マンガ家自作を語る
続いて、青池保子「『エロイカより愛をこめて』の創りかた」。
ここまで自作、しかもひとつの作品に関して語っている本は珍しいんじゃないでしょうか。登場人物のモデルやエピソードの裏話がいっぱい。
著者のマンガの描き方は、理詰め理詰めで組み立てていくタイプ。しかもそれをきちんとヒトに文章で伝えることができる。ほら、実作者でも、作品について説明できる人と、そうでない人がいるでしょ。いや別に後者がいけないといってるわけじゃなくて、ぱっときて、だーっときて、だけの語りは読んでてつらいものですから。
もうひとつ、この本には少女マンガの現状に対する著者の考え方が、文章の端々にあらわれてます。
・まだ漫画雑誌が少年少女の娯楽の主流をなしていた頃
という文章があり、現在はすでに違うのだ、という認識が厳然としてあります。
・出口のない不況が続く出版業界。ことに少女漫画雑誌の凋落は凄まじく、娯楽の多様化で少女たちが漫画離れをして、すでに久しい。縮小する一方の市場で、文法の異なる若い作家たちと競う空しさと、自身の老化現象の進行で、おばさんたちはひしひしと限界を感じている。
・原稿料は10年近く据え置きだし、ブックオフの悪影響で印税収入も減少気味
著者は売れなかった時代が長くありました。1948年生まれ。1963年りぼんでデビュー。1964年少女フレンドで再デビュー。少女フレンド時代(10年間)の末期は干されていたらしい。
・私は『フレンド』で学園ラブコメや純愛ものを描いてきたが、どんなに努力しても読者の強い支持は得られなかった。結局、私の芸風がフレンド文化には合わなかったようだ。私の後からデビューした作家たちが頭角を現してどんどん追い抜いていき、読者アンケートの成績の悪い私は、いつの間にか戦力外になっていった。
・専属作家は他社には描けず生殺し状態。編集部内でも暗黙の総意があるらしく、それなりの対応をしてくれる。ネームを作って行っても、こういう話は某さんの方が巧いからね、こっちの話は某某さんの方が巧いよ、でボツ。ねちっこい重箱攻めでボツ。エレベーターの中でシカトする人もいる。
その後フリーとなり、1976年プリンセスに描いた「イブの息子たち」がヒット。泣ける話やねえ。
24年組周辺のヒトビトも、次第に作品数が減ってます。いつまでもお元気で描き続けてください。
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