少女マンガと戦争:男性作家その2:鈴原研一郎
以前にタイガーブックスから韓国マンガがどっと発売されたとき、もっともワクワクしながら読んだのは、いちばん絵がヘタと思われたキム・ヘリン「飛天舞」でした。改めていいマンガとうまい絵っていうのはパラレルじゃないなあと感じたわけですが、今回「ほるぷ平和漫画シリーズ」を読み直して面白かったのは、実は鈴原研一郎です。あの、へろへろの絵が、読ませるんだこれが。
鈴原研一郎は、貸本マンガから少女マンガ雑誌に進出した男性作家の代表格。巴里夫と逆に、絵は思いっきり雑です。乱暴な線と、背景の省略。とくに大人の男性は、若者の顔にしわ描いてヒゲはやしてハゲにしただけです。今でいうとしりあがり寿か。しりあがり寿は、意識して鈴原研一郎タッチで描いてるんじゃないかしら。
でも、鈴原研一郎は、面白い。ほるぷ平和漫画シリーズの「またあう日まで」には5作収録。そのうち「またあう日まで」(週刊マーガレット1970年)がとくによろしい。
オープニングは宝塚劇場最後の日。宝塚歌劇団の仲良し三人娘、ひとみ・由香・節子はこの日の公演を最後に見習い看護婦として従軍することになっています。ひとみはすでに両親を亡くし、由香の兄・雄一郎とひそかに愛し合っている。節子は関西弁の元気な子で遅刻ばっかりしています。予科練の学生である雄一郎は、あえて愛を告白することなく、ひとみと別れます。戦時中の恋愛モノとしてそそる設定でしょ。
四国の陸軍病院に勤めた三人娘ですが、ひとみは厳しい仕事に過労で倒れ、由香の家で静養。そのとき雄一郎と再会し、戦時下に結婚式をあげることになります。その直後、雄一郎は特攻隊として選ばれてしまいますが、特攻の朝、雄一郎の戦友が機を奪って自ら特攻へ。雄一郎は生き残ります。
結婚式当日、ひとみに命令がおり、病院船に乗って沖縄へ。結婚式に向かう雄一郎とのすれ違い。ああ、なんということでしょう。
沖縄の子供たちを乗せた病院船は米軍の攻撃の中、日本に向かいますが、節子は遅刻してしまい、沖縄で戦死。おお、節子の性格が伏線であったか。病院船も米軍の攻撃で沈没し、ひとみと由香も死亡。由香と雄一郎の母も爆撃にあい死亡。
これらのことを知った雄一郎は、今度は自分が後輩の機を奪い取り、自ら特攻へ。これで主要登場人物のほとんどが死んでしまいました。
雄一郎の死の翌日、終戦をむかえます。なんと、ひとみは失明しながらも生きていました。雄一郎の死を知ったひとみは宝塚劇場へ。雨の中、廃墟となった劇場で、最後の公演の幻想を見ながら、ひとみは舌を噛み切って自殺してしまいます。
戦争を舞台にした悲恋モノとして、こんなに泣けるドラマはちょっとないんじゃないか。あまりにメロドラマとしてよくできてるので、テーマの反戦なんかどっかいっちゃうほどであります。
その他の「炎のサンゴ礁」(週刊マーガレット1971年)は沖縄戦を真正面から描いた作品、「ああ広島に花咲けど」(週刊マーガレット1969年)と「ママの日記帳」(週刊マーガレット1967年)は広島原爆の話。いずれも戦時下の悲恋が出てくるのが鈴原研一郎。
「勇気ある怒り」(週刊セブンティーン1971年)がまたスゴイ話で。
第二次大戦中、ドイツ留学中の日本人医学生・フジカワは下宿の娘、ユダヤ人のジョアンナと結婚します。ジョアンナの父母、また大学の友人もユダヤ人であることを理由にナチスに捕われます。
ここからの展開がスゴイんですが、フジカワは妻とともにユダヤ人収容所の病院勤務を命じられる。そこでフジカワは生体解剖や不妊手術、新薬の人体実験をおこなうことになります。
やがて連合軍の攻撃が始まりますが、ジョアンナは同胞を助けられなかったことを苦に自殺。フジカワはユダヤ人の子供を逃がし、ナチに拷問されているところを連合軍に解放されます。これが30年後のフジカワの苦渋に満ちた回想で語られます。
ジョアンナが「イエスさまが」と言ったり、ユダヤ人の墓が十字架であったり、ちょっと待たんかいというような描写もありますが、これだけの深刻でかつスペクタクルなメロドラマが、テキトーに描いた飛行機や銃をバックに語られます。こんな絵でもドラマが描けるんだなあ。
ちなみにこの作品には、初夜のシーンとして上半身ハダカ(下半身はシーツの下ね)の男女が描かれており、少女マンガのベッドシーンとしてはもっとも初期のもののひとつではないかと。
鈴原研一郎のストーリー・テリングは、当時の少年マンガや劇画を含めても、もっとも優れたものじゃないでしょうか。まして戦時下を舞台にしたとき、恋愛は盛り上がらざるを得ない。戦争の残酷さを、すべて男女の悲恋に収斂させております。
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