続・ほっぺたのアレについて
前回からの続きになります。コメントに刺激されての再考です。
最近ハヤリの「ほっぺたのアレ」は、意味がはっきりしない表現ということもありまして、池本様とたにぞこ様から若さと萌えまで考察していただき、いや、そこまでは思いうかばなかった。
みなもと様からは、ほっぺたのつるぺたは絵を描く人間としてそのままにしておけないっ、という描き手の気持ちを教えていただき、これも驚きの視点でした。
あらためて考えてみますと、アレのおおもとはやはり、影か紅潮かじゃないか。
影は、マンガがモノクロの線画だから斜線でかかれるのですが、本来クロッキーで描かれるように灰色の面で表現されるべきもの。たとえば、小島剛夕の描く顔では、男、女、子供も皆、ホオに斜線がはいることが多い。これはもともと立体の表現であり、もし、ペンや筆で描かれることがなく木炭で描かれていたならば、アレは線では描かれなかったはずで、面として表現されていたのじゃないでしょうか。
そして、ホオの紅潮は。モノクロだからこそ、赤くなった顔は斜線で表現されますが、グラディエーションを使えるカラー環境下ならほっぺの紅潮はそれなりに表現できたでしょう。現代のCGでは、ホオの微妙な表現が可能になっています。
モノクロの線画という特殊な環境下で発達した、「立体表現」と「顔の紅潮」が奇妙に合体してしまったのが現在の「ほっぺたのアレ」ではないでしょうか。作者側としてもこのふたつを分離することなく、以前からの表現とその理解にしたがって描いてませんか。線で描いちゃうと、影やら紅潮やらわかりませんし。
現在のカラー環境、アニメやCGではじゅうぶんに影やホオの紅潮を表現できるはずなのに、それでも荒い線をひく。従前の表現方法とそれに慣れた読者の読解力を利用しているという意味で、やはり奇妙な表現と言わざるをえません。わたしの同居人は、あの表現は十年後には消える、と予言してますが、いかが。
Comments
コメントありがとございます。そうかあ。ほっぺたに何か(線でもキズでもバンソウコでも)描くのは気持ちいいということでもあったですか。映画のポスターにイタズラ描きしてしまうような原初的な感覚?
Posted by: 漫棚通信 | February 02, 2005 09:11 AM
ども。丁度、萌えについて考えてたというか、描いてみてたのですが、個人的な感覚からするとデフォルメ表現がある限り、あれは無くならない気がします。多分にあれを描くのは生理的な気持ち良さ(落ち着き)がありますし。とかく絵が下手な人は線を引くポイントが欲しくてたまらないと思うのでああいうのがあるとラクにポイントが作れる気がします(萌え系の人は線を引く快楽を重要視してるような気がします)。意味合い的にはたぶんモーニング娘。の「。」みたいなものじゃないかと(コミュニティ内の人が見ると無いと落ち着かないので必然的に使用頻度があがる)。あと、コマ単位で考えると単純に片目アップした時とかあれ無いと空間的にヘンではないかと思うんでマンガに関しては空間を埋める意味合いで使用される場合もあるかもしれません。というか、空間を埋めたいけど、そのテクが無い人には使いやすいのではないかと(ト-ン貼るのめんどいし)。
Posted by: オルタナ | February 01, 2005 08:04 PM
縦線を1本引いて「サイボーグ」
バンソコ貼って「正義の不良」
キズ描いて「ヤクザ」
────────プラスαに便利なスペース
頬に描かれたものを分類し
それらの変遷を辿ると面白いかも知れませんね
Posted by: たにぞこ | February 01, 2005 02:05 PM
十年を待たずして消えるかもしれませんね(笑)。
とりあえず今は、のっぺりお人形さんをナマ身の人間臭くする効果という一面はあるのではないかと。トイレにも行かないようなアイドルが、あのほっぺ線で屁ぐらいはコイてくれそうに見える、と。江口壽史(だったかな)ふうに言うなら「わたせせいぞう化を防ぐため」の無意識的行為かも。いずれにせよ数年後には「なんでこの時代の少女マンガはこんな線がはいってたんだ」と不思議がられる可能性は大。
それでは、オジャマシマシタ。
Posted by: みなもと | February 01, 2005 07:24 AM