ふたりでひとり:ほったゆみ
小学館新人コミック大賞の一般コミック部門、1986年第20回は、入選が川田潮と長尾浩義、佳作は加藤元浩と堀田清成でした。この4人のうち、現在のところ、もっとも名が知られているのは加藤元浩かしら。「Q.E.D.」と「ロケットマン」はなかなか読ませます。
で、堀田清成ですが、このときの作品タイトルが「春の蹄音」。タイトルからしてどうも、競馬マンガらしい。その後もビッグコミックやみこすり半劇場で競馬マンガを描き続けていたそうです(未見です)。名古屋方面では中日新聞上で特に有名な人らしい。
一方、小畑健・ほったゆみの「ヒカルの碁」最終23巻の制作スタッフ・クレジットに堀田清成の名が出てきます。おお、そうか、堀田清成は、ほったゆみの夫にして、半身であったか。
ちょっと古くて短いものですが、ほったゆみのインタビューがこちらで読めます。
http://0845.boo.jp/times/archives/000567.shtml
http://0845.boo.jp/times/archives/000568.shtml
http://0845.boo.jp/times/archives/000570.shtml
http://0845.boo.jp/times/archives/000572.shtml
これによると、
・(マンガ家になった動機は→)少女時代からの夢でした。大学を中退して名古屋に本社がある中部日本新聞社会部の片隅で編集の仕事を手伝っていました。
・日本棋院の「囲碁未来」という雑誌に囲碁漫画を連載していたのがきっかけでした。
・ヒカルの碁も(夫との)共同作業みたいなものでした。
・雑誌社も作家名は女性の方がよいと思ったのでしょう。囲碁とのかかわり合いが少ない少年少女向けの漫画雑誌ですから原作者を女性名で、監修も日本棋院の女流棋士梅沢由香里さんという組み合わせ。
なるほど、実際は「ほったゆみ」という名前は夫婦の合同ペンネームみたいなものだったんですね。となると、「ヒカルの碁」という作品は、すごく多人数の手がかかった作品ということになります。原作者がふたり、原作はコマわり・レイアウト・スクリプトのはいった、いわゆる「ネーム」の状態で書いていたらしい。マンガ家とアシスタント・チーム、さらに編集者、監修や碁の棋譜を考えるひとたち。
しかも「ヒカルの碁」は大ヒットしたわけですから、この多人数制作マンガというのは、十分今後のマンガ制作のお手本となるべきものでしょう。
さらにさかのぼると、ミステリ作家・森博嗣が高校、大学時代マンガを描いていたのが名古屋のサークル「ドガ」。1970年代末、「ドガ」の編集長をしていたのが堀田清成でした。人に歴史あり。
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Comments
ちょっと追加。なぜか突然リンク先の記事が変更されちゃったのでリンクを修正しておきました。
Posted by: 漫棚通信 | January 09, 2005 08:15 PM
コメントありがとございます。マンガ原作者って「あしたのジョー」の高森朝雄から「デスノート」の大場つぐみまで、正体を隠すのが伝統芸みたいになってますね。それぞれ理由が推察できますが、ほったゆみに関しては、隠す理由があまりないような気がしますけど。
Posted by: 漫棚通信 | January 08, 2005 04:52 PM
堀田清成氏が協力しているきとは2001年のOB会の時に聞いていましたが、口止めされていました。もう公にしていいんですね。
森氏と堀田氏は高校で同学年で、教師からも次は何をやりだすのかと行動を注目されている生徒だったと、担任の教師から聞かされたことがあります。
Posted by: とくめいきぼう | January 07, 2005 11:29 PM