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December 21, 2004

さらに酒井七馬と紙芝居について

 先日のエントリ、酒井七馬の話の続きです。

 佐久良五郎(さくらごろう)=酒井七馬の紙芝居「原子怪物ガニラ」の絵元は、「三邑会」です。

 三邑会=「さんゆうかい」と読みます。1939年ごろから大阪で紙芝居を演じていた塩崎源一郎(2000年に88歳で没)が、戦後に立ち上げた絵元。それまで大阪の紙芝居演者は東京から紙芝居を借りていたそうです。絵描き7、8人が住み込みでもちろん手描きの絵。全盛期が1950年ごろで、東の加太こうじ、西の塩崎源一郎とまで呼ばれたそうです。

 ここに酒井七馬も参加して、紙芝居を描いていました。

・その塩崎氏が育てた紙芝居作家の中に、佐倉五郎という人物がいた。彼は、後に酒井七馬(しちま)と名を改め、新人漫画家手塚治(治虫)と出会って「新宝島」を出版する。

 上記のような記述もありますが、これには誤解があるようです。「新宝島」が発行された1947年には酒井七馬はすでに40歳。戦前、1934年から1935年ごろには日活京都漫画部で、1942年には日本映画科学研究所でアニメーション制作もしており、当時はすでにベテラン作家。塩崎が「育てた」わけではありません。酒井七馬にとって紙芝居への参加はあくまで生活のためであったでしょう。

 酒井七馬の絵はどのような感じのものか。ネット上で探すとこのようなものがあります。

正義の一弾:表紙もおそらく酒井七馬が描いています。このあくの強い絵が後期酒井の特徴。

雑誌「ハロー・マンガ」の表紙は酒井七馬のようです。童画タッチ。

ココでは佐久良五郎名義の紙芝居を見ることができます。「恐怖のフランケン」と「鉄人ちびっこ」

 「新宝島」以後の酒井七馬の仕事として紙芝居以外に、なんと1965年からのTVアニメ「オバケのQ太郎」に演出・絵コンテの一員として酒井七馬の名前が発見できます。

 最晩年には西上ハルオと組んで「ジュンマンガ」(これに掲載されたのが西上ハルオ模写版の「新宝島」)を発行したり、文進堂「マンガのかき方」「ストーリーマンガのかき方」の監修などをしていました。これらは彼にとって幸せな仕事だったでしょう。

 酒井七馬を愛読していたマンガ家も多く、さいとう・たかを、楳図かずお、鴨川つばめ(彼は「マンガのかき方」を読んでたらしい)などが、後年に影響を受けた作家として酒井の名を挙げています。

 最後に、酒井七馬とは早々に袂をわかった手塚治虫の文章から。

・ところで、ぼくとコンビを組んでいた酒井七馬氏だが、「新宝島」のあと、たいへんな密画の絵物語を数冊出したきり、ブームに乗ろうともせず引きさがってしまったのである。聞けば、あまりに凝りに凝った画風のために、時流に乗った多作ができず、やがて新人達に押し流されてしまったのであろうという。

・ぼくが東京へ居を移してからは、全然音信が絶えていたが、二十年近くたった昭和四十三年の春、久し振りでお目にかかった。いつものごとく瀟洒な服をりゅうと着こなし、長老然として磊落に世間話などをする氏に接し、ああ、老いてなお健在だなと思った。それから一年もたたないある日、とつぜん、氏が肺結核で亡くなったという知らせがはいった。なんでも、入院費も治療費もなく、バラックの自宅にたったひとり、寝たきりのままコーラだけを飲み、スタンドの灯で暖をとっているのを人が発見した。が、そのときはすでに手遅れだったそうである。生活はよほど困っていたらしいが、仲間に会うときには、きちんと背広を着、胸ポケットからハンカチをのぞかせて出席するだけのプライドをまだ持っていたので、誰一人、氏のからだが病魔に蝕まれていることに気づかなかったという。漫画家の孤独と宿命を背負った最期だった。(手塚治虫「ぼくはマンガ家」改訂版・1979年)

 酒井七馬は1969年1月23日亡くなりました。享年62歳。

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Comments

連張りでチョット遠慮してたんですが、質問。
あなたのご覧になった「原子怪獣ガニラ」は
酒井七馬氏御本人の絵でしょうか、それとも別人
の作画によるものでしょうか?
(いえ、単なる興味本位の質問です)

三邑会の紙芝居現物は1本だけ所有しています。
10枚ほどのギャグ(連続読みきり)モノです。

酒井七馬氏とは晩年、1度だけお会いしました。
中野晴行氏の名著「手塚治虫と路地裏のマンガ家
たち」の終り近くで、七馬氏が若手セミマンガ家
たちと「奈良ドリームランド」でイベントをする話
が出てきますが、その若手の1人が私です。

10時間に満たない一期一会でしたが、その間、氏が
口にされたのはコーラだけでした。

Posted by: みなもと太郎 | December 21, 2004 07:45 PM

>みなもとさま。いえいえどうぞ何度でもおこし下さい。
正確なところは南湖さんに聞いてみなけりゃわかりませんが、けっこう近くの席からは、達者な線(やや乱暴)、派手な色使いなど、酒井七馬本人の筆と信じて見ておりました。ただ確かに人物以外のカニ、船、海なら、お手本さえあれば誰でも描けそうな絵ではあります。

Posted by: 漫棚通信 | December 21, 2004 11:27 PM

ありがとうございました。

Posted by: みなもと太郎 | December 22, 2004 12:01 AM

「ハロー・マンガ」が掲載されている冒険活劇文庫は、すごいサイトですね。いいところを教えていただきました。

Posted by: とおる | December 23, 2004 11:16 AM

古書の世界にはオソロシイひとびとがいっぱい棲息しているらしい… 足を踏み入れると帰ってこれないという噂が…

Posted by: 漫棚通信 | December 23, 2004 10:01 PM

もうちょっとだけ。南湖さんは紙芝居博物館(おそらくは塩崎おとぎ紙芝居博物館 大阪市西成区)所蔵のものをカラーコピーして使用しているようです。ガニラだけでも20巻以上あるそうですから、こりゃ完結するまで大変だ。

Posted by: 漫棚通信 | December 25, 2004 08:45 AM

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Tracked on December 23, 2004 11:43 AM

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