少女マンガと戦争:男性作家その1:巴里夫
「ほるぷ平和漫画シリーズ」には、戦争を扱った少女マンガも多くとりあげられていますが、現在は絶滅してしまった少女マンガの男性作家のものが2冊。ともに貸本マンガから雑誌に進出した巴里夫と鈴原研一郎。彼らは年令からいっても、もちろん戦争体験者です。
巴里夫は、雑誌時代には「5年ひばり組」などの明朗生活マンガが人気でしたが、本人の文章によると、貸本時代初期には母物の「泣かせ」ばかりを描かされたとあります。戦争マンガにもそのテクニックが爆発してます。
「疎開っ子数え唄」には、「疎開っ子数え唄」「赤いリュックサック」「石の戦場」「愛と炎」の4作が収録。
「疎開っ子数え唄」(りぼん1973年9月号)は学童疎開の話。主人公・美保子は小学生。父はすでに戦死。母と妹を東京に残し、長野に疎開します。クラス代表であいさつをするほどの優等生だったのですが、疎開先で元仲良しグループの同級生から集団いじめにあい、母と妹は空襲で死亡、本人は精神に異常をきたしてしまいます。
どうです、この救いのなさ。ラストシーンは、笑いながらお手玉をする主人公。同級生たちがつぶやきます。「疎開ってなんだったのかしら」「戦争ってなんだったんだろう」「お国のためってなあに?」「なんだろうなんだろう」「なんだろう」
子供にとって戦争がいかに理不尽でつらいものだったのかを、疎開生活の描写で表現。登場人物はすべて女の子と大人だけ。少年は出てきません。生活マンガの手法で描いた戦争マンガ。名作です。
「赤いリュックサック」は、満州から逃げる日本人たちが「鬼のような」ソ連兵につかまり虐待され、結局多くが自殺してしまうという、これも救いのない話。日本人同士のいがみ合いや食料の奪い合い、中国人に子供を売る親などの描写が壮絶。
母に刺されて死に際に富士山の幻影を見る主人公の半眼の表情は、じゅうぶん読者のトラウマになるほどコワイ。この後ソ連のエライさんが出てきて、「わたしのわるい部下たちが命令にそむいたのです」「すみませんでしたすみませんでした」と泣きながらあやまるシーンではへなへなと腰がくだけますが。
「石の戦場」は著者の自伝的マンガ。昭和20年、13歳の著者が大分県の宇佐海軍航空隊に学徒勤労動員され、特攻隊の少尉と知り合う話。これも日常描写で戦争を描いています。
「愛と炎」は東京大空襲を真正面から描いた話。原作の廣澤榮は東宝の助監督、のちに脚本家。廣澤榮と安藤日出男の合作シナリオ「東京大空襲」は、結局映画化されることはなかったようですが、これがそのマンガ化でしょうか。
主人公・節子は空襲の中、恋人が目前で焼死、母・弟・友人もなくします。爆弾の直撃で首がちぎれる友人、生きながら燃え上がる恋人の描写は、絵がプリミティブなぶん、これもコワイ。「はだしのゲン」タイプとでもいいますか。
巴里夫は生活マンガを描くのと同じ手法を使って戦争を描きました。ていねいな日常描写こそ少女マンガが開発したもののひとつです。戦争をこういうふうに描くこともできるということ。「夕凪の街」の遠い先祖ですね。
以下次回。
Comments
はじめまして。
奥田継夫さんを調べていて、ほるぷ平和漫画シリーズ9『ボクちゃんの戦場』原作=奥田継夫 漫画=政岡としや を見て、ここにたどり着きました。
私は、巴里夫さんの作品をリアルタイムに読んでいた年代です。疎開っ子・・は、当時は付録の小冊子になっていました。りぼんの看板作家で美内すずえさんたちと同時期の方ですね。
お正月の作家からの年賀コメントに、おんなのこになりきって漫画を書くぞ!と女装した氏のカットが載っていました。
『ボクちゃんの戦場』は当時少年マガジン(?)に掲載されていたものを接骨院の待合で読んだ記憶があって、今だいじめのシーンが忘れられません。
『ぼくちゃん戦死ですねん』というタイトルだと思っていたのですが。よれよれの小柄な少年がタイトルぺーじにありました。
取りとめのないことを書きすみません。
Posted by: ぴーなつ堂 | January 27, 2011 10:06 PM
こんにちわ。
トラバいただきます。
巴里夫さんがこんな作品を書いているとはまったく知りませんでした。
Posted by: じょじょ | January 21, 2006 12:43 PM