妖怪研究家であり、さらには鬼太郎など今の子供でも知ってるキャラクターを創造するという多方面の活躍。今も現役で活動されており、まさにスーパーマンとしか思えません。昨年の出版点数20冊、今年になってすでに3冊とDVD1枚。スゴイ。

Posted by: 漫棚通信 | February 14, 2005 at 09:20 PM

石ノ森は?

“漫画の神”と称された手塚治虫に対し、作品の量産ぶりから“漫画の王様”、“漫画の帝王”の評も。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石ノ森 章太郎 (いしのもり・しょうたろう) 【漫画家】 〔
宮城県〕 1938年1月25日


横山 光輝 (よこやま・みつてる) 【漫画家】 〔兵庫県〕 1936年6
月18日

Posted by: x | February 15, 2005 at 08:21 AM

むむ、石ノ森章太郎は大好きなんですけど、トキワ荘グループってどうしても手塚治虫の弟子すじって感じになっちゃって、手塚の上にもってくるのがむずかしいんですよね。その点、横山光輝は一時期、確かに手塚治虫より人気があったし、長く活躍したということでいかがでしょうか。そもそもマンガ家に順番つけるのはムリがありますが。

Posted by: 漫棚通信 | February 15, 2005 at 09:32 PM

 ああ、また書き込んでしまいますが。ちょうど『水木しげる自伝』にハマっているので。
 たしかに水木が手塚のことをどう思っているのかなというのは、『自伝』を読んでいてもずっと不思議なことだったのですが、こちらを読んでその一端が見えてきた気がします。なるほど。
 竹内オサムによれば、手塚がディズニーの影響から出発したのに対し、水木は「アメリカの、それも五〇年代に流行ったホラー・コミックスの影響を、もろに受けていた」(『漫画・まんが・マンガ』より)そうで、初期の『ロケットマン』『怪獣ラバン』『猫娘』そして『墓場鬼太郎』にいたるまで「背景、人物とも、アメコミ独特の陰影がほどこされて、人物の顔つきもやたらバタくさい」(前掲書)。私も「水木しげる展」にいったのですが、確かに初期の画風はそのようでした(ひょっとして私が知らないだけで、常識なのかもしれませんが)。
 竹内は、手塚の模倣者が大量に産出された戦後漫画界では手塚−ディズニーの流れが圧倒的で、アメコミ・ホラーコミックスの影響の流れはそこには出ず、別の系譜、水木にあらわれたとします。「こうしてみると…水木と手塚は対照的な位置にいたマンガ家であったと理解できる」(前掲書)。
 そういう意味では、少なくとも対照をなす二つの流れということはできそうだと思います。
 

Posted by: 紙屋研究所 | February 16, 2005 at 01:07 AM

水木さんの初期怪奇ものがアメコミのホラーコミックスの影響を受けていた、というのは確かにその通りです。ご本人からも伺ったことがありますし。「知らないだけで、常識」というほど全ての水木ファンが認識していることではないかも知れませんが…。ミイラ男の包帯の中が真っ黒で目がクワッと開いてる感じ、あれなんかまさしくそうですね。「妖奇伝」あたりもそういえるかも知れません。もちろん、その後は完全な水木ワールドになっていくんですけども。

あと横山先生ですが、手塚・水木、という二タイプと並列に語るのはどうでしょうか…。作品の数や人気・知名度、その後の作家たちへの影響度などを考慮すると…。偉大な漫画家であられるのは確かですが。
石森先生(どうしても世代的に石-ノ-森に違和感が…)についても漫棚通信さんと同感です。

Posted by: 白取 | February 16, 2005 at 06:15 AM

続けてすいません。横山先生というと「鉄人」や「バビル2世」もいいけど「あばれ天童」が好きだったなあ。優等生的、勧善懲悪だと今の時代の若い子らが斜に構えてそこらへんを小バカにしそうだけど、あの時代の「硬派」がいなくなっちまったからこそ、今のガキ共がダメなんだとマジメに思います。
私事ながら、俺たちの高校生の頃は弱いものイジメをするやつは必ず「集団」から今度はイジメ反されたし、自分の学校の「番長」は自分の学校の子は守ってもイジメなかった。小柄だったけど千代の富士そっくりの顔をしてケンカがめっぽう強かったN君は男儀があって、近くの工業高校の不良集団にクラスメートがカツアゲに遭ったと聞くや、一人で乗り込んでって叩きのめしてきたっけ。格好よかったなあ。

Posted by: 白取 | February 16, 2005 at 06:23 AM

水木しげる自身の書いたアメコミについての文章を探してるんですが、なかなか見つからず、「かねてから見ていたアメリカ漫画のプラスチックマンに似た構想がうかぶ」(初出は1973年朝日ジャーナル)ぐらい。有名な水木しげるのプラスチックマンはぜひ読んでみたいのですが、著作権問題から再刊されることはまず無理でしょうか。

あと、水木しげるが書いた手塚治虫と横山光輝についてもうひとつ。

・頭を毎日なぐりつづけていると、そこにコブができるように、毎日苦心していると奇妙な発想がわいてくるようになる。そしてしまいには、手塚治虫先生や横山光輝先生のように子供のよろこぶオモチャマンガが、面白いほどできるようになり、まるで玩具製造機のような頭になってしまう。そこではじめてお金がタンマリもうかるという仕組みである。(略)人間の真実の姿なんてものはマンガでは描いてはならぬものとされているらしいのだ。(初出は1965年ガロ)

ガロに書いた文章ですから、当然批判的な文脈です。

Posted by: 漫棚通信 | February 16, 2005 at 09:00 AM

あ、知ってますよその文章。ガロにいたんだから当然ですが。水木さんは直裁な方ですから、多分に嫉妬も入っての一文だと理解していました。
自分も若い頃(笑)=ガロ編集初期はメジャーに対し似たような目線でいたものですが、古屋兎丸君がメジャーになってしばらくして「メジャーな漫画のシステムに乗ること、編集者や版元の意向をガンガン言われて、その中でどれだけ自分がやっていけるか、というのを試すことが面白い」と言っていたのを思い出します。
産業になってしまった漫画制作のシステムの中で、自分の作家性みたいなものをどれだけ出し、充足させていけるかということでいうと、意識的な漫画家であればあるほど大変な作業だろうな、と。メジャーな漫画産業から生み出される作品が現実に世の中では「漫画」という表現への評価に直結するのだから、そこに身を置く作家も編集者も簡単ではないな、と思います。(売れりゃあいいんだろ、という考え方には今だに抵抗があるのは事実だけど、売れなきゃ出さないのと同じだというジレンマも感じてます)

Posted by: 白取 | February 18, 2005 at 11:25 AM

作家性と商業性の問題ですね。このふたつは背反するものでなく両立させることが可能というのが、現在の考え方でしょうか。もちろんマンガが産業である限り、作家性もあり、商業性もあり、というのがもっとも良いのですが、どうしても作家性はあるけど売れない、というものが存在してしまう。これをすくいあげていたのがガロだったと思います。もしかすると今後これは同人誌・個人誌・CD-R・ネット配信がになうことになるのかもしれません。

Posted by: 漫棚通信 | February 18, 2005 at 01:48 PM

こんにちは、はじめまして。
「ヘルボーイ」というアメコミの紹介をしているのですが、水木先生は、ヘルボーイの作者のマイク・ミニョーラさんと面識があって、実際に仲がよいと聞きました。

はじめは「鬼太郎」の水木先生とアメコミって結びつかなかったんですが、皆さんのお話を伺っていて、なるほどと思いました。

日本人のマンガ作家たちが、アメリカのコミックからどんな影響を受けているのかを考えて見ると、なかなか面白いのではないか、と個人的に思います。

失礼いたしました。

Posted by: アルバイト石田 | March 02, 2005 at 10:44 AM

コメントありがとうございます。おう、こんなところで水木氏の発言が。「ヘルボーイ:破滅の種子」のオビですね。

Posted by: 漫棚通信 | March 02, 2005 at 02:04 PM

偶然きのう手塚治虫さんの漫画(どろろ)と水木しげるさんの本(『水木しげるの幸福論』)を読みましたので、思わず書き込みます。

私は今まで特に水木さんと手塚さんの関係などに興味を持ったことがなかったのですが、水木さんの上の本の中に手塚さんとの関係が1つの章として書かれていて、興味深かったです。

私は久しぶりに手塚さんの漫画を読み、あまりの面白さに喜んでいる所です。手塚さんも水木さんも作品が多すぎて困るのです。

Posted by: たもと | March 28, 2005 at 08:36 AM

コメントありがとうございます。手塚治虫の少年サンデー「W3」「バンパイヤ」に続く「どろろ」(1967年)は、まちがいなく水木しげるの少年マガジン「鬼太郎」に対抗したものでしょう。「どろろ」連載中にサンデーで「河童の三平」が始まってるのも面白い関係ですね。

Posted by: 漫棚通信 | March 28, 2005 at 01:03 PM

水木しげるはある出版社パーティーの席で後ろのほうで地味に飲んでいたら
全く面識のなかった手塚が突然やってきて、自己紹介もそこそこにいきなり
「あなたの絵は雑で汚いだけだ」
「あなたの漫画くらいのことは僕はいつでも描けるんですよ」と言い放った。

水木はああいう性格なので、その場では全く反論せず、いいたいように言わせていた。
そして黙って帰った後、短編「一番病」(角川ホラー文庫収録)を描き上げる。


「それから6,7年たった別のパーティーで会った時もそうです。あるマンガ家
のパーティーから帰る時バッタリ出会ったんです。そしたら まだやってるんですかー、
いきなり戦闘的なんです。何の事かと面食らってると 私の故郷ですよ!と怒ってる。
宝塚なんですね。私、昭和46年から宝塚の遊園地で鬼太郎のお化け大会をずっとやって
ますけど、彼は宝塚は自分の領地だ、領地を荒らされたって憤慨してるわけです。
でもそんなこと言われてもね、私だって困ります」

(足立倫行『妖怪と歩く ドキュメント水木しげる』)

Posted by: 鬼太郎 | September 19, 2006 at 10:59 PM

水木しげるは自伝を含む著書が多いので、こういう評伝が出版されてるとは知りませんでした。読んでみます。

Posted by: 漫棚通信 | September 20, 2006 at 05:14 PM

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